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Mon, 23 December 2024

世界を舞台にした能の宣教師 喜多流能楽師・松井彬さん と武蔵野大学文学部教授/シアター能楽芸術監督リチャード・エマートさん

A Tribute to Akira Matsui

2月末、ロンドン東部のLSO セント・ルークスで、能とクラシック音楽、演劇、バレエ、オペラを融合させたイベントが行われた。「A Tribute to Akira Matsui」と銘打たれたこのイベントの中心人物となったのは、喜多流能楽師の松井彬さん。松井さんの下に英国俳優やコンテンポラリー・バレエ・ダンサーらが集い、西洋と東洋の芸術が互いの存在を際立たせつつ融け合う、多様性と可能性に満ちたパフォーマンスを披露した。イベント直前、ロンドン大学東洋アフリカ研究院(SOAS)でリハーサルを行う松井さんと、喜多流の仕舞教士で、イベントには囃子で出演したリチャード・エマートさんにお話を伺った。

  • 松井 彬
    まつい あきら
    1946年、和歌山県和歌山市生まれ。6歳から和島富太郎氏の下で能を学ぶ。59年、喜多流宗家喜多実氏の内弟子となる。67年に独立。喜松会を発足し、和歌山県で「けんぶん能」や「市民能」などに出演する一方、東京や大阪などで定期的に公演を行う。72年に和歌山市の姉妹都市である米国のベーカースフィールドとカナダのリッチモンドへ文化使節として赴き、能を披露。その後、米国の大学などで能を教えるように。ロンドンでも長年にわたり、SOAS やロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校など様々な場所で能を教える。2016年、ロイヤル・ホロウェイ校から名誉博士号を授与される。重要無形文化財総合指定保持者。
  • リチャード・エマート
    Richard Emmert
    1949年、米国オハイオ州生まれ。アーラム大学で日本の歴史や演劇、音楽などを学び、能のゼミを受講。70年、大学3年時に早稲田大学へ留学し、日本史や伝統音楽について見識を深める。アーラム大学卒業後に再渡日。東京藝術大学音楽学部楽理科に進んで能や伝統音楽を学びつつ、囃子を習う。80年代からは、能の構造を保ちながら英語で行う英語能に取り組むようになり、91年に喜多流「仕舞教士」の免状を取得。2000年、英語能の劇団「シアター能楽(Theatre Nohgaku)」を結成。同団の芸術監督として、能を学ぶ外国人や海外在住日本人らと制作活動に励む。武蔵野大学文学部教授。

松井さんとエマートさんは世界各国で能を広める活動を行っていらっしゃいますが、英国とのかかわりについて教えてください。

エマート
1991年、当時SOASの先生だったデービッド・ヒューズさんに呼ばれて、2カ月半ほどロンドンに滞在し、学生に「松風」と「船弁慶」という能を日本語で教えました。
松井
その後、稽古を続けようというのでSOASにグループを作りましたので、こちらに年に1回くらいは来ていましたね。ポーランドやドイツに行った帰りや途中にこちらに寄るなど、ハブ空港のような感じで(笑)。

昨年、松井さんはロンドン大学のロイヤル・ホロウェイ校から名誉博士号を授与されたとのことですが、こちらの学校は演劇が有名ですよね。

エマート
以前、レディング大学の先生と知り合ったことがきっかけで、2011年にレディング大学へ3週間ほど、能のワークショップに行きました。それを3年ほど続けたところ、その先生がロイヤル・ホロウェイ校に移ったので、4年目からはロイヤル・ホロウェイ校でワークショップを行うことになったのです。以前から、いつか人が集まったら私だけでなく、松井先生にも教えていただきたいと思っていたので、そのときから松井先生に来ていただくようになりました。ロイヤル・ホロウェイ校の先生はアシュリー・ソープさんという方なのですが、彼が1年目のワークショップが終わったときに突然、私に言ったんですね。「松井先生は世界中で教えていらっしゃるし、ロイヤル・ホロウェイには能舞台もあります。名誉博士号を毎年、何人かに出していますので、松井先生の名前を出してみようと思います」と。そのときには「ああ、それは面白いですね」なんて言っていたのですが(笑)、一年後の2015年に(松井さんへの名誉博士号授与が)決まり、去年の夏に実現しました。

そもそも能を海外で教えようと思われたのはなぜなの でしょう。

松井
和歌山は(日本を出て海外で暮らす)移民の方が多いのです。県人会がカナダのリッチモンドにあったり、姉妹都市が早くからできておりまして、和歌山から文化使節としてリッチモンドやアメリカのベーカースフィールドへ行きました。そのときにはこれが人生最初であり最後の外国だろうと思っていたのですが、その後、偶然にも色々な知り合いができまして。

最初に海外へ行かれたときの日本での反応はいかがでしたか。

松井
怒られましたよ(笑)。でもおまえは打たれても強いね、と言われて。もちろん、応援してくれる人もいました。家元も始めは1回きりだと思っていたみたいです。例えばフェスティバルなど、1回きりならば呼んでもらえて、(演じる側も)受けたと思ってしまうのだけれども、2回は呼んでくれない場所が多い。リピーターにはなかなかなってもらえません。教えない限り、能がオペラのように世界的になることはないのです。でもアメリカという広い世界で教えていたのは私一人でしたから、一人で頑張っても知れたもので。

現在では色々な方が能を海外で教えていらっしゃるのでしょうか。

エマート
アメリカでは「シアター能楽」という集団を結成し、活動しています。英語能を作って上演していまして、松井先生にも何度か出演していただいています。
松井
そのほかに僕はポーランドにも会を作って、定期的に行って教えています。ドイツへも赴いて教えたり、一緒にパフォーマンスを行うなどしていますね。

英語能というのは具体的にどのような決まりがあるのでしょうか。

エマート
外国人の劇作家の方が文章を作り、私が英語に合わせつつ能風の音楽を作ります。能では謡(うたい・登場人物の台詞と地謡(コーラス))と囃子(はやし・音楽)の関係が非常に重要なので、それをできるだけ英語でも守るようにしています。
松井
新作ではなく、古典を英語に直すこともあります。「隅田川」や「船弁慶」などがありますが、直訳では符が付かないのが難しいところ。能は12文字を8拍に割らなければなりませんが、英語でそれを行うのが大変なのです。
エマート
古典を訳すときには、必ずしも完全に同じ意味を伝えなければならないというわけではありません。もちろん、全体の雰囲気を守る必要はあるけれども、場合によっては日本語にはないものを英語に入れたりすることもあります。どちらかというと新作を作るよりも古典を訳す方が難しい。例えば我々がアメリカの映画を観ていて、字幕で「そんなことは言っていないのでは?」と思うところもありますよね。
松井
そのほかにも、日本語の古典を訳す際に難しいのは、縁語(えんご)や掛詞(かけことば)など複数の意味を持つ言葉があることですね。例えば「まつ」だったら「pine tree」か「wait」のどちらを取るか。翻訳する際に聞かれるんです。どちらを取るのが良いでしょうかって。
エマート
最終的には、英語も詩的な英文にならないとだめなんですね。

それでは次に、LSO セント・ルークスで開催されるイベント「Noh time like the present...」についてお聞かせください。能とクラシック音楽やバレエ、演劇を融合させる、多文化共演ですね。

松井
今回、古典がないんですよ。これは珍しい。
エマート
わざとなくしたわけではなく、ジャネットさん(「Opposi tes-InVerse」の欄参照)が書いた作品をやることになったのです。ジャネットさんは以前、「パゴダ」という英語能を作りましたが、今回は英語能と言うよりは、能の影響を受けている舞踊劇です。私が能風の音楽を作りましたが、歌うのはオペラ歌手の人たち。囃子は能、舞うのは松井さんとバレエのダンサーです。
松井
バレエとのパ・ドゥ・ドゥ(男女2人の踊り)。能とバレエのコラボレーションですね。この組み合わせは以前、ドイツや京都でもやっています。ドイツではロシアン・バレエの人と。インターナショナルでしょう(笑)? あとは外国の舞踏家の人たちと一緒に踊ったこともあります。

そのほか、バッハの「無伴奏チェロ組曲」に合わせて舞う「Noh meets Bach」もあります。この演目は初めてですか。

松井
はい。こちらは古典の謡に完全にはめ込んでいます。メロディーは全く崩していません。何か新しいことはできないかというから、バッハの中に謡を入れ込んだらどうなるだろう、やってみましょうかということになりました。バッハの無伴奏ならばメロディーはあるけれども謡とぶつからない。これが例えばショパンの「ノクターン」だとあまりにもメロディーが強すぎてしまうので。

そしてアイルランドの劇作家サミュエル・ベケットの芝居を基にした「ロッカバイ」。不条理劇の大家として知られるベケットの一人芝居を、こちらの俳優との共演で踊られるとか。

松井
ヒュー(・クァーシー)というロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで活躍する有名な役者がお相手をしてくれます。この「ロッカバイ」はもう15年、やっていて、スペイン語、ポーランド語、ドイツ語、日本語と、色々な国の言葉でやらせていただいています。しゃべる人――どういう人物が僕の代わりにしゃべってくれるのかによってイメージが変わってくるんですね。演劇的なのだけれども能風。これは面白いと思います。

< ここでエマートさんは退席 >

今後はどのような活動をしていきたいとお考えですか。

松井
僕ももう70歳ですからね。後は若手に任せていくのがいいのではないかと思っています。ここまで一生懸命やってきましたから。新しいものにはまだまだトライしていきたいという気はありますけれども。

松井さんの後に続き、海外で活動する若手の方はいらっしゃるのでしょうか。

松井
いないですね。日本では(能楽師の家系は)何代も続いているから、親にも責任がかかってきてしまうことになる。
老女を舞う松井さん
「Rockaby」のドレス・リハーサルより。
老女を舞う松井さん

松井さんが海外で活動されるようになったのには、能楽師の家の出身ではなかったことが大きかった?

松井
大きいですね。やはり私は一代限りだから自分の責任でできた。だからこそ、世界を舞台にした宣教師になろうと思ったのです。和歌山出身で内弟子に入ったのは東京。和歌山に帰っても弟子はいないでしょう? 神奈川県にある相模女子大で教えたりもしていたのですが、地方も大事ですし。和歌山には先生がいないんですよ。そして見せる場所がないから公演も少ない。そんなときに外国に行かせてもらって、知らない国の人に知らない芸能を見せて喜んでもらえたのがうれしかったのです。

カナダとアメリカで公演された後に、海外で能を教えるようになられたのですよね。

松井
アメリカのマサチューセッツ州にあるスミス・カレッジに長く滞在してワークショップを行いました。そのときに知り合った方がアメリカの様々な大学の知り合いの先生に連絡してくださったのです。マサチューセッツ州には大学が色々とありまして、能には仏教の要素もありますので、ありがたいことにダンス科や演劇科に加え、宗教という観点からも、色々なところから話がきました。

アメリカの皆さんは元々、能に興味を持っていたのでしょうか。

松井
当時は日本の伝統芸能と言えば能、文楽、歌舞伎、映画ではクロサワ、オヅ、ミゾグチという時代でしたから、アメリカの大学でも能を紹介してほしいというところは多かったです。今はアニメやコスプレなど、若い人たちは新しい文化に向かっていますね。

例えばイギリスでもドイツでも演劇が盛んですが、ドイツでは前衛的な作品が多いなど違いはみられます。国によって能に対する反応は異なりますか。

松井
違いはありますね。例えばオペラでもイタリア・オペラとドイツ・オペラがあるように、受け方も変わってきますよね。

先ほどもオペラについて言及されていましたが、能とオペラに共通点はあるのでしょうか。

松井
あると思います。ともに音楽で進んでいきますし。どちらかと言えば能はドイツ・オペラ系ですね。明るくはない(笑)。歌舞伎っぽいのはイタリア・オペラでしょうね。

クラシック音楽やオペラ、映画など様々な分野にお詳しいですね。

松井
外国に行くようになってからは、特に色々な質問がくるものですから。とにかく面白く教えなければならないでしょう? おとといもSOASで教えたのですけれども、どうしたら分かりやすく早く教えられるかと言ったら、西洋の似通ったものと一緒にぶつけて見せるのが良いわけです。例えば「隅田川」は、(イギリスの作曲家)ブリテンが「カーリュー・リバー」というオペラにしているんですね。そちらだと船や作り物が出てくるけれども能では何も出てこない。で、どうやって船のシーンを見せるかと言ったら、船がなくてもこういう座り方と立ち位置で、「隅田川」の音楽ではなく「ランランランラーララー」と歌えば、ミュージカルの「オペラ座の怪人」になる。マスクも被っていますし(笑)。皆が知っているメロディーで舞ってあげると分かりやすいでしょう?

それは非常に独創的ですね。観てみたいです(笑)。

松井
どうして松井先生は外国の文化とコラボレーションをするのですかと聞かれるんです。それは広めるため。有名なものと組めば、能の良さも分かりやすい。海外へ何十人も連れて行って古いものを見せるにはお金がかかるけれども、僕の体一つ持ってきてバレエと組めば、能の良さと西洋の良さが一度に分かるでしょう。世界にはこういうやり方もあるんだな、と知ってほしいのです。

イベント・レポート
Noh time like the present… 

2月25日、ロンドン東部にあるLSO セント・ルークスにて、「Noh time like the present... : A Tribute to Akira Matsui」を鑑賞した。出演は松井氏とエマート氏に加え、英国のシェイクスピア演劇の本拠地であるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で活躍する俳優ヒュー・クァーシー氏や、ßコンテンポラリー・バレエ界でダンサー兼振付家として活動するピーター・レオン氏ら。東洋と西洋の文化が、混然一体というよりもむしろその差異を引き立て合うような一夜の様子を以下にご紹介する。 (以下、敬称略)

「Rockaby」

アイルランドを代表する不条理演劇の大家、サミュエル・ベケットの一人芝居「ロッカバイ」を基に、松井が踊りを、「声」をクァーシーが担当。

原作では、老女が揺り椅子に座っており、スピーカーから老女の「声」が流れてくるという設定。老女が実際に発するのは「もっと」という台詞のみ。それが数回続けられ、最後に「声」による「眠らせて」という語りとともに、老女の頭がかくりと垂れる。

「Rockaby」のドレス・リハーサル「Rockaby」のドレス・リハーサルより。老女を舞う松井さんと、「声」を演じるヒュー・クァーシー

通常、老女と「声」は同じ役者によって演じられるが、本作では松井が能の老女姿で舞い、ジャケットにパンツ姿のクァーシーが「声」を演じる。揺り椅子に座る老女が手にしていた本を取り上げ、クァーシー演じる人物が朗読。老女は幽体離脱したかのように椅子を離れ、静かに舞う。夢と現実の境が揺らぐ能と、人間の持つ不条理性を提示するベケットの世界には、共通点を指摘する声も多い。「声」は途中、老女の母の存在を語るが、激情を押し殺すかのように静かに舞っていた松井は最後に椅子に戻り、手にしていた黒い着物でそこにいるはずの誰か(母か?)の首を絞めるかのような動作をして終わる。

Noh Hayashi

能は舞、謡(うたい)と囃子(はやし)から成る芸術で、謡は登場人物の台詞と地謡(コーラス)を、囃子は笛、小鼓、大鼓、太鼓により音楽を担う。ここではエマートが能管(笛)、大倉流大鼓方の大倉栄太郎が大鼓、幸流小鼓方の大村華かゆ由が小鼓を務め、囃子を紹介する。

Noh meets Bach

チェリストのルチア・カペラロを迎え、ヨハン・セバスチャン・バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番ト長調」が奏でられる中、松井が古典作品「山姥(やまんば)」「雲雀山(ひばりやま)」「船弁慶」の抜粋を舞う。

「Noh meets Bach」のドレス・リハーサル
「Noh meets Bach」のドレス・リハーサルより。松井さんとチェリストのルチア・カペラロ

Opposites-InVerse

詩人 / 作家 / デザイナーなどとして活動し、エマートとともに英語能「PAGODA(パゴダ)」を手掛けたジャネット・チャンによる、能に着想を得た新作。松井とコンテンポラリー・バレエ・ダンサーのピーター・レオンが振付を、節付と演出をエマートが務める。松井とレオンによる舞、オペラ歌手ピラン・レッグとメイリ・リーの「謡」、そして囃子が、2人の人間のもつ様々な「違い」を描き出していく。

Opposites-InVerse「Opposites-InVerse」のドレス・リハーサルより。若い恋人たちとなった松井さんとピーター・レオン

「違い」は時に和解しがたい父と子、時に互いに惹かれ合う若い恋人たちという形をとって表現される。何もない削ぎ落とされた舞台上で、面(おもて)と着物を変えながら舞う松井と、真っ白いシャツに黒いパンツ姿のレオンが対峙する。父となり、若い女性となって舞う松井の無駄のない所作と、息子となり、若い男性となるレオンのバレエならではの流れるような柔らかい動きが不思議と噛み合い、異なる芸術的背景を持った2人の身体が一つの世界を構築していく。そして3つ目の「違い」は「私」と「あなた」。レオンと彼に似た面を着けた松井が、磁石のように反発し、引かれ合う。最後は松井が面を外し、レオンに着ける。相手、そして自分自身の許容。松井が去り、一人、舞台に残ったレオンが面を床に置き、ありのままの自分の姿となって幕は閉じる。

 

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