髙木慶嗣さん
[ 前編 ] 世界情勢、ビジネス、文化などを網羅した、英国発のグローバル情報誌「Monocle(モノクル)」。かつて建築・ファッション誌「Wallpaper*」を立ち上げ、一世を風靡したタイラー・ブリュレ氏が次なる情報発信の場として築き上げたモノクルには、同氏の意思を形にする日本人デザイナーがいる。全2回の前編。
たかぎよしつぐ - 信州・長野県生まれ。中学卒業とともに単身渡英。英南東部ミルトン・キーンズの私立高校で学んだ後に、美術大学のファンデーション・コースに進む。ギャップ・イヤーで1年間、日本各地を放浪。その後、セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでプロダクト・デザインを専攻する。卒業後、タイラー・ブリュレ氏のデザイン会社、ウィンクリエイティブに入社。創刊メンバーの一人として、タイラー氏が編集長を務める「モノクル」に参加、現在はシニア・デザイナーとしてプロダクト・デザイン全般を手掛けている。
メディア業界の風雲児とともに働く
清潔感漂う白壁に、木目も鮮やかなオーク材のカウンターとスツール。明るく有機的な空間に、ペンダント・ライトやコーヒー・マシン、持ち帰り用のカップといった、ところどころに配された黒色が、鮮やかな洗練の軌跡を残す。心地良い空気に満ちていながらも、隙のない、研ぎ澄まされた「目」の存在を感じさせるカフェだ。
ロンドンに4月、オープンしたばかりのモノクル・カフェ
2007年創刊。世界情勢やビジネスから、文化、ファッション、リテールまで、多方面にわたるトレンドを切り取る情報雑誌「モノクル」の活動範囲は、雑誌という枠を超えている。ウェブサイトでは独自取材によるフィルムや24時間ネット・ラジオを展開。他ブランドとのコラボ・アイテムやバックナンバーを取り扱う「モノクル・ショップ」は、世界数都市に点在する。ともすれば雑多な印象すら抱かせかねないこの多角展開メディアが、その立場を確立している理由、それは、編集長タイラー・ブリュレ氏の存在にある。建築・ファッション分野のアイコン的雑誌「Wallpaper*」の生みの親が、より広範な「今」を伝え、自身が「良い」と思うモノを扱うメディア、モノクル。ここには、タイラー氏の望むイメージを具現化するため活動する日本人デザイナーがいる。シニア・デザイナーとして、誌面以外のプロダクト・デザインを担当。4月、ロンドンのマリルボーンにオープンした「モノクル・カフェ」の内装プロデュースも手掛けた、髙木慶嗣さんだ。
「一点集中」でデザイナーに
長野県出身の髙木さんが渡英したのは、中学卒業直後。両親や兄、姉が英語を話す環境にいた髙木さんは、英語力を身に付けるため、単身、ロンドン郊外ミルトン・キーンズにある私立高校に入学した。「英語は全然分からなかった」という彼は、入学早々、大胆な行動に出る。「校長先生のところへ行って、『勉強しても無理なものはしたくない。やりたい科目だけ集中してやらせてくれ』って交渉したんです。そうしたら私立だったこともあって許可が下りて」。日本人だけで固まるのを好まず、英国人の友人と一緒にいて英語力向上に努める一方で、授業は「しゃべらなくていいから」とアート系の科目のみを選択。自らの性格を「一点集中型」と言う髙木さん、一点集中の甲斐あってか、好成績を収め、1年半後には大学のファインアート学科のオファーを得る。しかし、多様な形態のアートを学ぶため、いったんファンデーション・コースへ。「細かな手作業が好きだったので、絵描きよりプロダクト・デザインだ、と思って」、名門セントラル・セント・マーチンズでプロダクト・デザインを専攻した。そして卒業後、Wallpaper*を去り、次の雑誌の創刊に向けて動き出していたタイラー氏のデザイン会社、ウィンクリエイティブに入社する。
「Wallpaper*のことは知っていましたが、タイラーが創刊者だとは知らなかったんです。面接でいい人だな、というのは分かりましたけど(笑)」。新雑誌立ち上げの際、新人が採用されることは稀だが、日本のクライアントが増えつつあり、日本人スタッフの必要性を感じていたのだろうと髙木 さんは分析する。「タイラーは、クライアントの意思が分かる人間を手元に置いておきたいというタイプ。タイミングが合致したということでしょう」。あとは何より「意欲」。「お金は求めていない、経験を求めているから、色々な経験をさせてほしいと訴えた意気込みが買われたんだと思います」。
幅広い分野のトレンドを鋭く切り取る「モノクル」
デザイン・アシスタントとして入社。創刊までの1年で、日本含めパリ、ミラノなど世界10都市を回った。「様々な場所に飛ばされました。ある意味、甘やかされていたんでしょうね」。こうしてがむしゃらに働いているうち、2007年2月、「モノクル」創刊のときを迎える。