名探偵といえばシャーロック・ホームズ。鹿撃帽にインヴァネス・ケイプをまとい、パイプをくわえたその姿は有名ですが、この推理小説シャーロック・ホームズ・シリーズを愛読するあまり、学問として研究してしまう「シャーロキアン」と呼ばれる人たちがいるのをご存知でしょうか?たかが推理小説と侮ってはいけません。英国だけでなく世界中でホームズを肴に「ゲーム」(知的遊戯)を楽しむシャーロキアンの世界をご紹介しましょう。(清水健)
シャーロック・ホームズとは?
シャーロック・ホームズが活躍する冒険譚は、1887年に発表された「緋色の研究」から1927年の「ショスコム荘」まで、40年にわたり60編(4つの長編と56の短編)が刊行されています。最初の2作「緋色の研究」と「四つの署名」を除く、58作すべてが月刊誌「ストランド・マガジン」に掲載されました。事件の舞台はヴィクトリア女王の大英帝国が最盛期を迎え、それゆえに社会のひずみが犯罪を生み出していた19世紀末。ホームズは1881年に出会った相棒のワトソン医師とともに、ロンドンのベイカー街221Bに拠点を構え、次々と事件を解決していきます。1891年に「最後の事件」で宿敵のモリアーティ教授と決闘して行方不明になりますが、3年後に「空家の冒険」で帰還。1903年に引退してからは、一度だけ第一次大戦前にドイツの諜報網と戦ったのを除き、サセックスの丘で養蜂をしながら暮らしています。
著者のコナン・ドイルとは?
ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルは、1859年にエディンバラで生まれ、イエズス会系のストニハースト神学校からエディンバラ大学医学部に進みました。ここで出会ったジョゼフ・ベル博士がシャーロック・ホームズのモデルとなります。父親がアルコール依存症だったため家は貧しく、ドイルは捕鯨船やアフリカ航路の汽船に船医として乗り込んで家計を支えましたが、この時の体験が後の創作に役立ったのです。やがてポーツマスで開業、その傍ら、小説を書き始めます。ホームズが人気を博すと作家に専念するものの、歴史小説家を自認するドイルはホームズが煩わしくなり、決闘させて葬ってしまいます。しかし読者からの激しい抗議、そして出版社の説得によって、しぶしぶホームズを復活させました。ドイルの歴史小説「白衣の騎士団」や「勇将ジェラール」は忘れられ、皮肉にもシャーロック・ホームズやSF「失われた世界」(映画「ロストワールド」の原作)がいまだに読み継がれています。現実社会でもジョージ・エダルジ事件などで被疑者の冤罪を晴らすために、ホームズばりの推理で尽力。晩年は、第一次大戦で息子を失ってから心霊学に傾倒し、1930年に71歳で没しました。
いざ知的遊戯の世界へ
シャーロキアンとは?
シャーロキアンとは、シャーロック・ホームズの熱狂的なファンのこと。コナン・ドイルが発表した60編を正典「Canon」と呼んで愛読し、名探偵の推理を検証したり、さらに記述の中にある矛盾に対し、いかに理論的につじつまを合わせるかを競う知的遊戯「ゲーム」を楽しんでいます。
ちなみに英国では「ホームジアン」と呼ばれることが多いのですが、これは英国の紳士たちが1960年代までファースト・ネームではなくファミリー・ネームで呼び合うのが一般的だったためです。法廷弁護士やフリーメイソンの会員は、今でもこの伝統を残しています。
シャーロキアンの流派
シャーロキアンは、その傾倒の深さによって流派が分かれています。
1960年代までシャーロキアンといえば、正典の記述を絶対視するのが当然とみなされていました。ホームズの冒険譚はあくまでワトソンの書いたものであり、コナン・ドイルはそれを出版する代理人にすぎないとされたのです。
1970年代以降は「ホームズ学」の範囲が広がり、ホームズとワトソン、さらにドイルを通してヴィクトリア朝という時代の英国が研究されるようになります。正統派を自認する英米のシャーロキアンの中には、ドイルの業績さえ否定する「ファンダメンタリスト」もいますが、多くのシャーロキアンは柔軟な発想とユーモアによって斬新な新解釈や研究を楽しんでいます。さらにドイルがホームズの形成にどのような影響を与えたかを分析する「ドイリアン」もおり、シャーロキアンの楽しみはいくらでも広がっています。
はじめの一歩はここから
シャーロック・ホームズ本の読み方
シャーロキアンの研究は正典に始まり正典に終わる。ということで、シャーロキアンへの第一歩は、まず正典を読むことです。ペンギンやワーズワースからは長編と短編集に分かれた手軽なペーパーバックスから、全60編が1冊に収められた重厚な「The Complete Sherlock Holmes」も出ています。
オックスフォード・ペーパーバックスからは、本家英国の知識を結集した「詳注版シャーロック・ホームズ全集」が出ています。物語のすべてのキーワードに註釈がついており、例えば人名や地名が出てくれば、それが実在か架空か、実在ならその説明を、架空なら関連のある候補を、それぞれ詳述しています。またワインや食事が出てくれば、そのヴィンテージや料理法まで紹介されるという具合で、ホームズの世界を身近にリアルに体験することができます。
オックスフォード・ペーパーバックスからは、本家英国の知識を結集した「詳注版シャーロック・ホームズ全集」が出ています。物語のすべてのキーワードに註釈がついており、例えば人名や地名が出てくれば、それが実在か架空か、実在ならその説明を、架空なら関連のある候補を、それぞれ詳述しています。またワインや食事が出てくれば、そのヴィンテージや料理法まで紹介されるという具合で、ホームズの世界を身近にリアルに体験することができます。大統領に司教まで
こんな人もシャーロキアン!
フランクリン・ ルーズベルト米国 大統領、トルーマ ン同大統領は熱心なシャーロキアンとして有名。SF作家のアイザック・アシモフは「黒後家蜘蛛の会」にシャーロキアンを登場させていますし、現パリ大司教は「ブラウン神父とホームズ」という論文を発表しています。さらに「ナルニア国物語」の作者C・S・ルイスもホームズを愛読していました。また喜劇王チャップリンの初舞台はロンドンで演じられた「シャーロック・ホームズ」です。
日本人では、第一次大戦の講和会議で次席全権を務めた牧野伸顕が「ベイカー街の武術」という論文で、ホームズが使った日本の格闘技「バリツ」について自説を展開しています。吉田茂元首相、探偵作家の江戸川乱歩もホームズを愛読していました。世界中で読み継がれる
シャーロック・ホームズ人気の秘密
推理小説は普通、一度読んで謎を解いたら終わりです。「ミステリーの女王」と呼ばれるアガサ・クリスティの作品はたくさん読まれていますが、シャーロキアンのような研究の広がりはありません。なぜシャーロック・ホームズだけが繰り返し読まれ、「ゲーム」と呼ばれるさまざまな研究が続けられているのでしょうか。
1. さまざまな登場人物と鋭い人物描写
医師と作家、2つの顔を
持っていたドイル
シャーロック・ホームズの冒険譚には、王侯貴族から乞食まで実在・架空の人名が1000人以上、英国人からインド人、オーストラリア人までが登場し、まさに7つの海を支配した大英帝国の縮図となっています。
ドイルはイエズス会系の神学校から医学部に進み、船医として世界を旅し、文学・歴史にも造詣が深かった人物。その豊かな人生経験が生かされた作品の登場人物は実に多種多様です。
またホームズのモデルとなったジョゼフ・ベル博士は、患者を一瞥しただけで職業や出身地を言い当てたと言われます。その驚くべき観察眼をホームズに投影したドイルが、医師と作家という2つの目を通して鋭い人物描写をしていることが、シャーロック・ホームズの魅力の一つとなっています。
2. 卓越した情景描写
「バスカヴィル家の犬」の
舞台、ダートムア
www.britainonview.com
もう一つの魅力が、ロンドンの街並みから英国の田園風景まで、さまざまな風景がしっかりと描かれていて、ホームズとともに事件を推理しながら情景を思い浮かべられることです。「バスカヴィル家の犬」では、イングランド南西部ダートムアの荒涼とした風景の描写が、読者を事件の舞台へと引き込みます。また辻馬車が行き交うロンドンの街角、世界中からやって来た移民の集まる下町の雰囲気など、それぞれの都市や地域が臨場感をもって描かれています。ロンドンやダートムアを始め、事件の起こった舞台を訪ねて「現場検証」するのもシャーロキアンの楽しみです。
そしてこの描写の累積性こそが、古典的な推理小説の神髄なのです。これに対し、例えばヴィクトリア朝を代表する作家、チャールズ・ディケンズはジャーナリスト出身ゆえに社会を鋭く観察していますが、「オリバー・ツイスト」など貧しい人々の生活に主眼がおかれ、描写される情景の幅がやや限られています。
シャーロック・ホームズに匹敵するとも言われるエルキュール・ポアロやミス・マープルが活躍する著作で知られるアガサ・クリスティも、その風景描写はトリックの謎解きにつながる狭い空間に限られがちです。
このように、シャーロック・ホームズでは全60編にヴィクトリア朝の英国、人々の息遣いと情景、そして世界が凝縮されているからこそ、尽きない研究対象を提供してくれるのです。
こんなことを研究しています
シャーロック・ホームズ人気の秘密
シャーロキアンには弁護士から医者、学者などさまざまな知識人が集まっており、それぞれが専門を生かした研究を発表しています。例えば、ホームズが解決した事件は法的にどのような扱いになるのかを調べる弁護士もいれば、作中に出てくる動物の行動を分析する動物学者、大英帝国の金融政策を論じる経済学者もいます。「赤毛組合」事件で、ホームズは路面をステッキで叩いて地下にトンネルがあることを知るのですが、人間の聴力でそれが可能なのかをトンネル工事の現場で音波探知機を使って検証した日本人公務員もいます。
また正典の中には日付が矛盾する記述があるのですが、これを当時の新聞記事や気象情報、劇場の演目などから逆算して特定していく「年代学」という分野もあります。大学院で応用数学を専攻していた私は、ホームズの宿敵モリアーティ教授に「小惑星の力学」という著書があるという記述から、19世紀末に発表された実在の学術論文を基にその架空の著書の再現を試みました。
ホームズは柔術の達人だった!?
ホームズと日本のつながり
「バリツ」でモリアーティ教授
を打ち負かすホームズ
シャーロック・ホームズと日本の間には、実は少なからぬ縁があります。まず挙げられるのが、宿敵モリアーティ教授との決闘でホームズを救った日本の格闘技「バリツ」。このバリツとは、バートン・ライトという英国人が柔術を基に考案した護身術で、「バートン流の柔術」から名付けられたものです。
そして「高名な依頼人」には「聖武天皇について、奈良の正倉院との関連はご存知ですか?」という問いがあります。ドイルはなぜ、日本についてこのように正確な知識を持っていたのでしょうか。ここで注目したいのが、ウィリアム・バートンという明治時代のお雇い外国人です。ドイルは少年時代、父親がアルコール依存症だったため、バートン家に預けられていました。そこにウィリアム少年がおり、生涯交友が続きました。バートンは東京帝国大学の工学部教授に招かれ、日本の下水道を整備し、日本初の高層建築「凌雲閣」(浅草十二階)を建設する傍ら、日本各地で撮った写真をドイルに送っていたのです。
シャーロキアンの殿堂
シャーロック・ホームズ協会とは?
昨年の晩餐会には俳優、
スティーブン・フライが出席
同じ年に英国で結成されたシャーロック・ホームズ協会(SHSL)は、戦争のためしばらく活動を停止していましたが、1951年のホームズ展をきっかけに再結成されました。この時、熱心なシャーロキアンであったマリルボン図書館の司書が、ベイカー街にホームズとワトソンの居間を再現したところ大人気だったことから、後に米国、そして日本でも展示されました。これは現在、ロンドンのチャリング・クロス駅近くにあるパブ「シャーロック・ホームズ」の2階で見ることができます。
シャーロック・ホームズの誕生日は1854年1月6日とシャーロキアンの間では考えられており、SHSLは毎年1月初めの土曜日に国会議事堂で晩餐会を開いています。
登場人物の扮装を楽しむフランスの
シャーロキアン
日本で初めてのホームズ同好会は、1948年にBSIの支部として結成された東京バリツ支部とされています。このバリツ支部は、ピカデリー・サーカスにある「クライテリオン・バー」(現在はレストラン)にロンドンで初となるホームズを記念する銘板を贈るなど、シャーロキアンの歴史に名を残していますが、ごく限られたサロン的な集まりでした。広く門戸を開いた組織としては、日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)が1977年に結成され、会員数は1000人を超えて世界最大となっています。
この他、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダを始め、ホームズを研究する団体は世界中で活動しており、 それぞれ研究を発表し、交流を深めています。
シャーロック・ホームズ協会
かつて男性のみの閉鎖的な紳士クラブであったホームズ協会も、現在ではシャーロック・ホームズを愛読するすべての男女に門戸が開かれています。興味のある方は下記にご連絡を。
● ロンドン・シャーロック・ホームズ協会
Robert J. Ellis 13 Crofton Avenue, Orpington, Kent BR6 8DU
E-mail:
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www.sherlock-holmes.org.uk
日本シャーロック・ホームズ・クラブ事務局
〒178-0062 東京都練馬区大泉町2-55-8
www.holmesjapan.jp
協会関係者にインタビュー
シャーロック・ホームズ・ コレクション司書 キャサリン・クックさん
ヴァイオレット・スミスに
扮したクックさん
ベイカー・ストリート駅近くにあるマリルボン図書館 には、シャーロック・ホームズ・コレクションがあります。ここの司書を務め、ご自身もシャーロキアンであるキャサリン・クックさんにお話を伺いました。
─シャーロック・ホームズ・コレクションとは何ですか。ホ ームズ協会(SHSL)とは関係があるのでしょうか
シャーロック・ホームズの住んでいたベイカー街のあるマ リルボン区には、1951年のホームズ展をきっかけにホーム ズ関連の資料が集められました。それを基に1970年代半ば にマリルボン図書館にシャーロック・ホームズ・コレクションが公式に発足しました。SHSLとは公式な関係はありませんが、ホームズ展以来、会員有志が協力を続けています。
─どうやってコレクションの司書になられたのですか
マリルボン図書館の司書となってから1年後、私がホームズを愛読していることを知った前任者からコレクションを任せられました。
─初めてシャーロック・ホームズを読んだのはいつですか
8歳の時、兄と一緒にBBCでダグラス・ウィルマー主演のホームズ・シリーズを観てすっかり魅せられてしまいました。家にホームズの本があったので、読み始めたのです。
─好きなホームズの冒険譚ベスト3を挙げてください
たった3つですか? そうですね……
「悪魔の足」
これはウィルマー主演のホームズで最初に見たエピソードなので、思い出深いのです。
「孤独な自転車乗り」
SHSLではヴィクトリア朝の衣装で事件の舞台を訪ねるツア ーを行うのですが、私はこの作品の登場人物、ヴァイオレット・スミスに扮しています。
「バスカヴィル家の犬」
舞台の背景となるダートムアの情景の描写と物語が素晴らしいの一言に尽きます。
─好きな登場人物は
ヴァイオレット・スミスです。音楽好きで行動力があるところなど、私と共通点が多いからです。
─最も印象に残っている出来事は
1998年に日本の鎌倉で開かれたJSHCの大会に出席したことです。これがなければ日本を訪れることもなかったでしょうし、多くの素晴らしいシャーロキアンと出会うこともなかったでしょう。私たちのために研究発表には通訳がつけられ、その温かい歓迎に感激しました。このときに知り合ったシャ ーロキアンたちとは、今でもロンドンや米国で会っています。
ホームズをめぐる意外な真相
1. ホームズのせりふとして有名な「初歩的だよ、ワトソン君」(Elementary, my dear Watson)、実は原作にはありません。これは舞台でホームズ役を演じた俳優、ウィリアム・ジレットによって編み出されました。
2. トレードマークの鹿撃帽とインヴァネス・ケイプの記述は原文にはありません。「ストランド・マガジン」誌に掲載された際に挿絵を描いたシドニー・パジットがつけ加えたものです。
3. ホームズの母方の祖母は、実在のフランスの画家オラス・ヴェルネの妹とされています。これは「ギリシャ語通訳」でホームズ自らがそう語ったためです。
4. ホームズはフランス大統領からレジオン・ドヌール勲章を受けていますが、「ブルース・パティントン設計書」事件において、英国政府からの叙勲は辞退しています。そのため、フランス人のシャーロキアンの中には「ホームズはフランス愛国者である」と主張する人もいます。
5. 当時のベイカー街は85番地までしかありませんでした。ホームズが住んでいたとされる221番地が登場したのはベイカー街がアッパー・ベイカー街と一続きになった1930年のことです。
6. コナン・ドイルは1902年、ナイト爵を叙勲されます。しかしそれはホームズのおかげではなく、ボーア戦争における医師としての活躍が認められたためでした。ちなみにアガサ・クリスティは作家として 叙勲されています。
写真右)221B番地にあると主張している シャーロック・ホームズ博物館 www.britainonview.com
BBCワールド日本語部放送通訳者。中学生の時からシャーロック・ホームズを読み始め、英国留学をきっかけにロンドンのホームズ協会に入会してシャーロキアンとして活動し始める。各国のホームズ協会の会報誌や大学の紀要で研究を発表。代表作に「三体問題―モリアーティ、小惑星の力学、ポアンカレ」など。