夏時間が始まり、今週末にはイースター休暇を迎え、いよいよ欧州の旅行シーズンが幕を開けた。これからの季節、地の利を生かして、欧州の観光地をたくさんめぐりたいと思うところだろう。本特集で注目するのは、隣国フランス。絵画、ブランド品、グルメといった華やかな魅力に目が向きがちな同国にひっそりと存在する、神秘スポットを紹介致します。
Text by Alicia-Michiko HYUGA
www.artmichiko.com
シャルトル大聖堂
Cathédrale de Chartres
シャルトルでは毎年春から初秋にかけて町全体を覆う
イルミネーションが企画されている
©XRScenographie - François Delauney
パリから南西80キロの位置にある町シャルトルには、キリストが生まれた時に聖母マリアがまとっていた聖衣の切れ端が聖遺物として大切に保管されている。876年、フランス王シャルル2世・ル・ショーヴ(Charles II le Chauves)よりその聖遺物を贈呈されてから、シャルトルには巡礼者が訪れるようになった。11、12世紀に高位聖職者の集まる大司教区となったシャルトルにおける教会参事会員と高官の数は、パリよりも多かった。12世紀の王フィリップ2世の妻イザベル・ド・エノー(Isabelle de Hainaut)は、シャルトル大聖堂で、後にルイ8世(Louis VIII)となる子供の誕生の天啓を受けたという。また聖母マリアが現れて、数滴のミルクを口元に垂らし病気が治った奇跡などの逸話もある。シャルトル大聖堂は、何度も火事に見舞われ再建が繰り返されているが、中世に作られた回廊は当時のまま残っている。それは身廊の床に敷石を敷いて描かれた全長261.50メートルの迷路で、巡礼者は祈りながら中央のエルサレムの情景へ向けて迷路を歩いたそうだ。またシャルトル大聖堂では、172枚のステンドグラスも見ものである。
シャルトル観光局
Pl de la Cathédrale BP 50289 - 28000 Chartres
www.chartres-tourisme.com
TEL : 0033(0) 2 37 18 26 26
アクセス:パリ、モンパルナス駅からシャルトル駅まで約1時間
モン・サン=ミッシェル大修道院
Abbaye du Mont Saint-Michel
ノルマンディー地方とブルターニュ地方に接するサン・マロ湾は、
潮の干満の差が最も激しいところとして知られている
©Office de tourisme du Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com
フランス北西サン・マロ湾に浮かぶ陸続きの小島モン・サン=ミッシェルにある大修道院には、聖ミカエルの触れた岩のかけらとマントの切れ端が聖遺物箱に納められている。聖ミカエルこと大天使ミカエルは神に仕える最高の天使で、最後の審判の日に天秤を持ち使者の善悪を判じた。アドリア海に張り出したガルガン山に初めて姿を現し奇跡を起こしたことで、イタリアでは4世紀よりあがめられている。聖ミカエル2回目の出現は、708年、ノルマンディー地方のアヴランシュの司教の夢の中。いつしかモン・サン=ミッシェル(当時のモン・トンベ)は崇拝されるようになり、修道院の建築が始まった。聖ミカエルの奇跡は教会完成後も続く。ある年の11月17日、聖ミカエルを祝うため教会へ向かう大勢の巡礼者の中に、出産間近の女性がいた。突風が吹き、巡礼者たちは岸へ非難したものの、動けなかった女性は波にさらわれてしまう。その瞬間に男児を出産、ここで波が2人を岸辺まで運び、一命を取り留めた。モン・サン=ミッシェルはフランス革命後に廃墟と化し刑務所にもなったが、1874年にフランスの歴史的建造物に指定されてから再び聖なる地として人々に親しまれている。1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。天と地の間に浮かぶ神秘の山モン・サン=ミッシェルで、大天使ミカエルは信者を見守っている。
モン・サン=ミッシェル観光局
BP 4 50170 Le Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com
TEL : 0033(0) 2 33 60 14 30
アクセス:パリ、モンパルナス駅からレンヌ駅まで2時間 +バス
ロザリオ・ノートル=ダム大聖堂
聖母マリア教会
マサビエル洞窟
Basilique Notre-Dame du Rosaire
Basilique de l’Immaculée-Conception
Grotte de Massabielle
ルルドには、年間600万人の巡礼者が訪れ、
近年はローマ教皇ベネディクト16世も訪れた
上)©François Mori/AP/PA Photos
下)©Bob Edme/AP/PA Photos
ミディー・ピレネー地方南、ピレネー山脈のふもとにある静かな町ルルドでは、聖マリー=ベルナールが崇拝されている。ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous)は、1844年に幸せな家庭の長女として生まれた。ぜん息に苦しむ幼少期を過ごしたベルナデットは、ロザリオ(数珠状の祈りの用具)を肌身離さず持っていた。13歳になった彼女は、「マサビエルの洞窟」と呼ばれる場所の前で聖母マリアに出会い、お告げ通りに同行者を連れて何度も洞窟へ通い、聖なる泉を湧(わ)かせた。そして、その泉は次々に奇跡を起こす。しかし、聖母マリアに18回も会ったというベルナデットは警察より尋問を受け、4年にわたる調査が行われた。結果は無罪。その後教会建築が始まり、1886年にはマサビエルの洞窟の真上に内陣をもつ聖母マリア教会が、4年後にはロザリオ・ノートル=ダム教会が完成した。さらに20世紀に入ってから、年々増える巡礼者を収容出来るように、約0.5平方キロの敷地内にいくつもの教会と礼拝堂が建築されている。1933年、ベルナデットは聖マリー=ベルナールとして聖列に加えられた。ここ最近では、国際医師委員会の厳密な審査で、67番目の奇跡が2005年に承認された。1952年にルルドを巡礼したあるイタリア人女性は、聖の泉の水に浸かって心臓発作が治ったそうだ。こうして今でも、世界から多くの人が救いを求めてルルドを訪れている。
ルルド観光局
Pl Peyramale BP 17 - 65101 Lourdes cedex
www.lourdes-france.com
TEL : 0033(0)5 62 42 77 40
アクセス : パリ、モンパルナス駅からルルド駅までTGVで約6時間
聖フォワ教会
Eglise de Sainte-Foy
高さ85センチの王座に座る金張りの聖フォワの聖遺物。
9世紀に作られたものに、宝石やガラスビーズが加えられた
上下ともに ©OT de Conques
ミディー・ピレネー地方北東アベロン県に流れるウーシュ川とドゥルドゥー川によってできた曲がりくねった渓谷に、コンクの町は栄えた。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のひとつで、多くの巡礼者が聖フォワを崇拝しにコンクを訪れる。290年、フォワはコンクの隣町アジャンの裕福な家庭に生まれ、異教徒であった両親に内緒で、聖コプレ(Saint Coprais)によって洗礼を受けた。303年、キリスト教徒が迫害に遭い、改宗を拒んだフォワは首を落とされた。聖フォワ教会は、その場所に建てられ、聖フォワの遺体も埋葬された。9世紀半ばになって、 コンクのベネディクト会修道院は危機を迎える。そのた め、2人の修道者が聖フォワの聖遺物を目当てにアジャンの聖フォワ教会まで出向き、10年間信仰を修めた後、墓を壊し聖フォワの聖遺物をコンクに持ち帰った。 以来コンクでは奇跡が次々に起きたといわれている。11世紀、コンクを訪れた際に自ら奇跡を体験したアンジェ司教ベルナール(Bernard d'Angers)は、シャルト ル司教フルベール(l'Evêque Fulbert)に自らの体験を示した手紙を託し、その内容はやがて本となった。 11世紀半ばには、コンクに聖フォワ教会が建てられ、巡礼者が多く訪れるようになった。フランス革命時に住民によって保護された教会の財宝、ヨーロッパで5本の指に入る中世の金銀細工品のコレクションや、抽象画ピエール・スラージュ(Pierre Soulages)が1997年に修復したステンドグラスが美しい。
コンク観光局
Le Bourg 12320 Conques
www.conques.fr
TEL : 0033(0)5 65 72 85 00
アクセス:パリ、モンパルナス駅からTGVで7時間。空路は、パリ、オルリー空港からロデス空港まで約1時間+コンクまでバスで1時間
聖テレーズ大聖堂
Basilique Sainte-Thérèse
丘の中腹に建てられた聖テレーズ大聖堂(上写真)。
カルメル会修道院の納骨堂には、聖テレーズの聖遺物がある(同下)
上下ともに ©J.P. Pattier
ノルマンディー地方ドーヴィルから、28キロ内陸へ入った所にある町リジュー。盲目だったエディット・ピアフ(Edith Piaf)は、6歳になる前にこの町にある聖テレーズの墓を巡拝して目が見えるようになり、生涯にわたって聖テレーズを熱烈に崇拝した。聖テレーズことテレーズ・マルタン(Thhérèse Martin)は、1873年にノルマンディーのアランソンで生まれ、4歳で母を亡くして以来リジューに暮らした。父に連れられ地元の教会へ通っているうちに、彼女は天職の啓示を受けたといわれている。10歳の時に聖母マリアの微笑みを見て持病が治ってから、フランスや英国を始めとする欧州各地に展開していたカルメル会の修道女になり、神への祈りと慈善事業に献身した。結核を患い、これを原因として24歳の若さで他界した後、テレーズが書き留めた自伝「魂の話」は、60カ国語に翻訳され、世界で読まれている。1927年、聖テレーズは聖列に加えられ、当時のローマ法王(Pape Pie XI)の要望によって、1929年に聖テレーズ大聖堂が建築された。4500平方メートル、ドームの高さ93メートルの、20世紀を代表する大きな教会のひとつである。教会の壁と地下礼拝堂はモザイクで覆われ、聖テレーズのメッセージを映し出している。
リジュー観光局
11, rue d'Alençon BP 26020 - 14106 Lisieux cedex
TEL : 0033(0)2 31 48 18 10
www.lisieux-tourisme.com
アクセス : パリ、サン・ラザール駅からリジュー駅まで電車で1時間40分
ロカマドール・ノートル=ダム礼拝堂
Notre-Dame de Rocamadour
68センチの木製彫刻である黒い聖母マリア像を保護するため、
13世紀には教会の下に城が築かれた
©La Maison du Tourisme de Rocamadour, Padirac, Gramat
ミディー・ピレネー地方、北アルズー渓谷の断崖絶壁、自然公園を見下ろすように作られた町ロカマドールでは、黒い聖母マリア像が崇拝されている。10世紀以前に、ロカマドールに住みついた隠修士が、聖母マリア像を信仰したことから始まった。ロカマドールの地名は、聖母教会から聖アマドゥー(Saint Amadou)の遺体が発見されたことに由来する。7つの教会と礼拝堂の建築が進み、1172年、黒いマリア像の起こした126の奇跡をまとめた本が出版されてからは、ロカマドールを多くの巡礼者が訪れるようになる。船乗りを保護する黒いマリアは、しだいにスペイン・ポルトガル・カナダでも信仰されるようになる。またマリア像は、芸術家にもインスピレーションを与えている。ビクトル・ユーゴー(Victor Hugo)はロカマドールで得た感動を書き残し、フランシス・プーランク(Francis Poulenc)は何度もロカマドールを訪れ黒いマリアに捧げる曲を作った。現在ロカマドール には年間約100万人が足を運ぶ。巡礼者は階段を1段 ごとにひざまずき祈りながら216段の階段を上り、ノートル=ダム礼拝堂の黒いマリア像を崇め、黒いマリアの描かれたアーモンド形のメダルを持ち帰る。聖母マリアがなぜ黒いかについては、いまだに謎である。
ロカマドール観光局
L'Hospitalet 46500 Rocamadour
www.rocamadour.com
TEL : 0033(0)5 65 33 22 00
アクセス : パリ、オステリッツ駅からロカマドール・パディラック駅まで電車で5時間半
聖マリー=マドレーヌ大聖堂
Basilique Sainte-Marie-Madeleine
聖マリー=マドレーヌ教会は19世紀に修復された(上写真)。
内陣にある12本の柱は、最後の晩餐をキリストと過ごした
12人の使徒を象徴する(同下)
上下ともに ©Office de tourisme Vézelay
ブルゴーニュ地方モンバン山地の北側、ブドウ畑を見晴らす丘の上に作られた町ヴェズレー。第三次十字軍遠征の出発点ともなったこの聖なる地には、多くの巡礼者が聖マリー=マドレーヌを崇拝に訪れる。マリー=マドレーヌは1世紀、エルサレムの裕福な家庭に生まれた。売春婦だった彼女はキリストに出会い悔い改めて、その敬虔な態度により多くのキリスト教徒に認められた。キリストが磔刑に処された後、彼女は聖人や信者たちと船でエルサレムを脱出し、マルセイユへたどり着いた。そこで、キリストの教えを伝え住人を次々に改宗させ、不妊の女性に子供を授ける奇跡をも起こした。晩年は、プロヴァンスの聖ボームの洞窟に引きこもり、神へ祈りをささげながら生涯を閉じた。882年、バディロン修道士は子宝に恵まれなかったブルゴーニュ公ジラール・ド・ルシヨン(Girard de Roussillon)の要望で、聖マリー=マドレーヌの聖遺物をヴェズレーに運んだとされる。以来ヴェズレーには度重なる奇跡が起こり、絶え間なく巡礼者が訪れた。聖マリー=マドレーヌ大聖堂は太陽の年周期を考慮して861年に建てられ、日の光を絶やさない光の教会といわれている。1979年にユネスコ世界遺産に登録された。
ヴェズレー観光局
Rue Saint-Etienne 89450 Vézelay
www.vezelaytourisme.com
TEL : 0033(0) 3 86 33 23 69
アクセス : パリ、リヨン駅からモンバール駅までTGVで1時間+バス40分
(7、8月は送迎バス運行)
フランスの
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
フランスの神秘スポットを調べようとすると、頻繁に「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という言葉を目にする。これは、イスラエル、バチカン市国と並ぶキリスト教徒の聖地とされているスペイン北西部に位置する街サンティアゴ・デ・コンポステラへ続く、長い、長い道のこと。地名の「サンティアゴ」はイエス・キリストの12使徒のひとりであり、スペインの守護聖人であるヤコブを、そして「コンポステラ」は「星の広場」を意味するという。主に、首都パリから始まる「トゥールの道」、聖マリー=マドレーヌ大聖堂が建つヴェズレーを起点とする「サン・レオナールの道」、サント=フォワ教会がそびえ立つコンクを通る「ル・ピュイの道」、「バラ色の都市」と呼ばれるトゥールーズを通過する「サン・ジルの道」。これら4つの巡礼路から、さらに枝分かれするように、いくつもの細い道が続く。そして、それらの道の一部区間または途中にある教会などが、神秘スポットとなっていることが多いのだ。1000年以上も昔から利用され、今でも10万人以上の巡礼者たちが通り過ぎていくというこの巡礼路は、スペイン領内にあるものが1993年に、フランス領内のものが1998年に、それぞれ世界遺産に登録された。