イギリス浪漫派を代表する自然詩人のワーズワース。湖水地方に生まれ、美しい故 郷をこよなく愛し、生涯をそこに暮らして自然とともに生きた。引用した言葉は、 1798年、親友の詩人コールリッジとともに出した「抒情歌謡集」の中の詩「The Tables Turned(発想の転換を)」の一節で、若き日のワーズワースが自然をどのように見てい たかがよく分かる。
自然は癒しであるとよく言われる。ストレスに疲れがちな現代人は自然に憩うこと を知っており、今では観光ビジネスも「自然」抜きにはあり得ない。美しい自然と温泉 を訪ねるような旅は、日本のテレビ番組の定番の一つになっている。
だが、ワーズワースが語る自然は、もう少しその先を行く。ここでは、自然はただ の美しい風景ではなく、人間の生き方と深く結びついている。癒しや憩いを超えて自 然に学ぶことを提唱し、自然は私たち人間の師となる存在だと言っているのである。
引用部分のすぐ後には「自然は、私たちの精神と心が祝うよう蓄えられた宝。健や かさによって呼吸される天然の知恵、快活さによって呼吸される真実」という文言が 来る。さらに「春の森に受ける衝撃は、人間について、また悪や善について、全ての 賢者たち以上に教えてくれるであろう」と続く。人生も倫理も、自然が私たちに教え てくれるのである。
私もイギリス暮らしをするようになって初めて、自然に囲まれ、自然とともに生き るようなことを知った。散歩を日課とし、牧場や田園で自然と語らい、調和のとれた その美しさに天意を感じるように思った。自然には嘘がない。とりわけ植物は、じっ とその場に動かず、風雨に耐え、芽を吹き、花を咲かせ、実を結んでと、その謙虚に して懸命な命の輝きに生きるとは何であるかを教えられる。自分の命もまた、この自 然と同列同格にあるのだと、深く呼吸するような想いになる。
ワーズワースの言葉に反して、人間はその後、自然を師と仰がず、自然を制圧し、 開発し利用するような逆の道を進んだ。万物の長であると自認して、人間は驕り昂ぶ り、我が物顔で振る舞ってきた。
それから200年、地球は今、自然を師とすることを怠ってきた人間に、復讐を始め たかのように見える。地球温暖化と異常気象。ワーズワース的な心を人間が取り戻す ことができたら、再び地球は優しく人に微笑みかけるのではないだろうか。
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