日本クリケット協会事務局長
宮地直樹さん
[ 後編 ] 海外遠征や国際親善試合など、学生時代からクリケットを通じて世界各国の人々との交流を深めてきた宮地さん。東日本大震災の発生後、クリケットで培った国際的な人脈を最大限に活用して、あるプロジェクトを立ち上げる。全2回の後編。
みやぢなおき - 1978年9月16日生まれ。栃木県出身。慶応大学。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院修了。2000年にクリケットの日本代表選手に初めて選抜される。その後、オーストラリアのメルボルンやロンドンのクリケット・クラブでプレー。2008年より日本クリケット協会事務局長に就任。今年9月12日、日本におけるクリケットの普及活動を称える動議がスコットランド議会で可決した。日本クリケット協会の「CRICKET FOR SMILES 東日本大震災復興支援事業」によって、クリケットを通して被災地の子供たちに笑顔を届ける活動を実施している。
www.cricket.or.jp/cricketforsmiles/aid
クリケットを普及させることで
「国民が楽しむ環境を作るのが役目
2011年3月11日、東日本大震災が発生。そのとき宮地さんは、ニュージーランドから招聘したクリケットの日本代表コーチとともに東京にいた。同年2月末に発生した同国南部クライスト・チャーチでの大地震のチャリティー・イベントについて関係者に企画説明を行った帰り道で起きた自国での大地震。その後、このプロジェクトの目的は東日本大震災の復興支援に変更されることになる。
幼いころにクリケットの道具一式を買いそろえてくれた宮地さんの母親は、宮城県の七ヶ浜町で暮らしていた。震災を生き延びた彼女は、間もなくして現地で編み物教室を開く。「自分は何ができるか」と宮地さんは自問した。食糧を供給したり、暖を取る場所を確保したりといった形で被災者の生存に不可欠なものを用意する能力はない。その代わり、復興に向けての歩みが始まったら、被災地の子供たちと一緒にクリケットを楽しもう。そもそも宮地さんが事務局長を務めるクリケット協会は、クリケットの普及を通して国民がスポーツを楽しむ機会を増やすことを目的とする非営利組織団体(NPO)。「こういうときに何もできなかったら、公共性の高いNPO法人としては何をやっていることになるのだろうと思いました。被災地の方々も『子供たちの笑顔や笑い声が一番の力になる』と言っていたので、被災地の子供たちにクリケットを楽しんでもらうためのプロジェクト『CRICKET FOR SMILES』を始めたんです」。
宮城県気仙沼市で「CRICKET FOR SMILES」の
一環として開かれたクリケット教室
被災地の学校では、仮設住宅の設置などで校庭や体育館の一部または全部が使えない状態となっていた。つまり、子供たちが休み時間や放課後の楽しみとしていたサッカーや手打ち野球などの遊びに興じることができない。そんな環境の中では、目新しく、運動神経の有無を問わず、安全なプラスチックのバットとゴム・ボールを使って、柔軟にルールを変更すれば限られたスペースでも楽しむことができるクリケットが、子供たちに笑顔を取り戻させるための数少ない身体を動かす遊びとなる。宮城県気仙沼市の教育委員会に相談すると、同委員会が呼び掛けた「CRICKET FOR SMILES」の研修会には、同市にあるほぼすべての小中学校の教育関係者が参加し、各学校でクリケット教室が開かれるに至った。
「クリケットのネットワークは
広さと深さを兼ね備えています」
「スコットランド議会は、『CRICKET FOR SMILES』を発展させた宮地氏と日本クリケット協会を称賛する」。2012年9月12日付で可決された動議に記された文だ。「本当に称賛されるべきは私じゃなくて、クリケットを軸に展開するグローバル・ネットワークですよ」と宮地さんは言う。CRICKET FOR SMILESの支援者たちの顔ぶれが、その言葉を裏付けている。ドバイのインド人やスコットランドの学校から贈られたクリケット用具、上海在住のスコットランド人や復興支援基金を運営する英国在住のニュージーランド人からの寄付金がこのプロジェクトを支えているのだ。
9月にスコットランド議会で実施された
「クリケット・フォー・スマイルズ」のPRイベント。
写真左端が宮地氏を称賛する動議を
スコットランド議会に提出したアレックス・ジョンストン議員
「日本ではクリケットのつながりって本当に狭いですが、世界においてはそのネットワークは広さと深さを兼ね備えているんですよ」。そしてクリケットが「マイナー・スポーツ」として扱われる極東の地で暮らす彼自身もまた、その広大で深淵なネットワークの一部分なのである。