ジャパンダイジェスト
独断時評


ジャマイカ連立交渉決裂の衝撃 「ドイツよ、どこへ行く?」

欧州連合(EU)を牽引する最大の経済パワー・ドイツの政治が漂流している。キリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)、自由民主党(FDP)、緑の党は、いわゆるジャマイカ連立政権を樹立するための交渉を約5週間続けてきたが、FDPは11月19日深夜にこの交渉から離脱したのだ。

10月27日、バルセロナにて行われた独立宣言を祝う人々
シュタインマイヤー連邦大統領(写真奥)と会合するFDPのリントナー党首

FDPと緑の党が鋭く対立

FDPのクリスティアン・リントナー党首は、顔に疲労の色をにじませながら「他党との間に信頼関係を築くことができなかった。連立協定書の草案には、まだ237カ所も対立点が残っている。緑の党の影響が強すぎる。自分の政党の原則を曲げてまで政府に参加するより、政府に参加しない方が良い」と説明。FDPは小さな政府と自由市場経済を重視する。企業経営者や自営業者から強く支援されている政党だ。FDPは、旧東ドイツ支援のための連帯税の廃止を主張して、他党と対立した。さらに環境・エネルギー政策をめぐって緑の党と鋭く対立。緑の党は、地球温暖化に歯止めをかけるため、褐炭・石炭火力発電を2030年までに廃止することや、ディーゼル・ガソリンエンジンを使う車の認可を2030年までに禁止することを求めていた。これに対しFDPは、「化石燃料の使用を早期に禁止することは、ドイツ産業界の国際競争力を弱める」とし、真っ向から反対していた。メルケル首相は「緑の党は大幅に譲歩し、交渉の75%は終わっていただけに、FDPの離脱は残念だ」とコメントしている。

FDPは2013年の連邦議会選挙で、最低得票率である5%を確保できず議会から締め出された。38歳のリントナー党首は、精力的な選挙活動によって今回の選挙で、同党を連邦議会にカムバックさせた。リントナー氏はこれまで緑の党など左派勢力との対決姿勢を前面に押し出すことにより、支持者の信頼を回復してきた。したがって、彼は連立政権に参加するために、緑の党の筆跡が濃い連立協定書を受け入れた場合、再び支持者が減ると危惧したのだ。その意味でリントナー氏は、権力の座よりも政党の原則を重視した。

伝統的政党の機能不全

FDPにとっては、一貫性を守ったことになるが、国家全体にとって彼らの決定は、大打撃である。ジャマイカ連立政権の構想は潰え、政府を樹立する作業は振出しに戻った。連邦議会選挙から8週間もの時間が空費されたことになる。政党が連邦レベルで、連立政権の樹立について合意できなかったのは、ドイツという国の建国以来、初めてのことだ。有権者の間には、伝統的な政党に対する不信感と不満が募っている。今年9月の選挙で、有権者は第三次メルケル政権の難民政策に対する不満から、CDU・CSUとSPDを厳しく罰した。これらの党の得票率は激減し、排外主義を掲げる極右政党が初の連邦議会入りを果たした。特にSPDの得票率は史上最低の水準まで下落し、同党は次期政権への参加を拒否した。この政治的激震のために、伝統的な政党が話し合いで連立政権を作るという、これまでは常識だったプロセスすら、もはや機能しなくなったのだ。EUの中核であるドイツで、政治の空白が長期化しようとしている。このことについて、欧州のほかの国々の間でも不安感が強まっている。

ジャマイカ連立が破綻した今、カギを握るのはフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー連邦大統領だ。彼は「連邦議会選挙の結果とは、市民が政治家に託した最も重要な任務である。その任務を安易に投げ出して、有権者にもう一度選挙を行うように求めることは許されない」と述べた。大統領は、政権参加を拒否したSPD、交渉を離脱したFDPなど伝統的政党の党首と話し合い、翻意を促そうとしている。だがこれらの党が一度決めたことを翻す可能性は低い。

少数派政権か再選挙?

各党が現在の姿勢を崩さない場合、残された手段は、少数派政権か再選挙しかない。連邦大統領はメルケル氏を首相候補に指名する。メルケル氏が連邦議会で絶対過半数(議員数の過半数)を確保した場合、首相として再選される。だがメルケル氏の難民政策などについての批判が根強い中、彼女が絶対過半数を取れる保証はない。また、仮に首相に再選されても、CDU・CSUは議会の過半数を持たないため、法案を通過させるには野党といちいち交渉しなくてはならず、政局運営はこれまで以上に困難になる。メルケル首相が「レーム・ダック」(足の悪いアヒル=事実上統治能力がない指導者のたとえ)となることは、ほぼ確実だ。議会選挙で首相が決まらない場合、連邦大統領は議会を解散し出直し選挙を実施するしかない。その場合、投票日は来年の2月か3月になると予想されている。11月20日に公共放送局ARDが行った世論調査によると、57%が出直し選挙を望むと答えた。

AfDに追い風

だが選挙をやり直しても、首相候補やマニフェストに大きな変化がない限り、可能なオプションは、大連立かジャマイカ連立だけになるだろう。この場合、9月24日の選挙以来のプロセスが再び繰り返されることになりはしないか。伝統的な政党に嫌気がさした有権者が増え、「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率がさらに伸びる危険もある。我々が目撃しているのは、ドイツ民主主義の危機である。この国の政治家達は、過去に例のないこの危機から、どのように脱出するのだろうか。世界中の目がドイツに注がれている。

最終更新 Mittwoch, 29 November 2017 14:40
 

迷走!カタルーニャ危機とEUの苦悩

スペイン北東部カタルーニャ州の独立をめぐる混乱は、10月末から11月初めにかけ、一気にエスカレートした。

10月27日、バルセロナにて行われた独立宣言を祝う人々
10月27日、バルセロナにて行われた独立宣言を祝う人々

州議会が「独立」を宣言

10月1日にカタルーニャ州政府が挙行した独立に関する住民投票に続き、10月27日には同州の議会で半数を超える議員がスペインからの独立と、カタルーニャ共和国の樹立に賛成した。

事実上の一方的な「独立宣言」に対して、中央政府は強硬手段に出た。スペイン政府のマリアーノ・ラホイ首相は、憲法第155条に基づいて、カタルーニャ州政府の自治権を停止し、同州に対するコントロールを掌握した。カルラス・プッチダモン首相をはじめとする州政府の閣僚を罷免した。同時にラホイ首相は、12月21日に前倒し総選挙を実施することを明らかにした。中央政府がカタルーニャ州政府に対して取った強硬措置について、改めて国民の信を問うためである。

プッチダモン前首相を国際手配

スペインの検察当局は、10月30日にプッチダモン氏らを反逆や国家権力への不服従、公金の横領の罪で起訴した。プッチダモン氏ら一部の全閣僚達は逮捕を免れるためにブリュッセルに逃走。スペインの検察はプッチダモン氏らを国際手配し、彼はベルギーの警察に出頭して一時拘留されたが、釈放された。カタルーニャ州に残った元閣僚9人は、11月2日にスペインの検察によって逮捕されている。カタルーニャ人達はスペイン語と異なる言語を持ち、自主独立の精神が強い。このため同州の独立問題は、長年にわたりくすぶり続けてきた。これに対しラホイ首相は一貫して「独立は憲法違反」という姿勢を取り、カタルーニャ州政府に対しては話し合いで問題を解決しようと提案してきた。だがプッチダモン氏は10月1日に住民投票を強行。有権者の内投票したのは42.5%だったが、有効票の90.09%は独立に賛成だった。独立に向けて突き進むカタルーニャ州政府の態度を見て、中央政府も堪忍袋の緒を切らせて国家秩序の回復へ乗り出した形だ。

多数の企業がカタルーニャから流出

カタルーニャは、スペインの国内総生産(GDP)の約20%を生み出している。19世紀以来、自動車製造、化学、製薬などの企業がここに集中しており、同国で最も裕福な地域の一つとなっている。その経済力はデンマークにほぼ匹敵する。独立派が「スペインと袂を分かっても自立していける」と考えた理由の一つは、経済力だろう。だがカタルーニャの多くの企業にとって、独立は最悪のシナリオだった。同州がスペインから独立すると、EUから一度脱退することになる。したがってカタルーニャはEUに加盟申請を提出しなくてはならないが、そのためにはすべての加盟国の同意が必要だ。スペイン政府はカタルーニャのEU加盟に反対するので、同国はEUの蚊帳の外に置かれる公算が強い。その場合、カタルーニャからの輸出品に関税がかかり、価格競争力が低下する可能性がある。またEUから輸入する製品や原材料も、価格が上昇する。このため、カタルーニャの1400社もの企業が、本社をカタルーニャからほかの地域に移した。つまりカタルーニャが独立した場合、失業率が高まり、経済力が弱まるのは確実である。独立派はカタルーニャの経済力を過信したのかもしれない。

近年「世界のタガが外れた」としばしば語られる。英国の国民投票でのEU離脱派の勝利、米国でのトランプ大統領の誕生、ドイツの極右政党の連邦議会入りはその例だ。かつての国際政治の常識を逸脱する事態が、次々に現実化している。カタルーニャの一方的な独立宣言についても、多くの人々が「まさか」と思ったに違いない。ドイツでいえば、バイエルン州が独立するようなものである。中央政府が州政府の自治権を剥奪し、州首相らを反逆の罪で刑事訴追しなくてはならないというのは、欧州の歴史でも未曽有の事態だ。

直接民主制のリスク

カタルーニャ危機の背景には、欧州に広まるナショナリズムがある。カタルーニャ独立派の間には、中央政府の態度を、かつての独裁者フランコと同列視する声もあった。だが民主的に選ばれたラホイ首相をフランコと比較するのは、明らかに行き過ぎである。

地域ナショナリズムや孤立主義を優先して、経済的利益を二の次に考えるのは、BREXITを選んだ英国民と似ている。ナショナリスト達は、全国レベルの議会制民主主義よりも住民投票の結果を錦の御旗として掲げ、「我々は民意を代表している」と主張する。

欧州の大半の国々は、カタルーニャに対して冷淡な態度を取った。欧州連合(EU)は一貫してスペインの中央政府を支援し、カタルーニャ州政府との協議を拒否。メルケル首相も「カタルーニャ独立運動はあくまでもスペインの内政問題」として、中央政府と州政府の間の仲介役を果たすことを拒否した。欧州では一部の国で遠心力が強まりつつある。EUがカタルーニャを支援したら、スコットランドやバスク地方、イタリア北部などでも独立機運が強まる危険がある。EUがカタルーニャを冷遇したのはそのためだ。カタルーニャ危機は、地域ナショナリズムや直接民主制がはらむリスクを浮き彫りにした。今後ヨーロッパ諸国は、ナショナリストによる「民主主義」の悪用を防ぐための方策について、真剣な議論を行わなくてはならない。

最終更新 Mittwoch, 15 November 2017 16:43
 

ジャマイカ連立交渉とエネルギー政策の隔たり

バルーン
ジャマイカ連立政権を表す、黒・黄・緑のバルーン

10月18日に、キリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)、自由民主党(FDP)と緑の党の四党は、新しい政権を作るための協議を始めた。

ジャマイカへの道は遠い

社会民主党(SPD)が連邦議会選挙で大敗し、次期政権に参加しない方針を明らかにしたため、メルケル首相はこれらの四党と連立しなくては、議会で過半数の議席を確保できない。各党のシンボルカラーが黒色、黄色、緑色でジャマイカの国旗の色と同じであることから、この連立形式は「ジャマイカ」と呼ばれる。

ジャマイカへの道程は遠い。ベルリンでの会議に参加した政治家達も、「各党がまず主張を発表しあい、折り合いをつけていくための作業が始まったばかり」と慎重な発言を行っている。各党の間の主張は、難民政策などいくつかの点で大きく隔たっている。CDU・CSUは「毎年ドイツが受け入れる亡命申請者の数は、20万人を超えないようにする」という方向で一致したが、これは左派勢力である緑の党にとって受け入れにくい。ドイツの憲法である基本法は亡命権を保障しており、人数の上限は定められていないからだ。

脱褐炭・石炭を求める緑の党

難民政策と並んで、保守党とリベラル政党の意見が鋭く対立しているのが、エネルギー・環境政策だ。

今回の連邦議会選挙で、緑の党は大胆な政策を打ち出した。同党は、政策マニフェストの中で「地球温暖化の防止を目指す国際公約を達成するために、ドイツは2030年までに褐炭・火力発電所を全廃し、再生可能エネルギーの比率を100%に高めるべきだ」と主張。特に、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出量が最も多い老朽化した褐炭・火力発電所については、2020年までに停止することを求めている。緑の党は、「脱原子力」を達成した後は「脱褐炭・脱石炭」を目指しているのだ。さらに緑の党は、「メルケル政権は産業界の意向を尊重して、再生可能エネルギー拡大にブレーキをかけている」と主張して、エコ電力の普及に拍車をかけることも求めている。たとえばメルケル政権は、再生可能エネルギー賦課金の上昇率を抑えるために、2016年に陸上風力や太陽光による発電装置の設置容量に上限を設けた。緑の党はこれらの上限を撤廃するよう要求している。

これまでメルケル政権は、「気候保護計画」の中で、地球の平均気温が工業化開始以前に比べて2度以上超えないように、2050年の温室効果ガスの排出量を1990年比で80~95%減らすことを目標にしていた。再生可能エネルギー促進法(EEG)は、ドイツ政府に対し、2050年までに再生可能エネルギーが電力消費に占める比率を80%に高めることを義務付けている。つまり緑の党は、連邦政府の目標達成時期を20年も前倒しする、野心的な計画を持っているのだ。

「車のエネルギー転換の加速を!」

今回の選挙では「車のエネルギー転換」が争点の一つとなったが、緑の党は排ガス問題でも思い切った提案を行っている。同党は「ドイツの市街地で排出される有害物質の70%は、交通機関によるものだ」として、「車のエネルギー転換」を大きな目標の一つとした。そして、2030年からは内燃機関を使った車の認可禁止を要求。電気を使った路線バスを増やすとともに、市町村には電気自動車(EV)の充電ステーションの整備のために補助金を出す。さらに内燃機関を使う車への車両税を引き上げ、EVを優遇することを求めている。

2011年の福島第一原子力発電所事故以来、ドイツでは保守政党も脱原子力と再生可能エネルギー拡大政策を取り始めた。このため緑の党の個性が失われ、同党はここ数年支持率の低下に悩んでいた。しかし同党は今回の選挙で野心的なマニフェストを打ち出したため、前回の選挙に比べて0.5ポイント得票率を増やすことができた。

CSU・FDPは大反対

一方、保守政党は緑の党の主張に真っ向から反対している。市場原理を重んじるFDPは、2030年までに褐炭・火力発電所を全廃し、内燃機関を使う車の認可を禁止するという緑の党の提案に全面的に反対。クリスティアン・リントナー党首は「褐炭火力発電所を廃止したら、EVに充電できなくなる」と発言している。FDPは当分の間は褐炭火力、石炭火力による発電を続け、ディーゼル車やガソリン車を使い続けるべきだと考えている。

またCSUのホルスト・ゼーホーファー党首も、「内燃機関を使う車の禁止は、我が国の経済力の根源に斧をふるうような行為だ。内燃機関の使用継続は、連立交渉の中で妥協できない一線だ。自動車に対する魔女狩りのようなキャンペーンはやめるべきだ」と述べている。CSUが内燃機関の車の禁止に強く反対するのは、同党の地盤であるバイエルン州にBMWとアウディの本社があり、自動車産業が雇用確保の上で重要な役割を果たしているからだ。

だが第四期メルケル政権で、緑の党が環境大臣のポストを獲得しようとするのは確実。同党は1998年~2005年までシュレーダー政権で環境政策を担当し、この国で初めて原子炉の稼働年数を制限し、再生可能エネルギーの拡大政策を導入した。そう考えると緑の党が妥協することは考えにくい。指導部が安易にCSUやFDPの企業寄りの政策を受け入れたら、支持者から強い反発を受けるだろう。ジャマイカ連立政権の誕生までには、まだ相当の時間がかかるに違いない。

最終更新 Mittwoch, 01 November 2017 11:20
 

難民受け入れ数でCDU・CSU合意「上限」をめぐるメルケル首相の苦悩

難民
2015年9月にミュンヘン中央駅に到着した
シリア難民達(撮影:熊谷 徹)

9月末の連邦議会選挙で、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第3党に大躍進したことは、アンゲラ・メルケル首相の路線に微妙な影を落とし始めた。

20万人という「目標値」を初めて設定

その典型的な例が、10月9日にキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト社会同盟(CSU)が「難民受け入れ数について、基本的に合意した」と発表したことだ。

メルケル首相とCSUのホルスト・ゼーホーファー党首が公表した声明文によると、両党は「一年間にドイツが受け入れる難民の数が、20万人を超えないようにしたい」という立場を打ち出した。ドイツが難民受け入れ数に具体的な目標値を設定するのは初めて。この数は、これまでCSUのゼーホーファー党首が要求してきた難民受け入れ数の「上限(Obergrenze)である。メルケル首相は、これまで「憲法(基本法)が保障する亡命申請権に上限はない」として、CSU側の要求を一貫して拒否してきたが今回は譲歩した。

両党の声明文には、「上限」という言葉は使われていない。そして「例外規定は可能である。たとえば国際情勢・国内情勢の変化によって20万人という目標を守れないことが明らかになった場合、連邦政府と連邦議会は、目標の上方修正または下方修正を行う」という但し書きがある。さらに合意文書は、「我が国は基本法で保障された亡命申請権を変更せず、EU法に基づいて、亡命申請を審査することを約束する」と明記している。つまりドイツは、受け入れ数が20万人を超えた場合、亡命申請を審査せずに、到着した難民を国境ですべて追い返そうとしているわけではない。

背景に極右政党の躍進

「上限」という言葉を避けていても、メルケル首相がCSUに歩み寄ったのは今回が初めて。つまりこの合意文書はオブラートに包まれていても、首相の難民政策の変化を象徴するものだ。メルケル氏が態度を変えた最大の理由は、有権者が首相の難民政策に強く反発し、連邦議会選挙でCDU・CSUに1949年以来最低の得票率を与えて罰したことだ。

2015年9月に、メルケル首相はハンガリーで立ち往生していたシリア難民らに事実上国境を開放し、ドイツで亡命申請することを許した。当時はミュンヘンなどに毎日約2万人の難民が到着。2015年だけで約89万人の難民がドイツで亡命を申請した。EUの亡命申請規定であるダブリン協定によると、難民は最初に到着したEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。つまりハンガリーに到着した難民は、そこで亡命を申請するのが決まりだ。だが当時シリア難民の間では、難民受け入れに寛容で、社会保障が手厚いドイツに亡命を希望する人が多かったために、メルケル首相はダブリン協定を無視して、これらの難民をドイツに受け入れることを決めた。首相は、オーストリア政府とは事前協議を行ったが、連邦議会や欧州委員会、フランス、英国政府などと相談せずに、ほぼ独断的に国境を開放。いわば「超法規的措置」である。

保守的な有権者がメルケル氏に失望

この決定については、2015年にゼーホーファー党首が「大きなミスだ」と厳しく批判。難民を受け入れる市町村の首長からは「連邦政府はなぜ難民の数をコントロールしないのか。これ以上難民を受け入れられない」という強い不満の声が上がった。メルケル首相の決断は、人道主義に基づくものだ。米国のメディアや国連の難民高等弁務官は、ドイツの難民受け入れについて「欧州の名誉を救った」と称賛した。メルケル氏は「困っている人を助けたことについて批判されるのならば、ドイツは私の国ではない」とまで言い切った。

だがCDU・CSUの保守派に属する党員の間では、「メルケル首相の政策は、あまりにも左傾化している」という意見が強まった。彼らは伝統的な政党に対し疎外感を抱く。前回の選挙でCDU・CSUを選んだ有権者の内約98万人が、今回はAfDに票を投じた。AfDは旧東ドイツだけではなく、平均所得水準が比較的高いバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州政府でも、10%を超える得票率を確保した。このことは、旧西ドイツ市民の間でも、政権与党の難民政策に対する不満が強まっていたことを物語っている。

与党は選挙戦で難民問題を重視しなかった

2015年に89万人に達した難民数は、2016年には約28万人、今年1月から8月には12万3878人に減っている。バルカン半島の国々が国境を閉鎖し、トルコとEUが難民の引き取りについての合意を結んだからだ。このように難民数は減っているのだが、AfDは政権与党の難民政策を執拗に争点として取り上げ続けた。これに対し、CDU・CSUとSPDは選挙期間中に難民問題を積極的に取り上げなかった。このことが、伝統的な政党に歴史的な後退をもたらし、大連立政権を崩壊させたのである。もしもメルケル氏がこれまでの態度を変えなかったら、AfDへの支持率がさらに伸びるかもしれない。AfDの躍進は、メルケル氏に「亡命申請権に上限はない」という言葉を事実上撤回させ、難民政策の硬化をもたらしたことになる。

メルケル首相はCSUだけでなく、緑の党、自由民主党(FDP)と組まなければ議会で過半数を確保できない。だが左派に属する緑の党は、20万人という「目標値」について強い難色を示している。四党が受け入れられる着地点を見つけるには、まだかなりの時間がかかるだろう。難民政策をめぐる議論は、今後も続く。

最終更新 Mittwoch, 18 Oktober 2017 10:55
 

大波乱! 連邦議会選挙極右政党躍進の衝撃

得票率
メルケル氏が率いるキリスト教民主・社会同盟の得票率は、
33%に留まった

9月24日にドイツで行われた連邦議会選挙は、「メルケル時代」の終焉が始まったこと、そして戦後初めて極右政党を連邦議会入りさせた選挙として、この国の歴史に残るだろう。

伝統的政党の惨敗

メルケル首相の難民政策に強い不満を持つ有権者達は、大連立政権に加わっていたすべての政党を、厳しく罰した。メルケル氏が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の得票率は、33%。1949年以来、最悪の数字だ。CDU・CSUは4年前の選挙に比べて、得票率を9ポイント近く減らしたことになる。

社会民主党(SPD)の得票率は前回よりも5.2% 減って、わずか20.5%。第二次世界大戦後、最も低い水準だ。マルティン・シュルツ党首は、同党は連立政権に参加せず、野党になる方針を明らかにした。多くの有権者達はメルケル首相が率いる大連立政権に対して、明確に「ノー」という意思表示を行った。

排外主義政党が第3党に

我々ドイツに住む日本人にとって、最も衝撃的なのは、排外主義を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率が前回の選挙に比べて2.7倍に増え、12.6%に達したことだ。AfDの幹部らは外国人を堂々と差別する発言を行ってきた。そうした政党を、590万人ものドイツ人が選んだのだ。前回の選挙でCDU・CSUおよびSPDに投票した145万人もの有権者が、今回はAfDに鞍替えした。多くの有権者は、現政権に抗議するために、過激勢力を一挙に第3党の地位へ押し上げたのだ。CDU・CSU・SPDは105議席を失い、逆にAfDが一挙に94議席を獲得する。

旧東独市民の不満が爆発

特に旧東ドイツでは、AfDを支持する有権者が多く、得票率は22.5%に達し、CDU(28.2% )に次いで第2位の地位に就いた。ザクセン州では、AfDがCDU を追い抜いて首位に立った。観光地としても知られるゼクシッシェ・シュヴァイツでは、AfDが35.5%という高得票率を記録。CDUを10ポイントも引き離した。AfDは旧東ドイツではもはや白い目で見られる過激勢力ではなく、「ごく普通の政党」と見られている。

なぜ旧東ドイツではAfDへの人気が高いのか。旧東ドイツ市民の中には、27年前のドイツ統一によって貧乏くじを引いたと感じている人が少なくない。失業率は西側よりも高い上に、公的年金の額も長い間旧西ドイツに比べて低く抑えられてきた。特に旧東ドイツの長期失業者への給付金を西側よりも低くした「ハルツIV」は、東側の市民にとっては強い屈辱だった。

1990年以来、旧東ドイツから西側へ移住した市民の数は、約400万人に達する。その内3分の2が30歳未満の人々である。つまり旧東ドイツの市民は、旧西ドイツと連邦政府に深い怨嗟を抱いている。そのはけ口となったのがAfDである。特にメルケル首相が2年前に約80万人のシリア難民を受け入れたことが、国民の不満を強め、AfDにとって追い風となった。

過去との対決を否定するAfD

AfDはドイツの戦後レジームの破壊をめざす党だ。同党幹部は「イスラム教はドイツの憲法にそぐわない」と公言したほか、「難民が警官の制止をきかずに国境を越えようとしたら、銃を使ってでも国境の突破を阻止するべきだ」と述べている。同党はユーロ圏からの脱退、国境検査の再開、女性の全身を覆うチャドルの禁止、脱原子力・再生可能エネルギー拡大政策の見直し、徴兵制の復活などを要求している。

ドイツは第二次世界大戦後、ナチスの過去と批判的に対決し旧被害国に謝罪する姿勢を堅持してきたが、AfDはこの路線にも疑問を呈している。同党のテューリンゲン支部長は、ベルリンのホロコースト犠牲者慰霊碑を「恥ずべきモニュメント」と呼んだ。

ドイツは外国貿易に大きく依存しており、ユーロ導入によって得をした国の一つである。それだけに、ユーロ圏脱退や歴史修正主義を標榜する政党が中央政界入りすることは、この国の政治的な安定性にとってマイナスである。ミュンヘン・北バイエルン・ユダヤ中央評議会のシャルロッテ・クノープロッホ会長はAfDの躍進について、「恐れていた悪夢が現実となった。憎しみと蔑みをまき散らす悪霊が、再び現れた」と述べ、強い警戒感を表している。今後ドイツ社会は、連邦議会に巣食う非民主的勢力と戦わなくてはならない。

「メルケル後」の世界が始まった

ヨーロッパの女帝と呼ばれたメルケル首相の指導力も、大幅に弱まった。SPDが下野する方針を明らかにしたため、CDU・CSUは自由民主党(FDP)と緑の党と組まなければ、議会での過半数を確保できない。この国で4党が連立政権を樹立したことは、一度もない。難民政策やエネルギー政策をめぐって、FDP・CSUと緑の党の間には大きな隔たりがある。このため、4党によるジャマイカ連立へ向けた交渉は難航し、次期政権が誕生するまでにはかなりの時間がかかるだろう。

CSUのホルスト・ゼーホーファー党首は、バイエルン州でAfDに多数の有権者を奪われ、10ポイント近く得票率を減らした。このためすでに党内から退陣を求める声が上がっている。メルケル首相の責任を問う動きも、やがてCDU内で表面化する。メルケル首相のいないドイツが、遅くとも4年後にはやって来る。我々はその時代への準備を始めるべきだ。

最終更新 Mittwoch, 04 Oktober 2017 12:24
 

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