ニュースダイジェストのグリーティング・カード
Fri, 22 November 2024

身の毛もよだつ恐怖の街ロンドンを歩く

「世界で最も呪われた都市」という不名誉な噂を持つロンドンには、幽霊が出ることで有名なパブ、ホテル、劇場、公園などがいたるところに点在している。長い歴史に裏打ちされた不気味さが漂う路地や建物を見ているとそれはただの噂ではないことを確信する。今回はロンドン各地の幽霊スポットにあなたをご案内します。あなたが毎日通るあの道にもきっと幽霊が潜んでいるはず。毎日通るあの道で出会うあの人は、ひょっとして幽霊だったのかも……。

ゴーストのことなら、この人に聞け!

リチャード・ジョーンズ 英国ゴースト研究家
リチャード・ジョーンズさん

英国で幽霊を語らせたらこの人の右に出るものはいないというほど、お化け事情に通じているリチャードさんに、英国のゴーストについて語ってもらいました。

どうして人は幽霊の話にかれるのでしょうか。

これは私にも正確にはわかりません。私自身が幽霊に惹かれる理由さえわからないのですから。きっと人間はミステリアスなものに惹かれるのでしょう。

ご自身の著書の中でロンドンは世界で最も呪われた街だと書かれていますが、どうしてでしょうか。

これは歴史と関係があります。ローマ人が英国にやってきたといわれている約2000年前はロンドンの地表は今よりも約10メートル低かったのです。その後、文明が発展してゆく中で、埋立てが繰り返され今の高さになったと言われています。私たちの立っている真下には、今でも古代の人の墓や家などが埋まったままなのです。その霊たちの無念さがロンドンを覆い尽くしているのでしょう。

Qロンドンで(あまりにも幽霊が多いので)避けた方が良い場所を挙げてください

まずは、何と言ってもロンドン塔でしょう。ご存知だとは思いますが、あそこは多数の人が幽閉され、処刑された所です。中には無実の罪を被せられた人も多く、その無念は想像に難くありません。未だに毎晩不思議な現象が確認されています。他には、シティのニュー・ゲート・ストリートにあるパブ「The Viaduct Tavern」はポルターガイストで有名です。酒瓶やカーペットが宙を舞ったりしてますよ。

ゴースト・ツアーを主催されていますが、ツアー中に幽霊に出くわしたことはありますか。

幽霊を研究してますが、実は幽霊を見たことはないんですよ。まあ、見えたら、怖くて研究どころじゃないかもしれませんけどね(笑)。でも、こんな面白い話があります。シティで開催したゴースト・ツアーの参加者の子供なんですけど、バンク駅周辺にある石畳のコートヤードで話をしている時に、ひまを持て余したその子供が、ゆるくなった石畳を引っこ抜いておみやげに持って帰ってしまったんです。その子供は石をベット・サイドに置いていたということなんですが、その日からその家では不思議な人影を見るようになったそうです。

ある日、子供が学校に行っている間に、子供部屋からの物音を聞いた母親が、その部屋に入ろうとしたところ扉が開かない。近所の人に手伝ってもらって、どうにかしてこじ開けてみると、ベッドが扉を塞ぐように移動されていたというのです。もちろん子供にこんな力はありませんし、窓には内側から鍵がかけられていたので、侵入者がいたとも思えません。部屋に落ちていた石を見つけた母親が、不審に思い子供を問い詰めると、ゴースト・ツアーで行ったコートヤードから持ってきたと……。そこで、その母親は私に電話をくれました。私はすぐに石を返すように伝え、そのコートヤードへの行き方を説明しました。石を返した後は、不思議な現象は全くなくなったということです。

幽霊を見た時に、取り付かれないために何をすれば良いですか。

まずは落ち着いて、幽霊に「来ないでくれ」と伝えることです。他には、塩を撒いたり、幽霊は音を嫌うので鈴を持ち歩いたりすると良いですよ。幽霊と言っても恨みを残した者ばかりではありません。あまりにも突然の死によって、自分が死んだことを受け入れられない幽霊もいますが、この霊たちは大抵ハッピーで人に害を与えることはありませんよ。

最後に、幽霊になるにはどうしたら良いのでしょうか。

一番大切なのは、死ぬことでしょうね(笑)。それが第一歩ですが、その後の過程については、私も研究中です。

リチャード・ジョーンズさん
Richard Jones

英国のゴースト・歴史研究家。英国内の幽霊スポットの研究を始めて20年以上というベテランで1982年からはロンドンや英国各地の幽霊スポットを案内する人気のゴースト・ウォーキング・ツアーなどを主催。ガイド業、執筆業以外にも、米国のミステリー番組に出演するなど多忙な日々を送っている。主な著作に「the Trail of Jack the Rippers」「Walking Haunted London」などがある。 www.haunted-britain.com

Haunted London
ロンドン各地の呪われた場所を、不気味な写真と共に紹介する。ロンドンに長年住んでいる人でも新たな発見があるはず。

Walking Haunted London
上の本と内容が重なるが、こちらは地図&ルート付きの小型版なので持ち歩きにも便利。自分で色々と歩き回りたい人向け。

英国の有名幽霊たち

英国では、歴史上の有名な人物はほとんど必ずと言って良いほど幽霊になって現れる。そのため、ほとんどの幽霊は「○×時代の○○さん」といったように身元が判明していることが多い。その中でも最も頻繁に目撃される幽霊を以下に挙げてみた。

第1位 アン・ブーリン Anne Boleyn

アン・ブーリン離婚して新しい妻を娶るために英国の宗教まで変えてしまったヘンリー8世の2番目の妻。取り立てて美人ではないが、きらきら輝く漆黒の魅力的な瞳にヘンリー8世が夢中になったと言われている。1533年ヘンリー8世と結婚し王妃の座に就くも、わずか3年後の1536年には不倫の濡れ衣を着せられロンドン塔に幽閉され、同年5月19日に斬首刑に処された。アンの幽霊は、処刑の翌日から目撃されるようになった。首のない4頭の馬に引かれた馬車の中には首から上のないアンが座っていたり、誰もいないはずの礼拝堂の明かりをつけ部屋を徘徊している姿が報告されている。約450年も前から、ロンドン塔の勤務簿にはアンの幽霊の出没記録が細かく記録されているのだが、特に斬首が行われたロンドン塔内のタワー・グリーンで目撃されることが多い。

目撃スポット
タワー・オブ・ロンドン(ロンドン塔): 数々の著名人が幽閉され処刑されたことで有名。主な観光スポットでありながらも、その気味の悪さは指折り。
(Tower Hill, London, EC3N 4AB)
他、ハンプトン・コート・パレス、ホーヴァー城でも目撃談あり。

第2位 キャサリン・ハワード Catherine Howard

キャサリン・ハワードアン・ブーリンの従姉妹で同じくヘンリー8世の妻(5番目)。1540年ヘンリー8世に見初められ結婚した後も、前の恋人との付き合いが終わることはなく、1542年、ついに王の怒りを買いロンドン塔に幽閉される。処刑の際、キャサリンは恐ろしいほどの力で処刑人たちの手を振りほどき、髪を振り乱し叫びながら処刑場の中を逃げ回ったそうだ。処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追いかけ回したが、3 度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。キャサリンの亡霊が頻繁に目撃されるのは、ヘンリー8世と暮らしていたハンプトン・コート・パレス。許しを請いながら、廊下を引きずられて行く姿や宮殿内ロイヤル・チャペルのドアをバンバンと叩く姿が目撃されている。

目撃スポット
ハンプトン・コート・パレス: ヘンリー8世が建てた宮殿。ロンドン塔と同じく幽霊目撃談が多い。最近では、防犯カメラに昔のドレスをまとった人が映った事件が発生し世界を驚愕させた。
(East Molesey , Surrey KT8 9AU)
他、タワー・オブ・ロンドンなどでも目撃談あり。

ロンドン・ゴースト・スポット・マップ

1. 浮遊するピエロ
Theatre Royal, Drury Lane WC2

Theatre Royal, Drury Lane WC2

ロンドン最古の劇場「シアター・ロイヤル」。現在の建物は1812年に建てられたものだが、1633年からこの場所に劇場があったという。数々の俳優、女優の霊が出ることで知られているが、その中でも有名なのが17世紀初頭にピエロ役で名を馳せたジョゼフ・グリマルディだ。ジョゼフは才能に恵まれていたにもかかわらず、重病のため体に障害を負い舞台から退かざるを得なくなった。以後貧しい生活を強いられたジョゼフは、1837年亡くなる直前に埋葬前に体から頭部を切り離して埋めて欲しいという奇妙な願いを託して息を引き取った。以後今日に至るまで、このシアター・ロイヤルでは、浮遊するピエロの顔が何度も目撃されている。

2. 山高帽の男
Covent Garden Station, WC2

Covent Garden Station, WC2

観光客や買い物客などで賑わうコベント・ガーデンだが、この駅にもまた数多くの幽霊目撃談が残されている。1955年のクリスマス・イブ。駅員室のドアが激しくノックされた時、駅員のジャック・ハイデンは、駅構内のオフィスにこもり仕事を片付けている最中だった。「迷ってしまった乗客だろう」と思ったジャックは、「ここは通り道ではないですよ」と叫んだが、ノックは止まらない。不審に思ったジャックが扉を開けると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった背の高い男性の姿があった。その男性はジャックを見た後、一言も発することなく振り返り、階段の方へ歩き始め、そして空中に消えてしまったという。その後、ジャックや同僚たちはこの男性を40回以上も目撃したと記録されている。ある日、ジャックたちが近くのアデルフィ劇場を訪れると、グレーのスーツを着て山高帽をかぶった見覚えのある男性の写真があった。写真には「人気俳優ウィリアム・テリス」との解説がついていたが、彼こそが夜な夜な現れる幽霊の正体だった。しかし、テリスは1897年アデルフィ劇場の前で配役に嫉妬した俳優仲間に殺害されていたのだった。

3. ロンドン一呪われた家
50 Berkely Square, W1

50 Berkely Square, W1

高い天井、そして大理石の床に彩られた18世紀調のジョージアン建築。一見すると文句のつけようのない素晴らしい建物だが、これこそがロンドン一呪われた家なのだ。1907年に出版された作家チャールズ・ハーパーの書物には次のような記録がある。「名もない生首や血みどろの骸骨が住みついた部屋がある。そこで眠るものに待ち受けているのは、恐ろしい死のみ……」。友人との賭けでその部屋で一晩過ごすことにしたある男性は、そこで起こった恐ろしい出来事を目撃したショックで口も聞けなくなり、まもなく死亡した。その部屋でその男性が何を見たのか知る者はいない……。今も空家のはずのこの家から、夜中に電気が点灯されたり、騒々しい物音が聞こえてくるという。

4. 謎のポルターガイスト
Burlington Arcade, Piccadilly W1

Burlington Arcade

ピカデリーに面した風格ある「バーリントン・アーケード」。ここの皮革製品を扱う店で、ポスターガイスト現象が見られるようになったのは1970年代のこと。夜中に店の製品が宙を舞い、朝になると床に円を描くように製品が並べられていたと言うのだ。警察が調査に乗り出したものの、この件に人間が関わっているという手がかりは見つけられず、この現象の説明に窮してしまった。店側ではこの現象を集客に利ようと「ポルターガイストの起こる店」との看板を出すまでに至ったが、霊はその看板に気を悪くしたのか、それ以降ポルターガイスト現象が見られることはなくなったという。

5. 火事場からショッピング
Fortnum and Mason, 181 Piccadilly, W1

Fortnum and Maso

王室御用達の食料品店「フォートナム&メイソン」でも幽霊が目撃されている。1960年代のある日、TV司会者でジャーナリストのナンシー・スペインは、会議へ向かうため、タクシーを捕まえようとフォートナム&メイソン前に立っていた。しかし、なかなかタクシーは捕まらず焦りは募るばかり。そんな時1台のタクシーが目の前に止まった。中には赤毛の女性が乗っている。財布が見つからないのか支払いに手間どうその女性にいらいらしたナンシーは、その女性のタクシー代金を支払うことを提案した。赤毛の女性はナンシーに感謝し、フォートナム&メイソン内へと消えていった。ナンシーがタクシーに乗り込むや否や、タクシーの運転手はナンシーにこう言った。「彼女はかの有名なC夫人だよ。大金持ちだから、君がタクシー代金を払う必要などなかったのに……」。翌日母親の元を訪れていた時に、この話を思い出したナンシーは「C夫人のタクシー代を払ってあげたの」と母親に自慢した。それを聞いた母親が怪訝な顔付きで持ってきたものは、C夫人が火事で焼死したという3日前の新聞だった。

6. 333号室に住みつく霊
Langham Hilton Hotel, Portland Place, W1

Langham Hilton Hotel, Portland Place, W1

1864年にオープンし、作家マーク・トゥエイン、劇作家アーノルド・ベネット、作曲家ドヴォルザークなどの著名人の宿泊場所として名を馳せたランガム・ヒルトン・ホテル。現在も高級ホテルとして使用されているが、BBCのオフィスとして改造された時期があった。しかしその当時も3階部分にはスタッフの宿泊施設として元のホテルの部屋が残されていたという。1973年のある日、BBCアナウンサーのジェームズ・アレクサンダー・ゴードンは、333号室に宿泊していた。夜中ジェームズが目を覚ますと、火の玉のようなものが宙を彷徨っているのに気付いた。ジェームズが光をじっと眺めていると、それは、エドワード調の衣服をまとった男性の形に姿を変えていったのだ。翌日ジェームズが同僚にこの話をすると、その霊を見たことあるという者が続出した……。現在は再びホテルとなったランガム・ヒルトンだが、その幽霊はまだ333号室に住みついているという。2003年5月に333号室に宿泊した女性は予定よりも早くチェック・アウトした後、幽霊を目撃したと記した手紙をホテル宛てに出している。

7. クレオパトラの呪い
Cleopatra's Needle, Victoria Embankment, WC2

エジプトのパラオによって約3000年以上も前に建てられたこのモニュメントが、ロンドンに持ち込まれたのは1878年のこと。このモニュメントに刻まれた古代エジプトの女王クレオパトラの呪いは未だもって解けていない。その証拠に、このモニュメントの立つ場所は、テムズ川流域で最も自殺の多い場所で、また付近から響く怪しげな笑い声やうめき声を聞いたとの噂も後を絶たない。1940年には、この場所である人物が身投げ自殺をするのを目撃した女性が、警察に助けを求めているが、川から引き上げた遺体はその助けを求めた女性自身だったのだ。

8. 頭のない貴婦人
St. James's Park, SW1

ジェームス1世により1603年に作られた都会のオアシス、セント・ジェームズ・パーク。1660年にはチャールズ2世が増築し、19世紀には建築家ジョン・ナッシュが改造を加えたという池がある。この池では、頭のない貴婦人が水中から現れ、陸に上がったとたんに気が狂ったように走り出す姿が目撃されている。一説によると、この霊は夫により殺害され池に捨てられた女性だと見られている。女性は、池に捨てられる前に首を切り落とされ秘密の場所に埋められたと言われている。今でも、自分の首を探して公園内を徘徊しているのだとか。

9. 夜な夜な響きわたる声
Lincoln's Inn Fields, WC2

Lincoln's Inn Fields, WC2

ロンドンで最も大きなスクエア、リンカーンズ・イン・フィールズ。今でこそ、落ち着いた雰囲気の素敵な場所だが、その昔この場所は残忍な処刑場だったのだ。1586年、エリザベス1世の暗殺を企てたアンソニー・バビントンとその13人の仲間たちは、ここで絞首刑に処され、まだ息を引き取る前に内臓などを取り除かれた。また、1683年にはチャールズ2世の暗殺を企てたラッセル卿もここで斬首刑に処され、命を落としている。この場所では、日が暮れると強烈な叫び声を耳にすることが多いという。また、ここで命を落とした者たちが、今でも夜な夜なこのスクエアを徘徊している姿が目撃されている。

10. 私の兄はどこ?
The Bank of England, Threadneedle Street, EC2

The  Bank of England

1811年、イングランド銀行に勤めるフィリップ・ホワイトヘッドは、横領の罪で捕まり翌年処刑された。この事実はフィリップの妹サラには告げられないでいたのだが、行方不明となった兄を探し銀行にやってきたサラに、ある職員が事実を告げてしまった。兄が死んだという話を聞いて気が狂ってしまったサラは、その日から毎日毎日イングランド銀行に通い「私の兄はどこ?」と尋ねるようになった。最初は哀れに思っていた職員たちも度重なる訪問に嫌気が差し、1818年イングランド銀行は、20ポンド(現在の20万ポンドにあたる)と引き換えに、銀行への立ち入り禁止とする取り引きをサラに提案した。サラは、その取引に了承し、生きている間は2度とイングランド銀行に戻ることはなかったという。そう、霊となって戻るまでは……。サラの霊は現在でもイングランド銀行周辺を彷徨っており、長いドレスをまとった女性が「私の兄はどこ」と尋ねる姿が目撃されている。最近彼女を目撃した米国人バンカーは、サラを仮装パーティーに参加する女性だと思い、くだんの質問に「あなたのことも、あなたの兄のことも知らない」と答えた。その後、その女性は宙に消えていったのだ。

11. 復讐を求めて彷徨う黒い犬
Amen Court, Warwick Lane, EC4

Amen Court, Warwick Lane, EC4

17~19世紀に建てられた家が並ぶアーメン・コートは、セント・ポール寺院に務める聖職者の住まいだ。のどかな家並みとは裏腹に、ここの裏手には気味の悪い暗い壁が立ちはだかっている。その昔、ここには劣悪な環境のニューゲート監獄があったのだ。1902年に監獄は解体されたが、死刑宣告を受けたものが歩いたと言われる小さな小道は残されたままだ。この気味悪い壁のあたりを彷徨う霊はたくさんいるが、最も恐ろしいのは「ニューゲートの黒い犬」。ことの起こりは13世紀、ヘンリー3世の時代まで遡る。当時、ロンドンは酷い飢饉に見舞われ、ニューゲート監獄の収容者は食事も与えられていない状態だった。そして、お腹をすかせた囚人たちは生き残りをかけて、新たに入所してくる囚人を食べるようになったのだ。ある日、裕福な学者が魔法を使ったという罪(?!)でこの監獄に入所してきたが、肉付きが良かったのが災いしてか、数日後には飢えた囚人の餌食となってしまった。その夜から、監獄内では炎の目を持ち、口からは血を滴らせた黒い犬が目撃されるようになった。学者が復讐のため犬に姿を変えて戻って来たのだ。犬は囚人を襲い、犬を目撃した恐怖から死んでしまった者もいたという。復讐を終えた今でもアーメン・コートをうろつく黒い犬の影が頻繁に見かけられている。

12. 夜中の足音
St. Bartholomew the Great, West Smithfield, EC1

St. Bartholomew the Great, West Smithfield, EC1

セント・バーソロミュー・ザ・グレートは、1123年に建てられたロンドンで最も古い教会の一つだ。ミステリアスな内装に、中世風の外観を誇るこの教会は、「ロビン・フッド」や「フォー・ウェディング」などの映画のロケ地としても使用された。しかし、その他の歴史ある建物と同様この教会もやはり呪われているのだ。この教会に現れるのは、教会を立てたラヒアという僧の霊だ。彼はもともとヘンリー1世に仕えていたが、王の後継ぎとなるウィリアム王子を乗せた船がカレー沖合で座礁したことに心を痛め、僧となることを決意しローマへと向かった。その途中、ラヒアはマラリアにかかり生死の際を彷徨ったのだが、瀕死の床で「もし無事に祖国に戻れたら、貧しい人のために教会を立てよう」との誓いを立てた。その後回復に向かったラヒアは、誓いどおり英国に戻り、スミスフィールドに教会を建てた。そして1145年、ラヒアが亡くなった後には、教会の祭壇の左脇に彼の墓が建てられたのだ。

19世紀になり、ラヒアの墓の修復がなされた時、ラヒアのサンダルを盗んだ僧が奇妙な死に方をした。ラヒアの呪いだと思った周囲の人間がサンダルを返したが、ラヒアの霊はその後も静まることはなかった。1999年、教会の防犯ベルが作動した時には、見回りに来た僧が、確かに中央廊下を歩く人の足跡を聞いたという。侵入者の仕業だと思った僧が扉を閉め警察を呼んだが、侵入者が見つかることはなかった。その後、セキュリティ・システムを確認すると、ラヒアの墓のある場所だけに、何者かが通った跡が発見された。ラヒアの墓に辿り着くには、長い通路を通らなければならないにも関わらず、その通路を人が通った気配はなかったのだ。

13. ハンサムな幽霊
The George, 214 Strand, WC2

The George, 214 Strand, WC2

白壁に黒木のチューダー朝の外観のこのパブの歴史は17世紀にまで遡る。幽霊はその当時からこのパブに潜んでいると言われている。1970年、改装のため何人かの塗装業者が呼ばれ、それぞれが仕事についていた。しかし、作業を始めてから20分後ぐらいに、地下のセラーを担当した塗装業者が恐怖で顔をこわばらせて、パブのオーナーのところにやってきた。「出たんです。幽霊が。何も言わずに、じっとこちらを見ているんです」。恐怖でしどろもどろになる塗装業者を見たオーナーは、釈然とした態度でこう答えた。「ああ、それはここにずっと住んでいる幽霊だよ。ここで働く人はみんな見てるんだ」と。

14. 揺り椅子に腰掛けたオーナー
Ye Olde Red Cow, 71 Long Lane, EC1

Ye Olde Red Cow, 71 Long Lane, EC1

スミスフィールド・マーケットに立つ小さなパブ「Ye Olde Red Cow」。マーケットで働く人のニーズに合わせて、午前6時30分から9時まで開店できる特別なライセンスを持っている珍しいパブだ。このパブの経営者ディック・オセアは、毎日ウィスキーを片手に窓辺においた揺り椅子に腰掛けて、客の出入りを眺めている。そしてその光景は、1981年にディック本人が死亡した後もずっと続いているのだ。このパブの窓辺でウィスキーを飲む男の姿を見かけたら、それはきっとディックの幽霊に違いない。

ロンドン中を震撼させた猟奇事件
切り裂きジャック Jack the Ripper

一度ぐらいは、「切り裂きジャック」という名前を聞いたことはあるだろう。幽霊ではないが、未だに未解決のままとなっている残酷な猟奇殺人事件の犯人だ。世間を恐怖のどん底に陥れたこの事件とはどのようなものだったのだろうか。

事件概要

署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどした「劇場型犯罪」の元祖。1888年8月31日~11月9日までの約2カ月間に、わかっているだけでも5人の売春婦が狙われ、特定の臓器を取り除かれた死体が発見された。事件現場はいずれもロンドンのイースト・エンド。厳重な捜査網が敷かれたにもかかわらず、犯人は捕まっていない。臓器摘出の後などから、犯人は医者だったのではないかと言われているが、真相は謎に包まれたままだ。

被害者と犯行痕

被害者1 メアリー・アン・ニコルズ(42)
1888年8月31日深夜4時頃、喉と腹部を切り裂かれた状態で路上に転がっているのを発見された。メアリーの内臓は何者かによって持ち去られていた。

被害者2 アニー・チャップマン(47)
1888年9月8日午前6時頃、喉を切り裂かれた死体が発見された。腹部の傷から、引っぱりだされた腸は肩まで届いており、遺体からは子宮と膀胱が持ち去られていた。

被害者3 エリザベス・ストライド(44)
1888年9月30日深夜1時頃、喉を切り裂かれた状態の死体が発見された。被害者4 キャサリン・エドウッズ(43)1888年9月30日深夜2時頃、喉が切り裂かれ、耳たぶと鼻は切り取られ、両目と頬にはV字型のキズが切り刻まれた死体が発見された。死体からは子宮と腎臓が持ち去られていた。

被害者5 メアリー・ケリー(25)
1888年11月9日午前11時ごろ、家賃を徴収しに部屋を訪れた大家がベッドの上に寝転がるメアリーの死体を発見した。腹部と太もも部分の皮がはがれており、内臓が全て取り除かれた腹部は空洞となっていた。また乳房が取り除かれ、両腕は切り落とされていた。そして、顔は判別不能なほど切り刻まれていた。

切り裂きジャックからの手紙

新聞社などに送り付けられた手紙は、常に血を連想させる赤インクでしたためられていた。

1888年9月25日

俺を捕まえようと頑張ってるみたいだけど、無理だね。警察のやつらが偉そうに犯人の話をしているのを聞くと笑ってしまうよ。どうやって俺を捕まえるつもりだい?この間の殺人は最高だったね。叫ぶヒマも与えなかった。俺はこの仕事(殺人)をやめるつもりはない。次は(被害者の)耳たぶを切り落として警察に送りつけてやろうか。楽しいねぇ。この手紙をとっておいて、次の事件が起きたら取り出してみなよ。ナイフの切れは最高だし、早く次の獲物を見つけないとな。

Yours Truly,
Jack the Ripper

PS. 警察は俺のことを医者だと思ってるみたいだな。ヒヒヒヒヒ。

 

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*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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