Fujitsu 202406
独断時評


過去を水に流さないドイツ人

ドイツ1月25日は、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が、1945年にソ連軍によって解放された日だ。今年もこの日、ドイツ各地で追悼式典が催された。アウシュビッツのガス室で殺害されたり、飢えや病気で死亡したりした約300万人の犠牲者を悼むためである。

歴史上、大量虐殺を行った民族は他にもある。しかし、ナチスはニュルンベルク人種法という法律によってユダヤ人を社会から疎外し、欧州各地から綿密なスケジュールに基づいて列車で強制収容所に整然と送り込んだ。そして、まるで工場の流れ作業のような手法を用いて、600万人を超える人々を殺害したのだ。このような民族は他にない。この意味でドイツ人が実行したホロコーストは、人類の歴史上例のない犯罪である。

ドイツの心ある人々はそのことを理解しており、敗戦から60年以上経った今でも追悼式典やマスコミの報道などによってドイツ人の名の下に犯された罪を心に刻む作業を続けている。

彼らは半世紀以上にわたって歴史教科書の内容を他の欧州諸国やイスラエルと協議して、双方にとって受け入れられる内容にしようと努力してきた。ユダヤ人虐殺のように悪質かつ計画的な殺人については刑法を改正して時効を廃止し、虐殺に関与した者が生きている限り、訴追の手を緩めない。

政府と企業は虐殺された市民の遺族、強制労働の被害者らに総額10兆円を超える賠償金を支払ってきた。ベルリンの「償いの証(Aktion Sühnezeichen)」のようなNGO(非政府機関)は、被害者たちが住む国々にボランティアを送って彼らに救援の手を差し伸べ、若者たちに過去を心に刻む作業を行わせている。

ドイツ人は日常生活ではあまり謝らないが、連邦政府はナチスの問題については徹底的に謝り続けて来た。故ブラント首相は、ワルシャワ・ゲットーの追悼碑の前で膝まずき、全身で謝罪の姿勢を表わした。その精神は歴代のドイツ政府に受け継がれている。

ドイツは10カ国と国境を接しているが、これらの国々のほとんどはナチスが侵略した国である。したがって、戦後旧西ドイツが生き残るためには、ナチスを糾弾し、「忌まわしい犯罪を二度と起こさない」という姿勢を行動で示さなくてはならなかった。彼らが60年以上前の出来事を今も繰り返し思い起こすのは、過去を水に流さないという姿勢が社会の主流 に属する人々の間では、アイデンティティーの一部 になっているからである。

ドイツには少数とはいえ、外国人に暴力をふるったり、ホロコーストの事実を否定したりする極右勢力が存在する。一部のネオナチ政党は外国人を社会保障制度から締め出すことを綱領に堂々と掲げている。旧東ドイツ地域では、こうした政党に票を投じて、州議会に議席を持たせる有権者が増えている。イスラエルのパレスチナ政策にからめて、ユダヤ人を公然と批判する論客も目立ってきた。

その意味でナチスの犯罪は、ドイツ社会に今も大きな影を落としており、民主主義を守るためには無視できない問題なのである。

9 Februar 2007 Nr. 649

最終更新 Dienstag, 27 Januar 2015 12:32
 

クルナツ事件の謎

ドイツ連邦政府のシュタインマイヤー外務大臣が、就任以来最大の苦境に追い込まれている。

問題の発端は、ブレーメン生まれのトルコ人、ムラート・クルナツ氏が2001年の同時多発テロの直後に、ドイツからパキスタンへ旅行したことだ。当時19歳だった彼は「コーランを現地の学校で学びたかった」と言っているが、過激なイスラム思想を持ち、原理主義者とコンタクトがあったことからパキスタンの捜査当局に逮捕され、米軍に引き渡された。彼は4年半にわたって米軍の悪名高きグアンタナモ収容所に拘留された。

米軍はテロ組織のメンバーやタリバン政権の兵士とにらんだ人物を、「非合法な敵の戦闘員」と定義し、起訴もせず、弁護士や赤十字の接見も認めないまま無期限にこの収容所に拘留している。ブッシュ政権は当初、戦争捕虜に適用されるジュネーブ協定すら、グアンタナモの収容者には適用しなかった。クルナツ氏は、「拘留中に米軍によって拷問を受けた」と証言している。

米中央情報局(CIA)の活動について調査している欧州議会の特別委員会は、「02年末に米国がクルナツ氏を条件付きで釈放したいという意向をドイツ政府に伝えたが、ドイツの関係省庁が、この申し出を拒否した」と指摘し、政府関係者や国民に強い衝撃を与えた。

つまり、米国もクルナツ氏がテロリストである証拠を見つけることができなかったにも関わらず、連邦情報局や内務当局はクルナツ氏のドイツでの滞在は望ましくないと判断して、彼が再入国の許可を取れないようにしたというのだ。これが事実ならばドイツ政府はクルナツ氏のグアンタナモでの不当な拘留を長引かせたことになる。

シュタインマイヤー外相は、当時連邦首相府の長官として連邦情報局を監督する立場にあった。大臣は、「米国からそのような申し出はなかった」と述べ、疑惑を全面的に否定している。だがこの指摘がもし事実ならば、連邦政府は通常の法律が届かない収容所でクルナツ氏が味わった精神的、肉体的な苦しみを間接的に引き伸ばしたことになる。シュタインマイヤー氏が当時この問題について連絡を受け、クルナツ氏の帰国を阻む工作に関与していたことを示す証拠が見つかったら、彼は外相を辞任することを迫られるかもしれない。

メルケル首相はシュタインマイヤー外相を後押しする発言をしているが、連立政権を構成するキリスト教民主同盟(CDU)の議員らの間では、外相に距離を置く姿勢が見られ始めた。ドイツ政府は米国政府に対して、「グアンタナモ収容所は人道主義と法治国家の原則に反するので、ただちに閉鎖するべきだ」と訴えてきた。もしもドイツの政府関係者が、クルナツ氏を「厄介払い」するために再入国の道を閉ざしていたとしたら、自己矛盾も甚だしい。

この種の事件には各国の諜報機関がからんでいるので、機密資料がなかなか公表されず、白黒がつけにくいという問題点がある。シュタインマイヤー外相を失脚させようという政治的な思惑も背景にあるだろう。だがドイツ政府が重視している人権に関わる問題だけに、連邦議会は具体的な証拠をできる限り明るみに出し、疑惑の解明に全力を挙げて欲しい。

2 Februar 2007 Nr. 648

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:55
 

トルナードは出撃するか

トルナードは出撃するか昨年のクリスマス直前にベルリンに舞い込んだ1通のファクスが、大連立政権に難しい問題をもたらしている。連邦軍はトルナード戦闘機に高性能のレーダーを搭載した偵察機を持っているが、北大西洋条約機構(NATO)はドイツに対して、この偵察機6機を数カ月にわたりアフガニスタンに投入することを要請してきたのだ。

ドイツは昨年連邦議会が行った決議に基づき、約3000人の将兵をアフガニスタンに派遣している。だが、連邦議会はその活動を治安が比較的良い北部に限定することを、派兵承認の条件としてきた。だがNATOはトルナードの偵察地域に、タリバンとの激しい戦闘が続いている南部も含めることを求めている。ドイツは偵察機の乗員や整備員250人を、追加派遣しなくてはならない。

この要請を受け入れるかどうかについて政治家たちの意見は割れている。政府側は、「トルナード投入は、アフガニスタン派兵に関する連邦議会の決議でカバーされており、新たな決議はいらない」と主張している。これに対し、キリスト教民主同盟(CDU)のカウダー院内総務は、「議会で審議する必要がある」として拙速を戒めている。初めは「新たな決議はいらない」と主張していた社会民主党(SPD)のシュトゥルック院内総務も、意見を変えて、議会での再審議を求めている。さらに、アフガニスタンへの介入拡大に慎重な緑の党は、連邦議会がトルナード投入を承認した場合、 連邦憲法裁判所に提訴する構えを見せている。

元々ドイツがアフガニスタンに軍を派遣した目的は、市民や復興援助組織をタリバンから守り、戦火で荒れた国土の再建を促進することだった。ソ連が撤退した後、この国は内戦で荒廃し、タリバン政権はアルカイダに保護を与えていた。この国がテロリストの巣窟に戻り、9・11のようなテロが再発するのを防ぐためにも、ドイツが平和維持任務に参加することは正しい。

だがタリバンは、昨年から南部を中心にNATOに対する攻撃を強めており、都市での自爆テロの数も増えている。NATOの攻撃によって、タリバンとは無関係の市民が巻き添えになって殺傷される事件も起きていることからアフガニスタン人のNATOに対する不信感も強まっている。軍事関係者の間では、「今のままではアフガニスタンを平定することはできず、イラクのような状況になる」という危惧さえ出ている。英国やカナダなどタリバンとの戦闘で多くの死者を出している国からは、今後ドイツに対して「もっと軍事貢献をしてほしい」という声が強まる可能性が高い。

こうした批判をかわすためにも連邦政府は時期を限定してトルナードの投入に踏み切る可能性が強い。だがドイツがこの決定によって、アフガニスタンの泥沼に、さらに深く足を踏み入れることも事実だ。ドイツは対テロリスト戦争にどこまで関与するべきなのか。国民的な合意を得るためにも連邦議会でとことん議論を行い、新たな決議を採択する必要があるだろう。

26 Januar 2007 Nr. 647

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:55
 

シュトイバー体制の終焉?

ヴィルト・バートクロイトバイエルン州のヴィルト・バートクロイトは、テーゲルン湖に近い風光明媚な土地である。ここでキリスト教社会同盟(CSU)の執行部は、毎年1月に恒例の戦略会議を開催する。はるか彼方にアルプスの山並みを望む静かな村は、日常の雑務から切り離されて、じっくりと党の路線を話し合うのに適した環境である。

だが今年のヴィルト・バートクロイト会議は、ふだんと異なる興奮の中で開かれた。CSUそしてバイエルン州に13年間にわたり君臨してきた、エドムント・シュトイバー州首相の支配体制が大きく揺さぶられているからだ。

巨人ゴリアテに石を投げたダビデは、フュルトの郡長であるCSUの党員、ガブリエレ・パウリ氏。彼女は、シュトイバー氏の指導力に疑問を投げかけ、2008年の州首相選挙に立候補するべきでないと公言していた。ところが昨年の暮れに、シュトイバー首相の秘書室長が、知人に電話をかけて、パウリ氏の私生活についての情報収集を行っていたことが分かり、辞任に追い込まれたのだ。彼女は、「シュトイバー首相は秘書室長の行為を知っていたに違いない」として、CSU執行部が遺憾の意を表わすよう求めるとともに、シュトイバー氏に対する批判のオクターブを上げている。

経済政策の成功によって、バイエルン州で絶大な人気を誇っていたシュトイバー氏だが、05年の連邦議会選挙の前後の行動については、CSU党内でも批判の声が出るようになった。特に、「旧東ドイツの州はバイエルンを見習うべきだ」という趣旨の発言をしたことは、CDU/CSUが選挙で得票率を減らす原因の1つとなった。さらに、当初は大連立政権で閣僚になるという意向を示していたにもかかわらず、結局バイエルン州首相のポストに留まった優柔不断な態度も多くの党員の首をかしげさせた。今やCSUの中でも、「そろそろシュトイバー氏の後継者を探したほうが良いのでは」という声が、密かにささやかれている。

パウリ氏は、「08年にシュトイバー氏を州首相候補に選ぶ前に、CSUの党員に氏が候補として適格かどうか、アンケートを行うべきだ」と主張している。そうすれば、多くの党員がシュトイバー氏を支持していないことが明らかになるというのである。初めはパウリ氏を無視していたシュトイバー首相も、党内の動揺を意識して、パウリ氏をミュンヘンの州首相府に招いて話し合いを行うという柔軟姿勢を見せた。草の根の一党員が投げた石の波紋は、確実に広がりを見せているのだ。

これに対しヴィルト・バートクロイト会議の後、CSU執行部は「次回の選挙でも我々は一丸となって、シュトイバー氏を州首相候補として支持する」と結束を強調した。会議に参加したCSUの重鎮らが、ふだんよりも声高に、シュトイバー氏の功績を賞賛したことは、党内の動揺を必死に隠そうとする試みのようにも見えた。だがシュトイバー氏が、得票率低下の元凶になるとしたら、CSU執行部にとってもマイナスである。「王様は裸だ」と叫んだ1党員の批判がきっかけとなって、今年66歳になる白髪の政治家が、表舞台を去る瞬間が近づいているようだ。

19 Januar 2007 Nr. 646

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:56
 

メルケル首相、苦難の道

ドイツ「現在進行中の改革の成果は、決してすぐに出るものではありません。新しい法律が施行された日から、直ちに効果が現われるわけではなく、時間がかかります」。メルケル首相は、国民に向けた年頭所感演説の中で、こうした言葉を使って市民に忍耐を求めた。この演説には首相の政府内で置かれている苦境ぶりが、にじみ出ていた。

特にメルケル首相の立場を苦しくしているのが、この国始まって以来の抜本的な健康保険制度改革が難航していることだ。キリスト教民主同盟(CDU)内のライバルである州首相たちが、改革案に疑問を呈し始めているほか、市民や経済界からも不満の声が上がっている。改革が実現すると、公的健保に加入している人、民間健保を持っている人、双方にとって負担が増大する。保険会社や医師たちも改革に反対している。

また経済界は、健康保険料が労働コストから切り離されて、企業の人件費負担が軽減されることを期待していたのだが、少なくとも短期的には健康保険料が引き続き企業の負担となりそうな情勢だ。「メルケル首相の言うことは立派だが実行が伴わない。彼女はドイツのサッチャーにはなれない」。ドイツ人の間では、こんな批判がささやかれている。

メルケル首相は、失業率が低下していることを成果の一つとして挙げているが、これは前任者のシュレーダー氏が実現した労働市場改革「ハルツ Ⅳ」と、一部の企業が雇用削減に歯止めをかけたことが主な理由であり、彼女の功績ではない。

ロシアの天然ガスに依存することの危険性が、ますます明らかになる中、エネルギー問題に国民の関心が集まりつつある。前のシュレーダー政権が推進した脱原子力政策を変更して、一部の電力会社が求めている、原子炉の稼動年数の延長を認めるべきか、否か。メルケル首相は、これまで先延ばしにしてきたこの論争に決着をつけなくてはならない。だがメルケル首相が、原子炉稼動年数の延長を求めるCDU側の主張を認めれば、社会民主党(SPD)が反発して、政権内に深い亀裂が生じるかもしれない。

私はメルケル政権が誕生した2005年秋から、「大連立政権の首相には、重い足かせがはめられており、十分な指導力を発揮できない恐れがある」と主張してきたが、そのことが現実になりつつある。もともと科学者だった彼女はシュレーダー氏と違って、独断的に振る舞わず、関係者の主張に冷静に耳を傾ける性格を持っており、調整役としては適した人材だ。だが首相は、しかるべき時には反対意見を押し切って決断する胆力を持たなくてはならない。

ドイツは今年、欧州連合(EU)の議長国を務める。メルケル首相は、フランスの国民投票で否決されて「死に体」になっているEU憲法条約を復活させることを重要な目標として掲げているが、国民はむしろ彼女に内政面で勇断を求めている。「外交が忙しいから」という言い訳を使わずに、メルケル首相が国内政治の舞台で強いリーダーシップ を発揮することを期待する。

12 Januar 2006 Nr. 645

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:56
 

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