第236回 英国バースの遺跡と鉱物資源
シティのすぐ北側、イズリントンには1683年に開業した老舗のサドラーズ・ウェルズ劇場があります。たまたまサドラー氏が自宅の庭に古い井戸を見つけ、そこから鉱泉が湧き出ていました。それならばと、鉱水を提供するミュージック・ホールを建てたのが始まりです。その後、1698年に著名な医師、トーマス・ギドット氏がこの鉱水の医療効果を推奨したため、健康飲料水と音楽を楽しめる場として発展していきました。
サドラーズ・ウェルズ劇場と館内の井戸跡
そのギドット医師は当時イングランド西部のバースに住み、鉱泉の医療効果を研究していました。バースにはローマ時代の浴場遺跡がありますが、ギドット医師がバースの歴史と鉱泉の本を出版すると、貴族の間で評判になりました。中世の黒死病流行で浴場は廃れていましたが、温泉治療や温泉保養が健康目的で見直され、バースが高級温泉地として人気を集めました。ところで一体、ローマ人はなぜバースに大浴場を作ったのでしょう。
バースのローマ風呂遺跡
紀元前にケルト系ベルガエ族がバースに住み、鉱泉の源泉近くに水神スリスを祭っていました。ところが紀元43年からローマ人のブリテン島侵攻が始まり、70年にバースはローマの支配下に陥り、ローマ神のミネルヴァと合体した女神スリス・ミネルヴァが神殿に祭られます。さらにブリテン島で最大のローマ大浴場が作られ、ローマ人の温泉街になりました。しかしながらローマ人の侵攻目的は浴場建設ではないと思います。
女神スリス・ミネルヴァ
バースの南西側にメンディップ・ヒルズという小高い山が広がっており、そこに降った雨が石灰岩の帯水層を通じてバースに鉱泉として湧き上がります。ローマ軍の侵攻の狙いはまさにこの山にありました。当時、ブリテン島で最大の銀と鉛の鉱脈があったからです。銀は貨幣に使われ、鉛は水道などのインフラ設備に必要な一方、貴金属の精錬にも欠かせない金属です。49年にローマ軍はこの山を占領し、すぐに採掘場に変えました。
メンディップ・ヒルズから発掘されたローマの鉛塊(ウェルズ&メンディップ博物館所蔵)
また、東ミッドランド地方のダービーシャーにあるバクストンも温泉地で有名ですが、近くのピーク・ディストリクトはローマ時代の鉛の採掘地でした。鉱物の採掘場近くに鉱泉が湧き出すことはよくあることですし、考えてみれば古代ローマは鉱物資源の豊富なトスカーナ地方で鉛や銅を採掘すると同時にたくさんの温泉施設を作っていました。ローマ人が鉱物探索のために故国から遠くて寒冷なブリテン島に来れば、温かい温泉に漬かり、疲れを癒やしたくなりますね。
トスカーナ地方のサトゥルニア温泉
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