ジャパンダイジェスト
独断時評


終わりなきギリシャ危機の行方

今年、欧州への関心が日本の言論界や経済界で急激に高まっている。日本人に「欧州は一体どうなるのだろう」と思わせているのが、ギリシャ危機の再燃だ。

巨額の借金に悩むギリシャ

ギリシャ政府の債務危機が発覚したのが、2009年12月。その後、約5年間にわたり欧州連合(EU)加盟国と国際通貨基金(IMF)から総額2400億ユーロ(31兆2000億円・1ユーロ=130円換算)の融資を受けてきた。しかし同国の経済状態は改善せず、公的債務の国内総生産に対する比率は175%に達している。

状況を決定的に悪化させたのが、今年1月末の選挙結果。勝った極左政党が右派政党と連立して、反EU色の強いポピュリスト政権を誕生させたことだ。チプラス首相は、国民に対してはEUが融資の条件として要求した緊縮策や経済改革をストップさせ、低所得層の税金免除や、貧困層に対する食料や電力の無料供給、解雇された公務員の復職などを約束している。

しかし、ギリシャ政府はEUとIMFの金に依存している。同国は、3月から12月までの間に174億ユーロ(2兆2620億円)の借金と利息を返済しなくてはならないが、ギリシャ政府の金庫は事実上空になっており、公務員の給料すら支払うのが難しい状況だ。ギリシャ政府は、今年だけでも200億ユーロ(2兆6000億円)の追加融資、今後5年間で400億ユーロ(5兆2000億円)の追加融資が必要となる。

チプラス政権の二枚舌

EUのギリシャ向け支援プログラムは、今年2月末で終わる予定であった。このためチプラス政権のバルファキス財務相は、2月20日にブリュッセルで開かれたユーロ圏財務相会合で、「ギリシャ政府は欧州のパートナーや諸機関、IMFと緊密に協力し、国家財政の健全化、金融システムの安定化、経済復興の促進のために努力することを約束する」と述べ、合意文書に署名した。しかしこの文書の内容は総花的で具体性を欠いているほか、「前政権がEUに対し、これまで約束した緊縮策を実行する」とは書かれていない。「借金や利子をきちんと支払う」とも書かれていない。このためユーロ圏加盟国の財務相たちは、4月末までにチプラス政権がより詳細な施策リストを提出するという条件で、支援プログラムの延長を認めたのだ。

ところが、チプラス首相とバルファキス財務相は、「二枚舌」を使い始めた。バルファキスはこの合意後、ギリシャ政府がユーログループに対して債務の削減を求めていくことを明らかにして、ほかのユーロ圏加盟国をあぜんとさせた。彼は、「ユーログループとの合意文書は、ギリシャ支援に批判的な国々の合意を得るために、わざと曖昧にした」とすら語っている。

つまりバルファキスは、EUからの融資を引き出すために、他国の財務相との交渉では「経済改革を実施する」と約束しながら、自国民には「EUからの攻撃にもかかわらず、選挙前の公約、つまり緊縮政策の拒否と債務削減の要求は維持する」というメッセージを送っているのだ。ユーログループは3月9日にも会合を持ったが、この場でもギリシャ政府は具体的な提案を示さなかった。それどころかバルファキスは、「ユーログループが我が国への融資を行わないのならば、国民投票や再選挙によって、国民に緊縮策を続けるかについての民意を問う」と発言し、他国の財務相らの神経を逆撫でした。もしも国民投票や再選挙が実施されれば、有権者の圧倒的多数が緊縮策の廃止や債務削減を要求することは確実だからだ。

またチプラス政権の国防相で、連立政権のパートナーである右派政党のカメノス党首は、「もし他国がギリシャを支援しないのならば、我々は難民に渡航に必要な書類を渡して、ベルリンに送り込む。大量の難民の中に、テロ組織「イスラム国」の戦闘員が混ざっていたとしても、それは欧州の責任だ」と脅迫めいた発言をしている。ドイツ財務省は、「チプラス政権の振る舞いは反則だ」と厳しく批判している。

ギリシャがロシアに接近する危険

私は、2月20日にギリシャが具体的な改革案を示さなかったにもかかわらず、ユーログループが支援プログラムの延長に同意したことで、チプラス政権は「我々はどのような態度を取っても救済される」と判断したと考えている。

その最大の理由は、地政学的な事情だ。ギリシャがユーロ圏を脱退した場合、経済的な混乱が今以上に悪化する。窮地に陥ったギリシャは、ロシアに救援を求める可能性がある。すでにロシア側は、「ギリシャが援助を要請すれば検討する」という態度を見せており、EUはウクライナ内戦をめぐりロシアとの対立関係を深めているが、プーチンにとっては、EUおよび北大西洋条約機構(NATO)のメンバーであるギリシャとの友好関係を深めることは戦略的にプラスとなる。つまりEUは、ギリシャのロシア接近を防ぐために、ギリシャへの支援延長を決めたのだ。

興味深いのは、ギリシャ危機の悪化にもかかわらず、ギリシャ以外の金融市場が平穏を保っていることだ。逆にドイツの株式市場の平均株価は、欧州中央銀行の量的緩和の影響で上昇する一方だ。これは、金融市場が、「万一ギリシャがユーロ圏から脱退しても、通貨同盟全体が崩壊する危険は低い」と判断していることを意味する。

いずれにしても、ギリシャは今後何年間も、欧州の政局の台風の目であり続けるだろう。

20 März 2015 Nr.998

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 10:08
 

先鋭化する亡命申請者問題

ドイツは、日本とは比べられないほど、様々な民族と文化が共存している社会だ。

移民国家ドイツ

朝の通学時間帯のバスには、トルコ系、アフリカ系、インド系、アジア系……様々な民族の子どもたちが乗ってくるが、皆、流暢なドイツ語を話している。この国に移住してきた外国人の子どもたちだからだ。ドイツが移民国家であることは、もはや否定できない事実である。この国が、米国のような「民族のサラダボウル」に近づいていくことは確実だ。

日本と同じように高齢化・少子化が急速に進んでいるドイツでは、将来的に働き手が不足する。このためドイツ連邦政府は、社会保障制度に依存せず、自分の力で生活できる外国人の移民や帰化を奨励している。特に、IT分野などでドイツが必要とする技能を持った外国人は、通常よりも簡素化された手続きで、滞在許可や労働許可を取ることができる。

急増する亡命申請

だがドイツ市民の間には、「ドイツ社会に溶け込まない外国人が増えると、ドイツがドイツでなくなってしまう」と不安を抱く人々がいる。その不安感は、ドイツ語のÜberfremdung(外国人が増えることなどによって、自分の祖国が外国であるかのように、よそよそしいものになること)という言葉に象徴される。

一部の人々の不安や不満を掻き立てているのが、ドイツへの亡命申請者の増加だ。ドイツ連邦移住・難民局(BAMF)によると、2014年にドイツに亡命を申請した人の数は約20万3000人。前年に比べて約60%も増えた。亡命申請者のうち、26%に当たる約3万3000人が、ジュネーブ難民協定に基づきドイツへの亡命を認められ、亡命申請の33%は却下されている。

亡命申請者数の増加の原因は、シリアでの内戦が激化していることだ。今年1月には2万5000人がドイツで亡命を申請したが、そのうちシリア人が約25%で最も多かった。これまでドイツは、約6万5000人のシリア難民を受け入れている。さらに、コソボやアルバニア、セルビア、アフガニスタンからの難民も多い。中でもコソボでは、「ドイツへ行くと、誰でも住む所と滞在許可をもらえる」という根も葉もない噂が広がっているため、亡命申請者が増えているのだ。

シリアやトルコ、コソボには、出国希望者からお金を取って、ドイツへ輸送する「運び屋」がいる。彼らは、ドイツが豊かな国である上に、亡命申請者の受け入れについて比較的寛容であることを知っている。シリアからの難民は船でイタリアへ着いても、そこで亡命を申請せず、バスでドイツへ行ってから申請するのだ。ドイツの地方自治体は、スポーツ競技場や使われなくなった兵舎などに亡命申請者を住まわせているが、食事代や暖房費などの負担が重く圧し掛かり、連邦政府や欧州連合(EU)に資金援助を要請している。

中には「経済難民」も

ドイツは「戦争や政治的迫害から逃れてきた難民は原則として受け入れるが、イタリアなど、ほかのEU諸国に到着した難民は、そこで亡命を申請するべきだ」と主張している。欧州にはダブリン合意という原則があり、難民は危険な地域を脱出して到着した最初の国で亡命を申請する決まりになっている。また、政治的迫害を受けていないのに、生活保護など社会保障サービスだけを求めてドイツにやって来た「経済難民」は、強制送還する。だが、実際には強制送還には人道的な見地から問題点が多いため、亡命を申請する資格がないと判断されても、すぐに強制送還されるわけではない。 BAMFでは、中東やアフリカの政治的混乱が続いていることから、今年の亡命申請者数が30万人に達すると予想している。これまで最も亡命申請者数が多かった年は鉄のカーテン崩壊直後の1992年で、43万8000人に達した。その大半は、東欧からのシンティ・ロマ(いわゆるジプシー)だった。当時ドイツでは、極右勢力が亡命申請者の増加を理由に、外国人に暴力をふるう事件が多発した。92年に極右勢力が引き起こした暴力事件は90年に比べて8倍も増加し、2285件になった。この年、外国人17人が暴行の末に殺された。特に旧東独のロストックでは、極右勢力が亡命申請者の住宅に放火、投石し、周辺の住民が喝采を送る模様がテレビで放映された。

92年11月には、旧西独のメルンで極右の若者がトルコ人家族が住む家に放火し、女性と子ども3人が焼死。93年6月にも旧西独のゾーリンゲンで、極右思想を持つドイツ人が民家に火をつけ、トルコ人の女性と子ども5人を殺害した。

反人種差別運動のプラカード
2014年11月24日ミュンヘン、反人種差別運動のプラカード「違法な人間はいない」

PEGIDAへの共感は残っている

旧東独では、亡命申請者の流入規制を求めるポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への人気が高まりつつある。ドレスデンでは、昨年秋に「欧州のイスラム化に反対する愛国的な欧州人(PEGIDA)」という市民団体が結成され、デモ参加者の数は一時2万人にも達した。政府が難民問題の舵取りを上手く行わないと、有権者が右派ポピュリストに流れる危険もある。ドイツ政府は、「亡命資格のある難民は温かく迎える」ことを基本原則としている。だが、PEGIDAに対する潜在的な共感が、一部の市民の心に残っていることも否定できない。

 今後、ドイツ社会で外国人を見る目がどう変わっていくか、我々は注視していく必要がある。

6 März 2015 Nr.997

最終更新 Mittwoch, 04 März 2015 17:50
 

ギリシャの緊縮策拒否とドイツの苦悩

2012年以降、沈静化していたユーロ危機の暗雲が、再び欧州の上空を覆い始めた。そのきっかけは、1月25日にギリシャで行われた総選挙だ。

トロイカとの協力を拒否

チプラス党首率いるポピュリスト政党・急進左派連合(SYRIZA)が、2012年の選挙に比べて9.6ポイントも得票率を伸ばし、勝利を収めた。チプラスは、欧州連合(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)がギリシャに求めてきた緊縮策を拒否し、やはり緊縮策に反対する、右派ポピュリスト政党「独立ギリシャ人」と連立することによって首相の座に就いた。

EU、ECB、IMFが構成する監視委員会はトロイカと呼ばれる。約400年にわたってトルコに支配された経験を持つギリシャ人は、外国人による支配を嫌う。その誇り高いギリシャ人にとって、トロイカが政府の箸の上げ下げを監視し指導することは大きな屈辱であり、怨嗟(えんさ)の的である。首相となったチプラスは、トロイカに一切協力しないことを宣言した。

さらに彼は、2月初めに議会で行った所信表明演説の中で、「我々はEUの援助プログラムから脱却する。我々は援助プログラムが与えた傷を癒し、被害を受けた市民たちに手を差し伸べる」と述べた。

EUからの援助に依存するギリシャ

 EU加盟国とIMFは、2009年末に債務危機が表面化して以降、ギリシャが支払い不能状態に陥るのを防ぐために、総額2400億ユーロ(33兆6000億円、1ユーロ=140円換算)の融資を行ってきた。

さらにEUは、ドイツやフランスの金融機関などの民間投資家を説得して、1070億ユーロ(14兆9800億円)相当の対ギリシャ債権を放棄させた。これは、民間投資家の対ギリシャ債権のほぼ半分に当たる。つまり、ギリシャ政府の借金の一部を棒引きしたのである。

またECBは、ギリシャの銀行が倒産するのを防ぐために、緊急流動性援助というプログラムによって、多額の資金を供給してきた。ギリシャの公共債務残高は、国内総生産(GDP)の175%に達している。このため同国は、外国市場で国債を売って、お金を借りることができない。つまりギリシャは、輸血を受けなくては生きていけない重症患者なのだ。EUとIMFは、33兆円を超す金を貸す条件として、ギリシャに対し、歳出削減と増税による財政の建て直しや、市場開放や規制緩和による経済構造の抜本的な改革を要求した。

構造改革を帳消しに

だがチプラスは、「EUの援助プログラムは我が国に深い傷を与えた」として、選挙戦中の公約通り、プログラムからの脱却を宣言した。例えば、2010年以来ギリシャ政府は、「公務員の数を15万人減らせ」というEUの要求に従い公務員を解雇してきたが、チプラスは解雇された公務員を復職させることを明らかにした。

また、ギリシャでは不況が深刻化しており、今年1月の失業率は25.8%とEUで最悪の状態になっている。若年層の失業率は、約50%に達する。このためチプラスは、貧困層に属する30万世帯に無料で食料と電力を供給する方針を打ち出したほか、貧困層の医療費を免除したり、長期失業者に対して交通費の援助を行ったりする方針だ。また、貧しい高齢者への年金を12カ月分から13カ月分に増やすほか、2012年に月額751ユーロから586ユーロに引き下げられた法定最低賃金を元の水準に引き上げる。

チプラスは、「EUが援助プログラムの名の下に押し付けた緊縮策のために、国民が苦しんでいる」と主張しているが、その緊縮策を要求した張本人はEU最大の経済パワーであるドイツだと考えている。同国におけるドイツ政府に対する反感は、非常に強いものがある。

さらにチプラス政権は、2400億ユーロの借金についても条件を大幅に緩和したり、債務額を減らしたりすることを要求している。また、現在の融資プログラムを延長することも求めている。

ユーロマーク
欧州中央銀行本店にあるユーロマーク

EUは新政権の要求を拒絶

ギリシャの要求は、多くのEU加盟国をあきれさせている。特にドイツのショイブレ財務相(CDU)は、「ギリシャの新政権がどのようにして債務問題を解決しようとしているのか、まったく理解できない」と批判。ドイツ政府はチプラス政権に対して、緊縮策を予定通り実行するよう求めている。

EUの資金力に依存している国がEUを強く批判し、しかも「さらに金を貸してくれ」と要求していることを受け、多くのドイツ人がギリシャの態度を虫が良すぎると考えている。チプラス政権のバルファキス財務相は「ギリシャがユーロ圏から脱退したら、通貨同盟はトランプの城のように崩れ落ちる」と警告している。これに対し、ケルンのドイツ経済研究所(DIW)のヒューター所長は、「EUは妥協すべきではない」と述べ、強硬姿勢を打ち出している。ヒューター氏は「債務危機に陥ったEU加盟国が緊縮策や構造改革を放棄する場合には、情状酌量の余地はない。EUは毅然とした態度で臨むべきだ」と、ギリシャがEUの条件を拒否する場合は、脱退もやむを得ないという意見を明らかにした。

ギリシャはEUの資金に依存しているので、選択の余地は少ない。EUでは、「やがて妥協するだろう」という見方が有力だ。しかしギリシャ人の怒りは高まっており、「窮鼠猫を噛む」という事態もあり得る。ユーロをめぐる今後の動きから、目が離せない。

20 Februar 2015 Nr.996

最終更新 Donnerstag, 19 Februar 2015 14:48
 

アウシュヴィッツ解放70年 メルケルの誓い

2015年1月26日、ベルリン。肌を刺す寒気の中、私はシェーネベルク区のウラニアという公会堂に向かっていた。今年1月27日は、ナチスのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をソ連軍が解放してから、ちょうど70年目に当たる。この日を前に、ナチスによる虐殺の犠牲者を追悼する式典が行われたのだ。

ユダヤ人600万人を虐殺

ナチスがポーランドに建設したアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では、1940年から5年の間に、ユダヤ人やポーランド人、シンティ・ロマ(ジプシー)、ソ連兵捕虜、同性愛者など約110万人が殺害された。ビルケナウにはシャワー室に見せ掛けたガス室があり、女性や子どもなど肉体労働ができないと判断された被害者は、家畜輸送用の貨物列車で収容所に着くと、直ちにチクロンBという青酸ガスで殺害された。

遺体は焼却炉で焼かれ、遺骨と灰は川に投げ捨てられた。ナチスは欧州全体で約600万人のユダヤ人を殺害したと言われる。アウシュヴィッツは、ナチスが欧州に建設した約1000カ所の収容所の内、最大の規模を持っていた。

生存者は語る

式典を主催したのは、国際アウシュヴィッツ委員会(IAK)。1952年に虐殺を逃れた生存者たちが創設した国際機関で、2002年からはベルリンに事務局を置いている。式典では、2人の元収容者たちが証言した。

その内の1人は、ハンガリー在住のエヴァ・ファヒーディ女史(89歳)。1944年5月、当時19歳だったファヒーディ氏は、家族とともにアウシュヴィッツに移送された。収容所のプラットホームには、ナチス親衛隊の軍医で「死の天使」として恐れられたヨーゼフ・メンゲレがいた。彼は、指をただ左右に動かすことによって、ユダヤ人をガス室に送るか、労働させるかを決めていた。彼女は労働者のバラックに送られたが、母親と当時11歳だった妹は直ちにガス室で殺された。

「アウシュヴィッツでは、常に遺体を焼く臭いが立ち込め、いつ殺されるか分からないという恐怖と隣り合わせでした」。「真夏のバラックで、私たちは飢えと乾きに苦しみました。飲み水さえなかったため、糞尿を入れた大きな桶を運ばされたときに、中身がこぼれて手や足が汚れても、体を洗う水はありませんでした」。

アウシュヴィッツの生存者の多くは、心に深い傷を負ったために、長い間自分の体験を他者に語ることができなかった。ファヒーディ氏も45年間にわたり沈黙し続けたが、79歳になったときにアウシュヴィッツ収容所跡を初めて訪れ、自分の経験を本として発表し、語り部としての活動を始めた。

白髪のファヒーディ氏は、苦しそうな表情で語った。「なぜ私だけが生き残ったのでしょう。母と妹には墓標すらありません。2人と同じくアウシュヴィッツで殺された人々に代わって、当時の状況を語り伝えることが、私に与えられた役割だと思います」。聴衆は、彼女が語り終わると、席を立って長い間拍手を送った。

恥の気持ちを告白したメルケル

この後、メルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)が演壇に立った。メルケル氏は「ナチス・ドイツは、ユダヤ人らに対する虐殺によって人間の文明を否定しましたが、アウシュヴィッツはその象徴です。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。なぜならば、何百万人もの人々を殺害したり、その犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人だったからです」と述べ、ドイツ人がナチス時代に大きな罪を背負った点を強調した。

そして会場の最前列に座ったファヒーディ氏をじっと見つめながら、「あなたは渾身の力を振り絞って、収容所でのつらい体験を語ってくれました。そのことに心から感謝したいと思います。なぜならば、私たちドイツ人は過去を忘れてはならないからです。私たちは数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります」と語った。

さらにメルケル氏は、ドイツの反ユダヤ主義を厳しく糾弾した。「今日ドイツに住む10万人のユダヤ人の中には、侮辱されたり暴力を振るわれたりした経験を持つ人が増えています。これはドイツの恥です。我々は、反ユダヤ主義、そしていかなる形の差別、排外主義に毅然として対抗しなくてはなりません」。

メルケル首相
12015年1月26日、追悼式典で演説をするメルケル首相

歴史との対決を国是とするドイツ

さらにメルケル氏は、1月にフランスで起きたテロ事件にも言及し「パリではイスラム過激派が、言論の自由を主張した風刺画家たちやユダヤ系商店を訪れたユダヤ人たちを殺害しました。これは狂信主義が生む結果を明確に示しています」と指摘した。

そして、「ナチス時代のドイツ人の犯罪と批判的に対決すれば、将来我々の共存や尊厳、価値観を奪おうとする勢力に対して、対抗する能力を身に付けることができます」と述べ、過去との対決は、今日の民主主義体制を守る上でも重要な意味を持っていると強調した。メルケル氏の「アウシュヴィッツは我々に、人間性を認め合うことを共存の物差しとするべきだと教えています。アウシュヴィッツは我々全員にとって、将来も重要な問題であり続けるでしょう」という言葉は、ドイツ社会の主流派が、歴史との対決を国是としていることを明確に示している。

敗戦から70年目に当たる今年、彼女の言葉は私たち日本人にとって「対岸の火事」だろうか。

6 Februar 2015 Nr.995

最終更新 Montag, 19 September 2016 13:11
 

シャルリー・エブド襲撃事件とドイツ

2015年の年明け早々、欧州は凶悪なテロ事件で大揺れとなった。1月7日、フランスの風刺週刊新聞「シャルリー・エブド」の編集部に、覆面をしたテロリスト2人が侵入し、編集長やイラストレーターら12人をカラシニコフ自動小銃で射殺したのだ。

2人は、犯行時に自分たちがテロ組織アルカイダに属することを明かし、「アラーは偉大だ。おれたちはシャルリー・エブドを殺し、預言者ムハンマドの敵かたきを取った」と叫んだ。

イスラム過激派の犯行

犯人たちは2日後にパリ郊外の印刷工場に立てこもった後、フランス警察の特殊部隊に射殺された。またこの犯行と連動して、別のテロリストも同じ日にパリ南部の路上で警察官を殺したほか、2日後にパリ東部のユダヤ系スーパーマーケットに人質を取って立てこもり、ユダヤ人4人を殺害。この男も警官隊に射殺された。一連の事件の犠牲者は17人に上る。シャルリー・エブド紙襲撃は、欧州の言論機関に対するテロとしては、最悪の事態となった。

なぜシャルリー・エブド紙は、イスラム過激派のテロリストに狙われたのか。1992年に創刊されたシャルリー・エブド紙は、政治家をはじめ、あらゆる権威を批判する週刊新聞で、挑発的な風刺画と鋭いジョーク、辛辣なパロディーを売りとしていた。

フランスには19世紀のオノレ・ドーミエ以来の風刺画の伝統があり、国民も政治を風刺するイラストを好む。フランス人のメンタリティーを理解する上で「révolte(反抗)」という言葉は最も重要だ。そこにはフランス革命以来の、不服従の精神が息づいている。シャルリー・エブドはフランス人の反骨精神を象徴するメディアなのだ。同紙は特にフランスの国是である政教分離と世俗主義を重視し、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教にしばしば集中砲火を浴びせていた。

ムハンマドの風刺画を掲載

イスラム過激派にとってシャルリー・エブド紙は、憎悪の的だった。2005年にデンマークの日刊紙「ユランズ・ポステン」がムハンマドの風刺画を掲載してイスラム教徒から批判されたが、シャルリー・エブド紙は、2006年にこのイラストをあえて転載。イスラム教は、神や預言者の図像化を禁じており、フランスに住む多くのイスラム教徒はシャルリー・エブド紙の決定を挑発行為とみなした。2011年には、同紙の編集部に何者かが火炎瓶を投げ込んだほか、編集長らに脅迫メールが送られた。

シャルリー・エブド紙での銃撃事件に対しては、欧州全体で怒りと悲しみの声が巻き起こった。フランスでは1月11日に、犠牲者を追悼するデモが行われたが、なんと全国で370万人もの市民が参加した。これは、第2次世界大戦でフランスがナチスドイツによる支配から解放されたとき以来、最も多い数である。

パリでは、「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というプラカードを持った市民ら160万人が大通りを埋めた。デモの先頭には、オランド大統領、ドイツのメルケル首相、英国のキャメロン首相が立ったほか、スペイン、イタリア、ウクライナの首相、ロシアの外相、ヨルダンの国王夫妻も参加した。普段は対立しているイスラエルのネタニエフ首相と、パレスチナ自治政府の大統領が同じデモに加わった。44カ国の首脳が駆け付けてデモに参加したのは、極めて異例のことである。

1月11日に行われたフランス共和国の行進の様子
1月11日に行われたフランス共和国の行進の様子

ドイツで高まる反イスラム運動

なぜ彼らは、シャルリー・エブド紙襲撃事件に強い反応を示したのだろうか。それは、欧州の政治家や言論人たちがこの事件について、2001年の米国同時多発テロ並みの危機感を抱いているからだ。テロリストたちは、言論機関の意見を封じるために凶行に及んだ。つまり、銃弾の雨を浴びたのは、「言論と表現の自由」だったのだ。これは欧州人たちが最も重視する価値の1つである。

ドイツでは昨年秋以来、ドレスデンを中心に「欧州のイスラム化に反対する愛国者たち(PEGIDA)」という団体が毎週月曜日にデモを行い、参加者の数が毎回増えていた。シャルリー・エブド紙襲撃事件をきっかけに、ドイツでもイスラム過激派だけではなく、イスラム教徒や外国人全般に対する市民の反感が強まる危険がある。特に、極右勢力はこの事件を利用して支持者を増やそうとするだろう。

このため、1月12日にはミュンヘンやベルリンなどで、約10万人の市民がPEGIDAに反対するデモを行った。ミュンヘンのディーター・ライター市長は演説で、「我々はいかなる人種差別主義、反ユダヤ主義、極右の暴力にも反対する」と述べ、外国人排斥に反対する姿勢を打ち出した。

イスラム教徒の差別を防げ

一方、テロの危険にさらされているのはフランスだけではない。ドイツ政府は、約500人の若者がイスラム過激派の思想にかぶれてイラクやシリアへ渡り、テロ組織「イスラム国」の訓練を受けたり、実戦に参加しているとみている。彼らの中には、ドイツへ戻って無差別テロを計画する者がいるかもしれない。

今後、フランスやドイツで警戒態勢が強化されるのは避けられないが、そのことがイスラム教徒への差別や、市民権の制限に繋がることは防ぐ必要がある。ドイツと欧州にとって、イスラム過激派、そして移民問題への対応が極めて重要な課題となるだろう。

23 Januar 2015 Nr.994

最終更新 Donnerstag, 22 Januar 2015 17:37
 

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