ジャパンダイジェスト
独断時評


ドイツを襲うイスラム・テロ - メルケル政権はどう対応する?

アンスバッハ旧市街
人口4万人の町アンスバッハの旧市街

2016年夏のドイツは、バカンス気分が吹き飛んでしまったかのような陰鬱な気分に包まれている。その原因の一つは、7月24日にドイツで初めてテロ組織「イスラム国(IS)」の信奉者による自爆テロ事件が発生したことだ。多くの市民が、「ついにISの自爆テロの波がドイツにも到達した」と感じている。

あわや大惨事

事件が起きたのは、バイエルン州ニュルンベルク近郊のアンスバッハ。24日の夜、この町では夏の音楽祭「アンスバッハ・オープン」が開かれていた。22時頃、リュックサックを背負った外国人が音楽祭の会場に入ろうとしたが、切符を持っていなかったので、警備員によって入場を阻まれた。この直後に男は音楽祭会場に近い居酒屋の前で、リュックサックに隠した爆発物に点火。市民15人が重軽傷を負い、犯人は死亡した。もしも犯人が音楽祭の会場に入り込んでいたら、死傷者数は大幅に増えていたはずだ。

対テロ捜査を担当する連邦検察庁やバイエルン州警察の調べによると、犯人はモハメド・Dという27歳のシリア人だった。捜査当局がDの携帯電話を調べたところ、彼が「アラーの名の下にドイツに対するテロ攻撃を行う」と語る映像が残されていた。さらにDはビデオの中で、ISに忠誠を誓っていた。このことから連邦検察庁は、この事件をIS信奉者が多数の市民の殺傷を狙った無差別テロと断定した。

却下された亡命申請

Dは2年前、ドイツに難民として到着し、亡命を申請した。だがDはドイツに入国する前にブルガリアとオーストリアでも亡命を申請していた。ブルガリア政府はすでにDについてシリア内戦からの避難民として、「暫定的な保護措置」を認めていた。

EUの亡命申請に関する規定である「ダブリン協定」によると、亡命を希望する外国人は、最初に足を踏み入れたEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。

このためドイツ政府は、Dのドイツでの亡命申請を却下。Dはブルガリアへ強制送還される予定だったが、医師が「Dは精神的に不安定な状態にある」という診断書を裁判所に提出したため、ブルガリアへの送還が延期されていた。

バイエルン州政府のヘルマン内務大臣(キリスト教社会同盟=CSU)は、「イスラム・テロがドイツに到達した。民主主義社会ドイツは、そのことを自覚し、対応しなくてはならない」と語った。CSUのショイアー幹事長は、今回の事件を受けて「もはやドイツに到着する難民の説明をうのみにするわけにはいかない。入国を希望する難民全員を面接し、詳しい身元調査を行うべきだ」と主張している。

行われなかった身元調査

バイエルン州では7月18日にも、ヴュルツブルクを走っていた列車の中で、自称アフガン人の男がおのと包丁で乗客に襲い掛かり、たまたまドイツを旅行中だった香港からの観光客ら4人に重傷を負わせたばかり。男は列車から逃走したが、警察官によって射殺された。犯人は列車の中で「アラー・アクバル(アラーは偉大なり)」と叫んでいた。また警察は犯人の自室から、ISの旗が描かれたノートを発見。さらにISは、犯人が「ISの戦士としてドイツで戦いを始める」と宣言しているビデオ映像をネット上に公開した。これらのことから、ヴュルツブルクの事件が政治的な動機に基づくテロ事件であることは確実だ。

犯人は2015年6月にバイエルン州のパッサウからドイツに入国。当時16歳だった。入国時にドイツの警察や入国管理当局は、男の指紋を取っておらず(ドイツに来る前に通過したハンガリー政府は採取)、さらにドイツ政府は今年3月にこの男にドイツへの滞在許可を与えたが、その際にも詳しい身元調査は行わなかった。彼はパン職人の見習いとなり、ソーシャルワーカーや周辺の人々は、この男がISの過激思想に感化されていたことに気づかなかった。ただし、彼が事件の直前に「友人がアフガニスタンで死んだ」と語っていたことから、友人の死に対する怒りと絶望が、この男をISに急激に傾斜させた可能性もある。

ドイツ社会に広がる不安

いずれにせよ、ドイツに昨年入国した100万人の難民について、政府や警察が十分な身元調査を行わなかったこと、そして一部の難民が少なくとも2件のテロ事件を起こしたことについて、市民は不安を募らせている。パリで昨年11月に起きた同時テロの犯人の一部も、難民に紛れ込んでEUに潜入したISの戦闘員だった。また今年6月には、デュッセルドルフで同時テロを計画していたシリア人4人が逮捕されたが、彼らも難民を装ってドイツに潜入していた。

昨年9月にメルケル首相が、ハンガリーで立ち往生していたシリア難民らをドイツに受け入れる決断を行ったとき、CSUを始めとする保守勢力の間では、「テロリストが難民に混ざってドイツに潜入するのを、どのように食い止めるのか」という強い批判の声が出ていた。今や保守派が警告していた事態が、現実となった。メルケル首相は、今なお難民数に上限を設けることに反対しているが、来年の連邦議会選挙へ向けて、保守勢力からメルケルに対する批判が強まる可能性もある。今後もドイツでは無差別テロが起こる可能性があり、メルケルは昨年の決定について、説明責任を問われるかもしれない。

2 September 2016 Nr.1033

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:39
 

トルコの法治主義はどこへ? ドイツ政府の苦悩

ドイツとトルコの関係が急速に悪化している。そのきっかけとなったのは、今年7月15日から16日にかけてトルコで発生したクーデター未遂事件である。この事件では、イスタンブールやアンカラなどで軍の一部が、エルドアン政権の転覆を目指して蜂起。各地で起きた戦闘のために、市民を含む約290人が死亡した。

吹き荒れる粛清の嵐

EUの関係
クーデター未遂事件後のトルコ政府の態度により、
EUの関係に暗雲

からくもクーデターを鎮圧したエルドアン大統領は「米国に亡命中の宗教指導者フェトフッラー・ギュレンが、政権転覆を図った」として、ギュレンのイスラム運動に加わっていると見なした軍人や公務員の大量逮捕に乗り出した。
彼は米国政府に対し、ギュレンのトルコへの送還を要求している。

エルドアンが7月20日に3カ月の非常事態宣言を発令して以来、同国では弾圧と粛清の嵐が吹き荒れている。何よりも驚かされるのは、トルコ政府が逮捕ないし解雇を命じた人々の数の多さだ。政府は逮捕者数を公表していないが、ドイツでは「7月末までに約1万3000人が逮捕された」という情報が流れている。

トルコ政府はこれまでに約8300人の軍人、約2100人の裁判官・検察官、約1500人の警察官、約600人の民間人を逮捕している。7月27日に、約100社の通信社、放送局、新聞社、雑誌社、出版社の閉鎖を命じたほか、7月末に約90人のジャーナリストを逮捕し、24の放送局からテレビ・ラジオ番組の放送権を剥奪した。

さらに政府は、「ギュレンとつながりがある者が働いていた」という口実で、大学など約2300カ所の教育機関、病院などを閉鎖。大学の学長ら約1500人も職を解かれた。さらに教育省の職員約1万5000人、民間の学校の教員約2万1000人が解雇された。またトルコ政府は研究者や大学職員に対し、外国への旅行を禁止し、外国に滞在している大学幹部に対し、直ちに帰国するよう命じている。

ドイツで高まるエルドアン批判

ドイツは、トルコと最も関係が深い国の一つだ。2015年の時点で、ドイツにはトルコ人が約150万人住み、ドイツ国籍を取ったトルコ系住民も含めると、その数は約280万人に達する。トルコ人は、ドイツの移民の14%を占める最大勢力だが、これは、1950~60年代にかけて労働力不足に悩んだ西ドイツが、トルコから多数の労働移民を受け入れたからだ。特にルール工業地帯があるノルトライン=ヴェストファーレン州や、首都ベルリンにはトルコ系住民の数が多い。

多くのドイツ人は、トルコ政府の弾圧の激しさに唖然としている。ドイツのメディアからは「エルドアンは、クーデター未遂を口実として、自分に反対する勢力を社会の要職から一掃しようとしている。トルコは、法治主義からますます遠ざかりつつある。エルドアンはこの事件をきっかけに、一種の独裁体制を確立しようとしているのではないか」という指摘が出ている。

難民問題でトルコに大きく依存

ドイツ政府にとって、エルドアン政権が法治主義を無視するかのような振る舞いを見せていることは、大きな頭痛の種だ。その理由は、難民危機の解決をめぐり、ドイツとEUはトルコに大きく依存しているからだ。

昨年9月、メルケル政権はハンガリーで立ち往生していたシリア難民らを受け入れる決定を行い、約100万人の亡命申請者を受け入れた。シリア難民にとって、トルコから船でギリシャへ渡り、バルカン半島を縦断してドイツへ向かう「バルカン・ルート」は西欧に到着するための最短ルートだった。

トルコは今年3月、同国を通ってEUに不法入国した難民を強制送還させて、トルコ国内に受け入れることに同意した。そのかわりEUは、トルコにすでに滞在している難民を同じ数だけ受け入れ、加盟国の中で配分する。さらにトルコはEUが難民対策費用として60億ユーロ(約6780億円)を支払うとともに、トルコのEU加盟交渉を加速し、トルコ人がEUに入国する際のビザ取得義務の廃止を求めた。

EUにとってこの合意は、「バルカン・ルート」を遮断する上で、重要な意味を持っていた。さらにマケドニア、セルビア、クロアチア、スロベニアなどが国境を閉鎖したために、バルカン・ルートを通って西欧へ向かう難民の数は、現在大幅に少なくなっている。

難民合意崩壊の危険

だがトルコの外務大臣は、8月3日に「EUが今年10月までに、トルコ人がEUに入国する際のビザ取得義務を廃止しない場合には、我が国は難民引き取りに関するEUとの合意を無効にするかもしれない」と発言。ギリシャ政府は、EUに対して「トルコが難民合意を放棄した場合に備えて、対策を取るべきだ」と要求している。EUが難民引き取りをやめた場合、ギリシャに再び多数のシリア難民が押し寄せるからだ。

EUを悩ませているのが、エルドアンがクーデター未遂事件後、死刑制度の復活をほのめかしていることだ。死刑制度がある国はEUに入ることができないため、トルコは2004年に死刑を廃止した。EU加盟国の間からは、「トルコが死刑を復活させたら、EU加盟交渉を中止するべきだ」という意見が強まっている。

トルコとEUの関係がさらに険悪化した場合、今年秋には難民合意が破綻し、再びトルコ経由で西欧をめざす難民の数が急増するかもしれない。難民危機の再燃を防ぐためにも、EU諸国はエルドアン政権の態度を軟化させることができるだろうか。

19 August 2016 Nr.1032

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:40
 

ミュンヘン乱射事件の衝撃

ドイツ・第3の大都市ミュンヘンで7月22日に起きた乱射事件は、欧州だけでなく世界中の人々に強い衝撃を与えた。この日午後6時頃、18歳のミッテルシューレの生徒アリ・Sが、ミュンヘン北西部のモーザッハ地区にあるファストフード・レストランと向かいのオリンピア商店街(OEZ)で、9人の市民を射殺したのだ。35人が重軽傷を負った。

事件現場
7月24日、花束やろうそくが手向けられた
オリンピア商店街の事件現場(撮影: 熊谷 徹)

犯人は自殺、
リュックには300発の銃弾が

金曜日の夕刻に買い物を楽しんでいた市民たちは、突然の銃声に逃げまどった。MP5型サブマシンガンを持った警察官たちが、現場に駆け付けた。OEZ上空では、警察のヘリコプターが旋回する。Sは現場から北100メートルの裏道に隠れたが、警察官に見つかったため、拳銃で自殺した。彼は拳銃を約60発撃っていたが、背負っていたリュックサックには約300発の銃弾が残されていた。

Sはミュンヘン生まれで、イラン系のドイツ人。父親はイラン人のタクシー運転手である。自宅を捜索した警察官たちは、Sがうつ病のために精神科医の治療を受けていたことを示す書類や薬物を発見。また、彼の自宅では、欧州各地で起きた乱射事件に関する本も押収された。

7月22日は、極右思想を持っていたノルウェー人アンネシュ・ブレイヴィークが、オスロなどで77人の市民を殺害した日からちょうど5年目にあたる。Sはこの事件について強い関心を持っていた。このため警察は、Sがブレイヴィーク事件を模倣し、この日を選んで乱射事件を起こした疑いを強めている。

Sはオーストリア製の拳銃グロック17型を犯行に使ったが、彼がこの拳銃と銃弾をどのようにして入手したかは、大きな謎である。警察では、Sが武器や麻薬の取引に使われる「ダーク・ネット」というインターネットの秘密のサイトを使って、武器を入手したのではないかと見ている。

テロへの不安感がミュンヘンをパニックに

この事件は、ドイツ人に強いショックを与えた。今年夏に入って、異常なテロ事件が相次いでいるからだ。この事件の8日前の7月14日には、フランス・ニースの海岸でイスラム系過激派の青年がトラックを暴走させて観光客84人をひき殺した。また7月18日には、ドイツのヴュルツブルクの列車内で、昨年難民としてドイツに入国していたアフガニスタン人の青年が、おのと包丁で乗客に襲いかかり、ドイツを旅行していた香港の観光客4人が重傷を負った。この青年は、人々を襲う際に、「アラーは偉大なり」と叫んでいた。今回の事件の特徴は、イスラム系テロに対する不安感が、ミュンヘンを一時パニックに陥れたことだ。

第1報がテレビやラジオ、ネットで伝えられたとき、警察は「3人の犯人は逃走中」と発表した。その理由は、当初警察が「S以外に、現場から車で猛スピードで逃げた2人の男が目撃された」と考えたからだ。後にこの2人は事件と無関係だったことが判明した。しかし犯人が3人だという情報は、昨年11月にパリで起きた同時テロを連想させた。つまり警察は、テロリストたちがオリンピア商店街以外の場所でも攻撃するという最悪の事態を想定したのだ。バイエルン州警察本部は、一時Twitterで「Akute Terrorlage(極めて危険なテロ事態)」という情報を拡散したため、多くの市民がパリと同様のテロ攻撃がミュンヘンで起きたと感じた。周辺の州から続々と警察官が送り込まれ、その数は一時約2300人に達した。連邦内務省の対テロ特殊部隊GSG9も、ミュンヘンに急派された。

この日、通常の4倍を超える約4000件の911番通報があり、警察は、デマに振り回された。例えば「町の中心部のシュタッフス地下商店街でも銃声が聞こえた」という911番通報があったため、警察はシュタッフス商店街、ミュンヘン中央駅、マリエン広場の地下鉄駅を閉鎖。逃げまどう市民の中には、恐怖のために泣き出す人もいた。重武装した警察官たちが、人影のなくなった地下街を探索した。さらに警察は、市民に対して建物から外に出ないよう指示した。地下鉄、市電、バスも停止し、長距離列車も一時ミュンヘン駅には停まらなかった。タクシー運転手たちも、客を取らないように無線で指示された。多数の市民が帰宅できなくなり、ホテルやレストランなどで足止めを食った。ミュンヘンの中心部では一時金曜日の夕刻とは思えないほど人影が途絶え、ゴーストタウンになった。

警察がSが単独犯だと断定し、公共交通機関の使用を再開させたのは、事件発生から6時間後の翌日午前1時だった。

治安確保という大きな試練

私は事件から2日経った7月24日に、オリンピア商店街の現場に行った。惨劇の舞台となったファストフード・レストランとショッピングモールの前には、数百人の市民が置いた花束やろうそくがうず高く積まれていた。9人の犠牲者の大半は、10代。その内8人がトルコ、コソボ、アルバニア系だった。移民の子供たちだろう。友人を失ったのか、若い女性たちが地面にうずくまり、泣きじゃくっていた。多数の人々が集まっているにもかかわらず、重苦しい沈黙が漂っている。真夏の太陽が照り付ける中、多くの人々は呆然として立ちすくんでいた。ミュンヘンとヴュルツブルクの例が示すように、警察が単独犯による乱射やテロを100%防ぐことは、極めて難しい。テロの危険が高まる時代に、いかにして治安を確保するか。ドイツ政府は大きな試練に直面している。

5 August 2016 Nr.1031

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:47
 

英国EU離脱派の勝利とドイツの苦悩

2016年6月23日、欧州そして世界が英国で発生した政治的な「激震」に揺さぶられた。この日行われた国民投票で、英国のEU離脱(BREXIT)に賛成する有権者が51.9%を占めた。つまり英国の有権者の過半数が、43年にわたったEU加盟に終止符を打つべきだという意思表示を行ったのだ。

テロの脅威
ロンドンでは数万人の市民がEU残留を訴え、
大規模デモを実施(撮影: 熊谷 徹)

「ヨーロッパの死」?

BREXITに賛成した人々の数は、約1680万人。ロンドン、スコットランド、北アイルランドを除き、全ての地域で離脱派の数が、残留派を上回った。ドイツの多くのメディアは、この日を「暗黒の木曜日」と呼んだ。ニュース週刊誌「デア・シュピーゲル」は、表紙に「ヨーロッパの死」という大きな見出しを掲げた。

金融市場の反応も激しかった。投票結果が判明した6月24日には、一時ポンドのドルに対する為替レートは約10%下落し、1985年以来最も低い水準に達した。欧州だけでなくアジアや米国の株式市場でも株価が一時下落し、全面安の状態となった。

英国では、過去数カ月にわたって離脱派と残留派が激しい論戦を行ってきた。世論調査の結果も拮抗していたが、世界中の多くの政府は「英国がEUを去ることはないだろう」と楽観視をしていた。特に、残留派の議員ジョー・コックスが、極右勢力と繋がりのある離脱派の暴漢によってロンドンで殺害されてからは、「BREXITの可能性は低くなった」と考えた人が多かった。

混乱する英国の政界

だが開票の結果、「まさか」と思える事態が現実のものとなった。英国には、政治の真空状態が生まれた。国民に残留を勧めていたデイビッド・キャメロン首相は今年秋に辞任する方針を表明。本稿を執筆している7月6日の時点では、後継者は決まっていない。

英国市民だけでなく、欧州市民に衝撃を与えたのは、離脱派の指導者たちが次々に政治の表舞台から去ったことだ。たとえば保守党内の離脱派の総帥だったボリス・ジョンソンは、保守党の党首選挙に立候補しないことを明らかにした。またポピュリスト政党英国独立党(UKIP)の創設者の一人で、BREXIT運動を最も積極的に推進してきたナイジェル・ファラージも、党首を辞任。有権者の間では、「これらのポピュリストたちは、EU離脱後の英国を率いるための具体的な青写真を持っていなかったために、指導者としての地位を投げ出した」として、その無責任な態度を批判する声が強まっている。7月6日の時点では、英国政府はまだ正式な脱退申請を欧州委員会に対して提出していない。EU加盟国の脱退に関する規定を定めたリスボン条約第50条によると、英国の加盟国としての地位は、脱退申請を出した日から2年以内に消滅する。もしも英国が実際にEUから脱退した場合、英国・EUにとって失うものが多い。

単一市場の利点を失う英国

約1000社の日本企業をはじめとして、多くの外国企業は英国に欧州本社を置いている。英語圏という利点だけでなく、英国がEU加盟国として単一市場の一部となっていたことも、大きな理由だった。外国企業は英国で製造した製品を、まるで国内取引であるかのように、関税を払うことなく他のEU加盟国に輸出することができた。またEUの金融サービス自由化指令によって、金融機関は英国で営業許可を取得すれば、他のEU加盟国で自由に営業を行うことができた。

だが英国がEUから離脱した場合、これらの利点は消滅する。今後英国政府は、EUと関税の適用免除などについて交渉しなくてはならない。特に外国の金融機関の中には、「英国がEUから脱退したら、ロンドンで働く社員を減らして他のEU加盟国で増員する」という方針を明らかにしている企業もある。

特に大きな影響を受けるのが、ロンドンの金融業界だ。英国の国内総生産(GDP)の中に金融サービスが占める比率は約8%で、ドイツよりも大幅に高い。「シティ」と呼ばれる金融街や東部のカナリー・ワーフは、約70万人が働く、欧州最大の金融センターだ。BREXITが本当に起きた場合、金融業界で働く7万から10万人の雇用に悪影響が出るという予測もある。またロンドンとフランクフルトの株式取引所は、ロンドンに統合する計画を進めていたが、EU離脱派の勝利後はドイツ側から、「欧州最大の株式取引所をEU圏外に置くことはできない」という意見が強まっている。

EUにも痛烈な打撃

EUとドイツにとっての影響も甚大だ。英国はドイツに次ぐEU第二の経済大国。同国が離脱したら、EUは国内総生産(GDP)の約18%、人口の約13%、輸出額の約12%を一挙に失う。EU加盟国はGDPなどに応じた拠出金を払っている。英国が2014年に払った拠出金は、独仏に次いで3番目に多い拠出額だった。したがって英国がEUを離脱した場合、他の加盟国の負担額は引き上げられる。

ドイツにとって、英国は米国・フランスに次いで3番目に重要な輸出先である。英国がEUを離脱した場合、ドイツ企業の英国への輸出額は2019年の時点で68億ユーロ(7616億円)減少すると予想されている。英国に子会社を持つドイツ企業の数は約2500社で、約45万人を雇用している。

ドイツ、EUそして英国は、歴史上例のない異常事態に、今後どう対処するのだろうか。欧州で活動する日本企業も、今後の展開を注意深く見守る必要がある。

15 Juli 2016 Nr.1030

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:40
 

ドイツにも迫る 無差別テロの影

6月2日にカールスルーエの連邦検察庁が行った発表は、ドイツ社会に強い衝撃を与えた。

テロの脅威
欧州、ドイツにテロの脅威が迫っている

デュッセルドルフでもテロ未遂

昨年この国に難民を装って紛れ込んだテロ組織「イスラム国(IS)」の戦闘員たちが、デュッセルドルフの旧市街で無差別テロを計画していたことが明らかになったのだ。昨年1月と11月にパリで起きた無差別テロ、今年3月にブリュッセルで発生したテロの記憶がまだ生々しく残っているだけに、このニュースはデュッセルドルフに住む多くの日本人たちにも、ショックを与えた。

連邦検察庁によると4人のシリア人たちが、ライン川に近いハインリヒ・ハイネ・アレーで自爆ベストによって通行人を殺傷したり、自動小銃を市民に向けて乱射したりすることを計画していた。この地域はレストランやバーが多い繁華街で、地元市民だけでなく観光客にも人気がある。つまりテロリストたちは、昨年11月にパリでISが起こしたような大惨事を、デュッセルドルフで再現することを狙っていたのだ。

難民に紛れ込み潜入

捜査当局によると、テロリストたちの内25歳~31歳の3人は、2014年にISからドイツを攻撃するよう指令を受けた。そして昨年ドイツに押し寄せた多数の難民たちに紛れ込み、この国に到着して亡命を申請。彼らはノルトライン=ヴェストファーレン州(NRW)、ブランデンブルク州、バーデン=ヴュルテンベルク州の難民収容施設にいたところを逮捕された。

この計画が発覚したのは、グループのリーダー格だったサレフ・Aというシリア人がパリのグット・ドール地区の警察署に出頭し、ドイツでテロ計画があることを自白したためだった。一説によると、Aは自分の娘が殺人者の子どもとして一生後ろ指をさされるという良心の呵責に耐え切れず、警察に計画を漏らしたと言われる。テロリズムに詳しい専門家によると、実行グループのリーダーは通常、狂信的なイスラム主義者なので、自ら警察に出頭するというのは極めて珍しい。つまり事件が未然に防がれたのは、捜査当局の努力によるものではなく、テロリストが精神的な重荷に耐えられなかったという、いわば僥倖(ぎょうこう)のためだった。

昨年秋の混乱を悪用

昨年ドイツには、シリアなどから約110万人の難民が流入した。デュッセルドルフのテロ未遂事件が捜査当局にとって衝撃を与えたのは、ISが意図的にテロリストを難民に紛れ込ませて西欧に送り込んだことが再び確認されたからだ。

昨年9月にメルケル首相がシリア難民に対してドイツでの亡命申請を許して以来、一時は難民の登録すら困難になるほど、到着する人数が多かった。ISは行政当局の対応が後手に回った混乱期を利用して、テロリストをEU域内に潜入させたのだ。万一他のISのテロリストたちがEUに入っていたとしても、もはや捜査当局には確認の術はない。

ドイツもテロ組織の標的

デュッセルドルフに対するテロ攻撃は幸い未然に防がれたが、油断は禁物だ。ISはフランスや英国同様、ドイツも攻撃目標としている。ドイツは、米国を中心とする有志国連合がシリアで行っているIS空爆作戦に、電子偵察機を参加させているからだ。

NRW州政府のラルフ・イェーガー内務大臣は、多くの人が集まるイベントでの保安措置について、再点検をするよう命じた。私が知るある治安担当者は、「ドイツではいつ無差別テロが起きても、不思議ではない」と語る。実際、イスラム過激派のテロの影は、時折ドイツをよぎる。昨年の大晦日には、フランスの諜報機関から「ISが自爆テロを計画している」という確度の高い情報がドイツ政府に届いたため、真夜中近くにミュンヘン中央駅とパーズィング駅が突然閉鎖された。だがテロは発生せず、犯人グループも摘発されなかった。

各国の捜査機関は連携強化を!

2007年に捜査当局は、NRW州で、過酸化水素水を使った爆弾テロを計画していた3人のトルコ系ドイツ人らを逮捕した。ドイツの捜査当局は、米国の電子諜報機関・国家安全保障局(NSA)が盗聴した携帯電話の通話内容から、摘発の端緒をつかんだ。

また2011年には、フランクフルト空港のバスの停留所で、コソボ人のイスラム教徒がバスに乗り込もうとしていた米空軍の兵士たちにピストルを乱射し、4人を死傷させた。この犯行は、イスラム過激派によるテロで死傷者が出たドイツで唯一の事件である。

さらに2012年には、ボン中央駅のプラットフォームで警察が持ち主のいないトランクを検査したところ、金属片を混ぜた爆薬が見つかった。幸いトランクは爆発せず、死傷者はなかった。検察庁は、駅の監視カメラに残された映像から、イスラム教徒に改宗したドイツ人の若者が大量殺人を狙ったテロ未遂事件と断定し、この男を殺人未遂などの罪で起訴している。

捜査当局の関係者は、「フランクフルトの事件を除けば、これまでドイツで無差別テロによる死傷者が全く出ていないのは、単なる偶然と幸運によるもの」という見方が強い。捜査当局も、無差別テロを100%防ぐことは不可能だ。米国、EU加盟国の諜報機関と捜査当局は横の連携と情報収集体制を強めて、犠牲者の数を最小限に抑える努力をしてほしい。

1 Juli 2016 Nr.1029

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:44
 

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