ジャパンダイジェスト

喜怒疲楽のカヌー旅日記 父なるライン川を漕ぐ 吉岡 嶺二カヌー旅マップ

Heidelberg – Worms
いよいよライン川に漕ぎ入れる

ドイツのプロヴァンスを抜けて

ハイデルベルクで雨風を避け、予定していたポンプ広場ではなく、石積みの壁の陰にテントを張ったのが正解。その晩はぐっすりと休めた。2012年6月29日、8時10分にハイデルベルクを出発した。すぐに23キロの標識を過ぎ、思い出の町が遠ざかっていく。 

両岸は広く、空がぐんと高くなった。フランスのブルゴーニュ運河を漕いだときの光景によく似ている。ブルゴーニュ運河南端のディジョンを過ぎれば、ローヌ川までの30キロは賑わいも失せ、プロヴァンスらしい景色が広がる。この「プロヴァンス」という言葉の原義は「空っぽ」と言うが、ここはまさにドイツのプロヴァンス。ただ黙々と進んだ。

最初のロック(閘門)が見えてきたが、スロープが見当たらない。壁をよじ登ってキーパーに聞きに行くと、「ここにはない。カヌーは上流へ戻って橋の下から担いで行け」とのこと。わざわざ監視所から出てきて案内してくれる気配なのだが、上流へは少し遠過ぎる。ここは粘るしかないと思い、なんとか頑張って通してもらうことに。2つ目のロックは上流側の扉が開き、緑色のランプが点いている。平然と漕ぎ入れ、パドルを上げて合図を送った。扉が閉まってぐんぐんと水位が下り始め、15分ほどで下流側の扉が開いた。ギロチン型の扉からボタボタと水が落ち、ずぶ濡れになったが、巨大なロックを独占して通過できた。やってみるもんだ。

学生時代を思い出しながら、ライン川へ

やがて前方に見えてきたのはマンハイムだろうか、広々とした芝生が続く美しい町だ。ライン川はもうそろそろかなと思い、土手を登ってサイクリング中の夫妻に尋ねると、はるか彼方を指差してくれた。T字型に合流すると思っていたのだが、和菓子フォークのように二股に分かれた向こう側に、もう1本の川が光っている。ネッカー川の「0ポイント」標識もすぐ先にあった。

ネッカー川の「0ポイント」標識
ネッカー川の「0ポイント」標識。
これより東南のシュヴァルツヴァルトの奥深く、367キロからの終着点

ライン川に漕ぎ入れると、途端に流れの勢いが変わり、ぐいぐいと押し流され始めた。左舷標識は432キロ、スイスのレマン湖の源流からもうこれだけの距離を下ってきているのだ。「ラインの城やアルペンの谷間の氷雨……」(『逍遥の歌』)。学生時代のコンパでは『紺碧の空』や『若き血』など、各校の校歌や応援歌、寮歌を繰り返し、蛮声を上げたことを思い出した。今、そのライン川の水をすくっている。

「ボン」と聞こえた町は、「ヴォルムス」だった

パドルを握り、進路を保持しているだけで時間が過ぎた。川幅は数百メートルと広く、両岸には森が続くばかりで、人工の建築物は全く見当たらない。今回、マンハイムからマインツまでの地図は持ってこなかった。ボート航海用の地図をハイデルベルクで探したのだが、見付からなかった。小さな不安が襲う。このまま進んで、途中に立ち寄る町はあるのだろうか。食料も昨夜底を尽き、あるのはポンプで汲んだ飲み水だけ。川岸で釣りをしていたお爺さんに尋ねると、「ボン」としか聞き取れなかったが、ツインのタワーが見える所が町だと教えてくれた。

18時20分、タワーの手前に停泊場を見付け、そこへ漕ぎ入れて、もやいロープを結び付けると、ひげを生やした男性が近付いてきた。ここの管理人と知り、明朝までの停泊許可をもらった。ここがヴォルムスという町であることも教えてくれた。寝るには凸凹の地面より、浮き桟橋の方が良さそうだ。面積はあるから、寝返りを打っても落ちることはなかろう。管理人から聞いたタワーの下のビアガーデンへ行き、二食分もありそうなラムステーキを平らげて、元気を取り戻した。

 

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吉岡 嶺二吉岡 嶺二(よしおか・れいじ)
1938年に旧満州ハルビンに生まれる。早稲田大学卒業後、大日本印刷入社。会社員時代に、週末や夏休みを利用して、カヌーでの日本一周を始める。定年後はカナダ、フランスやイギリスといった欧州でのカヌー旅行を行っている。神奈川県在住。74歳。
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