107. レナード・バーンスタインさんの思い出
リンゴ
作曲家、指揮者、ピアニスト、教育者としても活躍したレナード・バーンスタインさん。たぐいまれなるその才能は、よく知られているので今さら説明する必要がないほどです。私が初めて彼の演奏に接したのは1970年の大阪万博の時にニューヨーク・フィルと来日されたときでした。
当時ミーハーだった私は、終演後に楽屋を訪ねサインをもらおうとフェスティバル・ホールの地下へと向かったのですが、どうもグランド・ホテルの駐車場へ迷いこんだようでした。うろうろしていると、向こうから見たことのある人たちが歩いて来ました。何と、指揮者の小澤征爾 さんと音楽評論家の福原信夫さんだったのです。
恐る恐る事情を説明すると、気さくに「僕たちも行くところだから、一緒に行きましょう!」と誘っていただきました。緊張しながら一緒にエレベーターで上がったのを今でも覚えています。
バーンスタインさんの部屋を訪ねると、ダークブルーのバスローブに身を包んでソファに座っておられました。小澤さんが私たちについて説明すると、彼は「ウェルカム!」と私たちを温かく迎えてくれました。サインをし終えると、私のそばに立っていた彼女(今の妻)の頭を撫でてくれました。もうこの時は緊張のあまり、お礼を述べて早々に立ち去りました。
それから時はたち、私はウィーンで生活するようになりました。長年憧れていたムジーク・フェライン(楽友協会)でのウィーン・フィルの演奏会に初めて出かけましたが、その時の指揮者がバーンスタインさんでした。このころ、彼も活動の拠点をウィーンに移しておられたのです。
最初のハイドンの交響曲第88番は気宇 に富んだ軽妙な演奏で、その響きのきれいなこと……。日本にいる頃からこのオーケストラが大好きでしたが、想像を絶する豊かな響きに目からうろこがぽろぽろと落ちました。プログラム前半のハイドンが終った後、休憩に入るのかと思いきや、何と彼がオーケストラ側に向いたとき、何の動作もしていないのにオーケストラが鳴り出しました。先ほどの最終楽章をもう一度演奏したのです。 この時の演奏会は後にビデオになったので改めて観たですが、何と彼は目だけでオーケストラを振っていたのです。その後のブラームスのピアノ協奏曲は、ホールが揺れんばかりの演奏で腰が抜けそうでした。