12. グリンツィング界隈のベートーヴェン 2
エロイカ・ハウス
前回お話しした、ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの家で書いた遺書は、結局、送られないままひっそりと引き出しにしまい込まれていました。
私が想像するに、難聴の悪化にカッとなった彼は、遺書を書いた後、近くのホイリゲ(ワインの造り酒屋)に飛び込んでやけ酒をあおったことでしょう。実は、この家の隣もホイリゲでした。ワインを飲んで酔っ払い、彼の死ぬ気力は薄れていったのではないかと思われます。
ホイリゲが近くにあったお陰か否か、私たちは現在、彼が作曲した「交響曲第2番」以降の掛け替えのない名作の数々を聴くことができるという恩恵にあずかっています。この出来事以降、ベートーヴェンの作品には、彼の作品の特徴ともなる、苦難を乗り越えていく力強さや推進力、そして純粋さが増していきます。
さて、「交響曲第3番」を作曲した当時に彼が住んでいた家もまたホイリゲに近く、その現存するホイリゲの角を左に折れる道は「エロイカ・ガッセ」と名付けられています。ここからヌスドルフへ出ると、有名な「ベートーヴェンガング」といわれる小川沿いの散歩道があります。そう、この小道で彼は、「田園交響曲」作曲のインスピレーションを受けたのです。今は瀟洒な住宅地になっていますが、小川はおそらく当時とさほど変わらず自然のまま、家々も趣きのある佇まいで、心地良く歩くことができます。
また、この道を丘の方へゆっくりと登って行くのも楽しいものです。途中、左手に散策する姿のベートーヴェン像を通り過ぎ、ハイリゲンシュタットの墓地を抜けると、ぶどう畑がカーレンベルクの丘まで広がる景色を堪能できます。
待ちに待ったウィーンの春。ベートーヴェンが生きていた時代は、今よりもずっと厳しい冬であったはずです。当時の人々は、どれほど春の到来を待ちわびたことでしょうか・・・・・・。自然から受けた印象を通して、そんな心の動きが「田園交響曲」には込められています。
ざわざわと風が吹き出すと、ちゃんと嵐はやって来て、やがてどこかへ去っていきます。空にはくっきりと虹も現れました。まるでミレーの名画、「春」のように……。