ジャパンダイジェスト
独断時評


日独・政争の違い

日独・政争の違い大連立政権の一翼を担う社会民主党(SPD)の権力闘争は、ミュンテフェリング副首相が辞任することで一応の決着を見た。ミュンテフェリング氏は、前のシュレーダー政権で、失業者への給付金を大幅にカットする「ハルツIV」法の導入に尽力した人物である。

したがって、SPDのベック党首が、この法律を見直して中高年の失業者への援助期間を延長するよう提案したとき、ミュンテフェリング氏は毅然と反対した。景気が回復基調にあり、失業者の数が減っているからといって、自分に責任のある政策が施行からわずか2年で覆されるのは、受け入れがたいと考えたのだ。

SPDの中道派は、長い間失業している市民に圧力を加えなければ、いまも失業者が300万人を超えるという「ドイツ病」を根治できないという意見が強い。そのために社会保障を削って新しい職業のための訓練を受けたり、本気で仕事を探したりするように仕向けるのが、「ハルツIV」の目的だった。

だがSPDはベック党首を全面的に支持し、ミュンテフェリング氏はこの法律の見直しを受け入れざるを得なかった。彼は「個人的な理由」で職を辞したとしているが、党内の路線闘争に敗れたことが本当の理由であることは言うまでもない。

自分の意見が受け入れられなかったために辞任するのは、筋が通っており、わかりやすい。これに対して、非常にわかりにくいのが日本の政争だ。

今年11月、民主党の小沢一郎氏は「党首を辞任する」意向を表明した。現在、福田首相は国会運営をスムーズに行うために、自民党と民主党がドイツのように大連立政権を組むことを提唱している。小沢氏は民主党執行部の意見をはからずに、独断で福田首相と会談して、あたかも民主党が大連立に乗り気であるかのような印象を与えたというのが、その理由である。民主党内には、自民党と大連立政権を組んだ場合、独自性が薄れて、国民からの支持率が下がることを懸念する議員が少なくない。

ところが小沢氏は、党内で慰留されたため党首辞任の意向を撤回した。日本国内では小沢氏の優柔不断な態度に、失望感が広がっている。本人は「プツンと切れた」と説明しているが、政治家が身の処し方をそれほど発作的に決めるものだろうか。

どうも日本の政治家の態度は、ドイツに比べてきっぱりとした潔さに欠ける。その背景についても、わかりにくい部分が多い。ドイツ人はあいまいさを嫌い、何ごとについても白黒をはっきりさせるのが好きだ。これに対し日本人は、杓子定規を嫌い、融通無碍(ゆうづうむげ)、つまり柔軟であることに重きを置く。

メンタリティーが違うことは理解できるが、あっちへフラフラ、こっちへフラフラする政治家によってバカにされるのは、国民なのではないだろ うか。

7 Dezember 2007 Nr. 692

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 09:53
 

格差社会に歯止めを

東京・新橋の地下道。汐留の高層ビル街から銀座線の駅へ向かう通路に、ぼろぼろになった背広を着た白髪のホームレスが新聞紙を敷いて横たわっている。何日も入浴していないのだろう。顔が真っ黒に汚れた老女が、わずかな身の回りの品を入れた紙袋の横でカップラーメンをすすっていた。

ここからわずか15分も歩けば、日本で最もにぎやかな繁華街の一つである銀座に着く。プラダ、ルイ・ヴィトン、アルマーニの高級ブティックがずらりと並び、フランスから来た1個40万円のバッグや100万円を超えるスイスの腕時計が売れていく。昼間の気温は20度近いのに、毛皮のジャケットを着て歩く若い女性も目立った。

日本で格差が急激に広がっていることを、強く感じた。駅の電光掲示板には、「XX駅で人身事故」という報せが1日に何回も載る。経済大国ニッポンでは毎年3万人を超える人々が自殺するが、彼らの多くは格差社会の犠牲者である。

ドイツでも、市民の間で所得や資産の格差は広がっている。この国の個人資産は5兆4000億ユーロ(約864兆円)。ドイツ経済研究所(DIW)によると、全体の10%に当たる最も裕福な市民が、国全体の個人資産の6割を持っている。ドイツ最大手の銀行ドイチェ・バンクのアッカーマン頭取は、毎年17億9000万円の収入がある。これに対し、市民の3分の2は資産らしい資産を持っていない。

地域差も大きい。旧西ドイツ市民の平均資産額は9万1500ユーロ(1464万円)だが、これは旧東ドイツ市民の2.5倍である。統一から17年経っても経済格差が縮まらないことは、社会主義体制が残したつめ跡がいかに深いかを物語っている。

財界と太いパイプを持つシュレーダー前首相は、企業の国際競争力を高めるために法人税を引き下げ、社会保障サービスを削って、企業の負担を減らすことに力を入れてきた。この政策が、ドイツ社会で格差を広げる原因になったことは間違いない。

ドイツ人は、キリスト教的価値観の影響で、いまも米国人や日本人に比べて社会的正義(Soziale Gerechtigkeit)を重く見る傾向がある。私は、社会民主党(SPD)の支持者が減って左派政党に共感する市民が増えていることに、「格差社会を変えなくてはならない」という世論の動きを感じる。SPDがハルツIV法の見直しを決めたことも、同じ文脈の中にある。

鉄道の機関士たちが波状的にストを繰り返しているが、市民の間から大きな反発の声は上がっていない。むしろ低賃金で働かされている機関士たちに理解を示す人が多いことも、「所得の格差拡大に歯止めをかけなくてはならない」という姿勢を感じる。外国の投資ファンドから買収を仕掛けられたときに企業を守るような法律を施行するべきだという意見が強いことも、市民の米国型資本主義への強い不信感を表している。

シュレーダー氏が導入した改革への反発として、私は今後ドイツで左派政党への支持が強まるのではないかという印象を持っている。

※1ユーロ=160円換算

30 November 2007 Nr. 691

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:42
 

過去を反省する警察

過去を反省する警察ドイツの連邦刑事局(BKA)が、今年9月に「終戦直後、西ドイツの警察幹部の中にはナチスの関係者が多く含まれていた」とする調査結果を自ら発表した。ナチス時代の過去と批判的に対決する、ドイツ社会の執念を示す出来事だ。

ヨルク・ツィールケ長官の発表によると、ナチス政権の下で警察官だった者は、戦後の警察組織で簡単に再就職することができた。BKAは1951年に創設されたが、50年代の末には、BKA幹部の大半が、悪名高いSS(親衛隊)の幹部で占められていた。中には、戦争中にユダヤ人虐殺を企画、実行した帝国保安主務局(RSHA)の関係者まで混ざっていた。

ドイツの警察は39年に、SSとともにRSHAの傘下に置かれた。そして戦争中には多くの警察官が、ユダヤ人虐殺を専門に行った特務部隊(アインザッツ・グルッペ)に加わり、人道に反する犯罪に関与したのである。

例えばヴィルヘルム・ヴァグナーという警官は、戦争中に憲兵だった。彼は42年8月に、親衛隊が8000人のユダヤ人をポーランドのクラクフ近郊からベルゼック強制収容所へ移送した際に、警戒任務にあたっていたが、その際に29人のユダヤ人を射殺した。彼は戦後、故郷のバイエルン州に復員してから再び警察官になり、56年に警視に昇進した。だが後に殺人の罪に問われて、88年に終身刑の判決を受けている。虐殺の片棒を担いでいた人物が、警察幹部になっていたとは驚きである。西ドイツでも、50年代には過去との対決が今日ほど積極的に行われていなかったことを示している。

ナチス党員が多かったことは、戦後のBKAの捜査方針にも影響を及ぼした。親衛隊員は、強い人種差別の傾向を持っていたため、BKAは一部の少数民族に対して「潜在的な犯罪者」という偏見を持ち、80年代まで彼らに関するブラックリストを持っていた。また、警察の内部文書でも、この少数民族を頭から犯罪的分子と決めつける文章が目立った。これは、ナチス時代の警察とあまり変わらない姿勢である。

ツィールケ長官は言う。「第二次大戦から60年以上経ったが、それはまだ過去の出来事ではない。今日の警察官も、過去に警察が犯した残虐行為を忘れるべきではない。あのような惨事が起きたことの原因、そして人々の当時の振る舞いについて、われわれは問い続けなくてはならない」

2007年になってようやくこのような調査結果が発表されるとは、いささか遅すぎる。それでも、警察のように保守的な組織が、前の世代が犯した過ちを水に流さず、歴史の恥の部分を「摘発」する姿勢は評価したい。対外諜報機関であるBND(連邦情報局)も、歴史家に依頼してナチスの高官が要職に就いていた実態について調査し、発表する予定である。ドイツ人にとってナチス時代の過去は、容易には過ぎ去らないのだ。

23 November 2007 Nr. 690

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 09:56
 

メルケル首相の決意

11月3日、メルケル首相は初めてアフガニスタンに駐留しているドイツ軍将兵を訪問した。安全確保のために、この訪問についてマスコミは事前の報道を差し控え、現地にいる大半の兵士たちにも事前の連絡はまったくなかった。まるで、ブッシュ大統領がイラクに駐留する米軍兵士を訪れるときのような、隠密訪問である。

搭乗機がカブール空港に着陸する寸前には、メルケル首相も防弾チョッキを着けなくてはならなかった。空港からドイツ軍の基地へ向かう際、自動車を使うとゲリラの爆弾テロに遭う危険があるので、移動は機関銃を装備した大型ヘリコプターで行われた。首相の搭乗ヘリには、米軍武装ヘリの護衛がついた。

また、メルケル首相の飛行機がカブールから離陸する際にも、搭乗機は照明弾を周囲に発射した。タリバンの武装勢力は、飛行機のエンジンから出る熱を追尾する、地対空ミサイルを持っている。搭乗機が照明弾を発射したのは、敵のミサイルを撹乱(かくらん)して、攻撃を避けるためである。

これらの事実から、アフガニスタンの治安がいかに悪化しているかが理解できる。ドイツ政府は、アルカイダを支援するタリバンが、再び政権につくことを防ぎ、アフガニスタンの復興を支えるために、北部に3000人の将兵を駐留させている。この地域は、米英軍がタリバンと激しい戦いを繰り広げている南部に比べると危険は少ないが、1年前から自爆テロやロケット砲による攻撃が増加し、すでに30人近いドイツ人が犠牲になっている。

メルケル首相が危険を冒してアフガニスタンに行ったのは、生活条件が過酷な前線にいる兵士たちの士気を鼓舞するためだけではない。最大の理由は、ドイツ市民の間で、軍のアフガニスタン駐留への支持が急速に弱まっていることだ。ある世論調査によると、5年前には回答者の51%がドイツ軍のアフガン駐留を支持していた。だが今では、支持者の割合は29%に急落している。さらに「アフガン駐留が原因で、ドイツ国内でのテロの危険が高まっている」と考える市民の割合は56%に達し、「将来、ドイツ軍は外国での任務に派遣されるべきではない」と考える市民の比率は、2年前には34%だったが、今では50%に増加した。

米軍がイラクの泥沼で苦しむのを見て、ドイツ市民の間でも「自国の将兵たちが、出口の見えない対テロ戦争に巻き込まれるのではないか」と危惧を抱く人が増えているのだ。歴史をひもとくと、英国、ソ連の例を見るまでもなく、アフガニスタンに軍事介入して平定できた国は、一つもない。

首相はこの厭戦気分に警鐘を鳴らしたかったのだ。ドイツなど西側諸国がアフガニスタンから撤退したら、同国は再び内戦状態に陥るだろう。そしてタリバンが政権に返り咲き、厳格なイスラム原理主義に基づく政治を再開して、再びアルカイダがこの国を出撃拠点や訓練センターとして使う危険がある。メルケル首相の電撃訪問は、「アフガンに踏みとどまる。タリバンのカムバックは許さない」という不退転の決意をはっきり示したものだ。

16 November 2007 Nr. 689

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:41
 

SPDよ、どこへ行く

SPDよ、どこへ行く大連立政権の一角を担う社会民主党(SPD)が、大きく揺れている。象徴的なのは、中高年の失業者に対する援助金の支給期間を延長するかどうか、という議論である。ベック党首は、失業者の間で評判が悪い「ハルツIV」法に変更を加え、中高年層に対する援助金の支払期間を延ばすべきだと主張。激論の末、ミュンテフェリング労働相は、しぶしぶこの方針を受け入れた。

ミュンテフェリング氏は前のシュレーダー政権でハルツIVの成立に寄与した人物。SPD党員の大半がベック党首に味方をしたことは、ミュンテフェリング氏に代表される経済改革推進派が、党内のせめぎ合いで敗れたことを意味する。

シュレーダー政権は、「ドイツ経済の競争力を高めることが、失業率を低くするためには不可欠だ」と考えて、社会保障コストを減らすための政策を次々と実行に移した。ハルツIVはその一環であり、失業者への援助金を大幅に減らすことによって、再就職への圧力を高めることが目的だった。

だが驚いたことに、シュレーダー元首相ですら「ハルツIVはモーゼの十戒ではない」と言って、法律に変更を加えることに理解を示し、ミュンテフェリング氏を事実上孤立させた。SPDで、左派路線が主流となったのである。

10月末にハンブルクで開かれたSPDの党大会では、草の根の党員たちがさらに「左傾化」の姿勢を示し執行部を驚かせた。例えば党員たちは、ドイチェ・バーンに議決権のない「国民株式」を導入し、外国の投資会社による買収から守るべきだと主張したり、二酸化炭素削減のためにアウトバーン全線に時速130キロのスピード制限を導入したりするべきだと主張したのだ。

これは、緑の党や左派政党を思わせる政策である。草の根の党員の間では、シュレーダー前首相が財界に太いパイプを持っていたことから、SPDの政策がキリスト教民主同盟(CDU)に近づき、弱者に冷たくなったという意見が強まっているのだ。次の選挙で緑の党や左派政党に票が流れるという危惧も出ているのだろう。

ベック党首は、その雰囲気を敏感に察知し、シュレーダー路線に背を向けたのである。社会の弱者に手を差し伸べようとするのは、理解できる。だが、党首が変わるごとに、政策が財界寄りになったり、左派寄りになったり、猫の目のように激しく変化するのはいかがなものであろうか?

9 November 2007 Nr. 688

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:02
 

<< 最初 < 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 > 最後 >>
104 / 113 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express Hosei Uni 202409 ドイツ・デュッセルドルフのオートジャパン 車のことなら任せて安心 習い事&スクールガイド

デザイン制作
ウェブ制作