第17回 情報経済社会とコーヒーハウス
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新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
日本の正月は松の内まで門松や注連縄(しめなわ)を飾って凛とした雰囲気ですし、欧州も通常、キリスト生誕から公顕祭までの十二夜、クリスマス・ツリーを飾って家族団らん、愛を温めます。でも、シティは1月2日から金融市場が再開しますので、年明け早々からカネ儲けです。
お屠蘇(とそ)気分を払拭するには濃いブラック・コーヒーが一番。1652年にロンドン初のコーヒー・スタンドが聖マイケル教会の裏庭にできたときも、英国は内乱の時代で酒を飲んでいる時間はないと、清教徒のピリピリした雰囲気が蔓延していました。「地獄ほど黒く、死ぬほど濃く、愛ほど甘い」コーヒーにシティ商人が飛びつき、瞬く間にコーヒーハウスは流行します。ただし、そこは女性立入り禁止、英国紳士クラブの始まりにもつながりました。

パスカ・ロゼ氏が1652年に開業したコーヒー
ハウスは後にジャマイカン・コーヒーハウス
となり、ラム酒、砂糖、奴隷貿易の情報中心地に
元来、コーヒーはイスラムのお坊さんがお祈りを夜通しするための秘薬でしたから、シティの商人の手に渡れば、当然、彼らはそれを飲んで興奮し、ビジネス談義をしてしまいます。シティなら商売の話、フリート街なら印刷や書籍、コベント・ガーデンなら演劇、セント・ジェームズなら政治、ストランドなら科学や法律と、各々専門分野をもったコーヒーハウスが生まれていきました。
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エルサレム・コーヒーハウスは
ロンドン金属取引所に
英国が海外進出を企てた時代、海外の様々な情報がシティのコーヒーハウスに集まってきます。ロンドン初のコーヒーハウスはジャマイカン・コーヒーハウスと名を変え、砂糖と奴隷貿易の情報中心地になりました。ロイズ・コーヒーハウスは海上保険の引き受け場所となり、現在のロイズ保険へと発展。ジョナサンやギャラウェイのコーヒーハウスはロンドン証券取引所に、エルサレム・コーヒーハウスはロンドン金属取引所に、バルチック・コーヒーハウスはバルチック海運取引所へと姿を変えました。
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ギャラウェイズ・コーヒーハウス(右)、
ジョナサンズ・コーヒーハウス(左)は、
ロンドン証券取引所の発祥の地
これらのコーヒーハウスはロンバード・ストリート周辺にあり、その中心には英国総合郵便局がありました。船乗りが海外情報をそこに持ち込み、郵便が情報を拡げ、商売が繁盛する。情報社会と市場経済の結び付きを強めたのは、コーヒーハウスだったのです。当時の旧ロンドン橋は橋桁の間隔が狭かったので大きな船がくぐることができず、橋の下流側が貨物船の停泊地となったことも、その近くのロンバード・ストリートが栄えた理由です。世の中、理由がないようでちゃんとあるんですね。
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バルチック・コーヒーハウスは
バルチック海運取引所に