見どころいっぱい!英国の古城を巡ろう
英国には石造りの堅牢な城が数えきれないほどあり、かつては戦いの場として、また権力者の住居として長年活用されてきた。現在もその多くが残され、一般客が気軽に訪れることができるようになっている。英国の城にはどのような歴史があるのだろうか。今回はイングランド地域を中心に、この夏に訪れてみたい英国の城を紹介する。天色の空の下、悠然とたたずむ姿はきっと心に深く刻まれる良い思い出になるはずだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)
参考:www.english-heritage.org.uk、www.britannica.com ほか
イングランド南西部ドーセットにあるコーフ城
英国の城にまつわる基礎知識
城、マナーハウス、宮殿の違い
英国における「城」は設立された時代やそのスタイルは実にさまざまで、これから解説する定義の中間に位置する建物も多く存在する。混在しがちなこれらの言葉は、「オックスフォード学習者辞典」では以下のような定義になっている。
城Castle | 過去に国王や女王、そのほかの重要人物が、攻撃から身を守るために建てた分厚く高い壁と塔を持つ大きくて頑丈な建物 |
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マナー・ハウスManor House | 所有地の中にある大きなカントリー・ハウス |
宮殿Palace | 国王、女王、大統領などの公式の住居 |
「城」は主に「戦闘に備えたもの」として定義され、アングロ・ノルマン語および古北フランス語を起源とする後期古英語で「村」を意味する「カステル」(Castel)に由来する。戦いの少ない平和な時代に村は要塞の外側へ拡張し、その結果元々の中心部のみが要塞化された形で現在まで残っている。その後、英語の変遷により、村そのものや要塞化された部分を表す「Castle」という言葉が誕生した。なお、現代の英国では、地域によってCastleを「カッスル」または「キャッスル」と発音する。
豪華な城、質素な城の違いは?
当初は要塞として建築された城も、戦闘で使用される武器や技術の革新に伴い、防御用の建物が必ずしも必要ではなくなっていった。人々を守るために活躍した城は、18〜19世紀にかけてなるべく豪華絢爛な仕様へと再建や改修が積極的に行われた。つまりそれは本来の歴史をなぞった形ではないものに変えられることもあり、その上関係者たちは引き続き「城」という名前を使いたがった。現在も豪華な城や質素な城など、その見た目にかなりのばらつきがあっても城と呼ぶのはこのためだ。
ちなみに18世紀以前も、一つの城が建設当時の目的とは異なる形で活用されてきた。例えばあるときは城砦として、あるときは邸宅として、またあるときは要人の監禁場所として機能し、王室所有のものになったときもあれば、維持費がかかり過ぎて売り飛ばされることもあった。その都度必要に応じて改修・拡張工事が行われてきたので、そういったいざこざに巻き込まれた城ほど、複雑な造りや歴史を持っている。
現在のドーヴァー城。城が建設されるはるか昔の130年ごろには城砦が完成していたという
英国の城の歴史
今でこそ観光地となっている城だが、かつてはたくさんの血が流れた戦の拠点だった。おびたたしい犠牲の上に現在の平和な歴史が成り立っていることを理解しつつ、現在までの城の歴史を簡単に振り返ってみよう。
スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている(2024年春まで改修工事の予定)
敵に打ち勝つための三つの様式
現在の英国の城の基礎は、1066年にノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム征服王)がウェセックス朝イングランド王国に対して軍事遠征を行ったノルマン・コンクエストによって、英国にもたらされたものだった。同地に住んでいたアングロサクソン人は、ウィリアム征服王、つまりノルマン人によって征服されたことを屈辱的に思い、たびたび反乱を起こすようになる。そこで、征服した領土の特に攻め入られそうな場所に、①モット&ベイリー様式の城を建設。11〜12世紀にかけて約1200の城が次々と建てられていったが、次第により強固な城にするために材料が木材から石材に変わり、②ストーン・キープ様式の城が登場。この時期に、ウェールズ大公サウェリン・アプ・グリフィズが戦いの末屈服し、同地のほぼ全土を征服したエドワード1世(在位1272~1307年)が、カーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城などを建設した。
中世後期になると、①、②とは異なる同心円状に城壁が広がる③コンセンリック様式が主流に。この形式は昔から存在はしていたが、12〜13世紀を中心に大きく発展した。一方、スコットランドの多くの城は、1286年にスコットランド王アレグザンダー3世の死後、それまでの巨大なものから5~6階建ての四角いタワー・ハウスと呼ばれる独自の様式に移っていった。
発展と衰退を繰り返す城
14世紀ごろまではより洗練された城の建築が盛んに行われていたものの、15世紀には戦闘・防衛目的で維持された城はほんのわずかとなり、一部の状態の良いものは貴族たちの宮殿として活用されるなど、城を持て余す時代に突入する。
しかし14世紀末から15世紀の百年戦争の時代に火薬で砲弾を飛ばす初期のタイプの大砲が登場。15世紀にその改良版が欧州にも紹介されたため、海岸に造られた城の防御を再び固めたが、これも大して行われないままあっさりと終息。そして数々の内戦や、第一、第二次世界大戦に一部の城が利用されたが、次第に軍事的な目的での利用はほとんどなくっていった。
一方、18世紀ごろからそれらを後世に残そうとする文化的な保護活動が活発に。こうして役目を終えたラッキーな城だけが運よく現代まで残ったのだ。
初期の城の基本スタイル
① モット&ベイリー様式Motte and Bailey Castles
モットと呼ばれる土で盛った3〜30メートルほどの丘の上に、天守閣(Wooden Fort)を持つ形式。モットから見下ろす場所にはベイリー(Bailey)と呼ばれる広い中庭があり、厩舎や兵舎、食堂、作業場、マーケットなどが設けられ、周辺地域に経済的な効果をもたらした。このエリアを囲むように木の柵が、その外側には水路または深い堀が設けられていたため、一つの門(Gateway)からしか攻め入ることはできず、そこには跳ね橋がかけられていたため、必要に応じて上げ下げしていた。数カ月あれば建設できるものの、木材のため火に弱いのが欠点だった。
英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった
② ストーン・キープ様式Stone Keep Castles
木材を使用する①の様式を石に変換したもので、長方形または貝殻天守(Shell Keeps)と呼ばれる円状の天守があり、寝室やキッチンなどさまざまな部屋を備えていた。石は耐火性と耐久性に優れた素材であったものの、農民の労働力でできた木造の要塞とは異なり熟練した職人を必要としたため建設には数年がかかり、その建設費用も莫大だった。そのため石造りの城は領主や王にとって権力を誇示できる意味合いもあったという。最大7メートルの分厚い外壁を有する城もあり、大砲などの強力な兵器が発明されるまで、突破することはほぼ不可能だった。
現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった
③ コンセンリック様式Concentric Castles
要所に塔が付随するカーテン・ウォール(Curtain Wall)と呼ばれる長く分厚い複数の壁に囲まれた城で、①、②よりもはるかに大規模。内側から同心円状に広がるように造られていた。同様式の典型的な城は、天守閣が独立せずに壁の一部に組み込まれ、内側の壁は外側よりも高く造られており、外壁を突破した敵兵を上から撃ち落としたり、その規模から投石器のような大きな兵器を使用したりすることもできた。建設費は②をはるかに凌ぐもので、エドワード1世のような一国の王などごく限られた人物だけが造ることができた鉄壁の城だった。
ウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城された
イングランドで訪れるべき城
イングランドだけでも4000を超える城が残っており、そのどれもが興味深い歴史を持つが、その中で編集部が独断と偏見で、気になる城を選んでみた。実際に訪れる際は、ぜひ各ウェブサイトで歴史を読んでから行ってみてほしい。
現代でいう最新のデザイナー建築だった
Tattershall Castle タターズホール城
1231年、ロバート・デ・テートシェールによって築かれた石造りの城(マナー・ハウス)を、1419年に相続した第3代ラルフ・デ・クロムウェル卿は、後にその城を拡張した。要塞という城本来の機能を捨て、当時はまだ珍しかった高価な赤レンガを使った美観重視の全面的な改修を行うことを決める。フランダース地方からわざわざ職人を呼び寄せ、煙突はゴシック様式など他に類を見ない瀟洒 な外観となった。加えて新しい溝を掘らせ、既存のものと合わせ二重の堀を整備。これは一応城の防衛の役目も果たしていたものの、美しい城を長い時間をかけて見てほしいと、訪問者を必要以上に歩かせるためだったとか。
ロンドンのKings Cross駅からPeterborough駅で乗り換え、Ruskington駅まで約1時間55分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/nottinghamshire-lincolnshire/tattershall-castle
雑すぎ怖すぎ捕まえすぎ
Warwick Castle ウォーリック城
914年にはすでに木造の砦が建設されていたイングランドの中でもかなりの歴史のある城。1068年に現在の基となった城を建てる際、敷地面積を拡大した都合で民家4軒を破壊した。刑務所として使われた時期もあったことから幽霊が出ることでも有名で、建物内を大股で歩く音やうめき声、金属製のドアから外を眺める看守の黄色い目が見えたなど、今も目撃証言が絶えない。また、かつて地下牢には第16代ウォーリック伯のリチャード・ネヴィルによってエドワード4世が捕らえられていたが、後に釈放、ネヴィルは4世が率いる軍に押され、バーネットの戦いで亡くなった。恨みを買いそうなことだらけの同城の現在の所有者は、ろう人形館マダム・タッソーを運営するエンターテインメント会社だというから驚きだ。
ロンドンのMarylebone駅からWarwick駅まで約1時間30分、同駅から徒歩で約15分。
www.warwick-castle.com
家族のために建てた愛あふれる住まい
Bodiam Castle ボディアム城
エドワード3世に仕えたエドワード・ダリングリッジ卿によって百年戦争の最中の1385年に建てられた。ボディアムの邸宅を所有していた富裕層のワルドゥ家の相続人のエリザベスと結婚し、当初は騎士時代に貯めたお金を使って家族のために邸宅を建てる予定だったが、仏軍の侵攻を危惧し急遽城に変更。イングランドの多くの城が異なる所有者によって数世紀かけて築城されたのに対し、ボディアム城はダリングリッジ卿によって一時に建てられたため、城のデザインは細部まで統一されている。庭園もあり大変心地の良い場所で、水のお堀の中にたたずむ姿は他に例を見ない美しさだ。しかしながら、約30の下水が堀に直接放出され、その匂いは相当なものだったそう。
ロンドンのCharing Cross駅からBattle駅まで約1時間30分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/sussex/bodiam-castle
「イングランドへの鍵」と呼ばれた要塞
Dover Castle ドーヴァー城
かつて「イングランドを制するならドーヴァー城を」といわれたほど鉄壁な城で、海から渡ってくる敵をことごとく打ち落とす要塞として第二次世界大戦まで使われた。その礎は鉄器時代(紀元前500~332年)にも遡る。海岸沿いという立地から、群を抜いて歴戦を経験しており、ナポレオン戦争(1803~15年)では駐屯地となり、崖の頂上から約15メートル下に軍隊を収容するためのトンネルが掘られた。このトンネルはその後1世紀以上放置されるが、第二次世界対戦が始まると、防空壕、軍事病院、また極秘司令センターとして再び機能。ダンケルクの戦いで行われたダイナモ作戦もここから発令された。現在公開されているトンネルは「アネックス」と「ケースメイト」の2本だ。
ロンドンのSt Pancras駅からDover Priory駅まで約1時間10分。駅からバスか、徒歩で25分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/dover-castle
内戦に巻き込まれた悲劇の城
Corfe Castle コーフ城
モットの上にそびえ立ち、眼下に町を見下ろすコーフ城は、ウィリアム征服王によって1066年ごろに建てられ、刑務所として、また王冠を保管する王城として使われていた。栄華を極めた時代もあったもののイングランド内戦(1642〜51年)で議会派の円頂党(Roundheads)によってその大部分が破壊され、現在はひどく荒れている。地盤を爆破され大きくずれ込んだ南西の門楼もそのままだ。そんな歴史はお構いなしに破壊された石を持ち帰って家を建てた村人も多くいた。城にはレイブンの巣があり、鳥が去れば城は崩壊するといわれている。また、同地は青銅器時代の遺体や装飾品が多く埋葬されているため、敷地内での金属探知機の使用を禁止している。
ロンドンのWaterloo駅からWareham駅まで約2時間20分、同駅からバスで約15分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/dorset/corfe-castle
数世紀前からとっくに廃墟だった
Restormel Castle レストーメル城
イングランド南西部のコーンウォールにある廃墟で、12世紀ごろに最初の城が建ち、13世紀後半に現在に見られる円形の城が完成した。このデザインはヘンリー3世の甥のエドマンドによる立案とされており、城を「ミニチュアの宮殿」に変えるべく、狩猟施設や庭園、静寂を求める人のための隠れ家を整備。以降、城主が代わるごとにさまざまな修繕が行われたが、いずれも公園の維持費に多くのお金を使い、引き続き狩猟を楽しんでいたようだ。16世紀にはほぼ廃墟となったが、人々はそれを過去の遺産として朽ち果てていく様子を眺め、18世紀には人為的に緑を増やした。1920年代にようやく保護へ動き出し、部分的に復元され、現在のような姿に生まれ変わった。
ロンドンのPaddington駅からPlymouth駅で乗り換え、Lostwithiel駅まで約4時間、同駅から徒歩で約30分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/restormel-castle
文学オタクが叶えた夢
Tintagel Castle ティンタジェル城
夏になると大変にぎわう、イングランド南西部のコーンウォール北部ティンタジェル半島にある城。初代コーンウォール伯リチャード(1209〜72年)は、所有していた三つの邸宅を同半島を含む小さな土地と交換し、本島側に外郭を、岬側に大広間と部屋のある内郭を造った。リチャードは12世紀に出されたキリスト教聖職者ジェフリー・オブ・モンマスの物語「ブリタニア列王史」(Historiae Regum Britanniae)に出てくるアーサー王の伝説、とりわけ物語の舞台になるティンタジェルに強く心をひかれ、物語の一部を再現してみせたのだ。しかしやはり場所が悪く、建築から数十年と経たないうちに城は荒廃してしまった。
ロンドンのPaddington駅からBodmin Parkway駅まで約3時間50分、同駅からバスで約1時間30分〜2時間。途中バスを乗り継ぐので、事前に時刻表を確認しよう。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/tintagel-castle
匠の意匠で美しく生まれ変わった
Lindisfarne Castle リンディスファーン城
宗教改革によりリンディスファーン修道院が失われたが、現在も巡礼者が絶えないイングランド北部のホーリー島にある城。16世紀に築城、18世紀までは数々の王に管理されてきた。1901年、当時「カントリー・ライフ」誌のオーナーだったエドワード・ハドソンが賃貸物件となっていたこの城を借り、ニューデリーの都市計画を担当した英建築家エドワード・ラッチェンスと、自生植物を生かす女性造園家のガートルード・ジーキルに改修を依頼。内装はアーツ・アンド・クラフト様式に、庭はたくさんの花で埋め尽くされた。
ロンドンのKings Cross駅からBerwick-upon-Tweed駅まで約3時間40分、同駅からタクシーかバスで約15分。満潮時にはたどり着けないので、National Trustの開館時間を見つつ、www.tidetimes.org.uk/holy-island-tide-timesを使って潮の満ち引きを確認しよう。
www.nationaltrust.org.uk/visit/north-east/lindisfarne-castle
スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで訪れるべき城
英国全土に点在する城も、地域が異なればまたその特徴も少々異なってくる。こちらも独断と偏見で選んでみた。
スコットランド
おとぎ話の世界観
Dunrobin Castle ダンロビン城
13世紀以来、スコットランド貴族のサザーランド伯爵と氏族の本拠地で、インヴァネスから車で北に約1時間の場所にある。城は長い年月をかけて拡張を繰り返し、現在の建物は1835〜50年に建築家チャールズ・バリー卿によって、中世後期~近世初期のスコットランドの建築様式と装飾を復活させたゴシック・リバイバル建築「スコットランド男爵」(Scottish baronial)様式に改修されたもの。円錐形の屋根や小さな塔を指すトゥーレルなど、まるでおとぎ話の世界のような雰囲気を醸し出している。
Golspie, Sutherland KW10 6SF
www.dunrobincastle.co.uk
パノラマ写真で収めたい
Eilean Donan Castle アイリーン・ドナン城
13世紀に建てられ、大自然の中にたたずむハイランド地方特有の雄大さが感じられる城。1719年のジャコバイト蜂起によって英海軍による徹底的な集中砲火にあい、以後200年余り放置され、荒涼とした廃墟になった。現在見られる城は、英陸軍将校のジョン・マクレー・ギルストラップ中佐が1911年にこの島を購入し、再建したもの。現存していた城の初期の平面図に従って、20年以上の歳月を費やした再建工事が1932年7月に終了した。1999年の映画「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」のロケ地にもなっている。
Dornie by Kyle of Lochalsh IV40 8DX
www.eileandonancastle.com/
ウェールズ
世界遺産に登録された
Caernarfon Castle カーナーヴォン城
1283年にウェールズを征服したエドワード1世によって、ウェールズ一帯に造られた城の一つ。ウェールズ人の統制を目的としたこれらの一連の要塞を「鉄の指輪」と呼ぶが、その中でも最強とうたわれ、莫大な建築費がかかった城だ。カーテン・ウォールに組み込まれた12の八角形の塔のデザインは、コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)を想起させるために選ばれたデザインと考えられている。この城はグウィネズのエドワード1世の城郭と市壁として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
Castle Ditch, Caernarfon LL55 2AY
https://cadw.gov.wales/visit/places-to-visit/caernarfon-castle
柔らかな赤砂岩の流麗な城
Powis Castle and Garden ポウィス城&ガーデン
13世紀にできた城で、当時エドワード1世がウェールズを支配する目的で次々に築城していたのに対し、ポウィス城はウェールズの王子、グリフィズ・アプ・グウェンウィンによって王朝の本拠地として建てられた。有名なのは庭園で、1680年代に初代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバートが一連のテラスと芝生の斜面を造らせた。以降イタリア、オランダの水庭、自然主義的な様式など、そのときどきの流行によって庭園を変え、現在はバロック様式で落ち着いている。
Powis Castle and Garden, Welshpool SY21 8RF
www.nationaltrust.org.uk/visit/wales/powis-castle-and-garden
北アイルランド
中世にできた石畳を歩こう
Dunluce Castle ダンルース城
玄武岩でできた崖の上にあり、急峻な道に囲まれた城で、1500年ごろにマクキラン家によってアントリム北部の崖に建てられた。その後マクドネル一族によって占有されたが、17世紀にはアントリム伯爵家の本拠地になり、1608年には近隣に町が形成された。近年では、ファンタジー・ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」に、グレイジョイ家の本拠地パイクとして描かれたことで話題に。城の近くにはマグヘラクロス展望台(Magheracross Viewing Point)があり、車移動では見られない海岸線を望むことができる。
87 Dunluce Road, Bushmills, Antrim BT57 8UY
https://discovernorthernireland.com/things-to-do/dunluce-castle-p675011
同じ名前なのに違う立地!?
Belfast Castle ベルファスト城
現在のヴィクトリアン様式の城は1867〜70年にかけて造られたが、ここに建てられる前にも同じ名前の城が存在していた。一つ目は12世紀後半に、二つ目は1611年にベルファスト男爵アーサー・チチェスター卿によって石と木材で一つ目と同じ場所に築城された。約100年後、火事によって二つ目の城は焼失。三つ目に当たる現在の城は、市内北部の丘(Cavehill Country Park)の斜面にある。以前と全く違う場所なのに同じベルファスト城として、現在はカフェやイベント会場がある複合施設として開放している。
Antrim Road, Belfast BT15 5GR
www.belfastcastle.co.uk
英国の城に関する豆知識
古城ホテルに泊まろう
かつての城をB&Bやホテルとして改修し、宿泊施設として開放している城もたくさんある。贅沢なステイを楽しみたい人へ向けた人気の物件となっており、なかには11世紀に建てられた城もある。もちろん水回りや部屋はきちんと整備されているのでご安心を。13世紀に建築され、エリザベス1世の母、アン・ブーリンが幼少期を過ごした「ヒーバー・キャッスル・ラグジュアリー・ベッド・アンド・ブレックファスト」なら安い時期は豪華な朝食付きで1泊200ポンド(約3万4700円)もかからず、美しい庭園も散策できる優雅な1日が約束される。日常の喧騒から離れたい人にぜひお勧めだ。
Hever Castle Luxury Bed and Breakfast
www.hevercastle.co.uk
城が売り出される英国の不動産
タブロイド紙では、しばしば「この城が〇〇ポンドで売り出し」といった見出しのニュースを見掛けることが多い。英国では城が不動産市場に出ることは珍しいことではなく、むしろ「カントリー・ハウス部門」を設けている不動産会社まであるほどだ。売り出し価格はさておき、サイトを覗けばかなりの確率で城の売り出し広告を見ることができる。売買される城の多くは、たいてい特定の家族の邸宅として建てられているため、城に関する良好な記録が比較的残っており、それを通じて買い手もその城の歴史や価値を知ることができる。維持費が大変なのは確実だが、いわゆる「欧州らしい」城を求めて、国際市場を中心に人気があるようだ。
11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約5億2200万円)で売られている城の広告