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Fri, 03 October 2025

第299回 ワッピングの通りの名前(おまけ編)

前号ではワッピングの干拓の始まりとして、現在のハーミテージ・ベースンにシトー派の修道士の隠遁地があったことを言及しました。シトー派修道士はロンドン塔の北東側にあった聖メアリー・グレーシズ寺院に所属していました。この寺院がイーストミンスター寺院と呼ばれたのは、ウェストミンスター寺院がベネディクト派の修道院から発祥したのに対し、11世紀末にベネディクト派から分離したのがシトー派だったからです。

シトー派の隠遁地が現在のハーミテージ・ベースン シトー派の隠遁地が現在のハーミテージ・ベースン

シトー派は12世紀の欧州の大開墾時代に大きく貢献したといわれます。冶金術やきんじゅつの発達で作られた金属製のおのや鎌を多用して森林を切り開き、低湿地を埋め立てて荒野を耕作しました。そして、三圃制さんぽせいを導入し、農業の生産性を高めました。特にシトー派による仏ブルゴーニュ地方のブドウ園の開墾は有名です。耕土を味見しながら開墾したという、その尽力がなければこの世にブルゴーニュ・ワインは生まれてこなかったでしょう。

シトー派は大開墾時代を主導し、ブルゴーニュ・ワインを作った シトー派は大開墾時代を主導し、ブルゴーニュ・ワインを作った

シトー派のロンドン本部、聖メアリー・グレーシズ寺院は、1538年にヘンリー8世の宗教改革により廃院されました。その後、寺院の西側は海軍施設になり、東側に広がる湿地帯はオランダの技術者により干拓されました。干拓後に人々が住めるようになり、近くに海軍関連施設があったため、17世紀ごろから北欧の船舶関係者が多く住み始めました。現在、寺院の痕跡はほとんど残っておらず、今そこには多くのフラットが立ち並んでいます。

かつて聖メアリー・グレーシズ寺院があった場所にはフラットが かつて聖メアリー・グレーシズ寺院があった場所にはフラットが

1666年9月のロンドン大火の後、火災保険を発明し、建築家として活躍したニコラス・バーボン氏がワッピングの北部にウェルクローズ・スクエアを作りました。そこには上述の北欧からきた船舶関係者が大勢移住しました。そのスクエアの中心地にはクリストファー・レンの建築物の彫刻を担当した、デンマーク人のカイウス・ガブリエル・シバーがデンマーク教会を建てました。その場所には現在、小学校が建っています。

カイウス・ガブリエル・シバーが設計したデンマーク教会とその跡地 カイウス・ガブリエル・シバーが設計したデンマーク教会とその跡地

このウェルクローズ・スクエアの脇を流れていた水路がテムズ川に合流する周辺一帯が冒頭のハーミテージ・ベースンです。また、スクエアの西側にはグレーシズ・アレーという小道があり、そこには1859年に開場した、現存する世界最古のウィルトン・ミュージック・ホールがあります。グレーシズ・アレーという名前はもちろん、この小道が聖メアリー・グレーシズ寺院の敷地の中に存在したことの名残です。水路のせせらぎが讃美歌や歌声に変わっても歴史は脈々と流れ、消えるものと生まれるものが絶えず入れ替わってゆきます。

世界最古のミュージック・ホール、ウィルトン・ミュージック・ホール 世界最古のミュージック・ホール、ウィルトン・ミュージック・ホール

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シティ公認ガイド 寅七

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『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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