74. ベートーヴェン・イヤー③:ウィーンでの引越し
ヌスドルフのブドウ畑
ベートーヴェンは22歳の時、ハイドンに師事するため2度目のウィーンへ旅立ちます。それ以降、一度も故郷ボンへ帰ることはなく、亡くなるまで34年に渡ってウィーンにとどまりました。その間、引越し魔として有名な彼は、分かっているだけでウィーン市内で54回も移り住んだそう。
音楽家としては致命傷ともいえる難聴で、しかも癇癪(かんしゃく)持ちのベートーヴェン。大きな音を立てては、周辺住民と頻繁にもめ事を起こしていました。ベートーヴェンがかつて住んだ家のうち、いくつかは今でもウィーンに残っています。現在も人が住んでいる場所があるほか、別の施設になっている所も。それらの家を見学することはできませんが、外から家を眺めて「この家でこの曲を書いたのか」と思いを馳せるのも興味深いです。
ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことで有名なアパートは、今ではミュージアムになっています。以前は、彼が実際に住んでいた部屋だけが展示室だったのですが、2020年には、通りに面した部屋にも展示が拡張されました。この家では、交響曲第2番とピアノ協奏曲第2番が作曲されたそう。ベートーヴェンの初期ながら重要な作品です。遺書を書くほど苦しんでいたにもかかわらず、これらの曲の2楽章はとても穏やかで天国的とさえいえます。
ここからちょっと北東のヌスドルフへ行くと、ベートーヴェン・ガングという小道が丘の方へ向かって続いています。ここはベートーヴェンが、かの有名な交響曲第6番、通称「田園交響曲」のインスピレーションを受けた散歩道。今では家が建ち並んでいますが、瀟洒(しょうしゃ)な邸宅なので雰囲気を損なうことはありません。それに、彼が歩いた小川沿いの道は昔のままで、当時を偲ぶことができます。「田園交響曲」といえば、私が中学生の頃に音楽の授業で聴かされ、長年慣れ親しんできた曲でした。
私がウィーンに来て初めての春、ここを散歩したときの心地良かったこと……その時、ちょうど嵐がザーッとやって来て、すぐに去って行きました。木々は瑞々しさを取り戻し、丘の向こうには光が差し込んで青空が広がりました。その様子は、「田園交響曲」で描かれている情景そのもの。「あぁ、こういうことか」と、初めてベートーヴェンが描きたかった風景を理解できたような気がしたのでした。