ジャパンダイジェスト
独断時評


FDPは再生できるか?

ヴェスターヴェレ氏が、ようやく自由民主党(FDP)の党首の座を投げ出した。外相は4月3日、苦渋に満ちた表情で記者会見を行い、5月の党大会で行なわれる党首選挙に立候補しないことを明らかにしたのだ。

FDP内部では、近年ヴェスターヴェレ氏に対する批判が強まっていた。同党は2009年に税制の簡素化や社会保障コストの削減を約束して約15%の得票率を確保し、キリスト教民主・社会同盟(CDU・ CSU)とともに保守中道連立政権に参加した。

だが、ギリシャとアイルランドが過剰な債務によって国家破たんの瀬戸際に陥り、ドイツはほかのEU諸国同様、財政赤字と公共債務の削減を迫られた。こ のためメルケル政権は、税制の簡素化などの公約を実現できず、FDPの重要な支持層である財界、とりわけ中小企業の経営者の不満が高まった。

FDPの地方支部では、「同党の地方選挙での不振はヴェスターヴェレ党首の指導力不足が原因」として、彼に党首辞任を迫る声が上がっていた。「ヴェス ターヴェレ氏が応援に来ると、支持者が減る」として、彼が応援演説に来るのを断る地方支部さえあった。

一方、ヴェスターヴェレ氏は党内で煮えたぎる批判にもかかわらず、党首の座に拘泥し続けたが、3月末にバーデン=ヴュルテンベルク(BW)州とラインラント=プファルツ(RP)州で行なわれた州議会選挙は、彼に引導(いんどう)を渡した。

FDPのBW州での得票率は、わずか5.3%。票数は、緑の党の5分の1である。FDPは、「企業経営者の味方」を自任してきた。BW州にはダイムラーやボッシュなど世界的に有名な企業が軒を連ね、自営業者が多いのだから、本来FDPはBW州で善戦するべきだった。そうした地域でFDPの得票率がこれほど低かったことは、同党が多くの企業経営 者からも見放されたことを示している。またRP州でFDPは、5%の最低ラインに到達することができず、州議会での議席を失うという恥辱にまみれた。 どちらの州でも、FDPの得票率は前回の選挙に比べて半分に減っている。強引な性格で知られるヴェ スターヴェレ氏も、この敗北の責任を認めざるを 得なかったのである。

FDPは体制刷新によって、有権者の信頼を取り戻 そうと必死である。現在のところ、連邦保健相で弱冠38歳のフィリップ・レスラー氏が内定している。しかし彼が有権者の支持を回 復できるかどうかは、未知数である。たとえ彼 が党首になった としても、同時に保健相にとどまることは不利だ。レスラー氏 は、公的健康保険制度の改革という市民に不評なプ ロジェクトを実行せざるを得ないからである。ドイツ では日本と同じく高齢化と少子化が急速に進んでい る。このため、保険制度を破たんさせないためには、 患者の自己負担と保険料を大幅に引き上げるか、公的保険のサービスを大胆に減らす以外に道はない。 どちらも、市民の生活にとってはマイナスの効果をもたらす。

党首には、ぐいぐいと人々を引っ張っていく指導力と、一種のカリスマ性が必要だ。レスラー氏にそうした資質があるかどうかは、まだ分からない。

これはFDPに限ったことではないが、ドイツの政 党は人材不足に悩んでいる。「FDPで印象に残る政治家は?」と聞かれた場合、ドイツ統一の時に外相だったハンス・ディートリッヒ・ゲンシャーくらいしか思い浮かばない。それ以外の政治家は、みな小粒 である。個性の乏しさも、FDPの人気低下につながっているに違いない。同党が再生するための道程は、険しいものになるだろう。

15 April 2011 Nr. 863


最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:35
 

原発を拒否したドイツ人

東北地方太平洋沖地震が引き金となった福島第1原発の事故は、ドイツの政界に大きな異変をもたらした。3月27日にバーデン=ヴュルテンベルク(BW)州で行なわれた州議会選挙で、環境政党である緑の党が24.2%という過去最高の得票率を記録して大躍進。緑の党は、保守王国BW州で初めてキリスト教民主同盟(CDU)を政権の座から追い落としただけでなく、連立政権のリーダーとして州首相の座を獲得することになった。緑の党の議員が州首相になるのは、全国で初めてのこと。約60年間にわたってCDUが単独支配してきたBW州に、環境政党が首相を送り込むとは、正に歴史的な事態である。

緑の党に投票した人は、前回の選挙の46万人から2.6倍に増えて120万人に達した。前回の選挙で棄権した人の内、約27万人が緑の党に票を投じたことから、得票率が2倍以上増えたのである。またラインラント=プファルツ州での州議会選挙でも、緑の党は得票率を4.6%から15.4%に増やし、社会民主党(SPD)とともに連立政権に加わることになった。

今回の選挙の最大の争点は、原子力だった。緑の党が大躍進した理由は、投票日のわずか16日前に発生した福島第1原発の事故の報道によって有権者が強い不安を抱き、原子力発電の早期中止を求めたことにある。メルケル政権は昨年秋に、原子炉の稼動年数を平均12年間延長することを決定したが、BW州のマップス首相(CDU)は、稼動年数延長を強く支援していた。メルケル政権は、福島原発の事故によって国民の間で不安が高まったために、震災の直後に17基の原子炉の内、1980年以前に運転を開始した7基をストップさせた。また、政府は稼動年数の延長措置を3カ月にわたって凍結し、すべての原子炉の安全検査も命じた。しかし有権者はCDUが稼動年数を延ばしたことを忘れられず、怒涛のように緑の党に票を投じたのである。選挙前日には、ベルリンやミュンヘンなど主要都市で25万人の市民が、戦後最大規模の反原発デモに参加していた。CDUが原子力に好意的なエネルギー政策を取ったことは、同党にとって裏目に出たのである。

その意味で、今回のBW州議会選挙は原子力に関する一種の「国民投票」でもあった。選挙で有権者がこれほどはっきりと民意を表現するのも珍しい。原子力推進派だったメルケル首相も選挙後「私は福島原発の事故によって、原子力についての考えを変えた。私はもはや原子力発電の支援者ではない」と断言している。メルケル政権は、5月末までに稼動年数の延長を帳消しにするだけではなく、大多数の国民の望み通りに原子力発電所を予定よりも早く廃止するものと見られている。

福島原発の事故は、1万キロ離れたドイツ政府のエネルギー政策を180度転換させてしまったのだ。有権者を緑の党に走らせたのは、福島第1原発の天井が吹き飛ぶ衝撃的な映像であり、発電所の周辺地域の放射能汚染についてのニュースだった。環境問題について敏感なドイツ人は、日本の野菜や牛乳、水道水や海水に含まれる放射能に関する報道を、重大な関心を持ってフォローしている。

ただし、私は日本人である。祖国では2万人を超える死者・行方不明者が出ている。東北地方の多くの市町村が地震と津波によって破壊され、被災地と原発周辺の地域の市民は不便な避難生活を強いられている。福島第1原発では、作業員や自衛隊員が被爆の危険を冒して原子炉の冷却作業にあたっている。私は、緑の党の躍進が、日本での悲惨な出来事を起爆剤として達成されたことについて、複雑な気持ちになった。

8 April 2011 Nr. 862

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:37
 

ドイツの震災報道

マグニチュード9という観測史上最も強い巨大地震と津波に襲われた日本。この原稿を書いている3月23日の時点で、死者・行方不明者の数は2万3000人を超え、厳しい寒さの中、何十万人もの被災者が避難所で不自由な生活を強いられている。亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りする。被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早くライフラインが復旧することを切望する。

さてドイツにお住まいの読者の中には、東北地方太平洋沖地震が起きた直後のドイツのテレビ、新聞、雑誌の報道内容にショックを受けた方がおられるのではないだろうか。大衆紙の1面には「アルマゲドン(世界の終わり)」とか「ホラー(恐怖)」という大見出しが乱舞した。ある週刊誌は、犠牲者の遺体の写真を掲載。衝撃的な映像が、これでもかこれでもかと視聴者や読者に突き付けられた。原子力に関する知識が少ないドイツ人による日本滞在報告の中には、「原子炉が爆発した」という誤った記述もあった(原子炉が設置されている建屋が爆発したのは事実だが、原子炉そのものは爆発していない)。これらの報道は、あたかも日本全体が壊滅したり、放射能汚染にさらされたりしているかのような印象を市民に与えた。

このためドイツ市民の中には、日本から約1万キロ離れたドイツにまで放射性物質が流れてくると不安に思い、放射線測定器やヨード剤を購入する市民が増えた。私はインターネットの動画サイト「ニコニコ生放送」で見られる日本のニュースと、ドイツのニュースを比べて見ていた。NHKが市民に不安感を与えないように極力客観的な報道に努め、「安心情報」も流していたのに対し、ドイツのテレビの報道内容には、悲観的でセンセーショナルなものが多かった。私自身、ニュース番組を見るたびに心が暗くなった。多くのドイツ人が不安を抱いた原因の1つは、この報道姿勢にある。

しかし中には、心ある言論人もいる。経済誌「Wirtschaftswoche」のRoland Tichy編集長は3月下旬に、日本人に対して連帯の意を表わす声明を同誌のウェブサイトに発表したが、その中でドイツの震災報道を厳しく批判している。彼は大災害に遭っても冷静さを失わない日本人に感嘆する一方、「ドイツの公共放送は黙示録のような恐怖感を煽っている。多くのジャーナリストが事実と憶測を区別せずに報道しており、(原発事故が)最悪の事態になると最初から決めつけている。私は同業者として恥ずかしい」と告白する。そして、「ドイツ人はパニックに陥り大騒ぎする一方で、犠牲者のことを忘れている」と厳しく指摘。震災を原発反対運動に利用する緑の党の政治家や、「日本に援助に行ったのに、空港に誰も迎えに来てくれなかったので回れ右をしてドイツに帰ってしまった救助隊」を痛烈に批判している。

ドイツに住む多くの日本人が、この文章を読んで元気付けられている。ドイツ人の中にも「彼が言う通りだ」と同意する市民は少なくない。最近になって、ドイツ人とマスコミの過剰反応を指摘する記事が少しずつ現われ始めた。

ドイツ人は1986年のチェルノブイリ原発事故で、国土や農作物が汚染された経験を持つ。さらに欧州で最も環境保護を重視し、原子力に対する不信感が強い国民である。このために今回の原発事故に激しく反応したのだろうが、市民の不安をいたずらに煽るような報道は控えていただきたい。困難な事態であればあるほど、冷静さを保つことが必要である。そして事態が一刻も早く安定化することを、心から祈りたい。

Roland Tichy 編集長のコメント
http://www.wiwo.de/politik-weltwirtschaft/ tabellen-1/japan-trauer-um-die-opfer.html

1 April 2011 Nr. 861

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:37
 

がんばれ日本

今われわれが目撃している悲劇を、どのように表現したら良いのだろうか。3月11日に東北・関東地方の広い範囲を大地震が襲い、部分的に10メートルを超える高い津波が岩手、宮城、福島などの沿岸部に壊滅的な打撃を与えた。マグニチュード9.0という地震は、日本はもちろん世界でもほとんど例がない。

地震発生からわずか10分足らずで、津波が沿岸を襲った。民家や船、車を押し流し、町や村を飲み込んだ。自然の脅威に戦慄するしかない。

この原稿を書いている16日に警察庁が発表した死者の数は3676人だが、1万人を超える人々が行方不明になっている。住民の半分以上の安否がわからない町もある。菅首相が東日本大震災を「第2次世界大戦後、最大の危機だ」と呼んだことは、誇張ではない。今この瞬間にも、道路が寸断されているために救援物資が届かず、厳しい寒さの中で孤立している人々がいる。被災者たちは、断続的に続く余震におびえながら、避難所で不便な生活を強いられている。被災地の皆様には、心からお見舞いを申し上げる。水や食料、医薬品が一刻も早く被災者の方々に届けられることを切望する。

読者の皆様の中にも、日本の家族や友人について心配されている方も多いだろう。心からお見舞い申し上げたい。

今、世界中の目が日本に集まっている。被災地でパニックや略奪が起こらず、人々が譲り合いの姿勢を忘れず、秩序立った行動を取っていることに、欧米では感嘆の声も上がっている。ドイツ人の関心も高い。東日本大震災は、 新聞やテレビでも連日トップニュースとして扱われている。私は20年前からドイツに住んでいるが、日本がこれだけ集中的に取り上げられたことは、過去20年間に1度もなかった。

ドイツ人が特に衝撃を受けているのが、福島原発の事故である。この国では、1986年にソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故のために、ドイツの土壌や食料が放射能で汚染されたことの記憶が生々しい。さらにドイツでは原子力について批判的な市民が多い。このため、「世界で最も安全」と考えられていた日本の原子力発電所で3つの原子炉が炉心溶融を起こし、テレビカメラの前で建物の一部が水素爆発によって吹き飛ぶ映像を見て、強いショックを受けているのだ。さらに使用済み核燃料を貯蔵しているプールでも、冷却水が減ったために燃料が過熱し、火災が発生している。核燃料の過熱を防ぐための三重の安全機構が、地震と津波によって作動しなかった。全く想定されていなかった事態である。

IAEA(国際原子力機関)は、原子力関連の事故の深刻さを表わす国際原子力事象評価尺度(INES)という基準を使っている。今回の事故は7段階の内、2番目に深刻な「6」にあたると海外では推定されている(日本の見解は「5」)。すでに米国のスリーマイル島の事故「5」を上回る深刻さである。ドイツ政府は、この事故を重く見て原子炉の稼動年数の延長を3カ月にわたって凍結し、原発の一斉点検を命じた。

地震、津波、原発事故の3つが重なったケースは、これまで世界で1度も起きたことがない。福島原発では、電力会社の技術者や消防士、自衛隊員らが被害の拡大を防ぐために、被爆や爆発の危険を顧みず命がけで作業を行っている。福島原発の状況が一刻も早く安定化されることを、心から祈っている。「がんばれ日本」と声を大にして叫びたい。

25 März 2011 Nr. 860

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

グッテンベルク・落ちた偶像

2009年に、彗星のごとくドイツ政界の表舞台に登場したグッテンベルク氏は、ハンサムな容貌とさわやかな弁舌、貴族の血筋で人々を魅了し、この国で最も人気のある政治家の座に駆け上った。その人物が今年3月、博士論文の盗用の責任を取り、国防相ばかりでなく連邦議会議員まで辞職した。本人は世間の追及を避けてフランケン地方の居城に閉じこもってしまったが、異例のスキャンダルの余震は、今もドイツ社会を揺さぶっている。

裕福な貴族の家庭に生まれた彼は「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」、つまり要領よく生きる男であることを自認していた。

グッテンベルク氏は、子どもの頃から人前で話をするのが非常に上手かった。12歳くらいの時から家庭内のパーティーや家族企業の催しなどで、物おじせずに堂々とミニ・スピーチをすることができた。私は昨年バイエルン州で行なわれた政治講演会で、彼が話し始めて数分間で聴衆の心をつかむのを目撃した。その話術を、彼は子どもの頃にすでに体得していたのだ。政治家にとって重要な資質の1つを備えた人物なのである。

その代わり、彼は1つのテーマの細部にこだわり、時間を掛けてこつこつと仕事をするのが不得意だった。1993年にバイロイト大学で法律を学び始めたが、第1次国家試験の成績は「befriedigend(可)」と冴えなかった。グッテンベルク氏は第2次国家試験も、司法修習も受けていない。これでは弁護士として働くことはできない。職業資格ゼロというのは、貴族の家庭では不名誉である。この欠点をカバーするには、博士論文を書くのが手っ取り早い。グッテンベルク氏は、そのために7年も掛けてコピー&ペーストで論文を書き、ドクターの称号を手にしたのだ。ここにも「あまり苦労をせずに、比較的大きな成果を得る」という彼の人生哲学がにじみ出ている。

グッテンベルク氏の人気が高かった理由の1つは、彼が「真面目さ、真剣さ、潔さ」を売り物にしたことだ。多くの有権者は、「大半の政治家はこうした資質を持っていない」と考えて政治に飽き飽きしていたからだ。庶民は、グッテンベルク氏がそうした性格を持っていると信じ、「連邦首相になってほしい」とまで望んだ。だが今回の論文盗用事件で、グッテンベルク氏は馬脚を現した。

ブレーメン大学の教授が最初に盗用の疑いを指摘した時、彼は「ばかげたことだ」と疑惑を一蹴した。その発言は2週間でどんどん弱まり、最後は責任を認めざるを得なくなった。特に引用先を明らかにして博士論文を書き、ドクターの称号を取った市民たちからは、国防相や議員の座にしがみつくグッテンベルク氏の態度に対して、怒りの声が強まった。人々は、この貴族が「真面目さ、真剣さ、潔さ」という資質を欠いていたことに気付いたのである。その意味でグッテンベルク氏に辞職以外の道はなかった。今回のスキャンダルは、ドイツ政界の人材不足をも象徴している。英語で言うポリティシャン(政治屋)は多いが、真に国家の将来を考えるステーツマン(政治家)が不足しているのだ。

それでも一部の市民は、グッテンベルク氏に強い「愛情」を抱いており、カムバックを切望している。ドイツには、「ブンテ」などの女性誌の表紙をポートレートが飾る政治家は、グッテンベルク氏を除くとこれまでほとんどいなかった。庶民は、常にスターを求めている。彼がいつの日か「みそぎ」を済ませて、政界に復帰しても全く不思議ではない。

18 März 2011 Nr. 859

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

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