ジャパンダイジェスト
独断時評


アラブの激震とドイツ

現在アラブ諸国を揺さぶっている一連の市民革命は、ここ数十年間で国際社会に最も大きな影響を与える出来事である。チュニジアに端を発した抗議デモの嵐はエジプトを巻き込み、30年間にわたって同国を支配したムバラク大統領を倒した。

さらにこの地震の衝撃波は、40年以上にわたって権力を独り占めにしてきたリビアのカダフィ大佐の足元にも及んだ。すでに同国の東部は反体制派の手中に落ち、カダフィ氏は孤立しつつある。しかし彼は、戦闘機やアフリカ諸国から集めた傭兵を使って反体制勢力を攻撃させており、国際社会から厳しく糾弾されている。リビアでは現在、外国の報道機関が取材を禁止されているため、市民にどれだけの死傷者が出ているかについて確かな情報がない。しかしリビアが事実上の内乱状態に陥ったことは、独裁者が権力に執着した場合に市民に大きな犠牲が出ることを浮き彫りにした。

今回のアラブ革命のユニークな特徴は、これまで支配者への市民の反抗についてほとんど外部に報道されていなかった国にまで、抗議行動が急速に広がっていることだ。たとえば市民のデモはバーレーンやオマーン、ヨルダンなどでも起きている。チュニジアとエジプトの市民が独裁者を倒したことはほかの国々の市民を勇気付け、抗議行動が燎原(りょうげん)の火のようにアラブ世界に広がりつつあるのだ。

ドイツ人の間には、1989年のベルリンの壁崩壊や、その後ソ連の解体につながった中・東欧諸国の連鎖革命を思い出す人も多い。市民のパワーによって独裁者が次々に倒れていくドミノ現象は、確かに22年前に社会主義圏を襲った激震を想起させる。

今回のアラブ革命は、欧米諸国に対して、アラブ世界に対する見方を大きく修正することを迫っている。これまで我々はアラブ世界を「イスラム原理主義勢力」と、「宗教的な要素が薄い勢力」という二元論で見る傾向が強かった。しかしチュニジアとエジプトの革命は、アラブ社会を宗教という眼鏡だけで見ることは間違いであり、これらの国々にも民主主義を求めるリベラルな市民勢力が育ちつつあることをはっきりと示したのである。

独裁者が退陣し、市民が自由を謳歌することは喜ばしい。しかもチュニジアやエジプトの革命で原動力となったのは、自由を求める市民の渇望であり、モスレム同胞団などのイスラム過激勢力は主導的な役割を果たさなかった。

しかしすべての革命がそうであるように、社会が今後どのような方向に進むかは未知数だ。欧米諸国の政府は、エジプトなどの国々で将来イスラム原理主義者など、欧米に批判的な勢力が政府に加わることを最も警戒している。たとえばイランでは革命でパーレビ国王の独裁政権が倒れた後、イスラム神権国家が誕生し、西側との対決姿勢を強めてしまった。

特にドイツを含む欧米諸国の政府にとっては、石油の重要な供給源であるサウジアラビアに革命が飛び火するかどうかが大きな焦点である。リビアの混乱のため、すでに原油価格が高騰し始めている。ドイツは長年にわたってアラブ諸国と密接な経済関係を持っている。これらの国で市民が自由を享受し、安定した民主主義体制が根付くだけでなく、新政権が外交、貿易などすべての面で他国と安定した関係を続ければ、今回の連鎖革命はアラブ世界だけでなく、欧米諸国にも果実をもたらすことになるだろう。だが一歩間違えば、欧米の苦悩を深める勢力が台頭する可能性もある。今後の事態の展開から、目を離せない。

11 März 2011 Nr. 858

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:36
 

グッテンベルク・最大の試練

ドイツで最も人気の高かった政治家、カール=テオドール・ツー・グッテンベルク国防大臣の華々しい経歴に黒い影が落ちた。グッテンベルク氏は2006年に書いた学位論文に他人の文章を多数使いながら、引用の事実を脚注として明記していなかった。彼は2月21日に「重大な過ち」を犯したことを認め、バイロイト大学から授与されたドクターの称号を返却したのである。

彼の論文盗用問題に関するインターネットのフォーラムGuttenPlag Wikiは、「393ページの内270ページに、出典が明記されていない文章がある」と主張している。これまでいくつかの試練を難なく乗り越えてきたグッテンベルク大臣だが、今回は自らの責任を認めざるを得なかった。

なぜ無断引用がこれほど大きな問題になったのか。それは、グッテンベルク氏がキリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首はおろか、メルケル首相をもしのぐ人気を持つ政界のスターだったからである。貴族の血筋、39歳の若さ、裕福な家庭、ハンサムで細身のスタイル、とんとん拍子の出世、オペル救済問題で示した地位に固執しない潔さ。庶民の心をくすぐる資質と、ドイツには珍しいカリスマ性を持った政治家だ。普段、政治には全く興味を示さない若いドイツ人たちも、「グッテンベルク」の名前を聞くと強い関心を示し「ぜひ、首相になってほしい」などと言っていた。

私は昨年、バイエルン州のトゥッツィングでグッテンベルク氏の演説を聞いたが、彼がビール祭の会場に到着すると、テント内の聴衆は総立ちで拍手を送った。まるでマイケル・ジャクソンがやって来たかのような熱狂ぶりである。この人物は、いつの日にか連邦政府の首相になるのではないかと思った。CSUのある政治家は、「演説の内容自体は、ほかの政治家と大して変わりないのだが、グッテンベルク氏が話すと聴衆にうけるのだ」と語っていた。

数年前アフガニスタンでドイツ人将校が命じた空爆によって、民間人に多数の死傷者が出た。国防省はそのことを知っていたのに、初めの内「死亡したのはテロリストだけ」と発表していた。この事実をマスコミがすっぱ抜いた時に、国防大臣になったばかりのグッテンベルク氏は「連邦軍の総監が全ての事実を私に伝えていなかった」として総監を解任。議会で野党から一時追及されたが、この問題はいつの間にか世間から注目されなくなった。またグッテンベルク氏はアフガニスタンに駐留しているドイツ軍の兵士を訪問した際に、妻だけでなくテレビ番組の司会者も連れて行き、連邦軍の基地でトークショーの収録をさせたことがある。この時にも野党は「不謹慎だ」と批判したが、その声は立ち消えになった。経歴に傷が付かなかったのは、グッテンベルク氏に対する圧倒的な人気のためである。

だが今回のスキャンダルは、彼の名声と信用性に深い傷を付けた。彼に対する支持率が下がることは避けられないだろう。CSUのゼーホーファー党首は、ライバルが世間の袋叩きになっていることで、秘かに喜んでいるに違いない。

しかしドイツの庶民は、グッテンベルク氏を愛している。ある大衆紙は「ドクターの称号なんてどうでも良い。我々の好きな政治家をいじめるな」という見出しを使っていた。彼は当分の間、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の暮らしを送らなくてはならないが、39歳と言う年齢を考えると、彼がいつの日か政治家としての人気を回復する可能性は、全くゼロとは言えない。

4 März 2011 Nr. 857

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:35
 

連銀総裁・辞任の衝撃

2月11日、ユーロの安定性にとって悪いニュースが、欧州を駆け抜けた。ドイツ連邦銀行のアクセル・ヴェーバー総裁が任期半ばにして辞任することを発表したのである。彼は、欧州中央銀行(ECB)の次期総裁になることがほぼ確実視されていた。本稿を書いている2月中旬の時点では、後釜はまだ決まっていない。

欧州の通貨政策の重鎮が、まるで洋服を脱ぎ捨てるかのように突然総裁の座を投げ出すのは極めて異例である。しかもその辞め方は、連銀総裁という政治的な要職を持つ人物としては、気配りを欠いたものだった。メルケル首相は、ヴェーバー氏をECBの総裁にするために強力に後押ししていた。それにもかかわらず、メルケル氏は辞任の意向をヴェーバー氏から事前に知らされていなかった。このことは、メルケル首相の指導力・影響力の弱さを改めて浮き彫りにするエピソードだ。首相は飼い犬に手を噛まれた心境に違いない。

ECB総裁はユーロ圏の通貨政策の最高責任者であり、国際的にも影響力のあるポストだ。なぜヴェーバー氏は、そのような要職に就く道を自ら閉ざしたのだろうか。その原因は、昨年5月のギリシャの公的債務危機の際に、EUとECBが示した態度にある。公的債務の額についてEUに嘘の報告をしていたギリシャは、信用格付けを引き下げられた。このためギリシャの国債価格は暴落し、同国政府は国際金融市場でさらにお金を借りることが困難になった。つまりギリシャは破たんの瀬戸際に追い詰められたのである。

この時EUは、「ユーロ圏加盟国は他国の債務の肩代わりをしてはならない」というリスボン条約の規定を破って、ギリシャの破たんを防ぐために巨額の緊急融資を実施した。これだけでも、ユーロの信用性、安定性にとっては重大な背信である。

さらに経済学者らを驚かせたのは、ECBがギリシャ国債の暴落を防ぐために、同国の国債を買い取り始めたことである。この時ヴェーバー氏は、ECBの会議でギリシャ国債の買い取りについて真っ向から反対した。ECBは本来、政治から独立していなくてはならない。だがECBが政界の意向を受けて信用格付けの低い国債を買い支えることは、ECBの原則に反する。さらにギリシャが将来借金を返せなくなった場合、ECBが多額の損失を抱える危険もある。

ヴェーバー氏は、ECBの信用性に傷が付くことを恐れて、国債買い取りを批判したのである。

しかし当時、メルケル首相をはじめ、各国の政府首脳や通貨政策担当者の中でヴェーバー氏の主張に耳を傾ける者はいなかった。EUは、ギリシャを破たんから救うことを最優先させていたからである。ヴェーバー氏は、辞任の理由について「私は欧州の通貨政策をめぐる議論の中で孤立していた」と語っており、自分の主張が無視されたことが、今回の辞任劇の原因の1つだと指摘している。

現在、欧州にはインフレの兆候がある。インフレは通貨の価値を低くし、市民の購買力を減らす。ヴェーバー氏は、現在ECBの総裁であるトリシェ氏と比べて、ユーロの長期的な信用性と安定性をより重視し、インフレを防ぐ政策を取るものと期待されていた。第1次世界大戦後の超インフレで通貨を破壊された経験を持つドイツ人は、インフレに強い不安を抱く。多くのドイツ市民は、ヴェーバー氏の降板に深く失望しているに違いない。

25 Februar 2011 Nr. 856

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:35
 

メルケル首相のEU改革案

2月3日にブリュッセルで欧州連合(EU)加盟国が開いた首脳会議で、ドイツのメルケル首相はEUの債務問題に歯止めを掛けるために「競争力のための協定」という改革案を打ち出した。

具体的にドイツが何を提案したのかを示そう。例えばポルトガルやベルギーなどでは、物価水準が上昇すると自動的に賃金も上昇する制度があるが、こうした物価連動型の賃金協定は、これらの国々の製品の価格競争力を弱めるので、廃止する。

また年金支給額についても、政府は国民の歓心を買うための年金引き上げをやめ、人口の変化に合わせて調整する。ドイツは人口が減少して保険料を支払う人が大幅に減った場合に、実質的な年金支給額が減る計算方法をすでに採用している。

さらにメルケル首相は、毎年の財政赤字が国内総生産(GDP)の特定の比率を超えることを禁止する条項を、EU加盟国の憲法に盛り込むことを提案した。「Schuldenbremse(債務ブレーキ)」と呼ばれるこの制度も、ドイツでは採用済み。ドイツ政府は、毎年GDPの0.35%を超える追加的な借金をすることを憲法によって禁止している。

メルケル首相はなぜこのような提案を行なったのだろうか。その理由は、ドイツ人たちが「ギリシャに端を発した公的債務危機の病根を取り除くには、EU加盟国の借金体質を改め、企業の国際競争力を高めることによって、国の富を増進する必要がある」と考えているからだ。確かにEU加盟国の間の国際競争力には、大きな格差がある。

ドイツは質の高い製品を生産しているために競争力が強く、貿易黒字を抱えているが、ギリシャのように農業や観光を主な収入源としている国は、慢性的な貿易赤字に苦しんでいる。企業の収益が増えない国は、税収も増えないので国債を発行して資金を調達するしかない。EUではこの競争力のギャップを長年にわたって放置してきたことが、現在欧州を脅かしている債務危機の原因の1つだという見方が有力だ。

EU首脳の、債務危機拡大への懸念は強まっている。4月15日にはポルトガルの45億ユーロ(約4950億円)相当の長期国債が償還時期を迎える。スペイン政府の155億ユーロ(約1兆7050億円)相当の長期国債が償還となるのは、4月30日。つまり両国は多額の借金を借り替えなくてはならないのだ。これらの国々が国債の買い手を見付けることができなければ、ギリシャやアイルランドと同じ事態に陥る。

こうした状況に備えて、EU加盟国の首脳はブリュッセルでの会議で「欧州財政安定化機構」が融資できる額を現在の2500億ユーロ(約27兆5000億円)から引き上げることを決めた。スペインとポルトガルに次いで、ベルギーやイタリアも債務危機に巻き込まれた場合、緊急融資額が足りなくなるからだ。この融資額の引き上げは、ドイツやオーストリアなど比較的財政状態が安定している国にとって、負担の増加を意味する。

さらに国際金融筋や経済学者の間では、ギリシャ政府が債務と利息を返済することは不可能なので、大幅な債務の減額(リスケジューリング)は避けられないという見方が強まっている。簡単に言えば、借金の棒引きだ。ギリシャにお金を貸していた人は、投資額の一部を失うことになる。欧州とユーロが突き進んでいる長く暗いトンネル、光はいつ見えるのだろうか。

18 Februar 2011 Nr. 855

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:41
 

エジプト革命とドイツ

エジプトが、そして中東が前代未聞の事態に揺れている。1日、エジプト全土で100万人の市民がムバラク大統領に対する抗議デモを繰り広げた結果、同氏は次の大統領選挙に立候補しないことを明らかにした。だが今回の騒乱では、治安部隊の発砲によってすでに約100人の市民が死亡しており、人々の怒りはムバラク氏が退陣するまで収まらないだろう。一部地域では暴動や略奪により治安が悪化しているほか、ゼネストによって生産活動が停止し、経済に悪影響が出始めている。

アラブの国でこのような歴史的な事件が起きると、一体誰が予想しただろうか。チュニジアで起きた市民デモによって独裁者が国外に逃亡した後、エジプトに飛び火した革命は、1981年から続いたムバラク政権にも終止符を打とうとしている。政府は治安を回復するために戦車や装甲車を投入したが、兵士たちは何万人もの市民に圧倒され、「デモ隊に発砲しない」と宣言する始末。この時ムバラク氏の敗北は決まった。

少なくとも現時点では、この市民デモは草の根から発生したものであり、イスラム過激派によって組織されたものではない。欧州委員会や各国政府にとっても今回の事態は青天の霹靂(へきれき)だ。アラブ諸国では、独裁的な指導者が警察や軍を使って強権的な政治を行なっていることが多い。反体制派が投獄され、拷問にかけられることも珍しくない。言論の自由も確保されていない。そうした国で、人々が身の危険を顧みずに街へ出てムバラク氏への怒りをぶちまけ、軍にも止められない革命に発展したのは驚くべきことだ。ヨルダンの国王が1日に突然首相を交代させたことは、アラブ諸国の指導者の間で自国に革命の火の粉が飛んでくることへの恐怖感が高まっていることを示している。

しかしメルケル首相をはじめ、欧米諸国の首脳によるエジプト情勢についての発言は、非常に歯切れが悪い。エジプト政府はアラブ諸国の中でほぼ唯一イスラエルに対して比較的穏健な態度を取ってきた国だからだ。いわばムバラク政権は、欧米諸国にとってアラブ世界との重要なパイプ役を担っていたのである。この見返りとして米国は毎年エジプト政府に20億ドル(約1660億円)もの援助を行ってきた(その内半分以上が軍事援助。今回カイロの路上に出動した戦車もほとんど米国製)。欧米は、公然とムバラク氏の退陣を求めにくいのだ。

欧米やイスラエルにとって最も都合の悪い事態は、ムバラク政権が倒れた後にイスラム過激派と関係の深い政権が生まれて、イスラエルと敵対関係を持つことだ。エジプトでは、「ムスリム同胞団」という過激組織が深い根を張っている。かつてサダト大統領を暗殺したのは、この組織のメンバーである。またムスリム同胞団は、2001年の同時多発テロの首謀者とも関係があった。ムスリム同胞団は今回のデモに加わっているが、中心的な役割を果たしてはいない。

だがムバラク後のエジプトで長期間混乱が続いて市民の不満が高まった場合、この過激組織が権力を手中に収めようとする危険がある。欧米諸国が期待を掛けている穏健派のエルバラダイ氏も、エジプト市民の間では知名度が低い。ドイツ政府はナチスがユダヤ人を迫害・虐殺した反省から、イスラエルの利益を守ることに極めて熱心である。ドイツ政府は、チュニジアからエジプトに広がった造反が連鎖革命となってほかのアラブ諸国に広がり、中東全体でイスラム過激勢力が伸張する事態だけは避けたいと考えているに違いない。ただし、欧米の指導者たちも、長い間政府に抑圧されてきた民衆のパワーが爆発するのを抑えられないことは肝に銘じるべきだ。

11 Februar 2011 Nr. 854

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:32
 

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