ジャパンダイジェスト
独断時評


ハンバッハの森をめぐる激論 - 自然保護か褐炭火力発電か?

ノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州のケルンとアーヘンの間に、広大な褐炭の露天掘り鉱山が広がる。その一角に残るハンバッハの森は9月13日から騒然とした雰囲気に包まれている。ヘルメットをかぶった数百人の警察官と大手電力会社RWEの職員たちが、樹木の伐採に抗議して森に立てこもる環境保護主義者たちやバリケードを排除し始めたのだ。

多くの市民が伐採に反対

若者たちは2012年から木の梢に小屋を作り、樹木の伐採を妨害しようとしていた。警官隊は若者たちを小屋から引きずり下ろして連行し、小屋も解体。一部の活動家は石やパチンコの玉で警官隊を攻撃したが、放水車まで動員した警察の力には対抗できなかった。

9月16日は約9000人の市民や環境団体の会員らが森に集まり、樹木の伐採に抗議するデモを行った。一部の活動家は、RWEがこの地区で行っている褐炭の露天掘り作業を妨害した。19日にはハンバッハの森で取材していたフリージャーナリストが、木の梢に作られた小屋をつなぐ梯子から転落して死亡した。

9月19日、取材中のジャーナリストが転落死する事故が起こった
9月19日、取材中のジャーナリストが転落死する事故が起こった

RWEは2003年からNRW州に所有するハンバッハの森で樹木を切り倒して、露天掘りによる褐炭採掘を進めてきた。褐炭は同社の火力発電所の燃料として使われる。森の面積は約5500ヘクタールだったが、すでに大半の木が伐採され樹木が残っているのは200ヘクタールにすぎない。RWEはNRW州政府の許可を受け、今年10月から残りの木も伐採する予定だった。

環境団体は裁判所に伐採停止を求めて訴訟を提起したが、裁判官が却下したため、RWEと州政府は森に立てこもる反対派の強制排除に乗り出したのだ。

脱褐炭の時期は今年中に決まる

ドイツの環境団体や左派勢力からは、電力会社と州政府の態度に対して強い批判の声が上がっている。その理由は、今政府と産業界が石炭・褐炭火力発電所の廃止時期を決めるために協議を行っているからだ。「成長、雇用、構造転換のための委員会」と命名された委員会には、M・プラチェク元ブランデンブルク州首相、S・ティリヒ元ザクセン州首相のほか、電力業界、環境団体、ドイツ産業連盟、労働組合、研究機関、褐炭採掘地域の代表ら28人が参加。この委員会は今年11月までに、褐炭の採掘と褐炭・石炭火力発電をやめる年を提言し、メルケル政権は年末までに脱褐炭・石炭の時期を決定する。褐炭による電力はドイツの発電量の約23%にあたる。さらにエッセンのRWI経済研究所によると、ドイツで褐炭・石炭関連産業に直接・間接的に従事する市民の数は約5万6000人にのぼる。このため褐炭の採掘や使用が禁止されるのは、2030年と2040年の間になるとみられている。

環境団体や左派議員は「地球温暖化に歯止めをかけるために、褐炭の採掘と使用をやめることについては社会的な合意ができている。それにもかかわらず、RWEに褐炭の採掘のための森林伐採を許すのは矛盾している。RWEは、脱褐炭・石炭委員会が協議している間はハンバッハの森の伐採作業を凍結するべきだ」と主張している。

脱褐炭・石炭委員会のメンバーである環境保護団体グリーンピースは「衛星写真の分析などから、RWEが今年10月にハンバッハの森で伐採を始めなくてはならない理由はない。その意味で現在の伐採計画は違法である。すでに約65万人の市民が森の保存を求める嘆願書に署名している」として、伐採中止を要求。同団体は自分たちの要求が受け入れられない場合、脱褐炭・石炭委員会から離脱する方針も明らかにした。

褐炭は収益性が高いエネルギー源だった

これに対しRWEは「ハンバッハの森の伐採は、今後2年間の褐炭火力発電を続けるために不可欠だ。我々は州政府と裁判所の許可を得ており、伐採作業は適法である。この伐採は、脱褐炭・石炭委員会の協議内容とは無関係である」と主張。同社としては、自社が所有する土地で木を切り倒すことを、第三者が妨害するのは許されないという立場を取っている。

確かにRWEの主張は法的には正しいかもしれない。だが、今日の企業経営では倫理的な側面も重視されなくてはならない。ドイツに豊富な褐炭は露天掘りが可能なので、採取コストが最も低いエネルギー源だ。減価償却が終わった火力発電所で褐炭を燃やして電気を作れば、企業にとっては利幅が大きかった。

しかし、褐炭には二酸化炭素(CO2)の排出量が天然ガスなどに比べて多いという欠点がある。メルケル政権はパリ協定の目標を達成するために、2030年までにCO2など温室効果ガスの排出量を1990年比で55%減らすことを目指している。

時代の流れに逆行する大手電力

社会全体が経済の非炭素化へ向けて進んでいるなか、大手電力会社が樹齢100年を超える木を切り倒し、褐炭の採掘を続けることは市民に「時代に逆行している」という印象を与える。

RWEではこれまで褐炭・石炭火力の比重が大きかったが、今後は再生可能エネルギーの比率を増やすことを目指している。ゴアレーベンやヴァッカースドルフが反原発運動の象徴だったように、ハンバッハの森は反褐炭・石炭運動の象徴となりつつある。RWEが褐炭使用に固執しハンバッハをめぐる議論という深い森に迷い込んだことは、同社のイメージを深く傷付けることになりそうだ。

最終更新 Donnerstag, 04 Oktober 2018 10:51
 

さらに短くなるドイツの労働時間

ドイツは世界で労働時間が最も短い国だ。企業の社員は1日10時間を超える労働を禁止され、基本的に毎年30日の有給休暇を完全に消化している。日本のように働き過ぎによる過労死や過労自殺が大きな社会問題にはなっていない。しかもこの国の労働時間はさらに柔軟化し、短くなる方向にある。

週28時間制の部分的な導入へ

今年4月にドイツ最大の労組IGメタル(全金属産業別労組)は、経営側との交渉で歴史的な勝利を勝ち取った。ドイツの歴史で初めて、部分的に「週28時間制」の導入に成功し、労働時間の柔軟化を実現したのだ。

製造業界の所定労働時間は週35時間(旧東ドイツは38時間)だが、2019年からは、労働者が希望すれば最高2年間まで、週の労働時間を28時間に減らすことが許される。1日7時間働くとすると、これは週4日制を意味する。

IGメタルが今年の労使交渉で週28時間制の部分的な導入をテーマとしたのは、組合員に対するアンケートから「子どもが生まれた直後や、年老いた親のための介護施設を探すために、一時的に労働時間を減らしたい」という要望が強まっていたからである。

今回の妥結内容で特に革新的なのは、IGメタルが一度減らした労働時間を、増やすことを経営側に認めさせたことである。

ドイツでは、これまでも社員が企業と個別に交渉することによって、子どもの養育や親の介護などを理由に、週の労働時間を所定労働時間よりも短くすることは可能だった。ドイツの社員の28%は、このような「パートタイム社員」として働いている。たとえば私の知人のAさんは、親の介護のために去年の夏以降すでに週休3日のパートタイム社員になっていた。だがこれまでは、労働時間を一度減らして「パートタイム社員」になると、労働時間を所定労働時間に戻すことが禁止されていた。

ただし社員たちの家庭の事情は常に同じではなく、時とともに変化する。就業者たちの間では、子育てが終わったり、親の介護施設が見つかったりして家庭での忙しさが一段落した後も、元の労働時間に戻れないことについて、不満が強まっていた。パートタイム社員になると当然給料が減額されるからである。

家庭の事情にあわせて労働時間を変える

IGメタルは今回の労使交渉で 、2年間が過ぎれば、一度減らした労働時間を35時間に戻す権利を勝ち取った。つまり、労働時間の柔軟性を高めたのである。

たとえば社員が、「子どもが生まれてから最初の2年間は、会社で働く時間を減らして、なるべく家で妻子の面倒を見たい」と考える場合や、「高齢の親が入る介護施設が見つかるまで、2年間にわたって自宅で親を介護したい」と考える場合には、週休3日制に切り替えることが可能になる。2年を経れば、企業は労働時間を28時間から35時間に戻さなくてはならない。2年間は給与が一時的に減るが、労働時間を28時間から35時間に戻せば、給与も2年前の水準に戻る。パートタイム社員からフルタイム社員への復帰が可能になるのだ。

経営側は最初、組合の要求に対して強く反発した。だがIGメタルが今年1月下旬にドイツ南部の250カ所の企業で24時間ストライキを実施するなどして激しく戦ったため、経営側は圧力に屈して要求を受け入れた。ストライキにはダイムラー、BMW、ボッシュ、MAN、ZFなどの大手企業の組合員も参加した。日本同様に貿易に依存する物づくり大国でありながら、ドイツの組合の力が強大であることには、驚かされる。

ドイツの労働者が家庭の事情に合わせて労働時間を選択する時代がやってくる(筆者撮影)
ドイツの労働者が家庭の事情に合わせて労働時間を選択する時代がやってくる(筆者撮影)

「自由時間は新しい通貨」

経営側が週28時間制の部分的な導入を受け入れた背景には、ドイツの現在の景気が、絶好調だという事実がある。ドイツの国内総生産(GDP)は2010年以降拡大する一方。GDP成長率は2014年以降、日本を上回っている。

機械製造業を中心に輸出が好調であるために、2017年の経常黒字は2870億ドル(31兆5700億円・1ドル=110円換算)に達し、中国を抜いて世界最大となった。ミュンヘンのIFO経済研究所は、「2018年のドイツの経常黒字はさらに増えて2990億ドル前後に達する」という予測を発表している。

欧州連合統計局によると今年6月のドイツの失業率は3.4%と、EUで2番目に低い。EU平均失業率(6.9%)のほぼ半分であり、1990年の東西ドイツ統一以来、最も低い数字だ。特に物づくりの中心地である南部のバイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州の雇用市場では、大卒の高技能人材が払底した状態にあり、事実上の「完全雇用状態」となっている。

このためドイツ企業は空前の人材不足に悩んでいる。ケルンのドイツ経済研究所(IW)は、今年4月に「専門技能を持つ就業者が44万人不足している。現在の労働力不足がなければ、ドイツのGDPは今よりも300億ユーロ(3兆9000億円)増え、GDP成長率は毎年0.9ポイント高くなるだろう」という推計を発表している。つまり企業は優秀な人材を採用するには、労働条件を改善しなくてはならないのだ。

ドイツ企業の人事担当者の間では「自由時間は新しい通貨だ」という言葉が聞かれる。人材不足に出口が見えないことから、労働時間の柔軟化と短縮の傾向は今後ますます強まるに違いない。

最終更新 Donnerstag, 20 September 2018 12:19
 

メルケル政権は旧東独の混乱を放置してはならない

旧東独、特にザクセン州の社会的・政治的混乱は年々深刻化する一方だ。特にメルケル政権がこの地域での極右勢力の拡大に対抗して有効な対策を何一つ取っていないことが気になる。

極右が路上で外国人を「追跡」

8月末にザクセン州のケムニッツで起きた騒擾(そうじょう)は、同州と旧東独に対するイメージを一段と悪化させた。

ケムニッツでは8月25日に市民祭が開かれていたが、26日の未明に同市の路上で数人の男たちの間で口論が始まった。その結果ドイツ人3人が刃物で刺されて重傷を負い、その内1人が病院で死亡した。警察は現場から逃走した23歳のシリア人と22歳のイラク人を殺人の疑いで逮捕して、取り調べている。

8月27日午後に右派団体「ケムニッツのために」が殺人に抗議するためのデモを実施。地元の警察は参加者を約1000人と推定していたが、実際には他都市のネオナチもツイッターによる呼びかけに応じて参加し、約6000人に膨れ上がった。一部の参加者は路上で外国人を追い回したり、暴力をふるったりした。右派のデモ隊は警官隊や左派のデモ隊と小競り合いを繰り返し、警察官2人を含む20人の負傷者が出た。

8月27日、ケムニッツにて行われた右派団体による抗議デモの様子
8月27日、ケムニッツにて行われた右派団体による抗議デモの様子

警察の対応に不備

ケムニッツの警察当局は「デモの参加者の数を少なく見積もっていたため、動員した警察官の数が少なすぎた」と対応に不備な点があったことを認めた。

ケムニッツには社会主義時代に作られた有名なカール・マルクスの像がある。この前で撮影された映像を見ると、一部の右派勢力は右手を高く掲げるナチス式の敬礼(ヒトラー・グルス)を行っている。これはドイツの刑法によると国民扇動という違法行為である。しかし近くにいる警察官たちは、ナチス式の敬礼をしている男たちを見ても、逮捕はおろか全く反応していない。ドイツは法治国家であるはずだが、この日ケムニッツでは違法行為が野放しになっていた。

独政府は暴力を糾弾

メルケル首相は8月28日の記者会見で、殺されたドイツ人の遺族に弔意を表した。その上で、「ケムニッツの路上で外国人が追いかけられ、ヘイトスピーチが叫ばれた。これはドイツの町で起きてはならないことだ」と述べてネオナチの暴力を強く糾弾した。

フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領も死者の家族、そして友人たちに対し追悼の意を表す一方で、「極右勢力は殺人事件による市民の動揺と悲しみを悪用して、外国人に対する憎しみを煽り立てた。私は極右による暴力を強く非難する」と述べた。

ネット世界には誹謗中傷やフェイクニュースが飛び交った。「警察はケムニッツの外国人に対し、危険だから屋内にいるように勧告している」というデマが流れた。極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は血の付いたナイフのイラストとともに「ケムニッツのような事件はどこでも起こり得る」というメッセージをツイッターで発信し、市民の不安を煽る。右派団体「ケムニッツのために」は、2人の外国人に対する拘留命令の文書の映像を一時ツイッターの中で公表。そこには容疑者や被害者の氏名などが克明に記されていた。この文書は警察官、検察官、判事、弁護士しか見ることができないものだ。そのような文書がネット上で公表されたことは、司法関係者の間にも右派勢力と繋がりがある者がいることを示唆しており、不気味だ。

ザクセン州では、このほかにも極右勢力をめぐるトラブルが発生している。8月16日には、ドレスデンで右派勢力の反メルケル・デモを取材していた公共放送局ZDFのカメラクルーが、参加者から「撮影をやめろ」と言いがかりをつけられ、口論になった。記者とカメラマンはその後45分間にわたり警察官の尋問を受け、取材を妨害された。後になって言いがかりをつけた参加者は、ザクセン州刑事局の事務職員だったことが明らかになった。彼は非番の時に個人として反メルケル・デモに加わっていた。ザクセン州の警察は、「対応に手落ちがあった」としてZDFに謝罪した。

ザクセンではAfDが事実上の第一党

旧東独では、極右政党に対する市民の支持が西側より強い。去年9月の連邦議会選挙でAfDは12.6%の得票率を記録し、一挙に第3党になったが、ザクセン州では27%の有権者が同党を選び、AfDは首位の座に立った。AfDは旧東独全体でも22.5%という高い得票率を確保し、第2党の地位にある。ザクセン州では来年9月1日に州議会選挙が行われるが、AfDがトップに立つ可能性が強い。それ以外の政党がAfD抜きで連立政党を組めるかどうかが焦点である。

旧東独では今でも「我々は統一によって貧乏くじを引かされた」として伝統的な政党や中央政府に恨みを抱く市民が多い。今年6月の旧東独の失業率は6.6%で、旧西独(4.7%)を上回っている。旧東独の外国人の比率は約2%と全国平均よりも低いのだが、難民や外国人に対する反感は旧西独よりも強い。難民に対する暴力は、メルケル政権への攻撃でもある。

メルケル政権は、旧東独で市民との対話の機会を増やすべきだ。そして彼らの批判や不満に耳を傾け、対策を講じるべきだ。さもなければ、旧東独でのAfD支持者は今後も増える一方だろう。今のままではフランス同様に極右勢力の支持率が約20%に達して社会民主党(SPD)を追い抜き、第2党になる可能性もある。政府は今の状態を放置してはならない。

最終更新 Donnerstag, 06 September 2018 10:49
 

トランプはなぜ、ドイツを叩くのか

米国のトランプ大統領は、既成の秩序の破壊者だ。友好国に対して懲罰関税を導入し貿易戦争を仕掛ける。多国間の自由貿易協定や地球温暖化を防ぐための協定から脱退し、英国のEU離脱を支援する。各国首脳と合意した共同声明について、ツイッターで合意を撤回する。クリミア半島を併合して国際法に違反しているロシアの指導者プーチン大統領にすり寄る。女性や外国人、イスラム教徒などを侮辱する発言を行う。

「人を撃っても支持者は減らない」

米国優先主義と保護主義を掲げるトランプ氏は伝統的な制度を破壊し常識に挑戦することで、米国の政治制度に不満を持つ有権者の心をつかむ。彼の支持者の中核は、グローバル化の負け組と感じている、白人の低所得層。彼らはヒラリー・クリントンに代表される職業政治家たちに不信感と憎しみを抱いている。

トランプ氏は2016年の選挙戦の時に行った演説で「私が五番街の真ん中に立って、通行人を銃で撃っても私は支持者を失わないだろう」と言ったことがある。通行人を銃で撃つというのは、常識的には「悪事」と見なされる行為だ。通常は大統領選挙の候補者がするべき発言ではない。「政治的に穏当(politically correct)」な発言ではないからだ。だが、彼はポリティカル・コレクトネスにあえて挑戦する。トランプ氏は普通の職業政治家が避ける発言をあえて行うことによって、社会の負け組から支持される。実際この挑発的な言葉は、トランプ氏の支持率に悪影響を及ぼさなかった。彼のようなタイプは、歴代の米国大統領の間には、全くいなかった。いわゆるポリティカル・コレクトネスを攻撃するのは、米国に限らず世界中で勢力を広げるポピュリストに共通する特徴である。これまでの非常識が、ポピュリストの間では「常識」になる。

ドイツを攻撃するトランプ

読者の皆さんは、トランプ氏がドイツを特に厳しく槍玉に上げることに気づかれただろうか? そのことがはっきり表われたのは、今年7月の欧州歴訪の際である。北大西洋条約機構(NATO)は2014年にウェールズでの首脳会議で、「2024年までに防衛費の対GDP比率を少なくとも2%まで引き上げるよう努力する」という決議を行っていた。今年の時点で米国は国内総生産(GDP)の3.5%を防衛費に充てている。これに対しドイツは1.24%にすぎない。

トランプ氏は7月11日から2日間にわたり、ブリュッセルで開かれたNATO首脳会議に出席し「ドイツは防衛費を十分に負担せず、米国に守ってもらっている一方で、米国に対して巨額の貿易黒字を抱えている。さらにロシアから直接天然ガスを輸入するためのパイプライン『ノルトストリーム2』も建設している。ドイツはロシアの囚人(captive)になっているようなものだ」と主張。主権国家ドイツに対する強い侮辱である。

NATO首脳会議に参加したメルケル首相(左)とトランプ大統領
NATO首脳会議に参加したメルケル首相(左)とトランプ大統領

NATO首脳会議の大混乱

NATO首脳会議は防衛支出をめぐって大混乱に陥った。まず初日の会議でトランプ氏が2%の目標を満たしているのが米国など5カ国にすぎず、ドイツなどほかの23の加盟国がこの数値に達していないことについて怒りを爆発させた。ほかの加盟国首脳はトランプ氏を説得して、「加盟国は2014年のウェールズ首脳会議での目標を順守することを再確認した」という内容を含む共同声明について合意した。

ところが合意後もトランプ氏は、矢のようにツイッターのつぶやきを打ち続けた。その矛先は、またもやドイツに向けられた。
「ドイツがロシアに対しエネルギーとガスのために数10億ドルも払っているとしたら、NATOに何の意味があるのだ? なぜ28カ国の内、5カ国しか防衛費の対GDP比率の目標を守っていないのだ? 米国は欧州の防衛のために費用を負担しているのに、貿易では何10億ドルも損をしている。ほかの加盟国は、2%の目標を2025年までにではなく、すぐに達成するべきだ」

これらのツイッターは欧州諸国首脳を戦慄させた。メルケル氏らは2日目の会議で「防衛支出の追加額をこれまで予定していた額よりも増やし、これまでを上回るスピードでGDP比2%ラインに近づける」と約束せざるを得なかった。

ポピュリズムに対する防波堤・ドイツ

ドイツは多国間の自由貿易協定や環境保護のための協定を重視し、人権保護、人種や性別、宗教による差別の禁止を重んじる。つまりトランプ氏の政策と真逆の方針を貫く国だ。彼にとって「ポピュリズムと戦う防波堤」メルケル氏の存在は目の上のコブだ。

メルケル氏は2016年にトランプ氏が大統領選挙に勝った時に贈った祝辞に「あなたが人権、自由の尊重、差別の禁止などの価値を我々と共有するという前提があるならば、私はあなたとともに働く準備があります」という辛口の文章を入れた。同盟国の首相が米国大統領との協力に条件を付けるのは異例だ。トランプ氏は内心カチンときたに違いない。

米国はEUに対して当面自動車への関税をかけない方針を打ち出している。だがトランプ氏は発言や考えを猫の目のように頻繁に変えることで有名だ。今後もメルケル氏とトランプ氏の確執は続くに違いない。

最終更新 Donnerstag, 16 August 2018 11:05
 

多民族社会の「英雄」、エジル選手の栄光と悲劇

トルコ系ドイツ人メスト・エジル選手(29歳)がドイツ・ナショナルチームを7月22日に脱退し、「ドイツサッカー連盟(DFB)とメディアは、私がトルコ人の血を引いているために差別した」と強い口調で非難。2015年の難民危機以来、外国人の社会への統合や人種差別に関する議論が激しく行われている中、彼が取った態度はドイツ社会で賛否両論を巻き起こした。

「独裁者」とのツーショット

引き金となったのは、2018年5月13日にエジル選手がトルコのエルドアン大統領にユニフォームを贈呈し、ツーショットで撮影された写真である。エジル選手は「この写真撮影は政治とは無関係だ」と説明しているが、エルドアン氏が6月の大統領選挙で得票率を引き上げるために、知名度の高いエジル選手を利用したことは明白である。

エルドアン政権は2016年に同国で起きたクーデター未遂事件以来、反体制派など数万人を逮捕。その中にはジャーナリストなど知識人も含まれている。法治主義を軽んじ、言論の自由を抑圧するエルドアン政権の姿勢は、「独裁者」にたとえられている。このためドイツではエジル選手に対して「政治的にあまりにも鈍感」という強い批判の声が上がった。特にDFBのラインハルト・グリンデル会長は「エルドアン大統領は、我々が重視する価値観を軽視している。したがってナショナルチームの選手がエルドアン大統領の選挙戦のために悪用されることは良くない。DFBは外国人の血を引く選手たちの社会への統合を促進するために努力してきたが、エジル選手らの行為はそうした努力を損なうものだ」と強い言葉でエジル氏を批判した。

人種差別的発言の嵐

彼はドイツのゲルゼンキルヒェンでトルコ人の両親から生まれ、2007年にドイツの国籍を取った「元外国人」である。ソーシャルメディア上でのエジル選手に対する批判に、人種差別的な性格も混ざっていたことは否定できない。

こうしたトラブルを抱えたまま今年6月の第21回ワールドカップに出場したドイツチームは、緒戦であえなく敗退。多くのドイツ市民を失望させた。エジル氏は「W杯での対スウェーデン戦の後、ドイツ人のファンから『トルコ人の豚野郎、早く消え失せろ』と罵倒された。あるドイツの政治家は、私を『山羊を獣姦する男』と呼んだ。ミュンヘンのある劇場支配人は私に『アナトリア(トルコ東部)へ帰るが良い』と発言した。私と家族は、ドイツ人からの多数のヘイトメールや脅迫電話に悩まされた。エルドアン大統領の写真を口実に、それまで隠していた人種主義者としての感情を爆発させているのだ。これはドイツ社会にとって危険なことだ」と語っている。

彼は7月22日にツイッターに公開した書簡の中で「私がトルコ人の血を引いているという事実をおとしめる人々の態度は、絶対に受け入れられない。私はもはやドイツチームのユニフォームを着てサッカーの試合に出場することはない」と述べ、ナショナルチームとの絶縁を全世界に向けて宣言。彼は特にDFBのグリンデル会長に対し「あなたは、ドイツチームが勝つと私をドイツ人と見なし、負けると私をトルコ人と見なした」と痛烈な批判を浴びせている。DFBは「人種差別主義的な態度を取ったというエジル選手の批判は適切ではない」と弁解している。

サッカーによる社会への統合の象徴だった

エジル選手の脱退は、ドイツ連邦政府やDFBにとっても大きな打撃だ。政府とスポーツ界は「サッカーによって外国系市民を社会に溶け込ませる」というキャンペーンを行ってきた。確かに人種や宗教、文化的背景が異なってもチームが団結してゴールを目指すサッカーは、移民やその子どもたちを社会に溶け込ませる上で役立つ可能性がある。ドイツの2万5000のサッカークラブでは、難民としてドイツにやって来た4万人がプレーしている。これらのサッカークラブに参加する外国人やドイツに帰化した元外国人の数は、約14万人に上る。

ツイッターのフォロワーが2300万人を超え、年収が2100万ユーロ(27億3000万円・1ユーロ=130円換算)のエジル選手は、政府が標榜する「サッカーによる社会への統合」のシンボルだった。2014年にブラジルで行われたW杯でドイツが優勝した時に、メルケル首相がエジル選手を抱擁して喜びを表現する写真が残っている。

エジル選手とメルケル首相
2014年サッカーW杯で優勝したドイツチームで活躍したエジル選手(右)と
喜びを分かち合うメルケル首相(右奥)

政治の危険性を軽視してはならない

エジル選手を口汚い言葉で罵倒したドイツ人の態度は許しがたい。この国にトルコ人差別が残っていることも事実だ。しかし「スポーツと政治は関係ない」という彼の弁解にも首をひねらざるを得ない。少なくとも2016年のクーデター未遂事件以降、エルドアン大統領が人権や言論の自由を抑圧していることは、誰の目にも明らかだった。ナショナルチームのスター・プレーヤーはもはや私人ではなく公人であり、細心の注意が必要である。彼を政治目的に利用しようとする政治家は数多くいるのだからだ。

危険なポピュリスト政治家が世界を跋ばっこ扈する今日、スポーツ選手といえども政治から完全に無縁でいることはできない。その危険を軽視したことは、エジル選手にとって一生の不覚だった。彼を襲った悲劇は、我々にとっても対岸の火事ではない。

最終更新 Montag, 06 August 2018 09:25
 

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