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Fri, 20 December 2024

第9回 ウィリアム・シェークスピア

シェークスピアの4大悲劇の一つ「マクベス」の劇中のセリフ。主君ダンカン王が自分の居城に逗留(とうりゅう)中、玉座を狙うには今しかないと妻にそそのかされたマクベスは、王の寝所に忍び込み、その命を奪う。殺害に及ぶ瞬間、マクベスは天の声を聞く。「もう眠れないぞ。マクベスは眠りを殺す」。殺人という悪事に一度手を染めれば、もはや安眠などないという警鐘であった。

さて、私は特に不眠症に悩むものではないが、不思議なことに数カ月ごとに立ち現れる奇妙な夢を持つ。明らかに同じパターンを繰り返すその夢を見ると、時にはそのまま目覚め、目覚めぬまでも、起床した後で、ざわざわと心が落ち着かない。

夢の主人公は、とうに亡くなった小学校時代の担任教師である。落ちこぼれの子供に優しく面倒見の良い教師だったが、授業内容の方はずさんで、明らかな間違いが散見された。教師の理想主義には同感しつつも、その人に私は馴染めず、良い人間関係を築くことができなかった。卒業して1年ほどして、思いがけず教師は急死した。私は特に自分が粗相したとか、その人に恥をかかせたとかいうことはないのだが、心のかすかな傷を夢は忘れず、眠りを殺すようにして亡き人を枕元に立たせるのである。

あるいは、別れて久しい元妻のことも夢に見る。離婚は私だけに咎(とが)があるわけでもないだろうが、新婚時代のその人の姿や言葉が妙にありありと蘇ってどきりとさせられる。誤解のないように言えば、これは未練ではなく、心の奥底にしまわれた小さな悔恨のなせる業である。

私は心の強さを持たぬ人間は好きになれない。毅然(きぜん)として生きる人を敬いたいし、自分も凛とした生き方を目指したく思う。だが一方で、人としての弱さを知らぬ者にも、愛着を感じない。おのれの弱さを自覚せず、他者の弱さを思いやることを知らぬような人間を、私は信じることができない。主君殺しのマクベスが、それでも悲劇の主人公としてなにがしかの共感を呼ぶのは、極悪非道の中にも人としての弱さを持ち、良心の呵責(かしゃく)におののき、苦悩するからである。

人の命を奪うような行為を犯しながら、一向に眠りを殺されぬかに見える厚顔の人々がいる。間違った根拠をもとに戦争=人殺しを始めながら、いまだに正義だけを論じて恥とするところがない。退陣したブレア元首相に、せめてイラク戦争で亡くなった人々の遺族を一家族ずつ慰霊に回って欲しいように思うのは、あまりにも感傷的、あるいは日本的な発想でしかないだろうか。

 

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