マニアックな勝負の世界
英国の鳩レース
鳩の深い魅力にはまるファンシーズたち
訓練された鳩を飛ばし、レースごとに指定された距離内の移動速度で優勝を決める「鳩レース」は、世界各地で盛んに行われているスポーツの一つだ。英国内では衰退してきているものの、今もなお英語でファンシーズfanciersと呼ばれる約6万人の愛鳩家と4万2000羽のレース鳩がおり、一定数の熱烈なファン層に支えられ今日に至っている。英国のレースの大きな特徴は、王室がレースに参加しているということ、そして大々的な品評会があるということ。独自の愛鳩文化が育つマニアックな世界を、少しだけのぞいてみよう。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.rpra.org、www.pigeonracinguk.co.uk、https://racingpigeon.co.uk、www.britannica.co、www.theguardian.com、www.jrpa.or.jp/index.html ほか
鳩レースの発展は伝書鳩から
品種改良され、飛翔能力を大幅にアップさせたレース鳩が生まれる前から、人間と鳩には非常に深い関係がある。諸説あるものの、鳩を飛ばして遠方地にメッセージを伝えたことが歴史に記されたのは古代エジプトのファラオ、ラムセス3世が名を轟かせた紀元前1200年ごろ。ナイル川の氾濫の様子を各都市に知らせたとされ、以降ローマ帝国時代にはオリンピックの試合結果、船の帰港をいち早く知らせる通信手段として広く使用されていた。また、中東では情報を運んでくる鳩たちは「The Kings Angels」(キングス・エンジェルス)と呼ばれてかわいがられており、中世には十字軍によって欧州中にも同文化がもたらされ、鳩は国を超えてさまざまな地域で使われていた。1000キロメートル(東京から小笠原諸島あたり)も移動できる現在のレース鳩とは違い、伝書鳩は200キロメートルほどの距離を飛んでいた。
19世紀のフランスでは、鳩を公式の郵便サービスとして利用し、1870年にはロンドン-パリ間の国際郵便サービスが開始。当時のフランスでは普仏戦争の最中で、パリは独軍によって包囲されており、郵便物を運べるのは空路のみ。気球を使って鳩をパリの外へ運び、そこからより安全にメッセージを届けたようだ。機密事項を運ぶ鳩を攻撃しようと、独軍では鳩を撃ち落とすためにタカが動員されるなど、空と言えども安全の保証があるわけではなかった。のちに無線通信やラジオの登場により、1910年ごろには伝書鳩は次の文明の利器にとってかわったものの、その後も欧州各国で第1次、第2次世界大戦中に軍事目的で使用されたり、インドでは2000年代まで伝書鳩による郵便サービスがあったりと、必要に応じて用いられた。
第1次世界大戦中、仏軍で使われた伝書鳩
スポーツとしての鳩レースと王室との関係
戦争や個人の利用など多目的に使用されていた鳩だったが、1818年にはベルギーで初めて約100マイル(160キロメートル)を飛ぶ鳩レースが行われた。続く1820年にはベルギーのリエージュ-パリ間で、1823年にはロンドン-ベルギー間でレースが開催。英国内初のレースは1881年で、エクセター、プリマス、ペンザンス各地からロンドンまでを競った。英王室は1886年から鳩レースに参加している。
英王室が参加したきっかけは、同年にベルギーのレオポルド2世からレース鳩を贈られたから。これをきっかけに、王室メンバーは別邸、サンドリンガム・ハウスに王室専用の鳩舎(ロイヤル・ロフト)を構え、現在も約160羽の成熟した鳩と若い80羽のレース鳩を飼っている。エリザベス女王はレース鳩好きで知られており、ロイヤル・ピジョン・レーシング・アソシエーション(The Royal Pigeon Racing Association)とナショナル・フライング・クラブ(National Flying Club)のパトロンにもなっており、1990年の大会では優勝したことも。ロイヤル・ロフトは毎シーズン大会に参加し、何年にもわたって勝ち続けたこともある強豪の鳩舎となっている。ちなみにかつてロイヤル・ロフトの鳩は二つの大戦で伝書鳩として戦場に駆り出されており、そのうちの1羽はその優秀さから戦争への献身を評価された動物に授与されるディッキン・メダル(the Dickin Medal)を与えられた栄光を持つ。名実ともに名のある鳩舎というわけだ。
地方のショーに出展するロイヤル・ピジョン・レーシング・アソシエーションのトレード・ブース
鳩レースを管理する団体
英国にはイングランド、ウェールズが参加できる総合クラブ、ナショナル・フライング・クラブと、英国全土に六つの組織がある。
● Royal Pigeon Racing Association (RPRA)
1896年の会合をきっかけにできた組織で、英王室が所属している。参加には約2500のレーシング・クラブがある。
● Irish Homing Union (IHU)
1896年設立の北アイルランドを含むアイルランド地域をまとめる組織。32県のうち19県にある、121のレーシング・クラブと計3318人のメンバーが所属。
● North of England Homing Union (NEHU)
● North West Homing Union (NWHU)
● Scottish Homing Union (SHU)
● Welsh Homing Union (WPHU)
各組織には地域ごとのレーシング・クラブが多数所属している。参加したい場合はまず組織に連絡して書類をもらい、その後組織から地元のクラブに連絡がいく、というシステムだ。
レースの仕組み
組織ごとにレースの仕組みは若干異なるが、RPRAの場合、クラブ・レースとロフト・レースの二つがある。クラブ・レースはファンシーズ(鳩の飼い主)が鳩舎(ロフト)を持っていなければならず、管理費、予防接種、飼育代、初期費用などがかかる玄人向け。
ロフト・レースは、ロフト・マネージャーと呼ばれる特定のロフトの管理人が持つロフトをレースのときだけ間借りし(有料)、1羽から複数の鳩を入れて参加するレースのこと。適切な費用を払えば鳩だけ持ち込めば参加OK。同じ条件で入場した全てのハトが一つのロフトに収容される仕組みで、試合会場へほかの鳩たちと同時に向かい、そのホーム・ロフトに向かって鳩が戻るまでのタイムを競う。
基本的にクラブ内でレースを行うが、2クラブ以上で開催することもある。
19世紀ごろのレースは飛翔時間・距離を正確に記録する機材が整っていなかったため、当時は、鳩は駅の警備員によって放たれ、ロフトに到着次第人間の手によって足首につけられたレース・リングを取り外し、ファンシーズは最寄りの郵便局に駆け込み、郵便局長に記録を取ってもらうという人的要素も順位に大きく関わってくるお粗末なシステムだった。
後にさまざまなルール改正、機器の発達を経て、現在は片足に特定の番号が付いた電子テクノロジーを採用した金属製、またはゴム製のレース・リングが採用されている。ホーム・ロフトに戻ると金属製は電子で、ゴム製は専用ボックスに収めることで結果を記録できるようになっており、飛行距離と所要時間で平均速度を割り出し、その早い順で勝利を決める。このシステムにより、初心者でも参加しやすくなった。
レース・リングを付けた鳩の右足
どのように訓練するのか
レース鳩は、繰り返しロフトに戻る練習をすることで、異なる距離から解放されても対応できるよう、ロフトの出入り口、トラップ・ドア(外から中へ一方通行のドア)から入るように訓練される。ドアを完全に通過しないと記録にならないので、とにかく練習あるのみ。ファンシーズは、シーズンが本格的に始まる2~3週間前に訓練を開始し、ロフトの周りで最低でも毎日1時間運動させる。毎日同じ時間に行うほうがよく覚えるので、ファンシーズにもそれなりの根気が求められる。また、給餌は水場のあるロフトで行われる。水にアクセスできるのはロフトのみなので、水浴び好きのレース鳩はこの場所を記憶する。ロフトへ戻るための訓練は水を通しても行われるのだ。飛翔トレーニングは、ロフトから20~30マイル(32~48メートル)離れた場所に鳩を連れて行く個人練習のほか、クラブのメンバーが集まって訓練することも。
もちろん初心者にはどのように訓練したらいいのか分からないので、所属する地元クラブの先輩に聞いて上達する方式。意外と縦のつながりも求められる。
ファンシーズがホーム・ロフトから愛鳩を解き放つ
鳩レースの勝利の決め手は名鳩を手に入れられるかどうか
レースは成熟しきった鳩が対象の「オールド・バード・シーズン」(3月下旬~7月中旬)と、若い鳩が対象の「ヤング・バード・シーズン」(7月中旬~9月下旬)の2シーズンがある。別名「空のアスリート」とも呼ばれるレース鳩はカワラバトを祖先に持つ鳩で、基本的には街中にいるものと同じ種類だが、レース鳩はより骨格がよく、長距離飛翔に耐えられる強靭な羽と立派な脚を持っているのが特徴だ。街中で見られる鳩の寿命が3~4年であるのに対し、レース鳩はきちんと世話をすれば20年以上生きるといわれている。また、普通のレース鳩であれば50~150ポンド程度で購入でき、これに予防接種など初期費用が上乗せされる。レース鳩の価格はまちまちで、500ポンド以上する場合も多い。優勝経験のある強いレース鳩にいたっては22万ポンド(約340万円)と驚きの値が付けられたことも。高値ではあるが、再び優勝するチャンスは高く、先の投資として大金をはたく熱烈な愛鳩家もいるのだとか。
「美しく強いレース鳩」を楽しむ品評会がある
鳩レース・ファンも多いが、鳩の美しさそのものを競う品評会「ブリティッシュ・ホーミング・ワールド・ショー・オブ・ザ・イヤー」(The British Homing World Show of the Year)も見逃せない。2021年は新型コロナの影響でオンラインでの開催となったが、通常は英北西部ブラックプールで2日にわたり行われる。同イベントでは、鳩の品評会のほかにもこれまでレースで勝利を重ねてきた2500羽ほどの選ばれし鳩の展示、レース鳩に関するグッズ販売、鳩のトレード・ブース、講演会、映画上映などさまざまな催しものが開催され、街をあげてのお祭りとなる。1972年に始まって以来、英国内やアイルランドからの客がほとんどだったが、近年は世界各国のファンシーズが訪れている。
審査員によって入念にチェックされる鳩たち
特筆すべきは、その売り上げの全てが慈善団体やホスピスなどに寄付されること。ファンシーズたちは常に鳩たちと触れ合っていることから、寄付先にはファンシーズたちの肺に問題がないかアドバイスする団体も含まれているそうだ。過去15年間で計25万ポンド(約3866万円)を寄付してきた同イベントは、鳩を愛する人たちだけでなく、英国社会にも広く貢献している。
会場一面、鳩でいっぱいになる
レース中、鳩が消えた……
鳩レースは鳩の帰巣本能を利用したスポーツだが、近年の研究では、人間と同じように優れた時間、空間把握能力を持っていることが証明されている。また、鳩は愛情を持って育てるほど飼い主を認識するようになり、ファンシーズにとってはいわば家族のような存在。よって鳩レースにどっぷりはまるファンシーズが多く、レース参加者のそのほとんどが、自分の鳩が無事に戻ってくることを願ってやまない。
レースの間1~3日ほど、ファンシーズたちは自分の鳩を待つことになるが、鳩レースでは高確率で鳩が「消える」ことがある。2021年6月19日、国内で50カ所でレースが行われたが、鳩が全く戻ってこない現象が各地で起き、現在も数千羽が行方不明のままだという。遠くはオランダやマヨルカ島で見つかった鳩もいたのだとか。その場合、各組織では「タグの付いた迷い鳩を見つけたら即連絡を」とサイトで知らせてはいるものの、一般人にはなかなか共有されず、そのまま所在が分からなくてしまうことも多々あるようだ。
ブレグジットが影響? 鳩レースの未来
熱狂的なファンシーズが一定数いるものの、英国では鳩レースの競技人口は減少傾向にある。動物愛護団体などからの訴えも影響しているが、ほかの大きな問題は英国のEU離脱(ブレグジット)だ。
英国-フランス間での鳩レースが行われる場合、鳩たちも人間と同じように、自由に欧州に旅行ができなくなる。検疫や健康証明の提出など、必要な事務処理を行わない限り、鳩であっても渡航は認められない、ということらしい。これはブレグジットによって鳩が輸入品扱いとなるためだが、ファンシーズたちの言い分は「厳密には連れてきてすぐ解き放つのだから厳密には輸入品ではない」。この問題は未だ解決しておらず、しばらくの間は論争が続くとみられている。
異常気象などの問題もあり、鳩レースの開催は今後苦労を強いられることになりそうだ
鳩に魅せられた人たち
鳩が好きなのはファンシーズだけではない。エリザベス女王を筆頭にエドワード7世、ジョージ5世、ジョージ6世など英王室メンバーが鳩に魅せられていた。世界各地にいる、鳩を愛する人たちを紹介したい。
英画家のウィリアム・アンドリュー・ビアー(William Andrew Beer、1862~1954年)はレース鳩をこよなく愛した人物の一人。ビアーは英西部ブリストルにスタジオを構え、日々列車で輸送されるレース鳩を油彩で描いていた。絵画は大抵同じ作風で、自然を背景に、1羽または数羽をほぼ等身大に細密に描いた。作品は国内の博物館や美術館にコレクションされているが、ごくたまにアンティーク市場に出回ることがある。
アンドリュー・ビアー作「'スマッシャー' ザ・ピジョン」
生物学的な観点から鳩を好んだのは、自然科学者のチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin、1809~1882年)だ。ダーウィンはロンドンの鳩クラブのメンバーで、自身の研究ではあらゆる種類の鳩を飼育し、全ての品種が野生のカワラバト(学名コルンバリビア)にさかのぼることができると明らかにした。また、品種改良を行い、さまざまな仮説やその証明実験に使う、多種多様な鳩を管理するロフトを所有していたという。
チャールズ・ダーウィン著「The Variation of Animals and Plants under Domestication」内の鳩の先祖の挿絵
鳩を愛した人物は海を渡って世界各国にも数多くいた。ウォルト・ディズニーのロフトは現在も米南カルフォルニアに存在し、米ジャズ・プレーヤーのジョニー・オーティスは、鳩を飼育しつつ、鳩ブリーダーとも強い友人関係を築いていた。ほかにも、パブロ・ピカソ、クリント・イーストウッド米監督、米元プロボクサーのマイク・タイソン、伊ファッション・デザイナーのマウリッツィオ・グッチ……など挙げればきりがない。



パン柄トートバック販売中


ゴードン・ロディック氏(写真右)。ザ・ボディ・ショップの経営者で妻のアニータ・ロディック氏と共に
2021年4月、ロックダウンを経て販売員たちが街角に戻ったことを喜ぶジョン・バード氏

また、ビッグイシューは株式会社として雑誌「ビッグイシュー」を発行・販売するほか、これと別に慈善財団「Big Issue Foundation」や「Big Issue Invest」「Big Issue Shop」があり、さまざまな規模の社会支援事業に対する資金援助や支援を展開している。ビッグイシュー・ショップでは、販売者や商品の作り手をサポートするだけではなく、サステナブルな商品を販売。T シャツ、セーターなどの衣類のほか、小物やアクセサリー、食器類が並ぶ。食品もあり、写真右のコーヒーは「利益の100パーセントをホームレス減少のための事業に充てる」と明言している。
ロンドン中心部ヴォクソールにあった初期のロンドン・オフィス
413号は俳優のベン・ウィショーが表紙。新作映画について語るほか、ゲイであることをカミングアウトした時期を振り返ったショート・インタビューが掲載
絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」が表紙の412号は、同絵本の作者で2018年に死去したかこさとしさんをフィーチャー。かこさんの親族へのインタビューだった
在りし日のボブとボウエンさん
イズリントン・グリーンにあるボブの彫像













第一次世界大戦中、仏人店主に「ミサのためにパンとバターとチーズをください」と尋ねる英准大尉
ウイスキーとのペアリングも人気がある
寝る前のスティルトンで不思議な冒険に出てみてはいかがだろうか
街のシンボル的存在のイーリー大聖堂。1342年に完成した高さ52メートルのオクタゴンと呼ばれる8角形の塔(写真)の美しさは必見だ
ノルマン人によって作られたネイヴ(Nave)と呼ばれる身廊。天井はヴィクトリア時代にペイントされた
イーリー大聖堂の礎を築いたエセルスリス
近付いてみるとその大きさに圧倒される
フレデリック・アシュウィン作「最終日の夜明け」
オリヴァー・クロムウェルの家。チケットは1階の観光案内所で購入しよう
クロムウェル家のキッチンの様子
棒の先頭にこの道具を付け、水中のウナギを地上から狙った(イーリー博物館蔵)
ちなみに、街名のイーリー(Ely)とウナギ(Eel)の発音が似ているため、ウナギが命名に絡んでいるという説もあるが、定かではない。

4月にイーリーで行われた伝統の一戦








ヘンリー8世とアン・ブーリンとの結婚は、その後のアイルランドの運命も変えた
オリヴァー・クロムウェル
「ジャガイモ飢饉」と呼ばれた大飢饉(1845~49年)は英政府の政策が原因で長引き、人々は4年にわたり飢餓に苦しんだ
イースター蜂起で建物が崩壊したダブリンのサックヴィル・ストリート
1916年に独立運動の急進派が出したアイルランド共和国宣言
1976年8月、ベルファストで起きた市街戦。英国兵士の持つ銃の先が見える
1970年代のロンドンデリー(デリー)で、建物の屋上から火炎瓶を投げようとしている男性
ベルファスト合意のパンフレットを手にしたシン・フェイン党の元党首ジェリー・アダムズ氏(写真右)
北アイルランドとアイルランドの国境に立つ交通標識
北アイルランド議定書に対する反対デモ
「アイリッシュ海に境界線を作るな」、と書かれたベルファストのグラフィティ
モリスの最も初期の壁紙デザイン「トレリス」1862年
ウィリアム・モリス William Morris
モリスの邸宅レッド・ハウス内部
1874年のモリス(写真右)とバーン=ジョーンズ(同左)
モリスとバーン=ジョーンズによるアーサー王とランスロットのステンドグラス
モリスがデザインしたテキスタイル「コンプトン」シリーズ
ロセッティがモリス商会のためにデザインした椅子
1879年に撮影されたロンドン中心 オックスフォード・ストリートの店






















街の至るところに出された女王逝去のサイネージ
ピカデリーの書店ハッチャーズに置かれた女王への追悼の言葉
ピカデリー・サーカス駅前の電子広告に映し出された女王の姿
いつも華やかなディスプレイのフォートナム&メイソンが、女王の写真を使いシンプルで黒いディスプレイに変わった
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かつてベケットの遺骨や血に染まった衣服が入っていたエナメル製の聖骨箱
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