10年にわたって労働党政権を支えてきたトニー・ブレア首相が27日、いよいよ退陣する。その政策については様々な評価があるとはいえ、スピーチや議論の上手さについては世界中の誰もが彼の能力を認めていた。一癖も二癖もある政敵や各国の首脳陣と渡り合ってきた彼から口下手と見なされがちな日本人が学ぶことは多いのではなかろうか。というわけで、今回の特集記事では彼の会話術を分析。言葉を巧みに操ることでいくつもの修羅場をくぐりぬけてきた彼を参考にしながら、在英邦人ビジネスマン社会におけるサバイバル会話術を身に付けましょう。(すばよしこ)
現強い権力を持った馴れ馴れしい上司には、
お褒めのジョークで切り返し
ブッシュ米大統領
Thanks for the sweater. I know you picked it out yourself.
この間はセーターを送ってくれてありがとう。
君が自分で選んでくれたんだろ?
ブレア首相
Oh, absolutely. In fact, I knitted it..
はい。もちろん。というか私の手編みなんです
2006年7月にロシアのサンクト・ペテルブルグで行われた主要国首脳会談での一コマ。会談の合い間に雑談を交わしていた2人がマイクのスイッチを切るのを忘れていたため、その会話がメディアに筒抜けになってしまった。そしてブレア首相がジョージ・W・ブッシュ米国大統領にセーターをプレゼントしていたということに加えて、同大統領がこの席で「Yo Blair」と親しげに呼びかける声までもが流れてしまったのだ。ブレア政権が度々批判されていた、米国に対する追従外交を象徴したエピソードだとして後々まで嘲笑の対象となった。
在英邦人ビジネスマンへの教訓
どの会社組織にも必ず、つまらない冗談を言ってばかりの上司がいます。そういった冗談は取るに足らないものと思いがちなのですが、実はこういう上司ほど周りをよく見ていて、反応が悪い人を仲間外れにしたり、解雇に追い込んだり、場合によっては核爆弾を落としたりします。だからあなたが社会人であれば、出来る限りジョークに付き合ってあげるだけの忍耐力と優しさを持つことが必要です。ジョークを聞いてただ微笑んでいるだけじゃ、「気の利かない部下だ」と思われてしまいます。ではどうすればいいのかというと、模範解答となるのが左の例で示したブレア首相の対応です。ここでのポイントは2つ。まず1つは、とにかくジョークにはジョークで返す、という基本中の基本をしっかりと押さえていること。さらには「手編みのセーター」という、雪がしんしんと降るクリスマスの夜に、かわいい女の子が年上の恋人にあげるプレゼントを彷彿とさせるようなアイテムをネタに使うことで、私はあなたに対して好意を持っていますよ、という態度を暗に示しています。概してジョークというものは爆弾発言と紙一重ですが、ここまで低姿勢で相手側におもねった内容であれば、どんなに堅物の上司でも温かくあなたを受け入れてくれるでしょう。さっそく、応用を利かせて皆さんも活用してください。上司「君が入れるお茶はなぜか美味しいね」あなた「はい。実は○○さんのために日本でお茶の葉を摘んできたんです」という具合に。
現弱みを握っているライバルには、
過去を蒸し返して反撃
キャメロン保守党党首
Do you support GordonBrown as the nextPrime Minister?
ゴードン・ブラウン財相を次期首相として支持しますか?
ブレア首相
Ofcourse. He is better than a man whowas advising former Tory chancellorLord Lamont on Black Wednesday.
もちろん。彼はポンド危機の際に保守党政権の政治顧問を務めていた誰かさんよりは、ずっと有能だと思います
英国下院議会の名物「クエスチョン・タイム」での首相への公開質問でのやりとり。ブレア首相は自身の引退を発表後、次期首相と目されていたゴードン・ブラウン財相への支持をなかなか明言しなかった。この点を再三にわたって追及したのが、野党第一党である保守党のデービッド・キャメロン党首。ブラウン財相の首相としての資質に疑問を投げ掛けることで両者の溝を浮き彫りにしようとしたが、対するブレア首相はかつて「ブラック・ウェンズデー」と呼ばれるポンド危機の際に政治顧問役として働いていたキャメロン党首の過去を暴くことで、形成を逆転させた。
在英邦人ビジネスマンへの教訓
あなたは今、社内で才能ある敵と対峙しています。ライバルと言い換えてもいいでしょう。自分と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の才能と人気があり、出世コースにおいては遅かれ早かれあなたを追い抜いてしまうかもしれない。しかも、彼はあなたの弱みを握っているのです。そして公衆の面前で恥をかかせて、あなたをキャリア組から脱落させようとしています。ピンチです。さてどうしましょう。そんな時は、彼が過去に犯した失敗を暴いてやるのが一番です。ブレア首相だって、デービッド・キャメロン保守党党首の過去を暴いて得意気になっているではありませんか。暴くのは、仕事に関係ない事柄でも一向に構いません。誰だって長い過去を遡れば、人には言えないような大きな失敗の1つや2つ犯しているものです。むしろ才能があって大志を抱く人間ほど、欲張ったり自分自身に自惚れたりした結果、ミスを犯しやすいともいえます。この「過去を蒸し返す」作戦は割と簡単なテクニックなので、すでに習得されている方も多いのではないでしょうか。夫婦喧嘩の常套手段でもあります。夫「最近おまえ家を空けすぎじゃないか」妻「あなただって去年の今頃は毎晩のように午前様だったじゃない」という感じですね。仕事場においては、同僚「君が出した予算の見積もりは間違いだらけだよ」あなた「というかその前に先週の君がやったプレゼンは一体何なんだ?」などなど。ね、簡単でしょ?
ごもっともなご指摘を受けたら、
論点をずらして誤魔化す
ジェレミー・パックスマン
Is it acceptable for gapbetween rich and poor toget bigger?
こ貧富の格差ができることについては仕方ないと思っていますか
ブレア首相
The issue isn't in fact whether the very richest person ends up becomingricher. The issue is whether the poorestperson is given the chance that theydon't otherwise have.
大事なことは、裕福な人たちがより裕福になれるかどうかではなく、貧しい人たちが、十分な機会を与えられているかどうかなのです
BBC2の政治解説番組「ニューズナイト」に出演した際に、辛口な批評で知られるジャーナリストのジェレミー・パックスマンに詰問された際に答えたもの。これまでの「過剰な福利厚生を掲げて経済を滞らせてばかりの労働党」とのイメージからの払拭を図ったブレア首相は党首に就任して以来、党の近代化に尽力。「ニュー・レイバー(新しい労働党)」という旗印の下で、これまで癒着関係が取り沙汰されていた労働組合との関係の健全化を大きな目標に掲げた。このため「弱者に冷たい労働党」という批判が寄せられることも多かった。
在英邦人ビジネスマンへの教訓
社会人として働き出したら、個人としては納得いかなくても、会社のために成さねばならないことがたくさんあります。安価で定評のあった商品を値上げしなければいけない時。公私ともにお世話になった顧客との契約を打ち切らなければならない時。こういった状況で「今まで受けた恩は忘れたのか」とか「それはあんたの都合だろ」とか言われて返す言葉が見つからない、という思いを経験された方は少なくないでしょう。個人的には先方の言い分はごもっともだと思う。でも会社員としては、その言い分を認めることができない。こんな二律背反の状況に追い込まれた時、私たちはどうすればよいのでしょうか。攻撃的なジャーナリストに対してブレア首相が発した「もっと大事なことがあるんだ」というメッセージは、そんな状況下で最も威力を発します。そうです。別の論点を提示することで話をそらしてしまいましょう。そうすれば、現在あなたが抱えている負い目からも逃げることができるのです。先の例でいえば、「大事なことは、値段が上がったかどうかではありません。まずは弊社商品の品質がどれだけ向上したかということをご確認ください」「私は、契約をなぜ打ち切らねばならないかということについては申し上げられません。それより、この仕事を通じて御社の皆様とお知り会いになれたことが、本当に嬉しいのです」という言葉がスルスルと出てくるようになれば大したものです。
自分に全面的に非があるならば、「確かにAでもB」と「AでなくてA'」
ブレア首相
I can apologise for the informationbeing wrong but I can never apologise, sincerely at least, for removing Saddam.
イラクに大量破壊兵器が存在する、という情報が間違っていたことはお詫びします。でもフセイン政権が崩壊したことについては、謝罪しません
2004年9月に行われた労働党党大会でスピーチを行った際の発言。1997年の総選挙で地滑り的勝利を収めてから高い支持率を保ち続けてきたブレア政権に最も大きな打撃を与えたのが、イラク戦争だった。閣僚や国民の反対を押し切ったこと、また国連の安全保障理事会の支持を得られないまま参戦を決定したことについて非難を浴びた結果、支持率は急激に低下。「イラクに存在する大量破壊兵器の撤廃」を大義として掲げるも、肝心の大量破壊兵器が戦闘終了後も発見されなかったために、英国を間違った戦争に追いやった張本人との謗りを受けるようになる。
在英邦人ビジネスマンへの教訓
会話文ではないのですが、ブレア首相のレトリックが非常に巧妙なので取り上げさせていただきました。言うなれば「イラクに大量破壊兵器など存在しなかったではないか」という英国民全体からの問いに対する、回答のようなものですから。さて、社会人として最も大切な仕事の1つとしてクレーム処理があります。その際に一番大事なのは、どんなに理不尽な因縁をつけられても、相手の言い分を半分程度までは認めてあげること。その後に「それでも」とつけた上でこちらの主張を伝えるのがコツです。左の発言を公式として表すと「大量破壊兵器があるというのは確かに間違いだった(A)。でもフセイン政権打倒は間違っていなかった(B)」となります。謝っているようで、全然謝っていない。この玉虫色の微妙なバランスが大事なのです。「確かに我が社の販売戦略は失敗した(A)。でもコンセプトは間違っていなかった(B)」みたいなセリフ、聞いたことはありませんか。これが上級者になると「Aじゃなくて、A'なんです」という言い方が出来るようになります。一番分かりやすい例が、「既婚者を好きになったわけではない(A)。好きになった人が既婚者だったの!(A')」というあれです。結局のところ、AとA'の違いが何かなんて誰も分からないのですが、言い回しをちょっと変えるだけで、筋が通った説明に聞こえてくるからアラ不思議。このレトリックを習得して、強硬な相手を煙に巻いてやりましょう。
1953年~2007年
1953年 | スコットランドのエディンバラに生まれる |
1975年 | オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ卒業 |
1980年 | 弁護士事務所で知り合った法廷弁護士のシェリー・ブースと結婚する |
1983年 | ダラム州セッジフィールドから総選挙に出馬し、国会議員に初当選 |
1988年 | 影のエネルギー相に就任する |
1994年 | ジョン・スミス労働党党首(当時)の急死により行われた党首選に41歳で当選し、史上最年少の労働党党首に |
1997年 | 労働党が総選挙で地滑り的勝利を収めて政権を奪取 |
2001年 | 総選挙に圧勝し2期目に突入 |
2003年 | イラク戦争への参戦を決定。支持率が急激に下降する |
2004年 | 首相として3期目を全うした後に辞任する考えを発表する |
2007年 | 次期首相の座をゴードン・ブラウンに受け渡す |
42歳、独身。バブル期の東京でのOL生活を経て渡英。ロンドンの企業で営業や秘書などを務めた後にライターに転身。これまで在英邦人ビジネスマン社会の様々な側面を見てきたような気がしている。趣味は手相占いと宝石鑑定。