ジャパンダイジェスト
独断時評


統一宰相コール死去 欧州統合強化の夢は未完に終わるか

コール元首相を悼み、記帳するメルケル首相
コール元首相を悼み、記帳するメルケル首相

東西ドイツ統一を実現し、ユーロ導入など欧州統合の強化に貢献したヘルムート・コール元首相が、6月16日に87歳で死去した。ドイツと欧州の歴史の流れを大きく変えた政治家が、また一人この世を去った。

歴史の好機を逃さず統一を実現

メルケル首相は、同日行った演説の中で「コール氏の存在は、ドイツにとって幸運だった。彼が、歴史が与えたチャンスを逃さずにドイツ統一を実現したことは最高の偉業だ。我々ドイツ人はコール氏に感謝する」と述べ、統一宰相の功績を称えた。「コール氏は、私の人生をも大きく変えた」と語ったメルケル首相の胸には、複雑な思いが去来していたはずだ。社会主義国東ドイツで育ち、東ベルリンの研究所で物理学者として働いていたメルケル氏は、壁崩壊後に政治の世界へ飛び込んだ。彼女を1991年に婦人・青少年大臣に抜擢したのは、コール氏だった。メルケル氏は「コールのお嬢さん」と揶揄されながらも、キリスト教民主同盟(CDU)の中で急速に出世していった。

だが1999年に、CDUが多額の不正献金を受け取っていた問題が発覚し、コール氏が深く関与していたことが判明した。しかし彼は献金者の名前の公表を拒んだ。当時CDU幹事長だったメルケル氏は、不正献金事件を糾弾する公開書簡を新聞に公表し、「恩師」コール氏を糾弾して袂を分かった。この事件以降、コール氏はCDU内部で影響力を失い、逆にメルケル氏が党首として権力を手中にする。2005年には首相の座に就任した。コール氏は「飼い犬に手をかまれた」と感じ、メルケル氏との接触を断った。コール氏の未亡人が、ベルリンでの国葬ではなく、EUもしくは欧州議会が中心となる「追悼式典」を望んだ背景にも、コール家のメルケル首相への反感があると言われる。

戦争体験がコール氏を欧州統合へ駆り立てた

コール氏は1930年に南西ドイツのルートヴィヒスハーフェンで生まれた。第二次世界大戦の惨禍を経験した最後の首相である。兄の戦死や空襲などの体験は、彼を欧州統合に邁進させる最大の原動力となった。彼にとっては、欧州統合は欧州での戦争再発を防ぐための手段だった。コール氏は1946年にCDUに入党する。同党で彼は急速に頭角を現し、1959年にはラインラント=プファルツ州議会議員に初当選した。1973年にCDU党首に選ばれた彼は、1982年に52歳で西ドイツ最年少の連邦政府首相に就任する。

ボンの中央政界で、コール氏はしばしば「プファルツの田舎者」と軽蔑され、「国際感覚に欠ける地方政治家」と嫌われた。だが彼は1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊すると、東西ドイツ統一を実現する好機と判断し、党内・野党の反対を無視し、統一へ向けて突き進んだ。その政治的嗅覚は、評価に値する。

最大の難関は、第二次世界大戦中の旧連合国の承認を得ることだった。東西分断時代のドイツはまだ国家主権を持っていなかった。フランスのミッテラン大統領、英国のサッチャー首相、ソ連のゴルバチョフ書記長は、欧州の中心に約8200万人の人口を持つ大国が誕生することに強い懸念を抱いていた。しかしコール氏は、米国のブッシュ(父)大統領の強力な支援を取り付けることによって、ドイツ統一に関する国際条約「2プラス4」を短期間でまとめ上げた。

ソ連は最後まで統一に難色を示したが、コール氏はゴルバチョフ氏と直談判を重ね、強力な経済支援と引き換えに、旧東ドイツに駐留していた約34万人のソ連軍部隊を撤退させることに成功した。

1990年10月3日に東西ドイツは統一され、コール氏は第二次世界大戦後初めてドイツの国家主権を完全に回復させた。2カ月後の連邦議会選挙でCDUは勝利し、コール氏は統一後初めての首相に就任した。統一が実現した要因の一つは、ゴルバチョフ氏という革新的な政治家がソ連の最高指導者だったことだ。千載一遇のチャンスを逃さずに、猛スピードで統一を実現したことは、コール氏の大きな功績である。

欧州統合の理想に強い逆風

彼は欧州諸国の統一ドイツへの不安を取り除くためには、欧州統合を強化する必要があることを理解していた。このためドイツ人が深い愛着を持っていたマルクを廃止し、共通通貨ユーロの導入に踏み切った。コール氏は、「ドイツ政府の権限をEUに譲渡すればするほど良い」と確信していた。ナチス・ドイツが欧州全体に未曽有の被害を与えたことを踏まえて、ドイツにとっては、欧州の価値共同体の中に身を埋没させることが、最良の選択だと信じた。だがコール氏は統一後のドイツ経済の回復に失敗した。旧東独を中心に失業者数が急増し、国民の不満は強まった。1998年の連邦議会選挙ではゲアハルト・シュレーダー氏率いる社会民主党(SPD)の前に敗退し、首相の座を去った。ハンネローレ夫人の自殺、家庭の内紛、自宅での転倒事故など、晩年は数々の不幸に見舞われた。

コール氏が掲げた理想は今、強い逆風に遭遇している。右派ポピュリズムの台頭、BREXITやギリシャの債務問題など、EUの前には難題が山積。盟友米国も、一国主義・保護主義に傾斜し、欧州から離反する兆候を見せ始めている。コール氏が主張した「EUは戦争防止のためのプロジェクト」というスローガンだけでは、グローバル化とデジタル化に翻弄される庶民のEUへの不信感を弱めることはできない。

欧州統合を後戻りできない状態まで深化させるというコール氏の構想は、未完に終わるのだろうか。

最終更新 Mittwoch, 05 Juli 2017 10:55
 

米国のパリ協定離脱にドイツとEU、強く反発

G7サミット
G7サミットにて写真撮影に応じる
トランプ大統領(右)とメルケル首相

「米国はパリ協定から離脱する。そして米国にとってフェアな協定に参加するために交渉を始める。交渉が成功して米国にとって公正な協定になれば良いが、成立しなくてもかまわない」。ドナルド・トランプ大統領が6月1日にワシントンDCで行った「離脱宣言」は、全世界に強い衝撃を与えた。彼は「パリ協定は、米国の富を他国に再配分するものであり、我が国にとって不利だ。離脱の決定は我々の経済的な利害に基づくものであり、地球温暖化には全く影響を及ぼさない」と述べ、環境保護のための国際的な取り決めよりも、米国の利益を優先する姿勢を強調した。

メルケル首相の失望

ドイツのアンゲラ・メルケル首相はトランプ氏に電話をかけ、遺憾の意を直接伝えた。ベルリンでの記者会見で「米国の離脱は、極めて残念だ。この言葉は非常に控えめな表現である」と異例の強い口調で失望を表した。さらに首相は「我々はパリ協定を必要としている。地球と、神の創造物を守るためにこの協定を守らなくてはならない。米国が離脱しても、我々は地球温暖化との戦いをやめない。たとえ道が険しくても、パリ協定は必ず成果を生む」と述べ、温室効果ガス排出量の削減へ向けて、不退転の決意を示した。

この後メルケル首相は、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、イタリアのパオロ・ジェンティローニ首相と連名で、「パリ協定は後戻りさせることができない」として、米国が求める交渉のやり直しを拒否する方針を明確に示した。

地球温暖化防止のための歴史的な合意

トランプ氏は、大統領に就任する前の2012年に、「地球温暖化は中国が米国経済に損害を与えるために、でっちあげたものだ」と発言している。彼は、温室効果ガス削減のための世界的な枠組みが、米国の石炭産業など化石燃料に関連する産業を弱体化させ、失業者を増やすと主張したのだ。だが大半の科学者は、「人類が排出する二酸化炭素などが地球温暖化に影響を与えている」という見解を持っている。

2015年12月のパリ協定は、ニカラグアとシリアを除く全ての国が調印した、温室効果ガス抑制のための初めての取り決めだ。気候変動に歯止めをかけるために、世界の大半の国が団結した、歴史的合意である。

2016年11月に発効したこの協定は、195の参加国・地域に対して、気温上昇の幅を、工業化が始まる前の時期に比べて2℃未満に抑えることを狙っている。先進国は、発展途上国が地球温暖化ガスの排出量を減らすための資金援助も行う。米国の地球温暖化ガスの排出量は、中国に次いで2番目に多い。その国が協定に背を向けることは、気候変動を防ごうとする努力に大きな影を投げかける行為だ。

G7サミットでも亀裂

欧州では、トランプ大統領の独善的な態度について、失望と怒りの声が高まっている。米国がパリ協定に背を向ける兆候は、5月末にイタリアのタオルミーナで開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)ですでに現れていた。会議の席上、トランプ氏だけが「パリ協定は米国経済を不利な立場に追い込む」として履行に反対。他の首脳らとの間で深い亀裂が生じた。

メルケル首相は、帰国後にミュンヘンで行った演説の中で「我々が他国の首脳を信頼できる時代は、終わった。そのことをG7サミットで強く感じた。我々欧州人は、これからは(他国に頼らずに)自分の運命を自分の手で切り開かなければならない」と述べ、深い失望感を表した。

欧州委員会のジャン・クロード・ユンケル委員長は、「米国がパリ協定から離脱しようとするならば、我々欧州人は『それは許されない』と米国の前に立ちはだかる。地球温暖化は、先進国だけではなく、世界の多くの国々を脅かす深刻な問題である。83カ国が、海面の上昇によって水没する危険にさらされている。パリ協定という国際合意は、フェイクニュースではない」と強い口調で米国を批判した。世界でCO2排出量が最も多い中国は、今のところパリ協定を順守する方針を表明し、EU諸国と歩調を合わせている。だが中国がパリ協定に参加したのも、米国のオバマ前大統領が説得した結果である。それだけに、米国の離脱は、各国の協定順守の意思を弱める危険がある。ドイツの政治家や学者達が懸念しているのは、米国の真似をしてパリ協定を離脱する国が現れることだ。

米国からの自立を求められる欧州

米国が他の国々に背を向けているのは、環境問題だけではない。トランプ氏は、多国間の通商協定を批判し、保護主義的な姿勢を打ち出している。さらにドイツなど北大西洋条約機構(NATO)の大半の加盟国が、防衛のための支出を十分に行っていないとして、欧州防衛のための貢献を減らす可能性を示唆している。

米国はもはや西側の指導者、世界の警察官としての役割を果たさないだろう。欧州諸国の米国に対する信頼感は、トランプ氏が大統領になって以来、急激に低下した。ドイツを初めとするEU諸国は、米国の支援がなくても世界の秩序を守ることができるように、「米国からの精神的な乳離れ」を迫られているのだ。

欧州諸国が、今なお防衛について米国に大きく依存していることは、自立を妨げる。彼らは米国から自立するために、防衛努力を大幅に増やすことを求められるだろう。

最終更新 Mittwoch, 14 Juni 2017 10:07
 

注目のNRW州議会選挙で なぜSPDは惨敗したのか

ハンネローレ・クラフト元NRW州首相
SPDの惨敗により退任した、
ハンネローレ・クラフト元NRW州首相

「どうしようもないほどの惨敗だ(Eine krachende Niederlage)」。社会民主党(SPD)のマルティン・シュルツ党首は、硬い表情で、5月14日にノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州で行われた州議会選挙の結果をこう評した。

SPDと緑の党の票が激減

実際、同州の有権者達は今回の選挙で、ハンネローレ・クラフト首相が率いるSPDと緑の党の左派連立政権に対し、「落第点」を与えた。「ミニ連邦議会選挙」と呼ばれる重要な州議会選挙は、キリスト教民主同盟(CDU)の圧勝に終わった。

SPDの前回(2012年)の選挙での得票率は39.1%だったが、今回は7.9ポイントも減って31.2%となった。NRW州は、SPDの牙城である。この州では、1966年からの51年間の内、2005年からの5年間を除けば、常にSPDの政治家が首相の座を占めてきた。だが31.2%というのは、SPDのNRW州での得票率としては、史上最低である。

またSPDと連立していた緑の党も、得票率を11.3%から6.4%に減らして敗退した。ルール工業地帯を抱えるNRW州では、かつて重厚長大産業が重要な役割を果たしていた。この歴史的な背景から、労働組合を支持母体とするSPDはNRW州で最強の党だったのだ。だが2012年に「SPDは市民の世話をする党(Kümmerer-Partei)になる」と宣言して勝利したクラフト氏は権力の座から駆逐され、敗北の責任を取ってSPD・NRW州支部長の職を直ちに辞任した。

これに対し、保守・中道勢力は大きく躍進した。CDUの得票率は、前回の選挙に比べて6.7ポイント増えて、33%に達し、また自由民主党(FDP)も得票率を8.6%から12.6%に増やしている。

教育政策で多くの市民が失望

なぜSPDと緑の党は、これほど悲惨な負け方をしたのだろうか。その理由の一つは、クラフト政権が5年前に行った「市民のための政党になる」という約束を果たさなかったことである。今回の選挙の争点の中で、市民が最も高い関心を持っていたのが、教育問題である。NRW州では、他の州と同様に、学習意欲が乏しく授業についていけない子供をいかに救済するかが、重要なテーマとなっている。

ドイツ語でInklusionと呼ばれるこの問題を解決するには、教職員の数を大幅に増やしたり、新たな教材を導入するなど、教育予算の増額が必要である。だがクラフト政権のズィルビア・レーアマン教育大臣(緑の党)は、政府内で予算増額を要求せず、むしろ地方自治体に費用の一部を負担するよう要請したため、議論が長引いた。結局クラフト首相の「私は落ちこぼれる子供を1人も出さない」という公約は、空約束に終わった。さらにギムナジウムでの学習年数を8年にするか、9年にするかという議論でも、レーアマン大臣は頻繁に態度を変え、有権者の不信感を強めた。

治安確保でも落第点

もう一つの争点は、治安問題である。2015年の大晦日から元日にかけて、ケルン中央駅前の広場で北アフリカからの難民ら数千人が、人混みに紛れて約1000人の女性の身体を触ったり、財布を盗んだりするという事件が起きた。ここには200人を超える警察官が配置されていたが、犯行を防ぐことはできなかった。警察は元日の朝に「ケルン中央駅前は平穏」というとんちんかんな報告を州政府に行っていた。また夜間の人混みの中での犯行だったために、警察が犯人を特定する作業も難航し、有罪判決を受けたのは6人にすぎない。この事件は、NRW州警察の非力を暴露するとともに、ドイツ人に2015年の難民流入後の「体感治安」の悪化を痛感させる分水嶺となった。

また昨年12月に、過激組織イスラム国(IS)を信奉するチュニジア人のアニス・アムリ容疑者が、ベルリンのクリスマス市場に大型トラックで突っ込み、12人を殺害し約60人に重軽傷を負わせた。彼は当初亡命申請者としてNRW州に住んでいた。同州の警察はアムリ容疑者を危険人物と見なし、密偵や携帯電話の盗聴によって監視していた。だが無差別テロを起こす兆候を見せていたにもかかわらず、警察はこの男を逮捕しなかった。警察は、アムリ容疑者がベルリンに移り、麻薬の売買に手を染めてからも、摘発しなかった。もしも警察が彼を逮捕してチュニジアに送還していたら、ベルリンでの無差別テロは防げたはずだ。

市民に不安感を与えているのは、イスラム・テロの脅威だけではない。NRW州では、2016年に5万件を超える空き巣被害が起きている。これは、全国で最も高い数字だ。しかも犯人の検挙率は、わずか16%。州政府は、扉や窓の強化などの対策を取り始めているものの、市民の不安は完全に払拭されていない。

立ち消えになった「シュルツ効果」

欧州議会の議長だったシュルツ氏が今年初めにSPDの党首に選ばれて以来、党の支持率は一時CDUに肉迫し、党員数も約1万人増えた。しかし彼が具体的な政策を直ちに発表しなかったことから、「シュルツ・フィーバー」は時間が経つにつれて先細りとなった。SPDが負けたのは、今年3月のザールラント州議会選挙、5月初めのシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州議会選挙に続いて、3回目。NRWでの選挙結果は、連邦議会選挙の行方を映す鏡である。メルケル首相四選の可能性は、一段と高まったと言える。

 

最終更新 Mittwoch, 31 Mai 2017 11:11
 

仏大統領選でのマクロン勝利に安堵するドイツ

マクロン氏とルペン氏
仏大統領選の決選投票を戦った
マクロン氏(右)とルペン氏

5月7日に行われたフランス大統領選挙の決選投票で、39歳のエマニュエル・マクロン元経済大臣が66.06%の票を獲得して、勝利を収めた。欧州諸国は、この結果を聞いて胸を撫で下ろした。右派ポピュリスト政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン候補の得票率は33.94%に留まり、敗北。米国に次ぐポピュリスト大統領の誕生は、避けられた。

ドイツ・EUはマクロン氏を歓迎

ルペン候補は「大統領に就任した場合、フランスの欧州連合(EU)からの離脱に関する国民投票を行う」と宣言していた。英国と異なり、フランスはEU創設国の一つ。したがってフランスが離脱した場合、EU崩壊の可能性すら浮上する。彼女はユーロ圏からの離脱や移民の制限など、過激な政策を提案していた。

これに対しマクロン氏の基本路線は社会民主主義であり、EUを重視する。彼の当選によって、フランスのEU離脱(Frexit)の可能性がひとまず遠のいたことは、欧州にとって朗報である。マクロン氏の当選後、ドイツのメルケル首相は、「私はマクロン大統領とともに働くことを楽しみにしている。両国の協力関係が良好になることを確信している」と記者団に語っている。欧州理事会のドナルド・トゥスク議長も「フランスの有権者が自由・平等・博愛を選び、専制主義とフェイクニュースを拒絶したことを祝福する」という声明を出している。

マクロン氏は、フランスで戦後最年少の大統領だ。フランス人達は、2017年まで一度も選挙を経験したことがなく、議員として働いたこともない政治家を、エリゼ―宮に大統領として送り込む。彼が率いる政治運動組織En marche!(オン・マルシュ)は、議会に基盤を持たない。それでも過半数の有権者達は、変革を望んだ。この投票結果には、伝統的な二大政党に対する有権者の失望と、「政治と経済を改革しなくてはならない」という固い決意が感じられる。

右派・左派の反EU陣営が約41%に

マクロン氏にとって無視できない、もう一つ衝撃的な事実は、第1次投票でEU離脱を求める勢力の得票率が40%を超えたことだ。EU離脱を求めているのは、右派ポピュリストのルペン氏だけではない。左派ポピュリストのジャン・リュック・メランション氏も、反EU勢力。二人の得票率を合わせると、40.88%に達する。EU創設国の一国であるフランスで、1467万人もの市民がEUに背を向けた事実は、重い。

また第1次投票で約766万人もの市民がルペン候補に票を投じ、FNの得票率が初めて20%を超えたことも、フランス人達を震撼させた。決選投票では、1100万人がルペン候補を選んだ。

フランスでも都市と地方の格差が拡大

ルペン氏にとって追い風となったのは、「大都市と地方の格差」、そして「庶民のグローバル化への不信感」だった。米国でトランプを大統領に就任させ、英国でBREXIT派を勝たせた格差問題は、フランスをも侵食しつつある。フランスでも英国同様に、首都と地方の格差が広がりつつある。ルペン候補は、経済のグローバル化が国内産業を衰退させ、フランス市民の職を奪っていると主張する。マクロン氏はフランス経済の競争力を強化し、失業率を大幅に下げなくてはならない。現在フランスの失業者数は、約347万人。欧州連合統計局によると、フランスの今年2月の失業率は10.0%で、EU28カ国の平均(8.0%)よりも高い。ドイツの失業率の2.6倍である。1990年末から21世紀の初めにかけて、低成長と失業禍に苦しんだドイツは「欧州の病人」と呼ばれたが、今この不名誉なあだ名はフランスの状況を言い表している。

フランス版「アゲンダ2010」が必要

マクロン氏が企業の競争力を高めるには、ドイツが行ったような痛みを伴う改革が不可欠である。ゲアハルト・シュレーダー前首相は、2003年に「アゲンダ2010」の名の下に、雇用市場と社会保障制度の大改革を断行した。長期失業者への給付金を生活保護の水準まで引き下げて、再就職への圧力を高めた。彼は、第二次世界大戦後のドイツで最も根本的なこの改革によって、労働コストの伸び率を抑えて、企業の競争力を高めることに成功した。2010年以降のドイツが好景気に沸いている理由の一つは、アゲンダ2010である。シュレーダー氏は低賃金部門を拡大することによって、一時は500万人に達していた失業者数を約200万人減らした。この改革は、少なくとも雇用統計の上では失業者数を増やすことに貢献した。ドイツの失業率が、フランスの半分に下がったのも、シュレーダー氏の功績である。

フランスの政治家達も、同国の経済を建て直すには、ドイツと似たような荒療治が必要であることを知っている。マクロン氏は、選挙運動の前半では、国の歳出を600億ユーロ(約7兆2000億円)減らし、公務員や公共企業の社員数を12万人減らす方針を明らかにしていたが、後半戦ではこれらの公約を口にしなくなった。彼は経済大臣だった時の経験から、改革案が市民の猛反対に遭遇することを知っているのだ。

マクロン氏は、国民に痛みを強いる改革を断行できるだろうか。フランスの労働組合は、ドイツよりもはるかに戦闘的であり、改革の歩みは難航するだろう。彼はまず6月11日と18日に行われる国民議会選挙で、政治的基盤を固めなくてはならない。マクロン氏は、勝利の美酒に酔っている暇はない。

最終更新 Mittwoch, 17 Mai 2017 11:36
 

トルコ憲法をめぐる国民投票は なぜドイツ人に衝撃を与えたか

抗議デモ
国民投票の結果に不信感を持つ在独トルコ人による
抗議デモ(4月21日、ベルリン)

4月16日、トルコの憲法改正をめぐって行われた国民投票では、票を投じた有権者のうち、51.4%が憲法改正に賛成した。この結果、議会や裁判所のチェック機能が弱まり、エルドアン大統領にこれまで以上に権力が集中することになった。

トルコ社会の亀裂、浮き彫りに

トルコの野党は、「この憲法改正により、19世紀以来トルコが進めてきた欧州への歩み寄りに、終止符が打たれる。エルドアン大統領による専制政治が行われ、メディアや野党に対する圧力がさらに高まる」と厳しく批判している。野党は「多くの投票所で不正があり、国民投票は無効だ」と主張している。

大統領が51.4%という僅差で辛勝したことは、トルコ社会がエルドアン氏の支援者と反対者の間で真っ二つに分裂していることを示唆している。トルコは、欧州連合(EU)への加盟を希望しており、長年にわたり交渉を続けてきた。しかしEU側では、「トルコが今回の国民投票によって、三権分立を事実上廃止した場合、EU加盟は不可能」という意見が強まっている。ドイツの保守系の政治家の間では、「トルコとの交渉は停止すべきだ」という意見もある。

EU加盟交渉は風前の灯火

ただしEUでは、「トルコの加盟交渉をEUが一方的に打ち切った場合、エルドアン大統領の怒りの火に油を注ぎ、トルコをロシアにさらに接近させる危険性がある」という見方もある。トルコは米国を盟主とする軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)に加盟しており、イスラム・テロとの戦いでも重要な役割を果たしている。例えば、欧米諸国がシリアにある過激組織イスラム国(IS)の拠点に対して行っている空爆作戦は、トルコの空軍基地を拠点として行われている。

だがEUには、譲れない一線がある。エルドアン大統領は、去年発生したクーデター未遂事件以来、死刑を復活させる可能性を示唆している。もしもトルコが死刑を復活させた場合、EUはトルコとの加盟交渉を打ち切るだろう。第二次世界大戦でのナチスの暴虐に対する反省から生まれたEUは、人権と民主主義、差別の禁止を重視しており、死刑制度を持つ国は加盟できない。EUは、この一点については譲歩できないのだ。エルドアン大統領は、死刑を復活させた段階で、EU加盟交渉に自ら終止符を打つことになる。

今後の展開によっては、EUとトルコの間の亀裂は決定的に深まるだろう。トルコでは将来イスラム色が強まり、欧州の価値や文化から遠のいていくことになるのかもしれない。その意味で今回の国民投票は、欧州とトルコの関係史の中で、一つの分岐点となる可能性がある。BREXITとともに、欧州で遠心力が強まっていることを象徴する出来事だ。

在独トルコ人の間で高い賛成率

今回の国民投票の結果で、ドイツ人に特に衝撃を与えた事実がある。ドイツ国内に住むトルコ人の有権者数は143万人。その内、約70万人が国民投票に参加した。彼らのうち、63.2%がエルドアン氏の求める憲法改正に賛成したのだ。これは、トルコ国内で憲法改正に賛成した比率を、12ポイントも上回る。

ドイツは議会制民主主義の国であり、言論、表現、結社の自由が保障されている。それにもかかわらず、エルドアン大統領への権力集中に賛成した人の比率は、トルコ国内よりも、ドイツに住んでいる在外トルコ人社会の方が高かったのである。

「トルコ人の社会への統合は不十分」

ドイツの保守派政治家たちの間では、「在独トルコ人の投票行動は、彼らがドイツ人社会にいかに溶け込んでいないか、彼らが我々ドイツ人といかに価値を共有していないかを示している」という失望の声が強まっている。二重国籍の付与を慎重にすべきだとの意見もある。

今回の投票結果は、ドイツに住むトルコ移民のドイツ社会に対する見方が、過去60年間で変化してきたことを浮き彫りにしている。1950年代、トルコから多数のガストアルバイター(労働移民)たちがルール工業地帯の製鉄所や炭鉱で働くためドイツにやってきた。彼らの大半は、イスタンブールなどの大都市ではなく、東部アナトリア地方の貧しい寒村の出身だ。

移民たちの第一・第二世代の中には、ドイツで就職できたことや、家族を呼び寄せられたことについて、ドイツに対して感謝の念を抱く者が多かった。だがドイツで生まれた第三世代の中には、「我々は就職などで差別される犠牲者だ」と思い込み、ドイツ社会に敵意を抱く者が現れている。彼らはドイツ社会に溶け込むことを拒み、メルケル政権を批判するエルドアン大統領に親近感を抱く。2008年にエルドアン氏がケルンでの演説会で「ドイツへの同化を強制することは、人間性に対する犯罪だ」と断言し、多くの在独トルコ人が喝采(かっさい)を送った時、ドイツ人は強い衝撃を受けた。

ちなみにこれはドイツに限られた現象ではない。憲法改正に賛成した在外トルコ人の比率はベルギーで約75%、オーストリアで約73%、オランダで約68%に上った。彼らの西欧社会への怨念が、エルドアン大統領への高い支持率となって噴出したのである。

今回の投票結果は、2015年の難民危機と並んで、ドイツ人が外国人に対する態度を硬化させる原因の一つとなるだろう。

最終更新 Mittwoch, 03 Mai 2017 10:16
 

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