秋山正子さん
[ 前編 ] 今や日本人の2人に一人が罹るため、国民病と呼ばれるまでになった「がん」。高齢化社会を迎えた日本では、今後がんの予防やケアがますます重要視されることになるだろう。英国は、がんケアにおける先進国の一つとして名高い。英国独自のがん相談支援施設「マギーズ・センター」を日本に輸入しようと奮闘する秋山氏の活動を追う。
1950年生まれ、秋田県出身、聖路加看護大学卒。助産師、看護教員としての勤務を経験。実姉の在宅療養をきっかけに、訪問看護に本格的に携わるようになる。白十字訪問看護ステーション統括所長(CEO)。訪問看護・介護などのサービスを行うとともに、住民の医療相談に応える「暮らしの保健室(東京都新宿区)」を運営。東京女子医科大学非常勤講師。著書に「在宅ケアの不思議な力(医学書院)」など。英各地にあるがん相談支援施設「マギーズ・センター」を東京に設立することを目指すプロジェクト「マギーズ東京プロジェクト」の共同代表を務めている。
www.maggiestokyo.org
もしもがんを宣告されたなら
病院内の風景は、どこの国でも似ている。コンクリートの建物の中に入ると、受付で自分の名前や症状などを手短かに伝える。その後は待合室で静かに待機。各診療科への道筋を記した案内板が至るところに貼られた空間を、白衣をまとった医師や看護師が忙しなく歩いている。待合室で待機している患者たちは、何となくうつむき加減だ。
例えば、間もなく向かった診察室で、がんを宣告されたとする。頭が真っ白になり、その後に続く治療法についての説明は全く耳に入ってこない。医師は、落ち着きを取り戻すまで付き添ってはくれないだろう。混乱を引きずったまま家路に着き、そのまま眠れない夜が始まる。
もしも、病院のすぐ外で、混乱を受け止めてくれる人が待っていたとしたらどれだけ救われることか。そんな思いを受けてつくられた施設が英国にはある。病院を出ると、目の前にはカバノキが生い茂る小道。その道をたどっていくと見えてくるのが、鮮やかなオレンジ色の建物だ。受付がないので、予約は必要ない。室内中央には太陽の光が差し込むオープン・キッチンがあって、中庭にはマグノリアが咲き、屋上のテラスからは鳥のさえずりが聞こえてくる。やがて「こんにちは」という声。この部屋のホストらしき人の正体は、臨床心理士の資格を持つカウンセラーだった。一緒にお茶を飲みながら、ついさっきまでの出来事について順を追って語り出す。
ロンドン西部ハマースミスにある「マギーズ・ウェスト・ロンドン」
ロンドン西部ハマースミスにある、国民医療制度(NHS)のチャリング・クロス病院。その敷地内でNHSからは独立して運営されているがん相談支援施設「マギーズ・センター」での光景だ。同センターでは、カウンセリングに加えて、食生活や福祉手当の仕組み、さらにはがん治療中の脱毛への対処法などについてのアドバイスを提供している。
チャリング・クロス病院の入り口
マギーズを日本にもつくろう
マギーズは、スコットランド人造園家のマギー・ケズウィック・ジェンクス氏の発案によって創設された。自身ががん患者であったジェンクス氏は、がん患者の不安を軽減する場所づくりを計画するも、プロジェクトの実現を見届けぬままに逝去。夫で建築評論家のチャールズ・ジェンクス氏と担当看護師のローラ・リー氏が1996年、スコットランドのエディンバラに完成させた。現在では英国と香港合わせて17カ所で運営されている。
このマギーズを、日本にも設立しようと奮闘する人がいる。日本における在宅ケアの草分け的存在である秋山正子氏だ。「マギーズにいると、誰が患者で誰が看護師か全く分からないんですよ。白衣を身に着けている人が誰一人としていないからです」。
秋山さんは、患者の命が「最期まで輝くように支えたい」との思いで、これまで訪問看護に携わってきた。病院が手掛ける既存の医療サービスからは抜け落ちてしまう「家族に囲まれながらの療養生活」や「静かな看取り」を可能にする看護に手ごたえを感じる一方で、死を迎える間際になってから委託されることが多い状況に複雑な思いを抱いていたという。もっと早い段階で相談が寄せられていたら、できることがいっぱいあったのに、と。
日本では今、2人に一人ががんになり、3人に一人ががんを原因として亡くなっている。また近年では治療法が増え、がんの告知はごく一般的になってきた。それは「がんと付き合う時間」が驚異的に増えたことを意味する。しかしながら、日本におけるがんケアの仕組みはまだ十分ではないのだ。