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Sun, 24 November 2024

第9回 シティの小便小僧

1666年9月2日未明から5日までの4日間、燃え続けたロンドン大火により、シティの約8割が灰塵(はいじん)に帰したといわれます。もう二度と大火を起こさないようにと、モニュメント駅の東側には、支柱のない石塔としては世界一高い大火記念塔が立っています。その高さ、202フィート(約62メートル)にはちゃんと意味がありまして、この塔を東に倒すと、出火元だったプディング・レーンにあるパン屋に当たるというわけです。

Pudding Lane
プディング・レーン。
プディングの意味は、「臓物」。
坂上の肉屋がこの坂を下って臓物を捨てていたのが名の由来

立派な記念塔をなぜ、あんな通りの外れに建てたんだ? と思いませんか。いやいや、当時あそこは旧ロンドン橋から南北に延びる街道と、シティを東西に横断する街道の交差点近くに立つ聖マーガレット教会のあった場所で、旧ロンドン橋を行き来する巡礼者や商人たちの姿が絶えない賑やかな場所でした。1831年に新ロンドン橋が少し上流に架けられて近辺の道筋が変わったので、今では通りの外れになってしまったのです。

ロンドン塔
ロンドン大火記念塔は
支柱のない石柱としては世界一の高さ。
311段の階段を上って降りれば証明書をくれる

火元とされる店は王室御用達のパン屋で、店主のトマス・ファリナーは自分の過失であることを認めませんでした。当時はカトリック教徒か外国人による放火説が信じられ、結局、ロバートと名乗るフランス人が放火の犯行を自供したため、処刑されました。その数年後、彼が事件当時、ロンドンに到着していなかったことが判明しますが、もう騒がれませんでした。一方、パン屋職人ギルドは1986年、勅許取得500年記念でトマスの店が火元であることを認めたプラーク(銘板)を設置、ロンドン博物館の大火展示コーナーや防火運動を協賛支援します。

プラーク
1986年にパン屋職業ギルドが
出火場所に立てたプラーク

大火後、聖ポール大聖堂と王立取引所を大通りで結び、両者から放射状と碁盤目状の通りを広げる復興計画が出されました。でも、シティ商人たちは一刻も早く商売を再開したいがために原状復帰を望んで一蹴。耐火建築法により少し道幅が広くなったり、レンガやサッシ窓の使用が義務化されたものの、ゴチャゴチャした街並みが再現されました。また商人は保険ビジネスに熱中、のちに世界初となる火災保険を生み出したといわれます。

そうそう、大火はスミスフィールドのパイ・コーナーで鎮火しましたが、そこには黄金の小便小僧の像が立っています。像の台座にはプディングやパイといった地名にちなみ、ロンドン大火を招いたのは暴食の大罪が原因であるとして戒める言葉が。両地名ともにかまどに関係しますが、人間のすべての大罪も一緒に焼き尽くしてくれれば良かったのに、と小便小僧を見るたびに思います。

小便小僧
暴食の罪を戒めるパイ・コーナーの小便小僧。
ここでロンドン大火が鎮火した

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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