ビール好きとして、どうしても見ておきたいものがあり、ロンドンの大英博物館に行ってきました。それは紀元前4000~3000年もの昔にさかのぼるメソポタミア文明の「ビール醸造記念碑(Blau Monuments)」です。この幅33cmの小さな粘土板には、シュメール人が農耕の神ニンカシに捧げるビール造りの様子が絵と文字で刻まれており、ビールに関する最古の記録と言われているのです。
現在のイラク北部、チグリス・ユーフラテス両河の流域にはシュメール人による人類最初の集落文明であるメソポタミア文明が栄え、楔形文字の基礎となった絵文字によって様々な記録が粘土板に残されました。発掘された遺跡からは当時の生活を物語る彫刻や土器が多く発掘されています。そこから、彼らが高度な灌漑農法を有し、六条大麦とエンマー小麦を栽培していたことが分かっています。
大英博物館に納められているBlau Monuments(下)
当時のビールの造り方も、歴史学者たちによって解き明かされてきました。大麦を水に浸して発芽させ、それを天日で乾かすことで麦芽を作ります。小麦は固い殻を剥ぐために杵でつき、それらを粉にして水でこね、パンに焼き上げました。パンは糖化酵素の働きを止めないために、内部を生のままにするという知恵も持っていたようです。このパンをちぎってかめに入れ、湯で溶いて放置することで、自然発酵のビールが出来上がりました。
そうして造られるビールには、麦の殻や粒などの浮遊物が混ざっていました。そこで使用されたのが長いストローです。麦や葦の茎をストロー状にしてビールの上澄み液を飲みました。また、お気に入りの「マイストロー」は、使っていた人が亡くなった際に棺桶に入れられ、一緒に埋葬されました。
パンからビールを醸す方法は紀元前3000年頃に、古代エジプトにも伝わりました。エジプトでは、できたビールをふるいでろ過し、さらに陶土で清澄していたため、ストローを使わずにコップから直接飲むことができたようです。紀元前1800年代にシュメール人の国は消滅し、ユーフラテス河畔を都としたバビロニア王国が跡ストローで飲む世界最古のビールを継ぎました。この王朝の6代目のハムラビ王は、「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を作りました。この法律の中には、ビールに関する規則や罰則が含まれています。
当時、造り立てのビールを飲ませる「ビットシカリ」という居酒屋がいくつもありました。ビール醸造は女性の仕事で、サビツムと呼ばれる女性醸造家がビールを造り、クバウと呼ばれる女主人が管理していました。このクバウがビールの販売価格をごまかしたら、水中に投げ込まれる刑、反逆者が酒場に集まっていることを知って黙認したら斬刑など、厳しい罰もありました。給料の一部としてビールが支給されることもあるほど、ビールは通貨と同等の価値を持っていたのです。仕事の後にググッと吸ったり飲んだりしたビールは、さぞかし美味しかったことでしょう。6000年前から人類は、ビールを飲んで酔っぱらっていたのだと想像すると、面白いですね。