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Thu, 21 November 2024

次期国王といわれて70年チャールズ皇太子にまつわるABC

2022年7月、英北部ランカシャーのメルシアン連隊第2大隊を訪問中のチャールズ皇太子2022年7月、英北部ランカシャーのメルシアン連隊第2大隊を訪問中のチャールズ皇太子

次期英国王であるものの、エリザベス女王の長男、ウィリアム王子たちの父親、ダイアナ元妃の夫、という扱いでなかなか当人にスポットがあたらないチャールズ皇太子。この特集では、チャールズ皇太子のリベラルともいわれる政治的姿勢や、生涯をかけて熱心に取り組むオーガニック(有機栽培)に対する考え方などを紹介するほか、両親や妻をはじめとした家族との関係などについても改めて考察。さらに、チャールズ皇太子について知らない幾つかの事実を列挙しつつ、これまでの半生をたどる。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.theguardian.comwww.times.comwww.princeofwales.gov.ukwww.prince-trust.org.uk、BBC ほか

チャールズ皇太子のプロフィール

第21代ウェールズ公(Prince of Wales)。1948年11月14日、ロンドンのバッキンガム宮殿にエリザベス王女とエディンバラ公フィリップの第一子として誕生。洗礼名はチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ(Charles Philip Arthur George)。王位の法定推定相続人。英陸海空軍元帥。ロンドンの公邸はウェストミンスターのクラレンス・ハウス。

妹はアン王女、弟にヨーク公アンドリュー、ウェセックス伯エドワードがいる。配偶者は1981~96年までダイアナ・フランシス、2005年以降はカミラ・シャンド。子どもはケンブリッジ公ウィリアム、サセックス公ハリーの2人。2022年5月、チャールズ皇太子はエリザベス女王の代理として初めて議会を開会した。

チャールズ皇太子の半生

1948年
(0歳)
11月14日、エリザベス王女とエディンバラ公フィリップの長男として、ロンドンのバッキンガム宮殿に誕生
 
1948年
国民医療保障制度(NHS)が発足
 
1949年
北大西洋条約機構(NATO)が設立
1950年
(2歳)
妹のアン王女が誕生
1952年
(4歳)
祖父である国王ジョージ6世の病死後、母親がエリザベス2世として即位。それにともない王位継承順位が1位となり、コーンウォール公爵、ロスシー公爵の称号を得る
1956年
(8歳)
ロンドン西部のヒル・ハウス・スクールに入学。王室メンバーとしては初めて、ほかの子どもたちと学校教育を受ける
1958年
(10歳)
エディンバラ公の母校であるスコットランドの寄宿学校ゴードンストウン校に入学
1960年
(12歳)
弟アンドリュー王子が誕生
1964年
(16歳)
弟エドワード王子が誕生
1967年
(19歳)
ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。専攻は考古学と人類学
1970年
(22歳)
ウィンザーのポロの試合でカミラ・シャンドと出会う
1971年
(23歳)
3月、英空軍(RAF)に入隊しパイロットの資格を獲得。11月には海軍に入隊し、2カ月コースを修了
 
1973年
EUの前身である欧州共同体(EC)に加盟
1976年
(28歳)
若年失業者支援チャリティー団体「プリンス・トラスト」を設立
1981年
(33歳)
ダイアナ・スペンサーとロンドンの聖ポール大聖堂で結婚
1982年
(34歳)
長男ウィリアム王子が誕生
 
1982年
フォークランド紛争勃発
1984年
(36歳)
次男ハリー王子が誕生
1992年
(44歳)
食品ブランド「ダッチー・オーガニック」を設立。ダイアナ妃の暴露本「Her True Story」が出版。エリザベス女王在位40周年
1995年
(47歳)
カミラがアンドリュー・パーカー・ボウルズと離婚
1996年
(48歳)
ダイアナ妃との離婚発表
1997年
(49歳)
ダイアナ元妃が交通事故死
2002年
(54歳)
エリザベス女王在位50周年。叔母のマーガレットと祖母エリザベスが死去
2005年
(57歳)
カミラ・パーカー・ボウルズと再婚
2011年
(63歳)
ウィリアム王子がケイト・ミドルトンと結婚
2012年
(64歳)
エリザベス女王在位60周年
 
2012年
ロンドン五輪開催
2013年
(65歳)
孫のジョージ王子が誕生
2014年
(66歳)
アンドリュー王子に児童買春スキャンダル
2015年
(67歳)
孫のシャーロット王女が誕生
 
2016年
欧州連合離脱是非を問う国民投票で、離脱が可決
2018年
(70歳)
ハリー王子がメーガン・マークルと結婚。孫のルイ王子が誕生
 
2020年
英国が欧州連合を離脱。新型コロナウイルスの世界的大流行
2021年
(73歳)
父のフィリップ殿下が99歳で死去
2022年
(74歳)
エリザベス女王在位70周年
※()内は数え年

周囲を顧みず、自分の信念にのっとって動くのは父親ゆずりはっきりした政治的スタンス

王室メンバー、特にエリザベス女王は自分の政治的意見を語ることなく、周囲からも中立を求められているはずだが、チャールズ皇太子は昔からリベラルともいわれる政治的姿勢を隠さない。国王になったとき、その態度を改めることはできるのだろうか。

中国が嫌い?

チャールズは昔からチベット問題に関心を持ち、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の長年にわたる支援者として知られている。そのため、かつて英国を後ろ盾に独立したチベットを併合した中国には、昔から良い印象を抱いていないことは明らかだ。

1999年に中国の江沢民国家主席が英国を公式訪問した際、チャールズは中国大使館で開催された夕食会を欠席。また、2008年の北京五輪開会式出席もボイコットした。これは北京の次の大会が英国であることが分かっていたこともあり、当時多くのメディアに取り上げられた。

2012年6月、クラレンス・ハウスにダライ・ラマ14世(写真中央)を迎えたチャールズとカミラ2012年6月、クラレンス・ハウスにダライ・ラマ14世(写真中央)を迎えたチャールズとカミラ

さらに、2013年に中国の提唱した対外開放戦略「一帯一路」は、中国と英国が相互互恵の関係を結ぶものだった。当時の首相キャメロンは中国が英国に経済進出するのは大歓迎で、15年に習近平が英国を訪問した際、エリザベス女王も最高級の国賓待遇で同主席をもてなさなければならなかった。

このときチャールズはかなりの妥協をして協力したが、それでもやはりバッキンガム宮殿で主宰された晩餐会には出席せず、公邸クラレンス・ハウスでカミラと2人でいつも通りの夕食を取っていたという。

奴隷貿易は「ホロコースト」

チャールズは、奴隷貿易による人身売買の歴史をホロコーストと同じくらい英国で広く教えるよう政府に提言しているという。多くの人がホロコーストの歴史から人間の差別や偏見、憎しみの恐ろしさを学ばなければならないと考え、教育の場で取り上げているものの、大西洋横断奴隷貿易*に関する英国人の知識はホロコーストと比較してもかなり差があり、そのギャップを埋めなければならないというのだ。

ただし、チャールズは教育政策を作ろうとしているのではなく、自分自身も含め、国民が奴隷貿易のあった時代についてよりきちんと教育を受けたほうが良いと考えているだけとのこと。これらの言葉は、チャールズが2022年の6月に、ルワンダで開催の英連邦首脳会議の開会式で、奴隷制度によって引き起こされた苦しみに対する「悲しみ」を分かち合う、という一連のスピーチの中で述べられた。

また、その際に過去の英国王室が何らかの形で奴隷制にかかわったことを謝罪。「私たち全員が過去の過ちを認めるまで、善の可能性は実現できない」と語っている。

またチャールズは、今回の開会式に出発する以前から、英政府とルワンダの間で今年結ばれた「移民及び経済開発協定」について、懸念を示しているという。英国にやってきた難民をルワンダに移送する政府の方針を内々で非難し、「ぞっとするような行為」と言っていたとも。

これについて、クラレンス・ハウスの広報担当者は、「皇太子が政治的に中立であることを改めて表明する以外、匿名の私的な会話とされるものについてコメントするつもりはない。政策の問題は政府が決定すること」とし、チャールズが移民移送協定に反対していたという点について、否定していない。

*大西洋を挟む3大陸が関与する奴隷貿易で、別名「三角貿易」

アラブ諸国との関係

チャールズはサウジアラビアなどアラブ諸国の富豪から、自身の慈善団体への寄付金を受け取ることがある。それ自体に違法性はないのだが、2022年の7月、「サンデー・タイムズ」紙はチャールズが2013年ごろ、米同時テロ首謀者で国際テロ組織アルカイダ首領だったウサマ・ビンラディン容疑者の異母兄弟から100万ポンド(約1億6000万円)の寄付を受け取っていたという記事を掲載。同紙によれば、寄付はサウジアラビアの富豪ビンラディン家の家長バクル氏と、その兄弟シャフィク氏からだった。

2015年の中東訪問で、サウジアラビア北西部アル・ウラーの旧市街で、伝統的な剣舞に参加するチャールズ(写真中央)2015年の中東訪問で、サウジアラビア北西部アル・ウラーの旧市街で、伝統的な剣舞に参加するチャールズ(写真中央)

チャールズの側近たちは、テロ首謀者の家族から金銭を受け取ったことが明るみに出れば国民の怒りを買うと考えた。寄付を返すよう訴えた側近たちはチャールズと口論になったが、結局聞き入れられなかったという。

ちなみに、ビンラディン容疑者は1994年に家族から絶縁されたため、異母兄弟が容疑者の活動に関わった形跡はない。チャールズは、寄付金を返金すればバクル氏がその理由について疑念を持つことを恐れたのではないかとされている。王室の情報筋によると、チャールズは今後多額の現金寄付を直接担当しないという。

寄付の見返りに勲章授与で便宜

「サンデー・タイムズ」紙など多数のメディアが、アラブ諸国からの寄付に注意を払い、上記のように過去の記録を持ち出してきたのも無理はない。2021年9月、サウジアラビアの富豪からPWCFへの150万ポンド(約2億3000万円)を超える寄付の見返りに、チャールズの側近が、勲章授与で便宜を図ったとされる事件が起きていたのだ。この側近はチャールズの元従者マイケル・フォーセット氏で、責任を取ってPWCFのポストを辞任した。

昔は誰にも理解されずに変人扱いされていた自然や環境問題に対する熱意

チャールズは人々の目がまだ環境問題に向かなかった1970年代から、プラスチック廃棄物の弊害について語り、オーガニック・フードの良さを認めていた。チャールズの考えにやっと世間が追いついた形だが、その取り組みのいくつかを紹介する。

有機農業の取り組み

チャールズが取り組む数多くの環境問題の中でも特によく知られているのが、有機農業の実践。英国のオーガニック・フードの定番ブランドともいえる「ダッチー・オーガニック」(Duchy Organic)は、現在大手スーパーマーケットのウェイトローズが管理しているものの、もともとは1990年にチャールズが創業したブランド、「ダッチー・オリジナルズ」(DuchyOriginals)が母体だ。

ウェイトローズではさまざまな種類のダッチー・オーガニック製品が販売されているウェイトローズではさまざまな種類のダッチー・オーガニック製品が販売されている

チャールズは、英南西部コッツウォルズ地方に所有する農場を、1986年から10年ほどかけて完全にオーガニックな土地に生まれ変わらせ、そこで採れた材料を使ってダッチー・ブランドとして商品化。「愛と敬意を持って土地を扱えば、自然は応えてくれる」と自然との調和の重要性について「デーリー・テレグラフ」紙に語っている。チャールズはこの農場で、英国固有の希少種の家畜や英国古来の種子の保存に努めたほか、太陽発電を取り入れサステナブルな農場へと次第に進化させていった。

ただ2021年、チャールズは長年手塩にかけたこの農場を、志を同じくする第三者企業に管理させるつもりであると発表。これは、将来国王としての職務とビジネスを兼業することが難しくなるだろうから、というのが理由だ。

一方で、この農場に隣接したカントリー・ハウス「ハイグローブ・ハウス」は、1980年にチャールズが購入した別邸だが、広大な牧草地に囲まれたジョージ王朝時代の建築は夏期に限りイングリッシュ・ガーデンと共に見学が可能。また、「ダッチー・オーガニック」とは別の「ハイグローブ」というブランド(www.highgrovegardens.com)があり、敷地内で育てた作物を使ったオーガニック食品や園芸品なども販売している。

熱帯雨林から海洋環境まで

チャールズは、あらゆる環境問題を解決しようとさまざまなプロジェクトを手掛けている。2009年5月には「熱帯雨林プロジェクト」(The Prince's Rainforests Project)を立ち上げ、気候変動問題における熱帯雨林の保護の重要性を訴えた。熱帯雨林と気候変動の関連性や、森林破壊を止めるための緊急行動の必要性についての理解を深めるために、自分が王室メンバーであることを最大限に利用。ヴィヴィアン・ウェストウッド、ロッド・スチュワート、スティーヴン・フライといった英国のセレブたちの協力を募り、一般の人々に環境問題に興味を持つよう尽力した。

このプロジェクトは現在、同じくチャールズが提唱している活動団体「国際持続可能性ユニット」(International Sustainability Unit)の一部となっている。これは森林伐採対策、海洋環境の維持、生態系の回復力を維持する方法など、世界が直面している主要な環境課題のいくつかを解決する方法について考え行動する場であり、チャールズが50年にわたり考え続けてきたことがここに集約されている。

また、こうした取り組みは息子であるウィリアムやハリーにも引き継がれている。特にウィリアムは2020年に動物学者デービッド・アッテンボロー氏と共に「アースショット賞」を発足。環境保護への貢献に対して、「自然の回復と保護」「空気の浄化」「海洋の回復」「無駄のない生活」「気候変動」の5ジャンルから毎年受賞者を選出し、英国王立財団から100万ポンド(約1億6000万円)を贈る。ウィリアムは授賞式の際に、「次の居住地(火星)を探すのではなく、この惑星(地球)を回復させるために世界最高の頭脳とマインドが必要だ」と述べ注目を集めた。

2017年6月、英国土壌協会(Soil Association)設立70周年の記念レセプションで、オーガニックな食の重要性を語るチャールズ2017年6月、英国土壌協会(Soil Association)設立70周年の記念レセプションで、オーガニックな食の重要性を語るチャールズ

ホメオパシーの賛同者?

身体の自然治癒力を引き出す「ホメオパシー」は、日本でも賛否両論が分かれる代替療法であり、国民医療制度(NHS)は2017年、患者へのホメオパシー・レメディー処方を打ち切った。NHSイングランドの最高責任者であるサイモン・スティーブンスは、ホメオパシーは「プラセボ以上の効果がないホメオパシーにNHSの貴重な資金を使うことは無駄」だとしている。

しかし、チャールズは以前からこの18世紀のドイツで生まれたホメオパシーの賛同者として知られており、19年にはホメオパシー医学協会の後援者に就任。チャールズはもともと、東洋医学、ハーブ療法、マッサージ、芸術などさまざまな代替医療の有効性に目を向け、これらをNHSに組み込むことで、科学的な薬品なしで心身を癒やすこともできるのではないかという考えを持っており、ホメオパシーもその一つに数えられている。

センターを取れない気弱さは根気でカバー家族との関係

誰もが主人公級の癖の強さを持つ王室メンバーの中で、グイグイと一家を引率するというより、常に主人公の脇にそっと立ちサポートするようなイメージを持たれるチャールズ皇太子。ここでは一家の中のチャールズ皇太子の姿を見てみよう。

父親から見たチャールズ

父親のフィリップは、快活でスポーツ万能。一方で、幼いチャールズは気立ては優しいが引っ込み思案で傷つきやすい子どもだった。「男性として凜々しく生きる」ことを良しとするフィリップはそんなチャールズを心配し、自分の息子を鍛えて元気な少年に仕立て上げようと何度も試みてきたといわれている。あるときチャールズは水泳指導と称して、バッキンガム宮殿のプールに浮き輪もビート板もなしに投げ込まれ、溺れかけたこともあるそう。

1953年、英北部の私邸サンドリガムからロンドンに戻るエリザベス女王一家。フィリップの隣にチャールズ(写真中央右)1953年、英北部の私邸サンドリガムからロンドンに戻るエリザベス女王一家。フィリップの隣にチャールズ(写真中央右)

また、10代になり、チャリティーや王室の公務で直接国民と接するようになっても、恥ずかしそうに下を向いてもじもじ挨拶するチャールズにフィリップはしびれを切らした。チャールズが未来の王位継承者だと認識するよう、置かれた立場が特別であることを繰り返し聞かせ、将来重要な義務が控えていることも教え込もうとした。女王以上に厳しい海軍仕込みのしつけで、父と息子の仲は愛あふれる優しい関係とはいえなかったようだ。2006年にフィリップは「チャールズはロマンチストだけど、僕は現実主義者だからね」と2人の違いに言及している。

妻たちとの関係

チャールズが初めてカミラ・シャンドに会ったのは1970年。そのときカミラはチャールズの友人アンドリュー・パーカー・ボウルズの恋人だった。ポロや狩猟など共通の趣味を通してチャールズはカミラを愛するようになったが、きちんと結婚の申し込みをしなかったこともあり、翌年カミラはパーカー・ボウルズと結婚。しかしカミラとの関係は途切れることはなく、ダイアナ妃との結婚後もそれは続いた。優柔不断で一途なチャールズの性格が災いした可能性もあるだろう。

チャールズが1996年にダイアナ妃と離婚し、カミラと再婚したのが2005年。ロンドン郊外ウィンザーの市民公会堂での地味な結婚式だった。ダイアナ元妃との離婚の原因だとして、在りし日のクイーン・マザーが「私が生きているうちはカミラとチャールズの結婚はない」と断言したW不倫の果ての結婚である。チャールズ56歳、カミラ57歳だった。チャールズとカミラの関係は出会いから結婚まで33年かかったことになる。

根強い故ダイアナ妃人気に加えて、「愛人」というイメージが強かったカミラとの結婚は国民から不評を買った。次の国王はチャールズではなくウィリアムにすべきという意見もあるほどで、王室は、チャールズが国王になってもカミラは王妃の称号を得ず、妃殿下の称号を名乗ると発表しなければならなかった。これが覆されたのは2022年のエリザベス女王在位70周年記念のとき。女王は「チャールズが国王となったとき、カミラが王妃と呼ばれることを望む」と発表した。戦わず年月の流れに身を任せたことで勝ち取った幸せ、といえる。

息子たちから見たチャールズ

ウィリアムは以前、チャールズの70歳の誕生日を祝うBBC ドキュメンタリー「Prince,Son and Heir: Charles at 70」のなかで、チャールズがいかに規律正しく、仕事中毒であるかについて語っている。そして、「父にまだやるべき仕事があることを知っているから、父が情熱と興味を持って行ってきたことが実現するのを見たい」とも。また、チャールズがだらだらと長くしゃべりがちで、笑うべきタイミングでないところで笑ってしまう癖があることも暴露している。

かつてウィリアムとハリーは、母親であるダイアナ妃を失った怒りをチャールズに向けており、父と2人の息子の仲はギクシャクしていると報道されることが多かった。しかし、長男のウィリアムも今年で40歳。3児の父でもあり将来の国王であることから父親に理解を示す言葉が増えた。

一方のハリー王子は、2021年3月に米テレビ番組で「父には失望している」などとコメントするなど、依然としてあまりうまくいってないことを思わせるが、ハリーが王室を離脱する際にチャールズからかなりの援助金を受け取っていることや、22年6月初旬、 チャールズがプラチナ・ジュビリーの式典のため一時帰国していたハリー王子夫妻の子どもたち、孫のアーチーとリリベットと感激の対面を果たしていることも併せて考えると、「時が経てば解決していく」様子がうかがえる。

2019年、ロンドンの自然史博物館で開催されたNetflixの「私たちの地球」のグローバル・プレミアに出席するチャールズ(写真右)と息子たち2019年、ロンドンの自然史博物館で開催されたNetflixの「私たちの地球」のグローバル・プレミアに出席するチャールズ(写真右)と息子たち

弟たちとの関係

弟のアンドリューを性的暴行で告発した女性への和解金の一部を、チャールズ皇太子が肩代わり。その代償に、2度とアンドリューが公の場に王室メンバーとして姿を見せるべきではないと苦言した。また、2021年4月に父親のフィリップが逝去したのに伴い、末の弟エドワードがエディンバラ公の称号を受け継ぐ予定。しかし、チャールズはなぜかエドワードに称号を与えることに難色を示しているそう。

チャールズについて知らない9つのこと

1. 白ワインが燃料の自家用車

21歳の誕生日にエリザベス女王からもらったアストン・マーチンDB6を今も大切に使っている。環境問題にうるさいチャールズによって現在はエコロジー仕様に改造されており、ガソリンではなく英国の余剰白ワインとチーズから作られたバイオ燃料で走る。チャールズはほかにも食用油が燃料のジャガー、アウディ、レンジローバーも所持している。

2. 学位を持った最初の王室メンバー

1971年に名門ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学士号を取得し、学位を取得した最初の王室メンバーとなった。卒業時はセカンド、つまり中の下にあたる成績で卒業したが、1975年に同校で修士号も取得。チャールズに続き下の弟エドワードも同校を卒業した。ちなみにカミラ夫人は、ロンドン大学SOASの出身である。

3. 称号がすごく長い

チャールズの正式な称号は、His Royal Highness Prince Charles Philip Arthur George, Prince of Wales, KG, KT, GCB, OM, AK, QSO, PC, ADC, Earl of Chester, Duke of Cornwall, Duke of Rothesay, Earl of Carrick, Baron of Renfrew, Lord of the Isles and Prince and Great Steward of Scotlandである。

4. 即位したら名前を変える?

処刑されたり道楽者だったり反逆者だったりと、これまでのチャールズ国王にはロクな人物がいないことで知られる。そのためチャールズはほかの名前を探しているようで、ミドルネームの一つを取ってジョージ7世はどうかなと考えたこともあったようだ。ただ、急いで決める必要はないというのが大方の意見で、まだどうするかは決定していない。

5. コードネームはユニコーン

王室メンバーには個別のコードネームがあり、公務や休暇での外出、外国訪問の際に使用される。チャールズは「ユニコーン」で、1971年の訪米時に付けられたものだそう。また、年配の王室メンバーには葬儀用のコードネームが割り当てられており、「オペレーション・メナイ・ブリッジ」がチャールズのもの。これはウェールズのメナイ橋からきている。

6. 絵本を出版していた

チャールズは「The Old Man of Lochnagar」(ロッホナガーのおじいさん)という絵本を1980年に出版している。静かなところで温かいお風呂に入りたいと願うおじいさんが、スコットランドの洞窟へ向かうというお話で、かつて幼い2人の弟たちに語った物語が元なのだそう。TVアニメ化もされ、チャールズがナレーションを務めた。

7. 米大統領の娘婿にされそうになった

チャールズは1971年、19歳のときに妹のアンと2人で訪米している。当時の大統領ニクソン氏の計らいで、訪米中はホワイトハウスに滞在。だが実はニクソン氏はチャールズと21歳になる自分の長女トリシアを結婚させようと画策していた。そのため、トリシアは食事を含むあらゆる場所で隣の席に座り、チャールズを心底うんざりさせたそう。

8. 好きな紅茶はダージリン

チャールズの愛飲する紅茶はダージリン。ハチミツとミルクを入れるのがお好みだそうだ。また、チャールズのインスタグラムでは、好物として「とろけるチーズのベイクド・エッグ」と「キノコのリゾット」が紹介されている。英国産チーズの大ファンで、チーズ料理ならなんでもOK。そして昼食は取らない派であることをカミラが伝えている。

9. 宿敵を広報担当者に

2022年7月、チャールズとカミラは自分たちの新しい広報報道官に、「デーリー・メール」紙の元編集長、トビン・アンドレア氏を選出した。王室に関するゴシップをあることないこと書き連ねた、タブロイド紙の総本山だけに周囲の人々は唖然。だが即位など、今後あらゆる状況を切り抜けるには、タブロイド紙の考え方を知る同氏は最適の布陣であるといえる。

 

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*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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