ジャパンダイジェスト

水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

76. ベートーヴェン・イヤー⑤:最後のアパート

最後のアパート裏のベートーヴェン・ガッセ
最後のアパート裏のベートーヴェン・ガッセ

ウィーンの環状線沿いにあるショッテントアの広場には、二つの立派な塔を持つヴォティーフ教会が立っています。その裏手を横切っているシュヴァルツシュパーニアー通りに、ベートーヴェンが最後に住んだアパートがありました。

この通りでは当時、スペインはカタルーニャの山上の修道院モンセラートから多くの修道士がやって来て布教活動をしており、彼らが黒い僧衣をまとっていたことから「黒いスペイン人通り(Schwarzspanierstraße)」と名付けられたそう。

今の建物は建て替えられた新しいものですが、ベートーヴェンはここで晩年の深い精神性に満ちた数々の名曲を生み出しました。ただし、体調は思わしくなかったようで苦しみながらの生活を送ります。一説では長年飲み続けた安いワインに含まれていた酢酸鉛が原因で肝硬変を引き起こし、56歳という若さで亡くなってしまいました。

お葬式は、アルサー通りに面した三位一体教会(通称アルサー教会)で執り行われたのですが、なんと2万人もの参列者がいたそうです。当時ウィーンの人口は20万そこそこだったので、住民の1割が参列したことになります。参列者のほとんどが実際にベートーヴェンの演奏を聴いたことのない人たちでしたが、それだけ彼の名声が高かったことがうかがえます。

生前から彼を崇拝し、街で見かけても一度も声を掛けられなかった恥ずかしがり屋の音楽家シューベルトも参列し、自ら志願してお棺を担がせてもらったとか。そのシューベルトも後を追うようにして1年後に31歳で亡くなりました。まさか、ベートーヴェンの墓の隣に埋葬されるとは思ってもみなかったことでしょう。

この教会からヴェーリンガー墓地までの500メートルほどの道のりを、ベートーヴェンの棺を乗せた馬車が走り、その後には200台もの馬車が続きました。その模様はフランツ・シュテーバーという画家が描いた絵が残っていて、その当時を偲ぶことができます。

絵に描かれている広場は、その後通りに面して建物が建ったため見えなくなってしまいました。現在はウィーン大学の所有になっていて、中庭には一般の人も入ることができます。さらにその一角には、ビール醸造所や学食のような居酒屋も。古き良き時代を思い起こしながらここで一杯傾けるのも、味わい深いものです。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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