古くから収集家は世界の珍奇品を集めてきましたが、それを展示するだけならアトラクションと変わりません。でも収集品の背景を調べ、分類・系統立てて研究すれば総合科学としての博物学に転じます。ミュージアムもミュージックもその語源は学芸をつかさどる9人の女神「ミューズ」に由来。大英博物館の建物が神殿に見えるのも納得です。
大英博物館は1759年、アイルランド出身の収集家ハンス・スローン医師の遺志と8万点の収集品を受け継いで開館しました。以来、収蔵品は増え続け、現在は1200万点を超えると言われます。今回、寅七は同館の収蔵品の「動物」に焦点を当てて特別散策を企画しました。一緒に動物巡りをしてみませんか。
※展示品は変更、展示室工事中などの可能性もあります。
シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、
週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ
プロローグ
それは巨大な薬箱から始まった
大英博物館の生みの親、ハンス・スローンは植物好き。薬草研究が高じてシティの薬剤師組合に学び、南仏で医学博士号を取得、総督の侍医としてジャマイカに赴任します。現地からたくさんの動植物の標本を持ち帰り、ロンドンのチェルシー地区に薬草園を作って内科医を開業。カール・フォン・リンネの分類学にも影響を与えたと言われる博物学の父、ジョン・レイから分類術を習い、集めた博物標本に応用しました。スローン医師の遺品が基になった大英博物館の展示も、ガラス・ケースに収められてしっかり整理されています。当時、博物館の展示は「神の摂理」を示すものと考えられ ていました。言ってみれば薬師如来が持つ薬壺(やっこ)が人類叡智の玉手箱に変わったようなもの。第1室「啓蒙ギャラリー」にはスローンの収集品のエッセンスが凝縮されており、頭痛薬はありませんが知識欲を旺盛にする栄養剤が並んでいます。
動物巡り① スカラべと猫
エジプト文明は循環サイクルの世界
地階のエジプト・コーナー、まずは巨大なスカラベ像をご覧ください。スカラベとは、甲虫フンコロガシのこと。エジプト神話によれば、大地の男神ゲブと天空の女神ヌトが手足を繋いで天地が創られます。息子の太陽神ラーが聖船に乗ってヌトの口に入ると夜が訪れ、朝になると彼女の股から再生。毎日がこの死と再生の繰り返しです。スカラベは獣糞を球体に変えて日の光に向かって転がし、そこに産卵しますが、排出物から再生する様子が、太陽を導く復活神と見なされました。エジプト文明は、ナイル川が氾濫、水が引いて種まき、そして収穫という4カ月ごとのサイクルが何千年もの間、繰り返されることで発展しました。民衆の関心も来世で復活するというミイラ信仰に注がれます。また、穀物を食べるネズミを追い払う猫が神聖化されました。太陽神の娘、獅子頭のセクメトは破壊の女王でもありますが、おとなしくなると猫頭のバステトに変わり、庶民に愛されました。まさに猫かぶり。
動物巡り② ヤギとライオン
メソポタミア文明は異民族の交差点
定期的に氾濫するナイル川と異なり、チグリス・ユーフラテス川は予期しない洪水が起こり、また、異民族の侵入でこの地域は戦争が絶えませんでした。北部の牧畜と南部の灌漑農業が結び付いて有畜農耕が発達しますが、ここではヤギに注目。おとなしい羊の群れはなかなか移動しませんが、ヤギが先頭に入ることで引っ張られます。博物館地階にいる守護獣神ラマッスはエジプトのスフィンクスとよく比較されますが、こちらは飛ぶ翼があって機動性重視です。また、紛争地帯なので武勇に優れていること、猛獣ライオンを狩猟することが王の権力誇示になりました。アッシリア美術の至宝、ニネべ宮殿の壁画に描かれたライオン狩りの場面は圧巻です。壁画の約30年後に建てられた、新バビロニア王国のイシュタル門のライオンのモザイクも見事です。こちらはドイツの博物館から借りてきました。
動物巡り③ 憂いの表情をした馬
ギリシャ文明は栄枯盛衰
パルテノン神殿の彫刻は、神殿の①ペディメント(破風 はふ*)、②メトープ(外柱上部の石版)、③フリーズ(内壁上部)の部分を装飾し、①東に女神アテナの誕生、西にアテナと海神ポセイドンの争い、②神話の世界、③パンアテナイア大祭の行列、がモチーフになっています。行列のシーンは計163メートルもあり、人物が378人、動物が232頭描かれ、その先頭を追っていくと本尊アテナ像の着替え用の布が手渡される場面に行き着きます。メトープには半人半獣のケンタウルスとペイリトオスの戦闘場面が、東破風には太陽神ヘリオスの馬車の馬と月神セレナの馬車の馬が左右の端に展示されています。ところでこの秘宝を実費で持ち帰ったエルギン卿は離婚の慰謝料捻出のため、泣く泣く英国政府に秘宝を買い上げてもらいました。奥さんとはウマが合わなかったので馬の表情には憂いが。いや、本当は「塞翁(さいおう)が馬」かもしれません。
*三角屋根を支える先端の三角形の部分
動物巡り④ 蛇と鳥
中南米には生贄の文化と海洋文化
1519年、スペイン人エルナン・コルテスがアステカに上陸すると、住民たちから白い神ケツァルコアトルの再来と勘違いされ、丁重にもてなされて「双頭の蛇」のお守りを受け取ります。主食がトウモロコシの彼らにとって、蛇は農作物をネズミから守る知恵と長寿の神。蛇を悪魔の化身と考えるキリスト教信者には驚愕でした。また、アステカには終末信仰に基づく人身御供が行われ、生きた心臓を神に捧げるため、人体を切り裂く黒曜石の剣もありました。一方、太平洋の孤島、イースター島のモアイ像は村人を見守るように作られ、海に背を向けています。その背中に描かれているのが大空舞う鳥。海洋民族にとって山鳥は守り神。万が一、漁師が陸の見えない沖合まで流されたときは、山鳥を放って帰るべき方向を示してもらいます。思えばノアの洪水伝説や日本の神社の鳥居でも、鳥が案内役を担っていますね。
動物巡り⑤ 龍と鳳凰
中国は南船北馬と絹の道
世界的に有名な青花雲龍文象耳瓶(せいかうんりゅうもんぞうじへい)には、見事な龍と鳳凰が描かれています。中国は南の農耕・漁労民族と北の騎馬民族が争いつつ、東西の文化を取り入れて出来た国。この磁器は元の時代、つまりモンゴル騎馬族に支配された時代に、中国北東部の景徳鎮で作られました。近くで採石されるカオリンから作られた白磁にペルシアから輸入したコバルト顔料で絵付けされています。デザインは中国画の筆遣いと西洋・イスラムの唐草文様が見事に融合。鳳凰は麟(りん)、鹿、蛇、魚、亀、鳥類が複合された霊鳥で皇后のシンボル、一方の龍は猪、馬、鹿、ワニ、蛇、魚類が複合された霊獣で皇帝のシンボルです。大部分の官窯製の磁器には鳳凰と龍の文様が施され、皇帝に献上する磁器の龍の爪は5本と定められました。貴族は4本、庶民は3本です。このルールを破ると「ツメが甘い」と皇帝の逆鱗(げきりん)に触れます。