第06回 英国流バイリンガル教育(前編)
息子が通っていた現地校では、英語を母語とせず理解も困難な児童が転入してきた際、その学校と転入生の仲介役となって手助けをするのは、EMAS(エスニック・マイノリティーズ・アチーブメント・サービス)から派遣される、特別に訓練された英語教師でした。
これは、あくまでも私たち家族の住んでいたグロスターシャーの場合で、しかも10年以上前の話になりますので、現在ではかなり状況が変わっているかもしれません。当時は、学校から連絡があると大概は1週間以内に、派遣教師が児童との顔合わせのために来校。その後は基本的に週に2回、各2時間その児童の英語教育のために定期的に学校へ通ってきてくれました。
その指導期間は、児童の英語力の進捗具合によってまちまちですが、だいたい2~3年からそれ以上という、基本的にはとても丁寧な指導期間が設定されていました。ただ近年では、グロスターの市街地を中心に増大する移民の数に派遣教師が追いつかないのが現状で、我が家の場合も、2年目を過ぎたころから徐々にスケジュールが合わないという理由で、派遣の回数が極端に減っていきました。ただそのタイミングは、あくまでも担当した児童が学校の授業についていけると判断した上で決められたものです。
では実際にEMASの派遣教師によって行われていた英語学習について、ご紹介していきましょう。最初のうちは、教室から離れて別室での個人教授です。息子の場合は低学年(日本の小学2年生に相当)でしたので、遊びに近い古典的なゲーム玩具を使って語彙を増やしていきました。教師はもちろん英語しか話しませんし、英語しか理解しません。ただ対面式ですので、お互いの意思の疎通は想像よりも難しくなく、頭だけではなく、口・耳・目・手・足と身体のすべてを用いて英語を学んでいきます。
半年、1年と通常の授業を外れて個人教授を積み重ねていきますが、児童の英語力が徐々についていくに従って対面式のレッスンがなくなり、通常の授業にEMASの教師が付いて児童をサポートする形に変わっていきます。この段階で、児童にとって弱い点を確認しながら、更なる英語力アップに努めることになるのです。
こう書いていくと、EMASの教師が付いている間、宿題や家庭での補習が必要なように思えるかもしれませんが、今振り返ってみると、家庭で補助的な学習を強いられたことは全くなく、他生徒と同じ宿題を課せられる以外、特別な勉強はしていませんでした。むしろ家庭では、母語を大切にするように「親が無理に英語で話すことはない。母語を大切にしてください」と言われたほどだったのです。ここにEMASの真髄、バイリンガルを育てるという意味が込められていたように思います。
EMASの個人授業が行われたホールの一角にあった図書コーナー