イングランド最果ての理想郷ダンジェネスデレク・ジャーマンの庭
英東南部のダンジェネス(Dungeness)は原子力発電所と荒涼とした海岸線をもつ、「イングランドの砂漠」とも呼ばれる海辺の町。通常の植物が育ちにくい小石だらけのこの地に特別な趣を与えているのが、映像作家デレク・ジャーマンの住んだプロスペクト・コテージだ。耽美的かつ終末観をたたえた作品で20世紀の英国アート界に独自の位置を占め、現在も多くの人々に影響を与えるジャーマンは、1994年にAIDS合併症で死去するまでの数年をダンジェネスのコテージに暮らし、作品制作と同時にガーデニングも行った。ここでは、強い海風にさらされた月面のような土地にあえて庭を作ったデレク・ジャーマンと、その終焉の地として選ばれたダンジェネスを紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
20世紀末の表現者デレク・ジャーマン
デレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942~94年)は、1970年代半ばから20年間にわたり活躍した映画監督。舞台デザイナー、作家、園芸家など多くの顔を持ち、ここ数年特にその作品や思想が再び脚光を浴びている。現在、ロンドンのガーデン・ミュージアムでは「Derek Jarman: My garden’s boundaries are the horizon」と題し、晩年プロスペクト・コテージに暮らしたジャーマンにスポットを当てたエキシビションが開催中だ。
ロンドン大学キングス・カレッジやスレード美術学校などで学んだジャーマンは、1960年代半ばから画家として活動する傍ら、ロイヤル・オペラ・ハウスなどで舞台デザインも手掛けた。やがて映画監督ケン・ラッセルのもとで美術監督を担当するが、そのころから8ミリ・カメラを手にし、75年の「セバスチャン」で、長編映画監督デビューを果たす。同作は古代ローマ帝国の聖セバスティアヌスが同性愛に溺れる姿を描いたものだが、ジャーマン自身も同性愛者でLGBT活動家であり、人々がセクシャリティーをオープンにできる世の中を目指していた。その後発表された作品のほとんどが、性的マイノリティーや同性愛を題材にしている。
通常の35ミリではなく、8ミリや16ミリのフィルムを使ったジャーマン独特の映像美と、アヴァンギャルドかつ哲学的な世界観は、まだ同性愛が特別視され、AIDSの治療方法が全く分かっていなかった時代の不安から生まれた。「テンペスト」「カラヴァッジオ」「ラスト・オブ・イングランド」「ザ・ガーデン」「BLUE ブルー」など、ジャーマン作品はどれも、不安や怒りを内包した自らの夢の断片のようでありながら、20世紀末という時代を鮮やかに体現しているのだ。
プロスペクト・コテージとの出会い
ジャーマンは、作品の常連俳優で友人でもあるティルダ・スウィントンとともにダンジェネスを訪れた際にコテージを見つけたという。スウィントンによれば、ロンドンに帰るため車を走らせているとき、ダンジェネス・ロードの側に「売家」という立て札が付いた小さなコテージを発見したジャーマンは、ロンドンに着く前にもうその家を買うことを決意していた。1986年末にHIVへの感染が判明していたジャーマンは、「今までのような暮らしをやめる」ことを決意し、もとは1900年に作られた漁師小屋だったコテージを3万2000ポンド(約440万円)で購入。プロスペクト・コテージ(Prospect Cottage 展望・期待の家)と名付けた。
ジャーマンは幼いときから庭作りに興味があったといい、あるインタビューでは「園芸家になるべきだったのかもしれない」とも「ガーデニングはセラピーのようなもの」とも答えている。コテージ前のスペースには海岸の貝殻や流木、鉄くずのオブジェを配し、ポピーやラベンダー、クロッカスといった素朴かつ土壌に合う草花が植えられた。コテージの周りには柵や塀といったものがないため、その庭は自然に海岸や海へとつながっているように見え、遠くに見える原子力発電所すら庭の一部のようだ。ジャーマンはここで海の色が刻々と変わるのを見つめ、草花の世話をする一方で、病と闘いながら5本の作品を製作。その中の「ザ・ガーデン」はダンジェネスの風景に着想を得て、プロスペクト・コテージの周辺で撮影されている。
ダンジェネスの不思議な魅力
原子力発電所、2つの灯台、石だらけの海辺、そしてミニチュア蒸気機関車の駅のほかには、点在するコテージ以外何もないダンジェネスは、常に「世界の果て」「月の表面」「砂漠」といった形容詞が冠されてきた。その何もなさは、大きな木が1本も生えていないことに由来する。これはダンジェネスの一部がかつては海中にあったため土壌が小石で形成されており、木が育たないことからくる。しかし一方で、実は発電所の北部にはダンジェネス国立自然保護区域が広がり、海辺の荒涼とした風景とは一転し600種もの植物やさまざまな生き物が生息し、欧州最大の野鳥保護区としても指定されている。この驚くほどのギャップがダンジェネスの魅力の一つになっているといえる。
2015年8月に、1964年からこの地を管理していたダンジェネス・エステートが、468エーカー(約1900平方キロメートル)の土地を150万ポンド(約2億500万ポンド)で売りに出し、地域住民やアート愛好家たちをやきもきさせたことがあった。もしコテージの周辺が開発され住宅街にでもなったら、ダンジェネスの魅力が消えてしまう。しかしすぐに原子力発電所を運営するEDFエナジー社がこれを購入し、ダンジェネスの地を管理していくことになった。皮肉なことに、ダンジェネスの景観は原子力発電所によって守られたことになる。
ティルダ・スウィントンによる保護運動
1994年にジャーマンが死去した後、コテージは晩年のパートナーだったキース・コリンズに譲られた。しかしコリンズも2018年に脳腫瘍で亡くなり、コテージが売りに出される懸念が高まった。ジャーマンが暮らしていた当時の姿や庭が失われる可能性があり、監督のミューズだったティルダ・スウィントンが立ち上がり、チャリティー団体「アートファンド」とコテージを維持するためのクラウドファンディングを開始。目標額は350万ポンド(約5億円)とされた。ニュースは瞬く間に広まり、ジャーマンの1960年代の友人である画家のデービッド・ホックニーやコスチューム・デザイナーのサンディ・パウエルを筆頭に、8000人以上がこのファンディングに参加し、2日間で目標額の半分が集まるという快挙を成し遂げた。最終的に、目標額を超える382万7894ポンドを達成。アートファンドは、今後コテージをレジデンス・プログラムに利用できるようにするという。ジャーマンが住んでいたとき、コテージには多くの映画関係者やアーティストが集まった。それと同様に、今後もアーティスト、学者、作家、園芸家、映画製作者、さらにはジャーマン作品に関心のある人々が、創造し、夢を見るためのスペースを提供し、今後もアートの拠点として機能させていくのだという。
エキシビション情報
Prospect Cottage: Public Visits
2022年、プロスペクト・コテージがついにオープンした。アーティストのためのレジデンシー・プログラムを開催するほか、一般の人々も40分のガイド・ツアーという形で内部を見学することができる。デレク・ジャーマンの仕事部屋、住居部分などが公開され、オブジェや工芸品も併せて展示されている。
2023年12月10日(日)まで
詳細はサイトを参照
£14(オンライン予約必須)
Prospect Cottage
Dungeness Road, Dungeness, Romney Marsh TN29 9NE
Tel: 0130 376 0740
Dungenes駅
www.creativefolkestone.org.uk/whats-on/prospect-cottage-public-visits