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Sun, 24 November 2024

今井 美樹 ロンドンの「色」が加わった旅の軌跡

今年1月に満を持して行われた、ロンドン初となるコンサートは、大成功のうちに幕を閉じた。5月には、英国で制作したオリジナル・アルバムを発売。こちらでの生活も丸3年が経過した。今年、デビュー30周年を迎える歌手・今井美樹。英国で地に足をつけ、着実に積み重ねてきた日々の結晶が、彼女の歌手人生に 新たな輝きを添えつつある。ロンドンで日常を過ごす自宅で、この地での音楽活動、そして30年という歌手人生の軌跡を振り返ってもらった。
(本誌編集部: 村上 祥子)

MIKI IMAI 1963年4月14日生まれ。宮崎県出身。モデル、女優としての活動をスタートさせた後、86年に「黄昏のモノローグ」で歌手デビュー。数々の連続ドラマに主演する一方で、「瞳がほほえむから」(89年)、「PIECE OF MY WISH」(91年)、「PRI DE 」(96年)などの大ヒット曲を生み出した。2012年8月、家族とともに来英。2013年にユーミン(松任谷由実)のカバー・アルバム「Dialogue」をリリース。今年1月にはロンドンのカドガン・ホールでコンサートを行い、大好評を博した。5月にオリジナル・アルバム「Colour」を発表。10月にはデビュー30 周年の集大成となるベスト・アルバム「Premium Ivory-The Best Songs Of All Time-」がリリースされた。

ロンドンの中心地から少し離れた住宅地。
外はあいにくの雨模様ながら、大きな天窓のある室内は明るい。
真っ白な壁とテーブルの向こうに広がるガーデンには、
小さな実がたわわに実ったリンゴの木々。
見慣れぬ人々の姿に落ち着かないのか、ドーベルマンのルーリーがせわしなく足元を歩き回る。
たくさんのクッションが連なるソファには
前日、ルーリーそっくりの犬の模様が施されたものが仲間入りした。
キッチンに置かれたCDプレイヤーは、途切れることなく音楽を奏で続ける。
歌手・今井美樹がロンドンでの日々を過ごす日常の風景がここにある。

指が折れそうになるくらい
握り締めた手のひら

家族そろってロンドンに移住したのが2012年夏のこと。それから約2年半のときを経て、今年1月、今井美樹はロンドンで初めてのコンサートを行った。開催場所となったロンドン西部の瀟洒(しょうしゃ)なコンサート・ホール、カドガン・ホールには、スーツ姿のビジネスマンを含む日本人がずらり。筋金入りの今井美樹ファンはもちろんのこと、ファンでなくともこれまでの人生に何らかの形で彼女の歌に触れてきた人たちが集まった会場には、熱狂とも違う、ようやくここロンドンで今井美樹の歌声を聴くことができるのだという期待が満ちていた。舞台上では、ロンドンに生活の拠点を移してから制作した2枚のアルバムにサウンド・プロデューサーとして関わってきたミュージシャン、サイモン・ヘイルが一曲目の前奏を弾いている。やがて、舞台袖から今井美樹がその姿を現した。

「正直、不安安だらけでドアを開けたんです。サイモンがピアノを静かに奏で始めてくれている中で私が出て行ったときにね、本当に温かい拍手をいただいて。誤解を恐れずに言うと、こんなにお客さんの拍手が温かいって感じたのは初めてだったんですよ。待っていたよっていう気持ちというか、エネルギーが拍手の中に込められていた気がして。もちろん日本でライブをするときも皆さん待っていてくださるし、いつも喜びは感じています。ただ、自分自身がこちらで暮らしていて、アンテナが 少し違う何かをキャッチするようになっていただけかもしれないけれども、同胞感というか、皆が自分の生まれ育ったところではない新しい場所で、それぞれの暮らしの中、一生懸命に日々を過ごしているというつながりをすごく感じたんですね」。

一曲目は1989年にリリースされた「瞳がほほえむから」。ただでさえ歌い始めが緊張感を伴う曲なのに、その温かさに一瞬にして包まれて「親指が折れそうになるくらい、ぎゅっと手のひらを握り締めて痛みを感じていないと気持ちが溢れ出しそうになってしまった」。そんな極限の状態で今井美樹の口から流れ出た歌声はしかし、どこまでも伸びやかで、あっという間に観客を自分の世界に引き込んだ。

今回のコンサートに足を運んでくれた大多数は「初めて会うでしょうという方たち」。本来ならば曲目選びには慎重になるべきなのかもしれないが、「私の曲たちは初めて聴いてもいい曲だねって心に残るものが多いと信じている」から、あえて人気の高い曲だけをそろえるということはしなかった。ときにはピアノの伴奏のみでしっとりと、ときにはカルテットとともに華やかに、過去の代表曲から新曲までを歌い上げ、「歌よりも緊張した(笑)」という英語のMCも取り入れたひととき。「丁寧に歌うことで日本語の言葉の響きを皆さんに伝えることができれば」と言う今井美樹の歌は、異国の地であるロンドンで、確かに観客の耳ではなく、心に届いていた。

今井美樹 © IM Official Fan Club
今年1月、ロンドンで行われたコンサートで歌う今井美樹

ロンドンの「色」に抱かれて

コンサートの中で一曲、異色とも言える曲があった。夜のしじまに大切な人に優しく語り掛けるような歌詞には今井美樹らしさが溢れている一方で、その「ミュージカルのような」旋律が新鮮な驚きをもたらす「Lullaby Song ~一日の終わりに~」。コンサートでピアノの伴奏を務めたサイモン・ヘイルが作曲し、今年5月に発売された6年ぶりのオリジナル・アルバム 「Colour」に収録されている作品だ。

「サイモンは日本の作曲家のつくってくれた曲も『これ本当にいい曲だね』と言ってピアノで奏でてくれたり……『ああ、音楽に国って関係ないんだな』って思ったんですけれど、同時にあの曲は日本人がつくったものではないなという気はしますよね。それがイギリス的であるのかどうかは、私にはまだ分かりません。ただサイモン的ということは分かる。そうした曲が一曲入るだけで、ほか は今までと同じような選曲でも、違う色が差し込まれた。『ザ・ロンドン』という風にこれ見よがしなことはしたくないし、できないけれど、これからこうやって少しずつ差し色が入ることによって、ロンドンで生活しながら表現者として何かが変わっていくのが自然に伝わるんじゃないかと思います」。

インタビューを続けるうち、外では雨足が強くなってきたが、ビタミン・カラーの花が飾られた真っ白な室内は相変わらず清潔な明るさに満ちている。キッチンに置かれたプレイヤーからは、「Colour」のメロディーが流れ出す。丸3年が経ったロンドンでの生活。ちょうど今から一年前のインタビューで、「(来英)当初も今もアップアップ」と語った今井さん。この間はガーデンで見つけたカエルの卵の処理に四苦八苦して……と苦笑しつつも楽しそうに語るその姿からは、この街に根付きつつある様子がうかがえるが、やはり今でも「アップアップ」なのだとか。そんな彼女を来英当初から変わらず支えてくれているのがこの街を彩る様々な「色」だ。

「オリジナル・アルバムを作りましょうとなったときに、最初はロンドンで特別なことは何もしていないから、何も言うことがないって思ったんです。でも日常って3年近くの時間が繰り返されていくと、少しずつだけれど変化があるんですよね。自分では分からなかったけれど、作詞をお願いした方と話していると、『前の美樹ちゃんとは違う』って敏感に感じ取ってくれて。私自身も曲をつくる段階で、毎日はこんな風にさりげないけれど、気付いたら見える景色の色がこんなにも変わっているって凄いと感じたり。このアルバムに関しては、できるだけロンドンで感じたさりげなさを大事にしたかったので、日本とロンドン、何が一番違うかと考えたんです。そうしたら、ロンドンに来たときに『何て美しい色!』って感動したカラフルな色みだなって。だから音楽としてのカラフルさというより、カラフルなロンドンの日常にある様々なものが私たちをさりげなく刺激してくれている、その『色』を自分の記憶に留めておきたくて、タイトルも『Col our』としたんです」。

日本と英国、どちらにも偏らず
半々にしたかった

アルバム「Colour」の制作が決まった段階で、レコーディングをすべてロンドンで行うことは現実的に見ても「自然な流れ」だった。次に考えるのは、誰に曲を発注するか。今やロンドンに拠点を置き、英国に音楽仲間も出来た。だから当然、ロンドンのミュージシャンにすべてを委ねることも考えられたが、今井さんはそうはしたくなかったのだと語る。

「ミュージシャンやプロデューサー陣はイギリスの人たちで全く問題なかったのだけれど、作曲に関してはイギリスと日本、半々にしたかったの。私の今までの曲たちを担ってくれた素晴らしいクリエーターが日本にいる。イギリスのチームにも日本チームの素晴らしさを感じてほしいと思ったんです。だからどちらかに偏るのではなくて、作曲は半々。日本の作曲家がつくってくれた作品をこちらのプロデューサーがアレンジしてくれているのですが、素材が同じでもシェフが変われば料理も違ってくるじゃないですか。だからこそ素材のおいしさにはこだわりたくて、今井美樹の一時代を築いてくれたといっても過言ではない上田知華さんと作詞の岩里祐穂さんにもお願いして、奇跡的に当時のトライアングルも再現できました。日本でレコーディングしていたら、この出会いはなかった気がします」。

日本からディレクターが来英するたびに集中的に作業を進め、すべての行程が終了するまでにかかった時間は延べ5カ月。途中で歌い直したこともあれば、全体のバランスを見て追加した曲もあった。「もう少しスパイスを足すとしたら何がいいだろう。もうちょっと寝かせたら育っていくかしら」――こうした形しか取れなかったということもあるが、そうやって、瞬発力に頼るだけでなく、自分のアルバムを見つめ直しな がら完成までもっていくことは大きな挑戦だったし、 制作する上での理想形だとも感じた。ロンドンで表現者としてやっていくのに、まだ自信があるわけじゃない。だからこそ、手の届く周りの大切なものを拾い集めるしかなかった。

「一つひとつは小さな粒々かもしれないけれど、そうしたものが自分を支えて、背中を押してくれているという事実に気付けただけでも幸せだし、それを形に残せたというのはラッキーだったと思います」。

たくさんの「あのころ」

「えっ、どうして今!?」――今年の春、ロンドンにやって来たディレクターから、10月にベスト・アルバムを出したいという打診を受けたとき、まず口を突いて出たのはそんな言葉だった。5月にオリジナル・アルバムをリリースしてまだ間もない。今年はデビュー30周年という、歌手・今井美樹にとっては記念すべき年。ベスト・アルバムを出すには最適のタイミングとも思えるが、何と30周年であることを忘れていたという今井さんにとってこの提案は、青天の霹靂(へきれき)以外の何物でもなかった。それでも最終的にゴー・サインを出した背景にあったのは、「Colour」の存在だ。

「『Colour』のレコーディングをしているときに、懐かしい気持ちになることが多々あったんです。それは懐かしい音楽をつくっているという意味ではなくて、若かったころの『あの曲が好き、この曲が好き』という音楽ファンとしての思いや、こんなことにトライしたいって一生懸命音楽に向き合っていた気持ちを何度も思い出したんです。『ああ、あのころはこんなことがやりたいって思っていたんだ』ってレコーディングをしながら感じたの。それまでは一生懸命ただ前に向かって進んでいたから、後ろ向きな気がしてあまり振り返りたくなかった『あのころ』。でも決してネガティブなことじゃなくて、色々な『あのころ』が全部積み重なって今につながっているわけだから、『あのころ』を否定すること自体が無理をしているんじゃないかって思えたんです」。

「Colour」のプロモーション活動で東京にいたとき、ラジオ番組のナビゲーターたちがこのアルバムについて話を聞きたいと心から思っていることがひしひしと感じられた。彼らの多くは、いわゆるバブル時代と言われた80~90年代、洋楽からJポップまで様々な音楽が街中に溢れていたときに、それぞれ好きなジャンルを浴びるように聴いて過ごしてきた人たち。音楽を聴く暇がなくなった今でも、わくわくしたいと思う種火だけは残っていて、その種火に火が灯ったようだっ たと今井さんは目を輝かせる。それまでは「若いころに聴いていた今井美樹の音楽なんて恥ずかしいから聴かないで」と思っていたが、そんな今井美樹の「あのころ」を大切に感じながら見つめていてくれた人たちに、彼らが聴きたい音楽を、彼らがふっと笑顔になる ような瞬間を詰めて届けたい、そんな風に感じられるようになった。それが今井美樹のデビュー30周年の 節目を飾るベスト・アルバム「Premium Ivory」がつくられる序章となる。

「『今井美樹』を感じてほしい」

「すごく気持ち良く聴いてもらえるベスト・アルバム」。10月にリリースされる「Premium Ivory」は、ベスト・ソングをセレクトしたというよりも、「『今井美樹』を感じてほしい」という思いでつくられたもの。今井さんいわく、稚拙な部分はあるものの、真っ直ぐ伸びやかに歌っていたころの煌めく瞬間が記録として残されているものを丁寧にリマスタリングして仕上げた「贅沢なベスト」だ。

30年分の膨大な曲の中から、まずは今井さんがセレクトし、その後さらに「断腸の思い」で厳選した曲をディレクターが最終的な形にまとめ上げた。ディレクターは同世代で、2013年リリースのカバー・アルバム「Dialogue」のころからの付き合い。長年、仕事仲間として関わってきたのではなく、学生時代に歌手・今井美樹の歌に接してきた人物の視点が新鮮だったし、「客観的な人の目や耳って大事なんだな」と感じたという。「良い曲だとか、思い入れのある曲だという 理由で選んでいくと、だいたい似てきてしまうんです。今回は『えっ、何でこの曲を選んだの?』と驚くこともあったのですが、アルバムとして通して聴くと気持ち良く聴けるの。好きです、自分でも。気付いたら何度も何度も聴いてる」。

リマスタリングを担当したのは、数々の大物ミュージシャンのレコーディングやマスタリングを手掛ける オノセイゲン氏。「本当に丁寧にレコーディングされているから、できるだけ当時の良さを生かして、ほんの少し手を加えるだけ」というスタンスで行われたリマスタリング作業は、一曲目の「PIECE OF MY WISH」から始まった。

「すごく大きなスピーカーから時代の匂いがプンプンするその曲が流れてきてきたときに、一つひとつの音が何て芳醇で、丁寧につくられているんだろうって。新しい何かと出合いたくて歩き続けていたから、あまり好きじゃないと思っていた当時の自分の声も含めて、あの時代の中で勢いがあったときに生まれた音楽というのはやっぱりあって、本当に良い曲を素晴らしいスタッフがレコーディングしてくれていたんだということを改めて目の当たりにして、何だか、ごめんなさいっていう気持ちになって号泣してしまいました」。

若気の至りで様々な人を傷つけてしまったこともあっただろう。まい進することしか考えていなかったあのころの自分に真剣に向き合ってくれた人たちに申し訳ない。そんな思いで涙が止まらなくなった今井さんだが、過去と対峙し、打ちひしがれ、その感情を素直に受け止められたことで気持ちがすっと楽になった。「それぞれの時代が色濃く残っていて、30年を駆け足で振り返るときに気持ち良く感じられる軽やかなベスト・アルバム」。このアルバムを聴くとき、私たちは「卒業式で同級生と一緒に歌った」「大切な人と出会ったそのときに流れていた」「もうだめだとボロボロに傷ついたときに支えてくれた」と、自分自身のいくつもの「あのころ」を思い出すのかもしれない。

今井美樹コンサート
今年1月、今井美樹のロンドン初となるコンサートが行われたカドガン・ホール

旅の途中

30年という長い長い年月を、歌手・今井美樹として音楽とともに歩んできた。「迷いながら、回り道をしながら、色々と旅をしてきて、ようやく『Colour』にたどり着いた気がします。でも反省する点は山のようにあって。こう考えているということは、またトライしたいって思っているんですよね。これからも旅は続くけれど、30年という結構な旅を続けてこられたということにまず感謝。迷ったときに、大切だったキラキラしたものを意識的に捨ててしまったことがあるかもしれないけれど、この世代だからこそ見えてきたものもある。今回のベスト・アルバムで今までの曲たちを振り返り新鮮な気持ちで見つめ直せたことで、それらがまた新しいものになるんじゃないかという気がしています。同じ曲をセレクトしてライブをしても、自分自身での鮮度が違う。この気持ちがこれからどう影響してくるかが楽しみです」。

10月からは日本各地8カ所を回るツアーが行われ、来年1月には前回と同じ、ロンドンのカドガン・ホールでのコンサートも予定されている。去年はビギナーズ・ラックだったけれど、来年はもう一度同じ方たちが来てくださる可能性もあるからプレッシャーはある、そう語る今井さんだが、常に微笑みを絶やさずに音楽への思いを語るその表情からは、また歌うことができるという喜びだけが真摯に伝わってくる。次回はほかのミュージシャンや英語の曲を入れるのかという質問に、「そういう余裕があるなら、一曲でも多く自分の歌を届けたい」と即答する彼女にとって、これまでの30年をともに生きてきた自分の曲はまさに人生の宝物。コンサートで私たちは、その宝物を笑顔でそっと優しく手渡されることになるのだろう。

今はまだ旅の途中。歌手・今井美樹の旅、そしてロンドンで生活する一人の女性、今井美樹の旅はこれからも続いていく。ロンドンでの生活が始まってからの3年は「もう」とも言えるし、「まだ」とも言える。年月を重ねていくうちに、ロンドンの街の「色」もまた変わって見えてくるようになるかもしれない。これから彼女の目の前に伸びていくことになる旅の軌跡がどのような色に染まるのかは誰にも分からないけれど、きっと音楽がその道程を支えてくれるに違いない。

MIKI IMAI New Year Concert
30th Anniversary Special

2016年1月30日(土)19:30
2016年1月31日(日)18:30
£35~42
Cadogan Hall 5 Sloane Terrace, London SW1X 9DQ
Tel: 020 7730 4500(Box Office)
Sloane Square 駅
www.cadoganhall.com


 

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