ジャパンダイジェスト
独断時評


トランプ大統領の誕生は世界をどう変えるか

トランプ大統領の支持者たち
トランプ大統領の誕生を喜ぶ米国の支持者たち

11月8日に米国で行われた大統領選挙で、全世界が懸念していた事態が現実になった。政治の経験がゼロの不動産王ドナルド・トランプ候補(共和党)が大接戦の末、ヒラリー・クリントン候補(民主党)を下し、第45代大統領としてホワイトハウス入りすることが決まったのだ。共和党は米国議会の上院でも勝利したため、トランプ氏は民主党に妨害されることなく、絶大な政策実現能力を握ることになる。

全世界に衝撃

この勝利は大方の予想を覆すものであり、多くのメディア関係者を驚かせた。投票日直前の世論調査ではクリントン候補がリードしており、金融市場などでは「トランプが大統領になる可能性は低い」という楽観論が支配していた。トランプ氏が11年前に行った女性に対する差別的な発言を録音したビデオも公開され、多くの人々が、彼の大統領候補としての命運は絶たれたと考えていた。

それだけに、トランプ氏の勝利が世界に与えた衝撃は大きかった。金融市場に「トランプ優勢」の報が伝わると、投資家が円高・ドル安によって、日本の輸出産業に打撃を与えると懸念し、日経平均株価が一時1000円以上下落した。逆に世界中で金の価格が上昇したのは、投資家が「先行きの見えない時代がやってくる」と判断した証拠だ。

なぜトランプ氏は勝ったのだろうか。彼は、「ワシントンの政界や大手メディアは庶民の利益を代弁しておらず、腐敗している。私が大統領になったら、政治や社会を根本的に変える」と主張し続けた。

トランプ氏が選挙運動の中で使った「Make America great again(米国を再び偉大にしよう)」というスローガンは、1981年に第40代大統領になったロナルド・レーガン氏が使ったもの。レーガン氏のこの言葉は、米国民の愛国心をくすぐり、彼は熱狂的な支持を集めた。

「グローバル化の負け組」が支持

クリントン候補がリベラルな考えを持つ市民や、黒人やヒスパニックなどの票に頼ろうとしたのに対し、トランプ氏を最も強く支持したのは、「自分はグローバル化やデジタル化の負け組だ」と感じている白人の単純労働者や低所得層である。ニューヨーク州やカリフォルニア州、マサチューセッツ州など、教育水準が高くグローバル化によって恩恵を得てきた市民が多い地域では、クリントン氏が勝っている。これに対し、保守層が多く、多数の市民がグローバル化について不信感を抱いている州では、トランプ氏が圧勝した。

米国の知識階層だけではなく、ドイツなど欧州諸国でも「クリントン氏に、大統領になってほしい」と望む人が多かった。その理由の一つは、トランプ氏の歯に衣を着せぬ非常識な言動である。

彼は2015年8月の最初の政策提言書で米国に不法滞在している1100万人の外国人を全て国外退去処分にすることや、メキシコからの不法入国を防止するために同国との間に壁を建設し、その費用を同政府に負担させることを提案した。また同年10月に米国に滞在していたシリア難民の国外追放を求めたほか、シリア難民を受け入れたドイツのメルケル首相の決定について、「狂っている。ドイツでは暴動が起こるだろう」とコメントした。

欧州のポピュリズム台頭と同根

彼のこうした言動は、高学歴の市民の眉をひそめさせたが、「メキシコからの不法移民によって職を奪われる」という不安を抱いている低所得層からは、喝采を受けた。その意味で私は、トランプの勝利には、移民問題が大きなテーマとなった英国の欧州連合(EU)離脱に関する国民投票、フランスでの反移民、反EU政党である国民戦線(FN)の躍進と共通するものがあると考えている。つまり、グローバル化や所得格差に不満を抱く「負け組」の反乱である。彼らは、財力も知識も乏しい。しかし有権者として、投票によって政治を変えることができる。つまりトランプ大統領の誕生は、欧州を席巻している右派ポピュリスト運動が、超大国アメリカにも達したことを意味しているのだ。トランプ氏は、今後移民への規制を強化する可能性が高い。

軍事負担の増加を要求か

さてワシントン政界のアウトサイダー・トランプ氏が大統領になった今、内政・外政に大きな変化が生まれることは必至だ。彼は米国の国外での関与を減らし、国富を国内の諸問題の解決に回そうとするだろう。特に防衛面で欧州・アジアに駐留する米軍を減らすために、同盟国に負担を求めることは確実だ。

トランプ氏は、ドイツも属している軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)に大きな変化を及ぼすかもしれない。これまでNATOでは、加盟国が軍事攻撃を受けた場合、他国も自国への攻撃と同等に考えて反撃する義務を負った。いわゆる集団安全保障の原則である。だがトランプ氏は選挙運動の期間中に、「NATOが反撃するのは、攻撃された国がNATOに対して十分な貢献を行っていた場合に限るべきだ」と主張していた。

最近「世界のタガが外れた」という言葉をよく聞くが、多数の核兵器を持つ軍事大国でも同様の現象が起きつつあることは、大きな不安の種である。欧州諸国と対決姿勢を強めているロシアのプーチン大統領は、トランプ勝利の報を聞いて喜んでいるに違いない。

最終更新 Mittwoch, 15 März 2017 12:23
 

メルケル対プーチン シリア・ウクライナ内戦

メルケル首相とプーチン大統領
10月19日、握手をするメルケル首相とプーチン大統領

10月19日、ロシアのプーチン大統領が2014年のクリミア併合以来初めて、ドイツの首都ベルリンの土を踏んだ。メルケル首相、フランスのオランド大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領との首脳会議に出席するためである。

ロシアの空爆を「非人道的」と非難

メルケル首相とプーチン大統領はカメラの前で握手をしたものの、二人の表情は硬く、その笑顔はメディアの前に立つときだけにつける仮面のように見えた。

連邦首相府での6時間の会議の雰囲気は、緊迫したものだった。特にプーチン大統領の態度は氷のように冷たく、彼はポロシェンコ大統領との握手を拒否したほか、ドイツ政府が準備していた晩餐会への参加も拒んだ。10月20日未明に会議を終え、記者団の前に現れたメルケル首相は、「今回の話し合いは、非常に明瞭かつ厳しいものだった」と述べた。

メルケル首相はその日の内に、EU首脳会議で同会議の内容について報告するためブリュッセルに飛んだ。彼女は会議に先立ち、ロシアがシリアのアサド政権を軍事的に支援し、シリアのアレッポで無差別爆撃を行っていることを厳しい言葉で非難した。「アレッポでロシアの支援の下に起きていることは、全く非人道的だ。長期的な停戦を実現し、包囲下のアレッポで苦しんでいる市民に救いの手を差し伸べなくてはならない。数時間だけ爆撃をやめた後、再び攻撃を繰り返すことは許されない」。

オランド大統領も「アサド政権とロシア空軍がアレッポで行っている空爆は、戦争犯罪に他ならない」とプーチン大統領を批判した。民間人に対する軍事攻撃は、ジュネーブ条約によって禁止されている。

市街地を無差別爆撃

シリア北西部のアレッポは、トルコとの国境に近い戦略的な要衝である。この町の西半分はシリア政府軍が占拠しているが、東半分にはアサド大統領に対抗する反政府勢力、イスラム主義者の民兵組織などが潜伏。約30万人の市民が包囲下のアレッポに残されている。アサド大統領を支援するロシア空軍は、「町に隠れているテロリストを殲滅する」という名目でアレッポの市街地を無差別に爆撃している。アレッポの死傷者数に関する公式な統計は存在しないが、女性や幼児を含む多数の市民が犠牲となっていることは確かだ。アレッポ東部の市街地の大半は瓦礫の山となっており、一部の地域では食糧はおろか、水や電気も断たれている。

アレッポでの戦闘は、何でもありの「ダーティー・ウォー(汚い戦争)」だ。今年9月19日には、国際赤十字がアレッポ市民のための食糧や医薬品を運んでいた31台のトラックが、空爆を受けて破壊された。国連などは、この攻撃がロシア空軍によるものという疑いを強めている。国際赤十字のミリバンド委員長は、「アレッポで起きていることは、ジェノサイド(民族虐殺)だ」と断定している。

国連シリア特使は、シリア内戦による死者数を約40万人と推定している。SOHR(シリア人権監視団)は、「シリア内戦に介入しているロシア空軍の爆撃によりこれまで約9900人が死亡した」と推定している。

これに対してロシア側は、「アレッポでは市民とテロリストを区別することは不可能だ」として、無差別爆撃を正当化しようとしている。

ロシアへの追加制裁も視野

メルケル首相は、今回の首脳会議でシリア内戦に関してプーチン大統領から譲歩を引き出すことはできなかった。メルケル首相が当面目指している目標は、シリアへの軍事介入を理由に、ロシアに対し制裁措置を追加する可能性をちらつかせることによって、アレッポでの長期的な停戦を実現することだ。EUはロシアのクリミア併合以来、同国に対して経済制裁を実施している。つまりEUがシリア介入に関しても追加的な制裁措置を発動すれば、ロシアにとってはダブルパンチとなる。

今回プーチン大統領がドイツでの首脳会議に臨んだ理由も、制裁措置がロシア経済に悪影響を与えているためだと見られる。プーチン大統領に対する国民の支持率は、クリミア併合直後には約80%だったが、現在では約50%に下がっている。つまりメルケルとEUは、追加制裁というオプションでロシアに対する圧力を高めながらも、交渉のチャンネルを開き続けるというダブル戦略を取っているのだ。英国のメイ首相も「シリアでの残虐行為を終わらせるために、我々はあらゆる手段でモスクワに圧力をかけなくてはならない」と述べ、メルケル首相に同調した。

ウクライナ問題では小さな前進

このダブル戦略はウクライナ問題については、功を奏した。ウクライナ内戦では、ロシアに支援された分離独立派とウクライナ政府軍の小競り合いが続き、2014年の「ミンスク合意」が形骸化している。メルケル首相とプーチン大統領は、ベルリンでの首脳会議で「ミンスク合意」の崩壊を防ぎ、内戦終結のための枠組みを作るべく、外務大臣レベルで協議を始めることで合意した。だがEUが、泥沼化したシリアでの流血に歯止めをかけられるかどうかは、未知数である。アレッポの長期的な停戦を実現できるかどうかは、EUとロシアの今後の力関係を占ううえで、重要な試金石となるだろう。

最終更新 Mittwoch, 15 März 2017 12:22
 

統一記念日が浮き彫りにしたドイツ社会の深い溝

デモ
10月3日、ドレスデンで行われたデモに参加した市民

10月3日は、東西ドイツが1990年に統一されたことを祝う記念日である。統一から26年目にあたる今年、連邦政府は旧東ドイツ・ドレスデンのゼンパー歌劇場で記念式典を開催した。だが、ドイツが東西分断を克服し、国家主権を回復したという偉業を思い起こすべき記念日は、今日のドイツ社会に刻まれた深い溝と混乱を浮き彫りにする日となった。

首相に対する怒号

式典にはメルケル首相、ガウク連邦大統領、ラマート連邦議会議長のほか、閣僚や経済団体の代表など、この国の政財界や学会、論壇を代表する数百人が出席した。ラマート議長は、「ドイツは、かつてなかったほど良好な状態にある。我々の状況は、世界中の人々がうらやむほどだ。ドイツ人は、もっと自信と楽観主義を持つべきだ。なぜならば、東西は統一され、我々は自由と正義を手にした。これは、東西分断時代には夢想することすらできなかったことだ」と述べ、統一がこの国を大きく成長させたという立場を打ち出した。これはドイツの指導層、いわばメインストリーム(主流派)の代表的な意見である。

しかし、式典会場の外では、全く異なる雰囲気が支配していた。「Merkel muss weg(メルケルは退陣しろ)」などと書かれたプラカードを掲げた約200人の市民がデモを行い、笛を鳴らして政府に抗議した。彼らはメルケル首相やガウク大統領に対して、「Volksverräter(裏切り者)」、「Widerstand(我々は抵抗する)」などという罵声を浴びせかけた。

エスカレートする極右勢力

抗議デモには、ドレスデンで2014年に結成された右派市民団体PEGIDA(先進国のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人)のメンバーも加わっていた。彼らは外国からの移民や難民の受け入れに強く反対しており、メルケル政権やメディアに敵対する姿勢を隠さない。毎週月曜日のPEGIDAのデモには毎回3000~5000人の市民が参加するが、2015年には2万5000人が参加したこともある。

今回の抗議行動は、特にメルケルの難民政策をめぐり、旧東ドイツの一部の市民の間でいかに反感が強まっているかを浮き彫りにした。右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率が旧東ドイツで高くなっている背景にも、こうした反感がある。ドレスデンでは、式典直前の9月28日にイスラム教寺院の前で爆弾テロも起きている。幸い死傷者はなかったが、極右勢力はイスラム教徒を標的としている。

1989年のドレスデンとの格差

私はドレスデンで市民が政治家たちに罵声を浴びせる光景を見て、1989年11月28日に、当時西ドイツの首相だったヘルムート・コールがドレスデンを訪れた夜のことを思い出した。ベルリンの壁が崩壊してから約2週間。当時東ドイツ市民の間では、西ドイツとの統一を求める声が急激に高まり、「Deutschland, einig Vaterland(ドイツよ、祖国を統一せよ)」という言葉が、プラカードに目立つようになった。

当時ドレスデンの聖母教会はまだ再建されておらず、がれきの山だった。車で近くに到着したコールは、聖母教会の廃墟前に集まった数千人の群衆をかき分けるようにして、演説台にたどり着いた。人々は東西ドイツ国旗を掲げ、西ドイツの首相を「ヘルムート、ヘルムート」という歓呼の声で迎えた。コールは「自由なしに平和はあり得ない。東西ドイツ人が共通の家に住めるよう努力する」と語り、聴衆から万雷の拍手を浴びた。多くの東ドイツ人が、コールに大きな期待を寄せていた。

東ドイツ市民が西側の首相の言葉に熱狂してから、27年後の今、当時の歓呼の声は怒号に変わり、統一を喜ぶ雰囲気よりも中央政府を敵視する姿勢の方が目立つようになった。当時コールが人波の中を歩いても、身の安全を心配する必要はなかった。そこでは、政治家と群衆の心が一体となっていた。今年のドレスデンでの式典では、警官隊が金属製の防護柵を立てて、メルケルやガウクが群衆に襲われないように注意しなくてはならなかった。政治家たちと市民の心は、冷戦時代の東ドイツと西ドイツのように、バリケードによって隔絶されていた。

東西ドイツ間の格差も原因

東西ドイツ間には、今も生活水準の格差がある。今年9月の旧東ドイツの失業率は7.9%で、西側(5.4%)よりも高い。旧東ドイツの5州の市民一人当たりの国内総生産は旧西ドイツよりも低く、同じ職種でも旧東ドイツで働くと、賃金が西側に比べて数百ユーロ少ないケースが見られる。旧東ドイツでは大手企業の投資が進まず、多くの若者たちが職を求めて旧西ドイツに移住した。このため旧東ドイツ市民の間では、「自分は統一による負け組だ」という不満感がある。東西を分断していた壁は取り除かれたが、心の中の壁は一部の市民の間に残っている。

東ドイツ出身のメルケル首相とガウク大統領は、抗議デモを見てもポーカーフェイスを崩さなかったが、その心中は穏やかではなかったに違いない。ドレスデンの怒号は、難民危機をめぐってこの国がもはや真の意味で「統一」されていないことを浮き彫りにした。来年は連邦議会選挙など重要な選挙が目白押しだ。メルケル首相だけでなく、伝統的な政党の指導者たちは社会を分断する亀裂を埋めることができるだろうか?

最終更新 Donnerstag, 20 Oktober 2016 09:44
 

「メルケル後」のドイツはどうなるのか

メルケル首相
ベルリンでの市議会選挙前の応援演説をするメルケル首相

メルケル首相の顔色がさえない。彼女が率いるキリスト教民主同盟(CDU)が、地方選挙で立て続けに敗北しているからだ。CDUは、9月4日にメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙で敗北しただけではなく、9月18日にベルリンで行われた市議会選挙でも歴史的な敗北を喫した。市議会選挙と呼ばれるものの、ベルリンは州と同格なので、首都での選挙は重要な意味を持っている。

首都でもAfDが躍進

右派ポピュリスト政党・ドイツのための選択肢(AfD)が14.2%の得票率を記録して初の議会入りを果たしたのに対し、CDUは前回の選挙に比べて得票率を5.7ポイント減らして、17.6%しか取れなかった。これはCDUのベルリン市議会選挙での得票率としては、過去最低である。

世論調査機関インフラテスト・ディマップの推計によると、前回の選挙でCDUに投票した市民28万8000人の内、3万9000人がメルケル首相に背を向けてAfDに票を投じた。ちなみにAfDは、ほかの大半の既成政党にも痛打を与えた。社会民主党(SPD)の得票率は28.3%から21.6%に下がったほか、緑の党も得票率を17.6%から15.2%に減らした。

難民政策の失敗を認めた首相

ベルリンでの敗北が明らかになった直後、メルケル首相は記者会見で「今回の無残な開票結果には、失望している」と述べた。そして、MV州とベルリンでの「ダブル敗北」の原因は、彼女が昨年9月に踏み切った難民受け入れにあるとして、自身の責任を認めた。

首相は「難民受け入れの決定自体は間違っていなかった。しかし我々は長期間にわたって、難民流入の状態を十分にコントロールすることができなかった。あのような状況は、二度と起こしてはならないと思っている」と述べた。昨年ドイツには約110万人の難民が到着したが、連邦政府は一時的に、難民入国を制御できない状態に陥っていたのだ。メルケル首相がこれほど率直に政府の失敗を認めたのは、珍しい。

さらに彼女は「現在難民危機への対処が遅々として進まない理由は、我々が過去数年間に過ちを犯したからである。今や我々は問題を解決するために、通常よりも努力しなくてはならない」と付け加えた。メルケル首相を含めてEU加盟国の首脳たちは、2010年以降アラブ世界が不安定化の兆候を見せ始めてからも、難民の大量流入に備えて、EUの亡命申請規定であるダブリン協定や、国境の開放に関するシェンゲン協定の内容を改善したり、EU外縁部の警備体制を強化したりする努力を怠ってきた。

メルケル首相は珍しく、気弱な発言を行った。「できることならば、時間を何年も前に戻して、連邦政府と全ての責任者が昨年夏に起きたような事態に十分に対処できるように、準備を整えたかった」。メルケル首相がこのような後ろ向きの発言を行い、悔悟の念をあらわにするのは、極めてまれである。さらに首相は「Wir schaffen das(我々は問題を解決できる)という決意表明が、“内容のない空虚な言葉”になってしまったことを残念に思う」とも述べ、もはやこの言葉を使わないと明言した。

2017年は選挙がめじろ押し

メルケル首相のこの発言は、彼女が昨年以来取ってきた難民政策の誤りを認めた敗北宣言である。メルケル首相は、キリスト教社会同盟(CSU)の「毎年の難民受け入れ数を20万人に限るべきだ」という要求は受け入れなかった。しかしCDU・CSUの中では「メルケル氏が党首では、選挙を戦えない」という責任論が浮上することは確実だ。来年は、ノルトライン=ヴェストファーレン、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ザールラントで州議会選挙が行われるほか、秋には連邦議会選挙を控えた重要な「選挙の年」である。

AfDは、16の州の内10の州で議会入りを果たしている。メルケル首相の難民政策を「まるで左翼のようにリベラルな政策だ」と感じ、深い疎外感を抱いている市民は、今後もCDU・CSUとSPDを罰するために、AfDに投票するだろう。メルケル首相は自身の進退について明確な立場を打ち出していない。だがCDU・CSU内部では、今後「メルケル後」についての議論がひそかに行われるはずだ。

後継者選びは難航する

CDU・CSUにとって最大の問題は、10年間首相を務めたメルケル氏の後継者になる器を持つ政治家がいないことだ。ショイブレ財務大臣は経験豊富なベテランだが、来年は75歳になり、首相の激務は荷が重い。フォン・デア・ライエン国防大臣も、首相の器ではない。論文盗作疑惑は一応「無罪」ということになっているが、首相候補としてはマイナスの要素だ。CSUのゼーホーファー党首は、バイエルン州土着の政治家というイメージが濃厚で、国政を担う器ではない。特にドイツ北部の有権者たちからは、受け入れられないだろう。CDU・CSUは「メルケル後」の首相候補を選ぶのに大変苦労するだろう。

CDU・CSUまたはSPDが連邦議会選挙で単独過半数を取ることは、不可能だ。どの党もAfDとの連立は拒んでいるので、再び大連立政権が生まれるだろう。だが首相の座に誰が就くかは、未知数である。ドイツの政局は大きな岐路に差し掛かっており、当分の間は目が離せない。

最終更新 Donnerstag, 06 Oktober 2016 10:09
 

MV州議会選で大敗したCDUとメルケル首相

メルケル首相
今回のMV州議会選でのCDUの大敗が、
メルケル帝国崩壊の序曲となるか

9月4日に旧東ドイツ北部のメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州で行われた州議会選挙の投票結果は、メルケル政権に強い衝撃を与えた。

AfDの大躍進

3年前に創設された右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が20.8%もの得票率を記録して、第2党として議会入りに成功したのだ。

AfD以外のほぼ全ての党は前回(2011年)の選挙に比べて得票率を減らした。メルケルが党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)は、得票率を23%から19%に減らして大敗。同党は社会民主党(SPD)、AfDに次ぐ第3党の地位に転落した。

全ての既成政党は、AfDと連立しないことを投票前に公約していた。このため、SPD、CDUなどが大連立政権を作ることはほぼ確実である。しかしSPD、左派政党(リンケ)がともに得票率を5ポイントも減らしたことは、いかに多くの有権者がAfDの下へ走ったかをはっきりと示している。

市民を突き動かした難民危機

なぜAfDは躍進したのだろうか。その最大の理由は、同党がメルケルの難民政策を激しく批判したことにある。ドイツ市民の間では、メルケルの難民政策に対する不満が高まっていた。民間放送局N24が今年7月に発表した世論調査によると、回答者の57%が「メルケルの難民政策は失敗した」と答えている。また公共放送局ARDが9月1日に発表した世論調査によると、メルケルへの支持率は45%だった。これは、過去5年間で最低の水準である。

AfDは、昨年メルケルが人道的な理由で行った難民受け入れ決定を批判し、亡命権の制限を求めている。同党は、「戦火を逃れてドイツに一時的に逃げてくる難民は受け入れるが、亡命する理由もないのにドイツに不法に入国する外国人は受け入れるべきではない。ドイツへの移民は、我が国の経済が必要とする知識や技術を持っており、経済に貢献できるかどうかという基準で決めるべきだ」と主張してきた。

無党派層をも動員したAfD

 MV州の有権者たちは、こうしたAfDの主張に同調した。注目すべきことは、今回の選挙での投票率が前回の選挙から10ポイントも改善して、61.6%になったことだ。前回棄権した66万6000人の無党派層の内、5万5000人が今回は投票所に足を運び、AfDに票を投じた。つまりAfDは、CDUなどの伝統的な政党よりも、政治に無関心な有権者を動員する力を持っているのだ。同党は、ドイツの16の州議会の内、9州で議席を持つことになった。来年の連邦議会選挙で議会入りすることはほぼ確実だ。

中国・杭州でG20首脳会議に出席していたメルケル首相は、「CDU大敗の原因の一端は、私がとった難民政策にある」と述べて、自分の責任を認めた。しかし首相は、自分が1年前に行ったシリア難民の受け入れは正しかったという立場を変えなかった。ドイツの保守勢力は、難民受け入れ数に上限を設定するように求めているが、メルケルは「憲法が保障する亡命権に、上限はない」として、この要求を頑として拒絶している。メルケルが「Wir schaffen das(我々はやれる)」というスローガンを繰り返し、難民政策を転換しないことについては、政界やメディアから批判の声が高まっている。特に、CDUの姉妹政党として大連立政権に参加しているキリスト教社会同盟(CSU)からは、「MV州議会選挙の結果は、亡命権の制限を求めてきた我々の主張が正しかったことを示している。我々与党は、市民の警告を真摯に受け止めるべきだ」と、メルケルに難民政策の転換を求めている。

右派ポピュリズムが独にも到達

この地域には、メルケルの連邦議会選挙での選挙区があるが、AfDはこの地域でもCDUなどの票を奪って大きく躍進した。たとえばフォアポンメルン・グライフスヴァルト第3選挙区では、AfDの得票率が32.3%に達し、CDU(17.7%)に大きく水をあけている。CDUとSPDが構成するMV州政府は過去4年間で雇用を増やし、失業率低下に成功した。同州の失業率は、2011年の12.5%から、2015年には10.4%に低下。だが有権者は、伝統的な政党がもたらした経済的な成果を高く評価するよりも、AfDが強調した「難民増加による脅威」を理由にCDUとSPDを罰する道を選んだ。

AfDは、反イスラム、反ユーロを掲げる右派政党で、第二次世界大戦後の西ドイツが培ってきたリベラルな「戦後レジーム」の転換を目指している。同党の幹部の中には、「警官の制止を無視して国境を越えようとする難民に対しては、銃を使うべきだ」とか「多くのドイツ人は、ドイツ人に帰化した黒人のサッカー選手が、自分の家の近くに引っ越してくるのを喜ばない」などの過激な発言を行う者もいる。MV州の多くの有権者は、それでもAfDに票を投じた。英国やフランス、オランダなど多くの国々で右派ポピュリズムが躍進しているが、MV州議会選挙の結果は、ドイツにもその波が到達したことを示している。AfD躍進は、我々ドイツに住む外国人にとって、朗報ではない。

過去10年間にわたりドイツの首相を務めたメルケルは、政治的な黄昏の時を迎えた。来年の連邦議会選挙は、ドイツを「メルケル後の時代」へ突き動かすことになるだろう。

16 September 2016 Nr.1034

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

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