まだ選挙権を得ていないのに、どの政党を選ぶかについて話し合う子どもたちの声が聞こえてきます。
生徒A「きみはCDU(キリスト教民主同盟)?」
生徒B「違う、SPD(ドイツ社会民主党)だよ」
生徒C「政治の話は内緒がいいよ。でもそろそろ政権交代すると僕は思う」
娘「……えっ?!」
そんな会話をドイツでは小学2 年生がしているのです。聞いている私の方がタジタジです。政治の話は子どもの考えというよりは、親の意見を真似ていることが多いのですが、それでもこの国の子どもたちは幼い頃から自分の立場がはっきりしています。
娘の小学校では、月曜日に各生徒が「週末にしたこと」を報告する時間がありました。そこでも政治の話題は多く、ドイツの一般家庭では頻繁に政治について話し合われていることが分かります。学校の先生がCDUの候補として選挙に出馬したときには、子どもたちも大いに注目していました。その先生は歴史の先生で、ときどきテレビの討論番組にも出演していた50 代の女性です。そのうちに、笑顔を振りまく先生の選挙用ポスターが町中に貼られましたが、生徒からは大不評。「うそだ、あの笑顔はうそだ!」ポスターの前で生徒たちは大騒ぎ。ポスターに写る素敵な笑顔からは目立つシワが全部消されていて、しかも実物はちっとも笑わないのだとか。「政治家なんてうそつきさ」などと言う男の子に対して、周囲の子どもたちも持論をぶつけ、議論に発展します。
イラスト: © Maki Shimizu
自分の意見を持つこと、そして発言することはドイツの教育のキーワードです。以前、フランスの次期大統領候補として出馬した女性、ロワイヤル氏について、「この女性は人が話す前に相手の話を聞く人」であり、これは「彼女が試みている小さな革命」なのだと書いてありました。人が話す前に相手の話を聞くのは当たり前のことだと思うのですが、フランスではそんな人間は「未熟者」と見られてしまう。なるほど、それはドイツでも思い当たります。ドイツでも自分から話せない人はダメ。どんな場でも控えめな態度はあまり良い印象を与えず、黙ってニコニコしているだけではバカだと思われてしまうことも……。こんな時には日本との温度差を感じますが、これはまさにドイツの教育方針とも大きく一致しています。
娘の通った現地校では「とにかく手を上げて発言しなければ成績が悪くなりますよ」と、担任の先生から忠告されました。テストでいくら良い点を取っても、発言回数が少なければ評価されないのはどの教科も同じ。「発言をする」、それがこのドイツ社会では最も重要なことだと娘は叩き込まれました。
イラスト: © Maki Shimizu
ドイツ人が話すのを聞いていると、たくさんしゃべる人の方が周りに強い印象を与えますが、誰もが立派なことを話しているかというと、そうでもないことも。それでも口数が多い方が「良し」と評価されるのです。娘はおとなしく授業を聞くタイプでしたが、意識的に手を上げて発言するように努力したことが先生に認められ、ますます自信をもって発言するようになりました。自分の意見を言える子どもとは、こんなふうに育てられていくのだなと思いました。
ところで、日本では授業中に黒板の字をノートに書き写すのはどこか当たり前だと考えられていますね。娘は日本の学校に編入した頃、何も書かないで先生の話を聞いていたら驚かれたそうです。ドイツと日本では授業の形も生徒のノートの使い方も違うのですね。