スズキ・ユウリさん
[ 後編 ] 自分が面白いと思えるものを全く見つけることができなかったという日本の大学に見切りをつけ、ロンドンへとやって来たスズキさん。名門の美術大学で充実した学生生活を送るが、卒業後、就職するに際して新たな壁に直面する。大好きな街であるロンドンで、アーティストとして暮らしていくために必要なものとは。全2回の後編。
すずきゆうり - 1980年生まれ、東京都出身。芸術ユニット「明和電機」のアシスタントとして活動後に渡英。2008年にロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の修士課程を修了。以後、ロンドンを拠点とし、作品制作に加えてRCAなどでの指導に携わる。13年11月からはテート・ブリテンでジューク・ボックスをテーマとした作品の展示を開始。展示室で作品制作の実演を行うことも。
Juke Box meets Tate Britain: Yuri Suzuki
2月28日(金)まで 10:00-18:00 無料
Tate Britain
Millbank, London SW1P 4RG
www.tate.org.uk
やっと居場所を見つけた
企業デザイナーの養成校と化していた日本の大学の美術学科を抜け出し、いざロンドンへ。代わって通い出した名門美術大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)には、まさに自分が求めていた空間があった。「要は何をやっても良いのです。逆に言うと、自分が何をやりたいのか見つけられなければそこで終わりという世界。新鮮でした」。
例えば「ラジオをつくりなさい」という課題が出る。インダストリアル・デザインとインタラクション・デザインを習得するための絶好の課題なのだが、具体的にどんなデザインにするかは全くもって自由。誰がいかなる用途で使うのか目一杯の想像を膨らませながら夢に描いたラジオをひとまず完成させると、次に出てくる課題が「ラジオ局が星の数ほど存在する現代における新しい選局方法を考えなさい」。脳みそが汗をかくほどに知恵を出し、アイデアを具現化させるという毎日が続く。
しかも、指導を行うのはデザイン界の第一人者たちばかり。壁に突き当たったスズキさんを自宅に招き、2人きりで半日にわたってアイデア出しに付き合ってくれた先生もいた。彼らの下で指導を受けた時間は「真の意味での財産」だ。
様々な道具が散乱した、RCAでのスズキさんの作業机
ロンドンで暮らす理由
スズキさんが在籍していた当時、RCAにはほかにも複数の日本人学生がいたというが、今でもロンドンに残り、しかもアーティスト活動を続けているのはスズキさんただ一人。当初からロンドンで暮らすことを予定していたわけではない。在学中にいくつかの日本または英国の企業から声を掛けられていたにも関わらず、リーマン・ショックですべて内定取り消しとなったのだ。企業への就職とは違う活動形態を模索せざるを得ない状況になった。
また自身の卒業制作が、ロンドンを中心とする各地で展示する幸運に恵まれたというのも英国に留まることになった理由の一つ。ある展示を終えると、また別の場所から声が掛かって作品を移動させるというのを一年ほど続けた。「お金は全然出ないですけど、モチベーションにはなりました。ロンドンでやっていくことができそうかな、と思い始めた時期ですね」。
それから約5年が経過した。今はテート・ブリテンでの自作の展示に加えて、卒業校であるRCAを始めとする教育機関での指導や、美術館などで開催されるワークショップやレクチャーへの出演、広告制作などに携わりながら日々の生活を成り立たせている。「様々な種類のおかずが詰まったお弁当箱みたい」と表現する忙しない毎日を支えているのは、「面白いと思える仕事をしている」という実感だ。
テート・ブリテンでレコードを焼く
サウンド・アーティストとして活動するスズキさんにとって、ロンドンから発信される音楽は「面白くてしょうがない」のだという。「英国で起こっていることを面白いと思えないのであれば、この国で暮らしている意味がないのではないか」とさえ思う。作品をいったん完成させてしまえば次の活動に移行することができる多くの現代アーティストたちとは違い、スズキさんが重い機材を持ち運びながら手掛けるアートは、展示が始まってからも点検と修理作業に追われ、展示終了後には作品の保管場所や処分方法に頭を悩ますことになる。でも、そこには日本での学生時代には見いだすことができなかった「何か面白いこと」がいっぱい詰まっているのだ。「訓練して何かを鍛えたら、今までつまらなかったものが面白くなるというわけでもないですからね。楽しいと感じられるかどうかって、とても大切なことだと思います」。だから、「面白くてしょうがない」ロンドンで、今日も修理や点検作業に励んでいる。