69. ゴッホ⑧:エスパス・ゴッホ
エスパス・ファン・ゴッホの中庭
ゴーギャンがアルルを去るのを止めようと、カッとなったゴッホは発作的に自分の右耳を切り落としてしまいます。それだけでも大事件なのですが、何を思ったのかその耳をハンカチに包み、知り合いの娼婦の所へ届けに行きました。地元では普段からうさんくさく煙たがられていたゴッホですが、これで完全に「狂人」のレッテルを貼られることに。
ゴッホはすぐさま病院に運ばれ、しばらくは厳しい監視の下に置かれます。それでも、彼の数少ない理解者の1人で肖像画のモデルにもなった郵便集配人のジョゼフ・ルーランや彼の妻がお見舞いに来てくれました。それに3月には、画家のポール・シニャックが心配してゴッホのもとを訪れています。一般人にとってゴッホは変人でしたが、若い画家からはその才能を慕われていたようです。彼は何カ月も入院していましたが、回復に向かうころには絵を描くことも許されました。入院中に何枚描いたかは不明ですが、これらの作品は彼の退院後に処分されてしまったそうです(もったいない!)。
入院中はフェリックス・レイという若いインターンのような医者が治療を担当しました。彼は辛抱強く親身になってゴッホの世話をしたので、ゴッホも彼を信頼するようになります。退院後には彼の肖像画を描くほどでしたが、レイはこの絵を気に入らなかったのか、ゴッホが亡くなってから画廊に売ってしまいます。その後、とあるロシア人が偶然その画廊で見かけて買い取り、この肖像画は今ではプーシキン美術館に展示されています。
さらにゴッホは退院後、病院の2階の回廊から見た「アルルの病院の中庭」を描きました。現在、この中庭の花々はゴッホの絵をもとに植えられています。また、フォーラム広場からもほど近いこの建物は、今では病院ではなく図書館や資料館などが集まったカルチャーセンターになり、名前も「エスパス・ファン・ゴッホ」として一般公開しています。当時あれほどゴッホのことを嫌っていたのに、勝手なものですね。
ゴッホは結局この病院にも長くいられなくなってしまいます。そして、規則が緩やかと聞いていたサン・レミ・ド・プロヴァンスの修道院サン・ポール・ド・モーゾールへと自ら望んで移っていったのでした。