聖金曜日(Karfreitag)といえばイエス・キリストの死を想う日です。この日は伝統的にイベントが控えられ、ディスコでも大音量でダンスに興じることが禁じられます。しかし、キリスト教離れの傾向にあるドイツでは今年、ダンス禁止に反対するデモが各地で行われました。その反面、キリスト教の教えは日常生活に強い影響を与えるほど社会に根付いていることも確か。それは、子どもたちを育てる教育の場でも同じです。
私の娘が通っていた学校の名前は「Städtische Katholische Grundschule」で、カトリック系の小学校でした。入り口には十字架があり、校長先生は敬虔なクリスチャン。とは言え、学校は宗教の別を問わず、プロテスタントやイスラム教の子どもも受け入れています。私の娘は無宗教でしたが、入学前に1 つだけ言われたことがありました。それは「宗教の授業に必ず参加する」こと。
イラスト: © Maki Shimizu
ドイツの小学校には宗教の授業があるのです。そして、すべての生徒がカトリックかプロテスタントのどちらかの授業を選ばなくてはなりません。
娘は友達が参加するからという理由でカトリックの授業を選びました。はじめの授業では「困った人がいたら助けましょう」「高齢者には席をゆずりましょう」といった道徳的な内容が中心で、あまり宗教の教義らしさは感じられません。ところが小学校の3年生の頃から生徒の中には堅信式などの儀式を受ける子が増え、同時に宗教の授業は教会の礼拝堂で行われることも多くなり、その内容は聖書を学ぶなど「本格化」していきます。
3年生も終わりに近付いたある日、娘は明日の教会での宗教の授業には出たくないと言い出しました。教会で何をしているのか本人に聞いてみると、「歌って話しを聞いているだけで、すごくつまらない」と言います。理由がそれだけとは思えず、ドイツ人の親にも聞いてみましたが、納得する答えが得られません。そこで校長先生に相談すると、プロテスタントの授業に移るよう勧められました。こちらでは教会には行かず、教室で絵を書いているとのこと。カトリックからプロテスタントの授業へ、簡単に移動できることに苦笑しつつ、今となっては懐かしい話ですが、当時は公立の小学校なのにこれほど宗教色が強いものかと、かなり気になったものでした。同じクラスにイスラム教徒の生徒が3 人いましたが、うち1人はカトリックからプロテスタントの授業に移り、最終的には1 人だけ教室に残って自習していました。彼の母親は、1年生の父母会で「宗教の授業に息子を出席させたくない」と言いましたが、その願いは聞き入れられませんでした。
ドイツでは狭い地区であってもカトリックとプロテスタントの学校を分けて作っていた時代もあり、当時はそれぞれの生徒同士の対立が激しかったそうです。宗教の授業は子どもたちにとって簡単ではないようですが、「世の中には色々な考え方や神様を信じる人がいる」ということは、漠然と学んでいるようです。教会の神父の厳格さと威圧感に反発を覚えた娘も、授業自体は歴史を学んでいるようで楽しかったと言います。
またドイツには、「Die Bischöfliche Schule」と呼ばれるカトリック教会が運営する学校が多くあります。教師や修道士などが子ども1人ひとりにカウンセラー的存在として配置されるなど、生徒に対してよりきめ細かな配慮があるようです。
学校の宗教教育のあり方については、国内で度々激しい議論が起こりますが、多民族国家であるドイツならではの難しい問題であることは確かでしょう。
イラスト: © Maki Shimizu