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第5回 Cosgrove - Weedon Junction
トンネルの暗闇を通過する

7 October 2010 vol.1270

カヌー旅行の航路 - Cosgrove - Weedon Junction

6月30日。今日の航程は25キロ、ロックは7カ所、大きなジャンクションはない。今回は、出発地となったイングランド中部のコスグローブより10キロ離れたカナル・ミュージアムと、11キロの位置にあったトンネルについて書いておく。

ストークブルーン・ミュージアム

伝統型ナロー・ボートやスチーム・エンジン、ディーゼル・エンジンなど、英国運河の建設250年の歴史をしのばせる品々が展示されているのが、イングランド中部ノーザンプシャー州にある、ストークブルーン・ミュージアムである。グランド・ユニオン運河がアイルランドのユニオン運河と姉妹関係にあること、ダブリンにはロイヤル運河というもう一つの運河があることなどを知った。それらの運河を写した古い写真も飾られていて、次の旅に誘われる気分で眺めてきた。

昨年ロンドンに偵察に来たとき、キングス・クロス駅近くのカナル博物館を見学に行った。その折に買ってきたコリンズ社発行の運河地図は、今回の旅のバイブル。航行距離やロックの有無の確認、橋に付されたナンバーとの照合などに便利で、このマップなしでは運河航海は不可能と言ってもよい。

トンネル通過は、恐怖の45分間となった 写真:吉岡嶺二
トンネル通過は、恐怖の45分間となった
写真: 吉岡 嶺二

ブリスウォース・トンネル

全長3057ヤード(約2.8キロ)、英国第3位、グランド・ユニオン運河では最長となるのが、ブリスウォース・トンネルである。運河開通の1800年から遅れて、トンネルの方は05年5月25日に貫通した。トンネルが完成するまで、この場所を通る舟は、一旦陸に引き上げられ、四輪馬車に載せられて山道を越えて運ばれていたという。

初代トンネルは水路幅が狭く、エンジンは人の足。船縁や屋根に座り、壁を蹴って進む「レギング」という方法で通過した。トンネルの両端には、東海道中の大井川の様に、渡し人足が待ち構えていたのである。トンネルは、1984年に現在の姿となった。トンネル内にトゥパス(側道)はない。ただ、7フィート(約2メートル)のナロー・ボートがすれ違えるだけの幅は確保されている、というのが運河マップに記載された解説文だが、この歴史遺産を単身通過していくことになると思うと、緊張が走る。

ヘッド・ライトを付け、トンネル入り口で待機した。前方からエンジン音が聞こえてくる。ナロー・ボート・サービス会社の重油やプロパン・ボンベを積んだ運搬船が通過するのを待って、トンネル内に潜り込んだ。左右には十分に空間の余裕があるはずなのだが、パドルのブレードがガチガチと壁を叩き、あわてて進路を修正する。寒い! こんな所で転覆したらどうしようか。喉がからからに渇いた。とにかく恐る恐る前進していくしかない。

闇に目が慣れると共に、ようやく直進できるようになった。前方に見えてきた光は出口だ、と喜んだ。だが、またまた対向船だ。明かり採りになっている天井の穴から射し込む光の下で、壁に張り付いて待った。ヘッド・ライトをぐるぐると回したが、相手に見えるだろうか。どうやら、対向船の先端に立ったクルーの目に入ったようだ。壁を蹴って進むための突っ張り棒で船を端に寄せて、通過幅を確保してくれた。ようやく後方に去っていったのだが、今度はその後方からエンジン音が聞こえてきた。追い付かれる心配はないと思うが、恐怖だ。明かり採りは水抜きの穴にもなっているから、地下水が滝のように落下してくる。ずぶ濡れにならないようにかわして通り過ぎた。前方の馬蹄形の出口が次第に大きくなっていく様を見るのが、何よりもうれしかった。


 

吉岡 嶺二(よしおか・れいじ)
1938年に旧満州ハルビンに生まれる。早稲田大学卒業後、大日本印刷入社。会社員時代に、週末や夏休みを利用して、カヌーでの日本一周を始める。定年後は、カナダやフランス、オランダといった欧州でのカヌー旅行を行っている。神奈川県在住。72歳。
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