Nr.9 言葉の行き違い(?)
しばしばドイツ語は論理的、日本語は感情的と言われます。しかし実際にドイツで生活していると、多くのステレオタイプの場合と同じように、そうとも言えないことに気付きます。ドイツ人が感情的に言い争う場面はイヤというほど見かけます。その一方、日本人は感情を表に出さないし、嬉しいときも悲しいときも感情表現が上手ではありません。(とりわけ日本人男性は)素敵なプレゼントをもらっても、喜びを表すのが苦手なようです。照れくさいし、言葉にするとウソっぽい感じがするのかもしれません。でも、これは言葉そのものに備わった性質ではなくて、自分の感情に対する接し方、あるいは言葉を使う上での習慣の問題ではないでしょうか。
あらゆる面で行き違いはしばしば生じますが、経験から言えば、客観的に存在する「モノ」は外国語にしやすく、感覚や感情にかかわる表現は訳しにくいようです。「なつかしい」とか「渋い」という表現は、なかなかドイツ語になりません。逆に「gemütlich」とか「peinlich」という単語も、100パーセント対応する日本語が見つかりません。
それに日本語は話題や文脈に依存しがちで、「あれ」とか「これ」などが連発されます。極端になると、「言わなくても分かってくれるだろう」と相手側に寄りかかることも少なくないようです。そうなると、文脈に依存する割合が低く、可能な限り言語化しようとする傾向が強いドイツ語の話者とはすれ違いが生じます。日本語の達者なドイツ人が面白い例を挙げていました。「田舎はどちらですか」-「はい、私です」。これだけ取り出すと意味が分かりませんが、お汁粉屋さんのウェイトレスが田舎ぜんざいを運んできたシチュエーションと分かれば、極めて普通の会話です。
また、東横線渋谷駅でのドイツ人の体験談。横浜に行こうとして、線路を指さして「ヨコハマ?」と聞いたのに誰も答えてくれない、日本人は不親切だ、と言うのです。何が聞きたいのか理解できず、困って線路を見つめていた日本人の顔が思い浮かびます。外国語が分からないと文脈依存症に陥りやすいという好例でしょう。
これが国際的な男女関係ともなると深刻な問題です。「たしかにハイと言ったけど、自分の本当の気持ちを察してくれる気がない」と不満をもつ日本人は少なくないようです(もっとも、日本人同士でも起きる状況ですが)。要は、なるべく多くを言葉に出して説明せよ、ということでしょう。言わなくても分かってくれるというのは甘えです。そういえば、この「甘え」という言葉も、翻訳不可能な単語リストに入れなければ……。