石田淡朗さん
[ 前編 ] 第二次大戦中に日本軍捕虜となった英兵と、日本人憲兵通訳の心の軌跡と交流をたどる映画「The Railway Man」。コリン・ファース、真田広之、ニコール・キッドマンら世界に名だたる俳優陣との共演、加えて真田の青年時代を演じるという高いハードルを課された俳優、石田淡朗さんは、どのようにそのバーを飛び越えたのか。全2回の前編。
いしだたんろう - 1987年、東京都文京区生まれ。父は狂言師の石田幸雄。3歳より狂言や能の舞台に立つ。2001年、ロンドンのグローブ座で上演された「まちがいの狂言」に参加。03年に渡英し、サリー州のパブリック・スクールへ入学。在学時にエディンバラ・フェスティバル・フリンジで狂言をテーマにした一人芝居「Kyogen-Raw and Uncooked」を上演し、好評を博す。卒業後にはロンドンの名門演劇学校、ギルドホール音楽演劇学校演劇学科へ。09年に卒業後はロンドンを拠点に映画出演や声優業をこなしつつ、近年では映画の製作/脚本、米サンフランシスコで劇団の芸術監修も行う。1月10日より英国各地で映画「The Railway Man」が公開予定。
親子どころか同一人物
2013年12月4日、ロンドン中心部レスター・スクエアに姿を現わしたコリン・ファースやジェレミー・アーヴァインら人気俳優たちの姿に、一斉にカメラのシャッターが切られる。映画「The Railway Man」の英国プレミア。第二次大戦時、タイとビルマ(現ミャンマー)をつなぐ泰緬(たいめん)鉄道建設の現場で壮絶な体験をした英国人捕虜と日本人の憲兵通訳の軋轢と和解までを描いたこの作品には、当然のことながら複数の日本人キャストが出演している。レッドカーペット上でシックなブラック・スーツに身を包んだ、すっとした佇まいが印象的な男性もその一人。日本人通訳永瀬役、真田広之の青年時代を演じた、ロンドン在住の俳優、石田淡朗さんだ。
ロンドンで行われた「The Railway Man」のプレミアにて
プレミアをさかのぼること数日前、ロンドン中心部のとあるオフィス・ビル。前日まで仕事で米国にいたという石田さんは、疲れも見せず滔々(とうとう)と作品のエピソードの数々を披露してくれる。コリン・ファース、真田広之という錚々(そうそう)たる面々に囲まれ、しかも真田広之と同一人物の役を演じる、さぞやプレッシャーだったのではないかと思いきや、実は2人とは既知の間柄だったという。
「真田さんとは『47 Ronin』で共演して以来、仲良くさせていただいていて。『The Railway Man』の撮影開始2カ月くらい前にロスへ行って真田さんに昼食をごちそうになって、最後に今度は父親と息子のような関係で別の映画に出られればいいですね、なんて話していたんです。そうしたら親子どころか同一人物の役がきたので、決まったときにはすぐに真田さんに電話しました」。一方、ファースとも「Gambit(邦題: モネ・ゲーム)」で共演し、顔なじみ。おかげでスムーズに撮影に入ることができた。スコットランド、タイ、オーストラリアで行われた撮影では青年期と成人期を同時進行で交互に撮影していたため、ずっと一緒。「あちらはコリン・ファースと真田広之さんなので、失礼と言えば失礼なのですが」と前置きしつつ、「それぞれの映像を見合うことができ、互いに触発された」と屈託なく語り、彼らの存在を「友人プラス先輩プラス同僚」と表現する。卑屈さの欠片もない、礼儀正しくも率直な口調が印象的だ。
その一方、真田広之と同一人物を演じるという点においてはかなり気を配り、綿密な役作りをした。念頭に置いたのは、「声質を似せること」と「姿勢」。戦争という経験を経て人間的に変わったといえる人物だからこそ、戦後を演じる真田の細かい部分を気にしすぎるよりも、全体の雰囲気を近付ける点に気を配ったという。多面的な人物像を構築することにも心を砕いた。「真田さんがどんな演技をなさっても同一人物として通用するように、いくつかの永瀬像をつくり上げ、撮影しました」。弱冠26歳にして、真田やファースといった大物俳優に気負うことなく対峙できる度胸と、役柄を冷静に分析する職人的ともいえる姿勢は一体、どこで身に付けたものなのだろう。
プロデューサー/脚本のアンディー・パタソンとともにタイの撮影現場で
狂言の世界から英国留学へ
石田さんは1987年、東京に生まれた。父は狂言師の石田幸雄。和泉流狂言方の中核を担う演者の一人として活躍する父の下、3歳から狂言だけでなく能の舞台にも立った。中学生になると現代演劇に興味を持つようになったが、その年代で現代演劇を勉強できる専門機関が日本には存在しない。そこで選んだ道が英国留学だった。2003年に渡英。演劇が盛んなサリー州のパブリック・スクールに入学し、演技だけでなく裏方の仕事も学んだ。世界的な演劇祭エディンバラ・フェスティバル・フリンジで狂言をテーマにした一人芝居にも挑戦。充実した3年間を過ごし、帰国してまた狂言の世界に――と考えていたときに、大きな転機が訪れる。