ジャパンダイジェスト
独断時評


ドクター・エトカーと ナチスの過去

ドイツで「ドクター・エトカー」と言えば、この国で最も有名な食材メーカーの1つだ。ケーキを焼くために、「Dr. Oetker」のロゴマークが付いたベーキングパウダーを使ったことがある読者もおられるだろう。

1891年にビーレフェルトで創業した家族経営企業「ドクター・アウグスト・エトカー合資会社」は、ケーキやプリンなど製菓の材料、ピザやビール、ワインやシャンパンなどを手広く扱う総合食品メーカーである。その製品は、世界中のあらゆるスーパーマーケットに並んでいる。同社は経営を多角化して、海運業や銀行業、出版業にも携わっており、バーデン・バーデンの高級ホテル「ブレナー」も、エトカー・グループが所有する。全世界の総社員数は2万6000人を超え、2012年の売上高は109億4200万ユーロ(1兆4224億円、1ユーロ=130円換算)に上った。ドイツで最も成功した家族経営企業の1つだ。

ナチス政権との深い闇

だがこの会社、1930年代からナチス政権と深い関わりを持っていたことが明らかになった。ミュンヘン大学の歴史学者アンドレアス・ヴィルシング教授らは、今年10月に『ドクター・エトカーと国家社会主義』という研究書を発表し、「同社の幹部とエトカー家は戦前から戦中にかけてナチス政権を支援し、その庇護を受けた」と断定している。

ヴィルシング教授によると、ナチスとのパイプを作ったのは、1921年から1944年まで同社の社長を務めたリヒャルト・カセロフスキーだった。創業者アウグスト・エトカーの一人息子ルドルフ・エトカーは、第1次世界大戦中に戦死。このため、親友だったカセロフスキーがルドルフの遺言に従って未亡人と結婚し、ルドルフの息子が成人するまで社長として会社を経営したのだ。

カセロフスキーはヒトラーの心酔者で、後に親衛隊の長官になるハインリヒ・ヒムラーとも親交があった。ナチスがユダヤ人の所有していた企業を没収し、経済のアーリア化(ユダヤ系企業を非ユダヤ人に売却させ、ユダヤ人を経済活動から排斥する行為)を進めた際にカセロフスキーは協力し、飲料業界への進出に成功した。また、ナチス党がノルトライン=ヴェストファーレン地方で広報活動のために地方紙を所有したいと考えた際には、カセロフスキーは自社が所有していたある新聞社をナチスに売却し、国防軍にプリンやケーキの材料を納入して売上高を増やすなどした。さらに、前線の兵士の栄養状態を改善するため、保存食(野菜や果物のドライフード)の開発・研究を、軍や親衛隊と共同で行っている。戦時中には物資が不足したが、同社はナチス政権との太いパイプがあったために、優先的に原材料の提供を受けられたという。

同社は、ナチス政権にとって優等生のような企業だった。カセロフスキーは、ヒムラーと共にダッハウおよびザクセンハウゼン強制収容所を訪問したことすらある。つまり彼は、ナチス体制の犯罪性をはっきりと自覚しながら、第三帝国を支援し続けたのだ。

後継者は事実を看過

創業者の孫ルドルフ・アウグスト・エトカーも、ナチス体制の泥沼にどっぷりと浸かっていた。彼は1939年にナチス党員になり、親衛隊の戦闘部隊である武装親衛隊の将校となった。しかし、党幹部との太いパイプのために前線に送られることはなく、親衛隊の経済管理部門で食料調達業務を担当した。

カセロフスキーは、1944年に連合軍の空襲によって妻と2人の娘と共に自宅で死亡。このためルドルフ・アウグストが義父の跡を継いでエトカー社の社長に就任した。彼は2007年に90歳で死亡するまで、「ナチスの犯罪については知らなかった」と主張し続け、同社の倫理的責任を認めなかった。彼は、ナチス政権の外相の息子で、武装親衛隊員だったルドルフ・フォン・リッベントロップを、グループ内の銀行に幹部として就職させている。ルドルフ・アウグストの存命中は、エトカー家でナチスとの関わりについて語ることはタブーとされていた。

暗い過去の清算へ

しかし、ルドルフ・アウグストの息子で、1981年から2009年まで同社の社長を務めたアウグスト・エトカーは父親の死後、そのタブーを打ち破った。彼は今年になって「我が社の幹部たちがナチス支配を肯定したことは間違いない。彼らが行ったいくつかの判断について、我々は今日、後悔している」という声明を発表したのだ。そして彼は、歴史家たちに自社のナチス時代との関わりについての文書を公開し、研究書を発表させた。「ナチスの過去と批判的に対決する」という、今日のドイツ社会の常識を受け入れたのである。

エトカー社は、戦前そして戦時中にナチスに加担して利益を得た多くの有名企業の1社に過ぎない。私が興味深く思うのは、これらの企業が1990年代以降、ナチスと協力した事実を積極的に書籍やウェブサイトで公表していることだ。経済のグローバル化が進む今日、こうした事実を隠すことは企業活動にとってマイナスになる。情報開示によって、過去の失敗に対して反省の念を世間に表明することは、ドイツ企業にとって社会的責任の遂行であり、重要なリスクマネジメントなのだ。

ドイツ人は、「歴史リスク」を否定し続ける国家や企業が、いつか手痛いしっぺ返しを受けることを知っている。(本文中敬称略)

20 Dezember 2013 Nr.968

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:46
 

どこへ行く? 大連立政権

1月27日未明、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)は、大連立政権の柱となる連立協定書の内容について合意に達した。SPDが12月中旬に行う党員アンケートで、過半数が大連立政権への参加に賛成すれば、第3次メルケル政権が正式に発足する。

大連立政権
大連立政権合意の記者会見に臨むメルケル首相(中央)と
ガブリエル(CSU)、ゼーホーファー(SPD)各党首

CDU・CSUが大幅に譲歩

しかし、180ページを超える協定書の草案を読んで感じることは、保守政党とリベラル政党による大連立政権の樹立が、いかに難しい作業かということだ。 そのことは、両党の交渉が難航し、9月22日の連邦議会選挙から、協定書に関する合意までに約2カ月も掛かったことにも表れている。協定書からは、CDU・CSUがSPDに大幅に譲歩したことが強く感じられる。

最低賃金制導入の背景

例えば、CDU・CSUは法定最低賃金については選挙前に反対していたのだが、交渉の過程でその姿勢を撤回。2015年から、原則として時給8.50ユーロの最低賃金が導入されることが決まった。これは、選挙期間中から法定最低賃金の導入を要求していたSPDの要求が通ったことを意味する。ただし、開始後2年間は様々な例外措置を設け、すべての地域や業種において最低賃金が導入されるのは、2017年からとなる。

政府は業種ごとに経営者団体と労働組合の代表者から成る「最低賃金委員会」を設置し、最低賃金の額を毎年決定させるという。

ドイツでは、2003年にゲアハルト・シュレーダー前首相(SPD)が断行した構造改革「アゲンダ2010」の結果、ミニジョブなど低賃金の職種で働く市民の比率が増大。ドイツの低賃金部門で働く就労者の比率は約24%で、ユーロ圏内で最も高くなっている。このためドイツの国際競争力は高まり、現在ドイツ経済は、欧州で事実上「独り勝ち」の状態を謳歌している。

しかしその一方で、1つのミニジョブだけでは生活することができず、就労者でありながら、国から失業者援助金を受け取っている人(Aufstocker)が多数いるのも事実である。シュレーダー、そして彼の政策を継続したメルケル首相は、一時400万人を超えていた失業者の数を約100万人減らすことに成功したが、その裏では低所得層、そしてワーキングプアと呼ばれる人々が大幅に増えたということである。

最低賃金の導入は、政府がこうした人々の経済状態を改善するための第一歩である。

産業界は強く反対

一方、産業界からは「8.50ユーロの最低賃金が導入されると、企業の国際競争力に悪影響が出る」として反対の声が強かった。また、経済学者の間からは「特に旧東独地域では時給8.50ユーロよりも低い賃金で働いている市民が多いので、最低賃金の導入は東部を中心として失業率を高める」という懸念が出ている。

法定最低賃金の全面的な適用までに4年間の過渡期を設けたことは、大連立政権が企業の国際競争力の低下や、失業率の上昇を防ごうとするための配慮と思われる。

またSPDは、選挙前に富裕層の所得税率を大幅に引き上げることを公約として掲げていたが、この案はCDU・CSUの強い反対によって葬られ、連立協定書の草案からは消えている。SPDは増税案を撤回する代わりに、CDU・CSUから最低賃金の導入という譲歩を引き出したのだろう。

国富の一部を市民に還元

大連立政権は、公的年金についても一部かさ上げする。例えば、現在ドイツには1992年以前に生まれた子どもを持つ母親が900万人いるが、新政権は来年7月から彼らに対する年金支給額を引き上げる。この改善措置により、公的年金運営者の支出は約65億ユーロ(8450億円、1ユーロ=130円換算)も増える。また、SPDは「45年間以上働いた人には、支給額を減らさずに63歳から公的年金を受け取れるようにするべきだ」と主張していたが、この要求も部分的に満たされる。さらに、病気やけがのためにフルタイムで働けなくなった人や、低所得層の市民への年金支給額も、これまでに比べて増加する。

最低賃金や年金のかさ上げには、「2003年以来の構造改革によって生まれた国富を、市民に再分配する」というSPDの筆跡が強く感じられる。

SPDの危機

SPDは、企業寄りの国家的リストラ政策であった「アゲンダ2010」によって、多くの市民を失望させた。同党の一部の党員は「SPDは労働者ではなく経営者の利益を代表している」と失望して離党し、左派党(リンケ)に加わった。リンケは今やCDU・CSUとSPDに次ぐ、第3の政党に成長している。SPDが2005年から4年間にわたりメルケル首相と大連立政権を組んだ後、2009年の連邦議会選挙で23%という史上最低の得票率を記録したことは、市民の失望がいかに強かったかを物語っている。SPDがアゲンダ2010を一部修正し、「企業寄りの政党」というイメージを払拭しようとしているのはそのためである。

メルケル首相は、ドイツ経済の競争力の維持と、市民への国富の還元という一見矛盾する2つの目標を、どのように達成するのだろうか。第3期目の舵取りは、これまでよりも難しいものになるだろう。

6 Dezember 2013 Nr.967

最終更新 Freitag, 17 Januar 2014 11:16
 

メルケル首相の携帯盗聴事件の波紋

「Ausspähen unter Freunden - das geht garnicht(友好国間の盗聴は、絶対にあってはならないことだ)」。米国の諜報機関が、メルケル首相の携帯電話を盗聴していたという疑惑が浮上した時、彼女は厳しい表情でこう言った。

国家安全保障局(NSA)による盗聴疑惑は、米国とドイツの間の外交問題に発展。NSAの元職員エドワード・スノーデン氏が今年6月に暴露した情報のために、米独関係は過去10年間で最も険悪な事態に陥った。

メルケル首相
10月のEU首脳会議の合間、
自身の携帯電話をチェックするメルケル首相(左)

オバマ大統領に電話で抗議

10月17日、シュピーゲル誌の取材班は、メルケル首相のスポークスマンに対し、NSAがドイツで盗聴していた電話番号のリストを見せたという。その中には、メルケル首相が持っている2つの携帯電話のうち、キリスト教民主同盟(CDU)の関係者らとの通話に使う携帯電話の番号が含まれていた。

メルケル首相は、携帯電話を頻繁に使うことで有名だ。連邦議会の審議中にも時折、携帯電話からメールを送信している。彼女の政治活動に欠かせないこの携帯電話が、スパイ活動の標的にされたのだ。

メルケル首相はオバマ米大統領と電話で会談し、「友好国の首相に対する盗聴が事実であるとしたら、絶対に許されないことだ」と抗議して、疑惑の解明を要求した。しかも彼女は、スポークスマンを通じて、オバマ米大統領と電話で話した内容をメディアに公表するという、異例の措置を取った。

またメルケル首相は、ヴェスターヴェレ外相に命じて、ドイツ駐在の米国大使を外務省に呼び付け、抗議した。ドイツが、最も重要な同盟国の1つで、北大西洋条約機構(NATO)の盟主である米国の大使を外務省に「出頭」させることは、異例中の異例。ドイツがこのような態度を取ったのは初めてのことである。米国に対する通常の外交儀礼に反する行為であり、メルケル首相の怒りがいかに激しかったかを物語っている。

興味深いのは、ホワイトハウスの報道官のコメントだ。彼は、「米国はメルケル首相の携帯電話を盗聴していないし、将来も盗聴しない」と発表したが、「“過去において”メルケル首相の電話を盗聴したことはない」とは言わなかった。つまり米国は、過去にそのような行為があったことを事実上認めたのである。

早過ぎた「安全宣言」

ドイツ政府は、今回の件で大恥をかいた。NSA問題について、徹底的な調査を行わなかったために、メディアに指摘されるまで首相の携帯電話が盗聴されていたことを知らなかったからだ。

スノーデン氏の暴露後、ドイツ政府は米国政府に説明を求めた。しかし、フリードリヒ内相は今年9月の連邦議会選挙前、「米国の諜報機関はドイツの法律を守ると言っている。すべての疑惑は払拭された」と宣言した。メルケル政権がNSA問題の早期決着を図ったのは、盗聴問題が選挙の争点になることを防ぐためだったのだが、1週刊誌の調査報道によって、メルケル政権の「安全宣言」はもろくも崩れた。

シュピーゲル誌は、「連邦首相府や連邦議会議事堂の目と鼻の先にある米国大使館の屋上から、NSAの盗聴チームが政府要人の携帯電話を盗聴している疑いがある」と指摘。しかも、メルケル首相に対する盗聴は、2002年から今年の夏まで行われていた疑いが強まっているという。要するに、ドイツの対外諜報機関である連邦情報局(BND)や、外国のスパイ活動を取り締まる憲法擁護庁の職務怠慢である。

NSAの盗聴は公然の事実

ただし、NSAが政治家の携帯電話を盗聴していたこと自体は、驚くべきことではない。NSAが世界的な規模で電話の盗聴を行っていることは、1990年代から知られていたからだ。

諜報機関の任務は、「あらゆる情報を集めること」であり、その中には「友好国の首相の行動が、その言動と一致しているかどうかを確認すること」も含まれる。諜報機関は、技術的に可能ならば、いかなる手段も用いる。米国政府は自国の諜報活動について、他国に説明する義務を負わない。今後、ドイツ政府が強く抗議したとしても、米国政府はメルケル首相に対する盗聴の事実を詳しくは語らないだろう。

今回、CIAとNSAの技術職員だった人物が機密情報をメディアに渡したために、諜報機関の盗聴対象リストに首相の電話番号が載っていたことが、初めてメディアに知られてしまった。これは世界の諜報の歴史の中でも珍しい事態であり、スノーデン氏による情報開示の重要性を物語っている。

米国はスパイ行為を続ける

メルケル政権は、米国との間で「スパイ行為禁止協定」を結び、お互いの政府機関や企業に対するスパイ活動を禁止させたいと考えている。

しかしこれは、甘い発想だ。米国は自国の安全に関わるとなれば、今後も盗聴活動をためらわないだろう。ブッシュ政権のイラク侵攻が示したように、米国は国際法や外交協定よりも国益を最優先にする。彼らの電子盗聴技術は、他国に大きく水を開けている。

世界中の政府首脳は、彼らの携帯電話が今後もNSAによって盗聴される可能性があることを肝に銘じるべきだ。それが世界の現実政治(レアル・ポリティーク)の真の姿である。米独関係が修復されるまでには、まだかなりの時間が掛かるだろう。

15 November 2013 Nr.966

最終更新 Freitag, 17 Januar 2014 11:21
 

最低賃金導入へ ー SPD、アゲンダ2010を修正

10月17日、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)は、連立協定のための交渉に入ることを発表した。緑の党がCDU・CSUとの連立を諦めた今、CDU・CSUとSPDが大連立政権を組むことは、ほぼ確実となった。

連立協定の会議室
10月23日のCDU・CSUとSPDによる連立協定の様子

やって来る最低賃金制

CDU・CSUとSPDは、意見が対立していた政策についても譲歩する姿勢を打ち出している。最低賃金制は、その1つだ。

選挙前からSPDは、法律によって全業種に1時間当たり8.50ユーロ(1105円・1ユーロ=130円換算)の最低賃金を導入することを提案していたが、これに対してCDU・CSUは難色を示していた。しかし両党は、連立協定のための交渉に入る直前に、最低賃金をめぐり歩み寄りを決めた。SPDが富裕層に対する増税を断念する代わりに、CDU・CSUは最低賃金制への反対を撤回したのだ。

欧州の大半の国では、法律で最低賃金が決められている。しかしドイツでは、一部の業種が法律ではなく、労使間交渉によって最低賃金を設定していた。

経済学者たちの間からは、法律による最低賃金の導入は、雇用などに悪影響を及ぼすという声が上がっている。

ドイツ経済研究所(DIW)のフィヒトナー研究員は、「8.50ユーロの最低賃金は、旧東独地域の小規模企業に深刻な影響を与え、雇用の減少につながる」と警告する。彼によると、旧東独では就業者の25%が8.50ユーロよりも少ない時給で働いている。このため、最低賃金が8.50ユーロに引き上げられた場合、多くの市民が職を失う可能性があると言う。

リンツ大学のシュナイダー教授は、「時給8.50ユーロの最低賃金が法制化された場合、この金額よりも低い賃金で働く闇労働者が増加する。闇経済の規模は、1年間で約20億ユーロ(2600億円)増えるだろう」と推測する。シュナイダー教授は、現在ドイツで未申告労働に支払われる賃金や報酬の額が、毎年3405億ユーロ(44兆2650億円)に達すると推定している。闇労働の増加は、就業者が税金や社会保険料を納めないことを意味するので、社会に対して大きな損害を与える。

シュレーダー改革を修正へ

私が興味深く感じるのは、SPDがシュレーダー前首相による構造改革を部分的に逆戻りさせて、その悪影響を必死で弱めようとしていることだ。

ドイツでは、1998年から2005年まで首相だったシュレーダー氏が、構造改革「アゲンダ2010」を断行。彼は長期失業者に対する給付金を生活保護と同じ水準に引き下げ、公的年金を実質的に削減したり、健康保険の適用範囲を狭めたりした。さらに「ミニジョブ」と呼ばれる低賃金労働を可能にし、派遣労働に関する規制を大幅に減らした。ドイツではそれまで、雇用契約は基本的に無期限だったが、シュレーダー氏は法律を改正して、企業が期限付きの雇用契約を増やせるようにした。

こうした改革によってドイツの労働コストの伸び率はほかの欧州諸国よりも大幅に低くなり、失業者の数が約200万人減った。しかし、低賃金部門で働く労働者の比率は、EU主要国の間で最も高くなった。今でも200万人を超える人々が、1つの仕事の報酬だけでは生活できないため、国から失業給付金(ALG・II)を受け取っている。だがこれらの人々は、統計上は失業者に数えられない。シュレーダー氏は、低賃金部門の拡大と統計によるトリックによって、失業者数を大幅に減らしたのだ。

現在SPDは、連立協定をめぐる交渉の中で、最低賃金の導入だけではなく、派遣労働期間の制限や、期限付き雇用契約数の削減に狙いを定めている。

その理由は、シュレーダー改革について、SPDの左派勢力などから「所得格差を拡大し、ワーキングプアの問題を深刻化させた」として批判が出たからだ。シュレーダー氏が2期目の任期を全うせずに首相辞任に追い込まれたのは、アゲンダ2010に対する市民の不満が高まったからである。シュレーダー政権で一時財相を務めたが、SPDを離党して左派党に入ったラフォンテーヌ氏は、「数百万人の市民が貧困の脅威にさらされている。シュレーダー氏が首相の座を追われて良かった」と述べ、アゲンダ2010を厳しく批判している。

1976年には、SPDの党員数は100万人を超えていたが、今では半分以下の約49万人に減った。シュレーダー政権下でSPDを離党した市民も少なくない。つまりアゲンダ2010は、SPDに癒しがたい傷を与えたのだ。

今年はシュレーダー氏がアゲンダ2010を発令してからちょうど10年目だが、SPDは選挙期間中にこの言葉を使うことを避けた。今なおSPDの指導部にとって、アゲンダ2010という言葉は禁句なのだ。メルケル首相がシュレーダー氏による大改革を事あるごとに称賛するのとは、対照的である。

SPDは、時計の針を逆に戻して「負の遺産」を清算し、有権者の信頼を回復することができるだろうか。ガブリエル党首の戦いは、まだ始まったばかりだ。

1 November 2013 Nr.965

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:49
 

ドイツ連邦軍の アフガン撤退

10月6日、アフガニスタン北部のクンドゥスにあるドイツ連邦軍の基地を、ヴェスターヴェレ外相とデメジエール国防相が訪れた。

彼らは、アフガン軍と警察にこの基地を引き渡すための式典に出席したのである。主権の譲渡を象徴する木製の大きな鍵が、ドイツ人の閣僚たちからアフガン政府の内相らに手渡された。

一時は4500人が駐留

約11年にわたってアフガニスタンに駐留していたドイツ連邦軍は、今年10月末までに完全に撤退する。

2001年以降、米英仏など50カ国が、国連決議の下に国際治安支援部隊(ISAF)として延べ8万5000人の将兵をアフガニスタンに派遣してきた。テロ組織アルカイダは、2001年までタリバン政権の支援の下、アフガニスタンに訓練施設や基地を持ち、米国で同時多発テロを実行した。

各国は、アフガン政府が自力で軍と警察力を作り上げ、過激勢力に対抗できるよう訓練を施し、復興を助けることを任務としていた。

ドイツ連邦軍は当初、首都カブールに1200人の兵士を駐留させていただけだったが、2006年にはアフガニスタン北部の治安維持を任された。このためドイツは、一時4500人の将兵を同国に駐留させていた。

初めて戦闘を体験

アフガニスタン駐留は、ドイツ連邦軍を大きく変えた。1955年に創設された連邦軍は、この国で初めて地上での戦闘を経験したからである。

これまでアフガニスタンでは、米軍を中心に3000人以上の兵士が戦死し、ドイツ軍の兵士も54人が命を落としている。連邦軍の歴史で、戦死者が出たのは初めてのことである。クンドゥス基地の一角には、戦死した兵士たちに捧げられた慰霊の壁があり、兵士たちの名前入りプレートが貼り付けられている。冷戦の期間中には、「戦死」とか「戦闘で負傷」という言葉はドイツ人にとって抽象的な概念でしかなかったが、アフガンでの駐留によって、現実のものとなったのだ。

アフガン駐留は、ボスニアやソマリアで経験したような平和維持任務ではなく、いつ攻撃してくるか分からないゲリラたちとの、神経をすり減らすような戦いだった。当初ドイツの政治家たちは、「ドイツ連邦軍が戦争に参加している」という言葉を使うことを避けていた。しかし彼らも、タリバン・ゲリラの待ち伏せ攻撃や、自爆テロによってドイツ人の戦死者が増えるにつれ、連邦軍兵士たちが戦争に巻き込まれていることを、公に認めざるを得なかった。

激しい戦闘で負傷したり、目の前で戦友が殺されるのを目の当たりにして、帰国後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)という精神的機能障害に苦しむドイツ人も少なくない。

クンドゥスの悲劇

2009年9月4日には、悲惨な事件が発生した。ドイツ連邦軍はアフガニスタン北東部で、「抵抗勢力タリバンのゲリラが、ガソリンを満載したタンクローリーを乗っ取った」という通報を受けた。ドイツ連邦軍のクライン大佐は、「タンクローリーが自爆テロに使われる危険がある」と考え、この車両を攻撃するよう米軍に要請した。それを受けた米軍の戦闘機が、川の砂地にはまって動けなくなっていた2台のタンクローリーを、爆弾で破壊した。

この攻撃でアフガン人は少なくとも約140人が死亡したが、当時の国防相だったユング氏は事件の3日後、「死亡者はタリバンのテロリストだけ。市民への被害はなかった」と発表。しかしアフガン政府の調べで、死亡したのはタリバン・ゲリラだけではなく、約40人の市民も空爆の巻き添えになっていたことが明らかになった。

タリバンはタンクローリーが立ち往生したため、近くの村の住民を呼び集め、ガソリンを配って重量を軽くし、車両が砂地から抜け出せるようにしていた。このため、多くの住民が車両の回りに集まっていたのだ。

同年11月末に、ビルト紙が暴露した事実は、ドイツ政府を窮地に追い込んだ。空爆の翌日にドイツ連邦軍の憲兵は現場を視察し、「ゲリラだけでなく市民も多数死傷している」という報告書を国防省に送っていた。つまり元ユング国防相は、市民の間に犠牲者が出ていることを知りながら、数日間にわたって「死亡者はゲリラだけ」と嘘をついていたのである。

同年11月に発足した新政権でユング氏は労働相に任命されていたが、メルケル首相はユング氏を更迭。「アフガン市民をタリバンから守る」というドイツ政府の大義名分は、多数の市民を死傷させた空爆で、大きく傷付けられたのだ。

アフガンの未来は?

今後、ISAFはアフガニスタンから徐々に撤収するが、その後、同国の治安がどうなるかについては不透明だ。各地に軍閥が割拠する状態は変わっておらず、政治家や官僚の腐敗が伝えられる。現在は守勢に追い込まれているタリバンが、ISAFの主力部隊が撤退した後に攻勢を開始し、欧米が支援する政権への攻撃を強める可能性もある。

同国に過激勢力が復活し、ISAFに協力したアフガン人や女性たちが弾圧される事態は、是が非でも防がなくてはならない。欧米諸国は今後も、アフガニスタンと長く関わらざるを得ないだろう。

18 Oktober 2013 Nr.964

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:57
 

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