松田笑子さん
[ 前編 ] 創業1840年。19世紀の昔から現在に至るまで、英国の洒落者の足元を彩ってきた老舗ビスポーク靴店、フォスター&サン。伝説のラスト(木型)職人と呼ばれたテリー・ムーア氏が40余年にわたり屋台骨を支え続けたこの名店の伝統を、今は日本人女性の靴職人が引き継いでいる。全2回の前編。
まつだえみこ - 1976年、東京都生まれ。1997年、ロンドンにある靴専門学校、コードウェイナーズ・カレッジ(現ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)に通うため渡英。学業と並行して、老舗ビスポーク靴店「フォスター&サン」で木型とパターンを学び始める。2002年、同店入社。以後、伝説の木型職人と呼ばれるテリー・ムーア氏のもとで、ビスポーク靴作りに携わる。ムーア氏が自宅作業中心となった現在では、木型作りを始め、ほぼすべての工程をこなす。
Foster & Son
83 Jermyn Street, London SW1Y 6JD
Tel: 020 7930 5385 http://foster.co.uk
「匂います? 私は慣れてしまっているので、
何も感じないんですけどね」
フレッド・アステアやポール・ニューマンの靴の木型が飾られたガラス・ケースに、芸術品のごとく陳列された靴の数々。まごうかたなき老舗ビスポーク靴店としての風格を備えつつも、工房のある2階へと続く、通り抜けるのもやっとという小さな階段の壁を覆い尽くすのは、靴の部品や数え切れないほどの木型。辺りに充満する革独特の匂いが、ここは靴を売るだけではなく、ゼロから生み出す場所なのだと強く訴えかける。
テイラーや帽子屋など、歴史ある名店が並ぶジャーミン・ストリートに店舗を構えるフォスター & サン
「やっぱり匂います? 私は慣れてしまっているので、何も感じないんですけどね」。鮮やかなピンクのニットとツイードのパンツに包まれた華奢な体躯とその軽やかな笑い声が、職人と言えば、頑固一徹で無口な男性、という固定観念を覆す。席を外した松田さんが、エプロンを着けて再び現れた。年季の入った、ずっしりとした革のエプロン。途端にものを作る人間ならではの質実な空気が、彼女の周りに漂い出した。「社長には店のロゴが入ったエプロンを着けろって言われているんですけれど」と肩をすくめつつ、毎日着続けるそのエプロンは、ビスポーク靴業界で50年以上にわたり第一人者として活躍し、イングランド随一との呼び声も高いラスト(木型)職人、テリー・ムーア氏から、木型作りの技術とともに受け継いだもの。いわば、後継者としての証だ。
店内のショーウインドーに並ぶビスポーク靴のサンプル
製靴に興味を持ち始めたのは
「足が大きかったから」
もともと製靴に興味のあった松田さんは、1997年、ロンドンにあるコードウェイナーズ・カレッジという靴の専門学校に通うため、渡英した。「足のサイズが日本人にしては大きくて、25のEEE以上なんですよ。で、望む靴がなかなか見つからない。それでいつも靴に求めるものがあったんですね」。
そして製靴の勉強が始まった。もともとは「ファッション的な感覚で靴を見ていた」という松田さんだったが、マス・プロデュース中心のカレッジの授業の中でのめり込んでしまったのは、パートタイムで学んだハンドメイド靴作り。そしてそんな中、友人に連れられてやって来たのが、フォスター & サンだった。「テリーがそのころ、日本に行っていたこともあって、日本人に対してオープンな感じがあったんですね。それから週1回、木型とパターン(型紙)を教わり始めました」。
カレッジに通い始めて2年目を迎えたころには、語学学校に切り替え、ビスポーク靴作りにより一層注力するようになった。靴修理のバイトをしながら生活費を稼ぎつつ、靴作りと学業に勤しむ日々。そして2002年、当時の社長から、ワークパーミットのオファーを受ける。
木型に「アッパー(甲部)」を沿わせると、靴の全貌が見え始める
「でもソリシターを使わずに申請したら思いっきり断られて。3回ほどアピールしてもだめで、社長がぶちきれて、当時の首相のトニー・ブレアと、ウェストミンスター地区のトップと、私が住んでいたハックニー地区宛てに直筆の抗議文を送ったりして」。結局、ビザの手続きに1年半ほど費やし、あきらめて日本に帰ろうと思い始めたころに突然、ビザが送られてきた。今だからこそ笑って話せる、波乱万丈のアプレンティス(見習い)時代。そして松田さんの、靴職人としての日々が始まった。(続く)