「happie loves it」デザイナー
Seanさん
[ 前編 ] ロンドンのコベント・ガーデンでショップを経営するファッション・ブランド、「happie loves it」のデザイナー、Seanさん。将来の展望がつかめず、大学卒業後に米国、韓国、タイ、イタリアと世界各地を転々とするうち、その土地土地や人々に触発され、次第に服作りへと目覚めていく。全2回の前編。
大阪府出身。関西大学卒業後、米国へ留学。約2年後に帰国した後は韓国やタイなどを渡り歩く。タイで服作りに目覚め、韓国で知り合ったスタイリストのhappieさんとイタリア・トスカーナで自作の服の販売をスタート。2003年にはロンドンでトップショップとコンセッション契約を結び、記録的な売り上げを達成する。07年に同契約を終結。同年、ロンドンのコベント・ガーデンにショップをオープンさせる。08年ロンドン・ファッション・ウィークのエキシビションに参加。以降は毎シーズン、ショールーム展示を行っている。
スタッフの笑顔と日本のポップ音楽
ロンドン・ファッション・ウィーク真っ盛りの2月15日、ショールーム展示を行うコベント・ガーデンのとあるショップを訪れた。白壁に囲まれた小さな空間には、鳥や花が大胆にあしらわれたテキスタイルの服が、楽しそうに客を待ち構えている。60~70年代風のレトロなデザインに、存在感のある襟元やイレギュラーになったセンター・ボタンのラインが個性をアピールする。スタッフが丁寧に出迎えてくれる店内に流れるのは、日本のポップ・ミュージック。東京の原宿にでもいるような錯覚を覚えさせるこのショップ、「happie loves it」の商品デザインを手掛けるのは、韓国出身のhappieさんと、大阪出身のSeanさんだ。
「ここまで来るのには色々なことがあって、簡単には説明できないんです」と申し訳なさそうに話し始めたSeanさん。高い襟にタイトなシルエットの自社ブランドのコートが体に沿うようになじむ長身の彼が訥々と語る数々のエピソードは、確かに一言では言い表せない。「流浪の民」のごとく世界各地を彷徨い続けた半生だった。
コベント・ガーデンの閑静な一角に佇む「happie loves it」
何をしていいか分からず彷徨う日々
服飾の専門学校に通い、結婚後は子供に服を買うのが好きだった母親の下で育ったSeanさん。自ずとファッションに興味を持つようになったものの、大学時代には社会学を専攻する一方で映画にのめり込み、本場を見てみたいと米国へ。大学卒業後には米国を再訪し、現地の大学に入学する。「自分が何をしていいか分からなかった」というSeanさんが、人生の方向は掴めずとも「世界が変わった」と感じたのが、ニューヨークを訪れたとき。「一文無しから這い上がった人たちがいて、一生懸命やったら自分も何かになれるんじゃないかと思わせるエネルギーがあったんです」。その後、インテリア・デザイナーの友人の手伝いをするなどしてNYで約2年間を過ごして一旦日本へ帰国。次は、NY滞在中に韓国人と交流を深めたことから興味を持った韓国へと向かい、当時大学生兼スタイリストだった将来のパートナー、happieさんと出会う。
彼女の仕事を手伝っているうちに、アジア各地に広がる通貨危機が韓国を襲い、知人らがビジネスに失敗していく様を見て「潮時かな」と思って日本へ。このころには「年も若くないし、今後の人生を真剣に考えなければ」と思ったというSeanさん、腰を落ち着けるのかと思いきや、「頭をまっさらにして何をするか考えよう」とhappieさんとともにタイに行き、満月の夜に大勢の若者がビーチに集って夜通し踊る「フルムーン・パーティー」に参加したというのだからぶっ飛んでいる。そしてビーチでhappieさんが手編みのビキニを、SeanさんがTシャツを作っていたところ、ヨーロッパ各地から集まっていた人たちが「自分たちの分も作ってほしい」と言い出した。やっと出てきた、デザイナーとしての萌芽である。
そして次にその芽が成長する土壌となったのが、イタリアはトスカーナ。タイで知り合ったイタリア人の友人に誘われてやって来たこの地で、イタリア人の色の感覚、芸術の楽しみ方に衝撃を受けた2人は、同地の自然や建物、絵画の数々にインスピレーションを受けながら服を作り続ける。「プロならばお金をもらえ」。友人から言われたこの一言で、友人に喜んでもらうために作っていた服作りを、徐々に仕事へと変化させていった。
どこまでもマイペースにプロのデザイナーとしての道を歩み始めたSeanさんとhappieさん。そんな2人が2001年1月、ここロンドンで、流浪の生活に終止符を打つことになる。
店内は細部に至るまでSeanさんたちのこだわりに満ちている