所変われば幽霊も変わる
英国の愉快なお化けたち
夏といえば、怪談。日本ではお化けや心霊現象、未解決の怪事件を扱った怪談がテレビ番組などで取り上げられる。「白い着物を着 た女の幽霊」や「口裂け女」に「トイレの花子さん」などが日本ではお馴染みだが、英国にも当然、この国ならではのお化けたちがいる。そこで今回は、英国民が一度は耳にしたことがあるというお決まりのお化けたちの姿をイラストで再現。果たしてこの夏、あなたはこれらのお化けを目撃するだろうか。
(本誌編集部: 長野雅俊)
笑わせるにせよ、怖がらせるにせよ、
話を適当に脚色するという点で、
笑い話と怪談は似ている。
─ サイモン・ペッグ(英国人俳優)
殺された者が死後、
自身を殺した者にとりつくというのは、
本当の話なのです。
─ エミリー・ブロンテ(英国人作家)
名がない、モテない、幸がない
フランケンシュタインの怪物
英国の女性作家、メアリー・シェリーが1818年に発表した小説に登場する人造人間。割とよく誤解されているが、「フランケンシュタイン」とはこの人造人間のことではなくて、物語のもう一人の登場人物であるスイス人青年ヴィクターの名字である。自然科学を専攻する彼がドイツでの留学時代に、墓から掘り出した複数の人間の死体をつないで完成させた身長4メートルの人造人間は、醜い容姿を持っているために周囲から拒絶され、ヴィクターに異性の人造人間を造るように要求したらこれも却下。いわゆるモテない君のコンプレックスを募らせた結果、人間を惨殺していく……というただでさえ悲しい話なのに、「創造主からは名前を与えられなかったモンスター」という話の要点さえ忘れ去られ、いつのまにか「醜い人造人間、それがフランケンシュタイン」という誤解だけが世界中に広まってしまった。「そりゃ人間が憎くなるだろうに」と共感を覚えるほど、不幸なモンスターである。
「権兵衛」という名の紳士
切り裂きジャック
お化けではないが、19世紀後半にロンドン東部ホワイトチャペルで実際に起きた事件の犯人と言われ、英国で頻繁に語られる正体不明の不気味な存在が「切り裂きジャック」。1888年の夏から秋にかけての約2カ月間に少なくとも5人から十数人の売春婦を殺害し、さらには犯行予告を新聞社に送り届けるという、いわゆる劇場型犯罪の走りとして世間を騒がせた。ちなみに「ジャック」とは、日本でいう「名なしの権兵衛」に相当する、名前が分からない人をとりあえず呼ぶ愛称なのだとか。これだけ大掛かりな犯罪でありながら逮捕に至らなかったことから、真犯人は警察官や王室関係者だったとか、また被害者の死体から 臓器を摘出した跡があることから医者だったのではないかとか、いまだにその正体をめぐっては諸説が語られている。ともかくどの犯人像も概してきっちりと礼服に身を包んだ英国人紳士なのだから、「権兵衛」よりも、もっとましな名前を付けてあげるべきだっただろうに。
歌って踊れる凶暴なアイドル
殺人理髪屋
「殺人理髪屋」との異名を持つ、ベンジャミン・ベーカー。ロンドンで理髪師として働いていた彼は、ある日無実の罪を着せられて刑に処されてしまう。その後、スウィーニー・トッドと名を変えて再び娑婆(しゃば)に戻ってきてみれば、自身に無実の罪を着せた悪徳判事に追い詰められた妻は毒をあおって死亡、娘は幽閉されていることを知る。復讐心に燃えたベーカーは、理髪屋を再開し、仕事道具の剃刀で次々と客を殺していく。しかも彼が殺した死体は、2階の床屋の下に位置する、ロンドンで一番まずいと評判のパイ屋へと送り込まれるようになっていたのだ。人肉の隠し味が功を奏して、やがてパイ屋は行列のできる店となっていく……というグロテスクながらもユーモアを含んだグリム童話のような話は、ミュージカル化までされている。そんな歌って踊れるスター性たっぷりの殺人鬼がいるなんて、さすが演劇都市、ロンドン。
愛憎渦巻くとはまさにこのこと
アン・ブーリン
平家の落ち武者や朝廷と対立した学者など、恨みつらみを残したまま死んだ歴史上の人物が幽霊となって出るという話が日本には多数存在するが、事情は英国も同じ。英国史の中での幽霊キャラとして最も有名なのが、16世紀のイングランド王、ヘンリー8世の2番目の妻であったアン・ブーリンだ。当時離婚を禁じていたカトリック教会と袂を分かち、英国国教会が創設されるという大騒動を経て妻の座を射止めたにも関わらず、その3年後には不倫の濡れ衣を着せられて斬首刑に処せられたという彼女。またヘンリー8世当人、さらにはアン・ブーリンの従姉妹で同じくヘンリー8世の妻でありながら不倫が発覚し処刑されたというキャサリン・ハワードの幽霊の目撃談も伝えられている。それにしても関係者が揃いも揃って化けて出るなんて、どれだけ壮絶な男女関係だったんだろうか。
大事な落とし物が見付からない
頭のない貴婦人
ロンドン中心部のセント・ジェームズ・パークにしばしば出現すると伝えられているのが、「頭のない貴婦人」。夫に殺された挙句、切られた首はどこかに隠蔽(いんぺい)、残りの体は池に捨てられるという残忍な殺され方をしたこの女性は、当然のごとく、成仏できずに化けて出るようになる。池の中から突如として現れては、自分の首を捜し求めて公園内を彷徨い歩き出す様子が、1800年頃からバッキンガム宮殿など周辺の王室施設を警備する英国陸軍関係者によって目撃されているのだとか。水の中から現れるという登場の仕方といい、「紛失物」を200年以上にわたって捜し続ける恐るべき執念といい、井戸の中から出てきて「いちまーい、にーまーい」と数える日本の怪談「皿屋敷」のお菊を彷彿とさせる。さて、お菊が皿を見付けるのと、貴婦人が自分の頭を見付けるのはどちらが先か。
ホラー要素がてんこ盛り
ニューゲートの黒い犬
恐らく世界中で不吉な象徴とされている黒い動物。ロンドンで最も有名なものが、「ニューゲートの黒い犬」だ。13世紀初頭、ロンドン随一のランドマークであるセントポール大聖堂の近くに、ニューゲート監獄と呼ばれる、環境の劣悪なことで知られる刑務所があったという。空前の飢饉が発生し食糧不足に悩むようになったこの刑務所の囚人たちは、やがて次々と入所してくる新米の囚人たちの人肉を食べるようになった。そこに舞い込んできたのが、「魔法を使った」という無実の罪で捕えられたある学者。この学者も結局、殺されて他の囚人たちに食べられてしまうのだが、死後に炎の目を持ち、口からは血を滴らせる狂暴な黒犬に姿を変えて復讐を開始。以来、囚人を襲って食すようになったのだという。牢獄、カニヴァリズム、黒い動物と、怖い要素がてんこ盛りとなったサービス満点のキャラクターである。
道化役の悲哀を漂わす
浮遊するピエロ
「オペラ座の怪人」の物語に見られるように、英国を始めとする欧州では、古い劇場が絶好の心霊スポットになるらしい。ロンドン中心部のコベント・ガーデン近くにある、ロンドン最古の劇場としての歴史を持つシアター・ロイヤル・ドゥルリー・レーンは、そうした怪談に打ってつけの場所。そしてこの舞台でピエロ役を務めていたのが、ジョゼフ・グリマルディという名の俳優であった。才能に溢れた前途有望な役者ではあったが、体に障害を負ってしまった結果、引退に追い込まれ、失意のまま1837年に他界。早世のピエロの幽霊は、哀愁と悲哀を漂わせながら、今でも劇場にとりついているんだそう。
東欧移民のヒーロー
吸血鬼
一説によれば、東欧における中世からの民間伝承が起源の一つになったとされる吸血鬼。この物語が初めて英語で書かれたのが、「フランケンシュタイン」のメアリー・シェリーとも交遊のあったという英国人作家ジョン・ポリドリが1819年に著した「ヴァンパイア」だった。その後、19世紀後半になってダブリン出身の作家ブラム・ストーカーが幻想怪奇小説に仕立て上げた結果、吸血鬼は美女を魅了する、どこか美しくロマンティックな存在へと高められていく。東欧で生まれ、英国で花開く。この国で一旗上げようと夢見る東欧の出稼ぎ移民にとっては、吸血鬼はお手本のような存在なのかもしれない。
ルールを破った幽霊
黒い修道女
1811年のこと。イングランド銀行で働いていたフィリップ・ホワイトヘッドは、全く身に覚えのない横領罪で捕まり、翌年には処刑されてしまう。この死を知ったフィリップの妹サラは、イングランド銀行を頻繁に訪れて同職員たちに罵声を浴びせるようになる。全身を黒い衣服で覆っていたことから、「黒い修道女」と呼ばれたこの女性に嫌気が差していた職員たちは、現在のお金で20万ポンドに相当する大金を渡すことと引き換えに、サラを出入り禁止とすることを提案。彼女はこの金を受け取り姿を消すが、やがて幽霊となって舞い戻ってきたという、約束を全然守らない幽霊のお話。
ホラーの王道
魔女
英国を含む中世ヨーロッパ、及び米国に至るまで広く知られる魔女。悪名高い「魔女裁判」などに象徴されるように、その存在が現実世界でも恐れられていた時代があった。英国でも然り。何と20世紀半ばまで、「魔女行為禁止法」なるものが施行されていて、1944年にはスコットランド生まれのヘレン・ダンカンという名の女性霊媒師が、それまで政府がひた隠しにしていた英軍艦の沈没事件を交霊会で暴露した際にこの法律によって逮捕されて話題となった。国家権力は魔力の存在を本気で信じていたということなのか。お化けよりも、現実に起こるこうした不条理な事件の方がよっぽど怖いんじゃなかろうか。
気のせいならいいんだけど
ポルターガイスト
姿や形は見えないが、家中の食器や家具をバタバタと倒していく、電気をつけたり消したりする、ものをうるさく鳴り響かせるといった騒がしいいたずらを繰り返す幽霊が、ポルターガイスト。英国内の至るところで事例が報告されているようで、1977年にはロンドン北部エンフィールドでポルターガイスト現象が発生したとして、BBCや警察までもが捜査に乗り出すほどの騒ぎとなった。結局、この事件は子どものいたずらであったとの結論が出されて捜査終了。誰もが一度は実在するのではないかと疑うが、「ま、気のせいかな」の一言によって簡単になかったことにされがちな、影の薄い幽霊だったりする。