第277回 ロンドンの二つの港と米国入植(後編)
前号では英国の米国への入植が南部ヴァージニアから始まったことをお伝えしました。入植事業は米南部だけでなく、毛皮と貴金属を求めてカナダに近い北部のポパム村でも始まりましたが、こちらは失敗してすぐに撤退しました。南部の入植がジェームズタウンを拠点にタバコ栽培で成功した後、再び北部の入植に挑戦したのがロンドンのロザハイズを出港したメイフラワー号に乗った人たちでした。
北部ポパム村の入植は失敗し、プリマス入植に挑んだ
フランスが北米原住民との毛皮貿易に成功すると、これがシティの商売気質を刺激しました。すぐにシティの商人70名が出資し、北米との毛皮貿易を目的とした「冒険商人組合」が設立されました。鍛冶屋ギルドのトーマス・ウェストンはその中心人物です。ウェストンはオランダ南部のライデンに宗教的な迫害を受け英国から移民した清教徒が多く、出国を希望していることを知り、急いでライデンの清教徒に会いに行きました。
1920年の米50セント硬貨に描かれたウィリアム・ブラッドフォード
ライデンの清教徒代表のウィリアム・ブラッドフォードは後に米北部のプリマス入植総督になる人で、ウェストンと新大陸への移住条件について話し合いました。清教徒は家族単位での移住を希望し、新しい街づくりに意欲的、渡航する船も清教徒が自ら手配します。ただ一つの弱みは、当座の生活資金がないことでした。そこで生活費の支援を盛り込んだ年季奉公契約が合意され、いよいよ清教徒は集団で新大陸に移住することになります。
新大陸に向かうためオランダを出る清教徒
一方、ウェストンは清教徒だけでなく、入植には土地の開拓に役立つ幅広い職業の人々が必要と考え、国内からも移住者を募集しました。結局、オランダから清教徒41名、英国から年季奉公者40名、そして短期奉公者21名の合計102名が移住することになりました。1620年7月中旬、65名を乗せたメイフラワー号はロザハイズ港を出発し、英南部サウサンプトンでオランダから清教徒を乗せた船と待ち合わせました。しかし、オランダの船が故障したため、メイフラワー号1隻に全員が乗って米ヴァージニア北部に向かったのです。
航海中のメイフラワー号
メイフラワー号が出港したロザハイズに慎ましい清教徒の銅像が立っています。前号でご紹介したヴァージニア埠頭の記念碑と比べると貧相です。それでも、 メイフラワー号を単に移民の輸送船と考えずに、 貿易の自由と信仰の自由、そしてメイフラワー誓約とい う社会契約の理念を米国に運んで世界の発展に貢献した船と考えれば、その清教徒の銅像の輝きが失せることはありません。
ヴァージニア埠頭の記念碑とロザハイズの清教徒像
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