ジャパンダイジェスト
独断時評


ドイツ政界の深い混迷

最近会ったドイツ人の政府高官に、4年間で4回首相が変わった日本の政界について話したところ、彼から「ドイツでも政局は混沌としている」と指摘された。

1つの例が、ノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州で議会選挙から6週間経っても、野党第一党である社会民主党(SPD)が連立政権を作れなかったことである。同州のSPDを率いるハンネローレ・クラフト氏は、ベルリンの党本部に促されて、6月末に緑の党と少数派連立政権を作るための本格的な交渉を始めた。

連立交渉が難航した原因は、SPDと緑の党の議席数を合わせても、過半数に達しないことである。5月9日の選挙で有権者はCDU(キリスト教民主同盟)のリュトガース首相に厳しい審判を下し、CDUは前回の選挙に比べて得票率を10.2ポイント減らした。選挙の勝利者は緑の党で、得票率を前回の6.2%からほぼ2倍に増やし12.1%とした。だが野党第一党であるSPDも、得票率を2.6%減らしたため、赤・緑政権は過半数に達するには1議席足りなかったのである。

クラフト氏は、緑の党に自由民主党(FDP)を加えた連立や、CDUとの大連立の可能性も模索したが、交渉はいずれも決裂した。また左派政党リンケを連立政権に加えると、ヘッセン州のようにSPDの右派勢力が造反する危険性がある。リンケは、社会主義時代の東ドイツで、政府に批判的な市民を弾圧した政権党・ドイツ社会主義統一党(SED)の流れをくんでいるからだ。

ヘッセン州では、リンケとの共闘をめぐるSPDの内紛のために、SPDが政権をとることができず、選挙に負けたCDUのコッホ氏が首相の座に残るという異常な事態となった。SPD党本部は、NRWでもCDUのリュトガース氏が首相の椅子に座り続けることを危惧し、連立政権を樹立するように急かしたのだ。

しかし議会で過半数を持たない連立政権は、統治能力が大幅に限られる。新しい法律を成立させるためには、SPDと緑の党以外の議員を説得して法案に賛成させなくてはならないからだ。CDUやFDPが赤緑政権の法案をブロックしようとすることは、火を見るよりも明らかで、今後NRW州議会での立法プロセスには、これまでよりも時間が掛かるだろう。

政局の混迷を示すもう1つの現象は、ホルスト・ケーラー連邦大統領が5月末に突然辞任したことである。健康上の理由で辞任したリュプケ氏を除けば、大統領が任期半ばで職を辞するのは初めて。ケーラー氏は、辞任の直接の理由としてアフガニスタンでの戦争をめぐる論争を挙げている。彼はアフガン駐留ドイツ軍を訪問した後、ラジオ局とのインタビューで「ドイツが通商路を守るなど、国の利益を守るためには軍事作戦に参加することが必要だ」と述べたが、リンケや一部のマスコミから「経済的利益のための戦争を弁護している」と批判された。ケーラー氏は辞任会見の中で、この問題に触れて「私の役職にふさわしい尊敬が見られない」と発言したが、アフガン問題だけが辞任の理由とはとても思えない。真の理由は、ケーラー氏がこの問題に限らず、CDUやFDPから十分に支持されていないと感じたことにありそうだ。彼はフォン・ヴァイツゼッカーら前任者と異なり、歴史に残るような演説を1つも行っていない。ベルリンの中央政界でも孤立していたとされる。

ドイツ最大の州NRWの首相と、ドイツの最高権力者である連邦大統領の座が長期間にわたり空白だったことは、この国の政界が抱える混迷の深さを象徴している。

2 Juli 2010 Nr. 823

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:24
 

輸出大国ドイツの未来は?

天然資源が少ないドイツは、日本と同じく貿易立国として有名である。その輸出額は、2003年から08年まで世界最高だった。しかしドイツは、09年に初めて中国に輸出額ナンバー1の地位を奪われた。ドイツ統計局によると、この国の09年の輸出額は、前年に比べて18.4%も減少している。

また、ドイツ機械製造・プラント製造企業連合会(VDMA)によると、09年の機械メーカーの売上高は前年に比べて23.1%も減少している。世界全体を襲ったグローバル不況のために、ドイツ企業の機械を輸入する大半の国で注文が激減したからである。このためドイツの09年の国内総生産(GDP)は、マイナス5%という戦後最悪の数字を記録した。これは、やはり輸出に依存している日本の09年のマイナス成長率6.1%(内閣府予測)に匹敵する数字だ。

輸出に大きく依存しているドイツの製造業界は、リーマン・ショック以降の世界同時不況に直撃されたのである。ドイツ経済の特徴は、314万社の企業の98%を占める中規模企業(ミッテルシュタント)が、高い技術力を生かして特殊な市場で大きなシェアを持っているということだ。

ダイムラーやシーメンスとは違って、消費者にほとんど名前を知られていないが、工作機械や特殊なネジ、部品などのニッチ市場で世界最大のシェアを占めている企業が、ドイツには沢山ある。これらの企業が製品を売る相手は、消費者ではなく企業である。ビジネス・トゥー・ビジネスの頭文字を取ってB to B取引と言われる。ドイツの多くの中規模企業は、ほかの企業には真似できない特殊な技術を持っているので、顧客と長期的で安定した取引を行うことができる。「余人をもって代え難い」メーカーなのである。これがドイツ経済の強さの秘密である。

だがドイツの輸出産業は、大きな問題を抱えている。高福祉国家ドイツでは、依然として社会保険料などによる労働コストが高い。このため、労働集約型の産業、携帯電話など大衆向けの業種、価格が勝負を決める分野では、中東欧やアジア諸国に比べて不利な立場に置かれている。携帯電話メーカーのノキアはドイツの工場を閉めて、ルーマニア、そして中国に新しい生産拠点を移した。家電メーカーのエレクトロルクスもドイツの工場を閉鎖して、中東欧で生産量を増やした。いずれもドイツにおける人件費の高さが原因である。

今後、ドイツ企業の多くは、高い人件費をカバーできる高付加価値型、知識集約型の産業に特化していく必要に迫られるだろう。つまり余人をもって代え難いために、価格競争に巻き込まれないような業種が、ドイツ企業には向いているのだ。

EUでは、ドイツが他国に比べて大幅な貿易黒字を抱えているのに対し、ギリシャやポルトガルのような国は輸出産業が弱いので、貿易赤字に苦しんでいる。この貿易不均衡が、ギリシャなどの債務危機の原因の1つになっているという意見もある。確かにドイツでは税金と社会保険料が高く、可処分所得が低いので国内需要が弱い。このため企業が輸出に依存せざるを得ないという事情もある。ドイツの経済界は、大きな岐路に立たされているのかもしれない。

25 Juni 2010 Nr. 822

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:24
 

火山灰と現代文明

私が住んでいるミュンヘンで晴れた日に空を見上げると、飛行機雲が頭上を縦横に走っていることに気が付く。だが4月18日には、飛行機雲が1本も見えなかった。アイスランドの火山噴火の影響である。目を凝らしても見えないほど細かい火山灰が、約1週間にわたってヨーロッパ全体で空の旅をストップさせたのである。航空史上、火山灰が飛行機のエンジンを停止させた事例が何回か報告されている。このため管制当局は厳しい飛行禁止措置を取った。

この噴火のために世界中で10万本のフライトがキャンセルされ、1000万人が足止めを食った。ホテルの部屋を取ることができなかったために、空港の待合室に準備された簡易ベッドで夜を明かした人も多かった。ある人は、家族4人でニューヨークを観光した後、1週間にわたって足止めされ、滞在費が6000ドルも余計に掛かってしまった。ミュンヘンからブリュッセルまでタクシーに乗って、運転手に900ユーロ払った人もいる。

航空業界が受けた損害は、少なくとも15億ユーロ(約1800億円)に上る。ミュンヘンのBMWの工場では、空輸されるはずの自動車部品が飛行禁止のため届かず、一時生産活動に支障が出た。火山灰の影響で、空の旅にこれだけ深刻な影響が出たのは初めてのことである。航空会社は「テスト飛行の結果、飛行に問題はなかった」と主張したが、エンジンが止まる可能性がゼロでない限り、管制当局が禁止措置を緩めることはできないだろう。

アイスランドの問題の火山は今も活動を続けており、5月上旬にもスペインで20カ所を超える空港が火山灰の影響で閉鎖された。今後も噴火が激しくなれば、4月に発生したような事態が再びヨーロッパを襲う可能性がある。

技術の発達と価格競争のために、空の旅は本当に便利になった。ミュンヘンからロンドン、パリ、ミラノへ日帰りで出張する人も珍しくない。米国と日本の間を毎月往復している人も多い。ソ連崩壊後はシベリア上空を飛べるようになったので、ドイツから日本へはわずか11時間で帰ることができる。(私が学生だった頃には南回りか、アンカレッジ経由、もしくはモスクワ経由しかなかったので、片道に20時間近くかかった)

エアカーゴが発達したことによって、日本からの冷凍食品などが毎日ヨーロッパに手軽に運ばれ、フランスのボージョレ・ヌーボーが日本に空輸される。移植用の臓器が、飛行機で運ばれて患者が待つ病院に届けられることも珍しくない。

このようにして、我々の距離感覚は急速に失われてきた。インターネットやスカイプの普及も相まって、20年前に比べてドイツは日本にはるかに近くなった。しかし火山が大量の灰を噴き上げるだけで、その便利な生活は一瞬の内にストップしてしまう。科学技術がいくら発達しても、火山活動を制御することはできない。

アイスランドの噴火がもたらした飛行禁止措置は、現代の便利な生活がいかに薄い氷の上で営まれているかを我々に教えた。世界中で繰り返される地震や洪水の被害が教えているように、我々の存在は天変地異の前には余りにもはかなく、小さいことを忘れるべきではない。

18 Juni 2010 Nr. 821

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:27
 

教会の苦悩

アウグスブルクのカトリック教会の司教ヴァルター・ミクサ氏が過去に子どもたちに暴力をふるっていたことがわかり、司教の座を辞任したというニュースは、多くのドイツ人に衝撃を与えた。

教会から委託されて調査を行った弁護士の最終報告書によると、ミクサ氏は1975~96年、バイエルン州シュローベンハウゼンの神父だった時期に、孤児院の子どもたちをげんこつや平手で殴る、髪の毛を引っ張るなどの暴行を加えていた。子どもが倒れると立ち上がるように命令し、再び殴ったこともあるという。また子どもの尻を杖やベルトで叩くこともあった。ドイツの学校などでは体罰は禁止されているが、調査にあたった弁護士は「ミクサ氏は体罰を組織的に行っていた疑いがある」としている。

さらに、孤児院を運営する財団の金を、ワインや骨董品など財団とは関係がない品物の購入に充てていた。このためミクサ氏は、カトリック教会内で厳しい批判を浴び、司教を辞任することをローマ教皇ベネディクト16世に申請して認められた。

このような過去を持つ人物が司教という高い地位を与えられていたことは、驚きである。バチカンは、司教になる人物の素行調査を行わないのだろうか?

また、ドイツでは米国やアイルランドと同様に、寄宿舎や修道院での聖職者による性的虐待に関するニュースが後を絶たない。この問題は、ミュンヘンで5月中旬に開かれたカトリック教徒とプロテスタント教徒の合同会議でも議論のテーマになった。

聖職者による性的虐待の特徴は、分厚い沈黙の壁である。被害者たちは何十年もの間、虐待によるトラウマに悩まされながら、加害者を捜査当局に告訴できなかった。中にはすでに時効になったり、加害者が亡くなったりしているケースもある。被害者が沈黙を破れなかった背景には、カトリック教会の権威主義や威圧的な空気もあっただろう。そして教会が何十年にもわたって、この問題を司直の手にゆだね、刑事事件としての解明を怠ってきたことも、大きな問題である。犯罪を犯した聖職者たちが、修道院の分厚い壁に守られて刑事訴追を免れてきたとしたら、法治国家ドイツの名が廃るではないか。

だが、昨年から被害者たちが家族や警察に対して苦い体験を少しずつ語り始めたため、教会も正面からこの問題に取り組まざるを得なくなった。今年行われたある世論調査によると、ドイツのカトリック教徒のおよそ4人に1人が、「聖職者による性的虐待問題に憤慨して、教会を脱退することを考えた」と答えている。また回答者の77%が、「カトリック教会は事実を隠そうとしている」という疑いを持っている。つまり信者の間にも、教会のこの問題への対応の仕方に不満を抱いている人が多いのだ。

カトリック教会はプロテスタント教会と同じく、長年にわたり脱退者が後を絶たないことに頭を悩ませてきた。これまで教会脱退の主な理由は教会税に対する不満だったが、今後は性的虐待問題が、この傾向に拍車をかける恐れがある。

私はキリスト教徒ではないが、小学生の頃に東京・国立市のプロテスタント教会の「日曜学校」の礼拝に参加して聖書について学んだことがある。それだけにキリスト教的な価値観には親しみを抱いていたのだが、教会内部に隠されていた現実が次々に明るみに出るのを見て、がっかりしている。

カトリック教会は聖職者の適格性について審査を厳しくするとともに体制改革を進め、このような悲劇が2度と繰り返されないように努力してほしい。

11 Juni 2010 Nr. 820

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:26
 

コッホ辞任の衝撃波

ヘッセン州のローラント・コッホ首相が「今年8月末で辞任し、キリスト教民主同盟(CDU)のすべての役職から退く」という意向を突然表明したことは、ドイツの政界を驚かせた。

コッホ氏は、コール元首相に見出されて出世した。CDU保守派の重鎮であるだけに、彼の辞任はメルケル首相だけでなく党にとって大きな損失である。

彼は1999年の州議会選挙で、外国人が二重国籍を取ることについて反対するキャンペーンを行って勝利を収めた。このキャンペーンの中でコッホ氏は外国人について否定的なイメージを前面に押し出し、有権者の共感を得た。このため左派知識人やリベラル政党は彼を「政治的な目的を達成するためには、反外国人的な言辞も使う人物」と批判した。

だがコッホ氏は、百戦錬磨のタフガイ、そして運の強い政治家である。2000年に明るみに出たCDUの不正献金疑惑でも名前を取り沙汰されたが、州首相の座を守り続けた。コッホ氏は2008年の州議会選挙で敗北したが、ライバル社会民主党(SPD)のイプシランティ党首(当時)の失策と同党の内紛が原因で、首相の座を明け渡さずに済んだ。

彼はまだ52歳であり、政治家としてまだ活躍できる年齢だ。CDU内部ではメルケル氏の後継者という見方もあっただけに、コッホ氏が政治の表舞台から退くことは、CDUを支持する保守派の有権者には悪いニュースである。ベルリンの政界では「なぜコッホ氏は今辞任を表明したのか」が謎とされている。彼は5月初めにCDUがノルトライン=ヴェストファーレン州の議会選挙で大敗したのを見て、自分が次のヘッセン州議会選挙で勝てる見込みはほとんどないと判断したのだろう。ギリシャ債務危機への対応の悪さも加わって、有権者のCDUへの不満は強まっているからだ。いずれにせよ今後CDU保守派の力が弱まることは間違いない。

CDUにはもう1人、去就が注目されているベテラン政治家がいる。財務大臣のヴォルフガング・ショイブレ氏(67歳)だ。彼は5月10日にブリュッセルで行われた債務危機に関するEUの緊急会議で倒れ、入院した。このためメルケル首相はデメジエール内務大臣をピンチヒッターとして派遣しなくてはならなかった。ショイブレ大臣はその直後にベルリンで開かれたユーロ救済に関する重要な会議にも出席できず、「ユーロの将来がかかっている火急の時に、財務大臣が会議に出られないというのは、いかがなものか」という声が政界で流れた。本人もブリュッセルの病院で「財務大臣をやめるべきかどうか、真剣に考えた」と語っている。ショイブレ氏はコール元首相の子飼いの部下で、最も有力な後継者と目されていたが1990年に暴漢に撃たれて半身不随となった。彼はハンディキャップを物ともせずに、政治家としてフルに活動してきたが、昨年あたりから体調を崩しがちだった。週末はおろか祝日も返上で仕事をしなければならない政治家は、世界で最もハードな仕事の1つである。メルケル首相にとっても、ショイブレ氏の健康は心配の種であるに違いない。

現在ドイツの大政党は、選挙ごとに違う党を選ぶ浮動票に振り回されている。冷戦終結とともに、イデオロギーで党を選ぶ時代は終わったからだ。「党が自分にどんな利益をもたらすか」を判断基準にする有権者が増えているのだ。こういう時代に、有権者の心をつかむことは政治家にとって容易ではない。CDUは、優秀な人材を見つけて世代交代をスムーズに行うことができるだろうか。

4 Juni 2010 Nr. 819

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:25
 

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